「自分はモテないし、この先もモテることはない」
という現実をぼくが知ったのは、小学3年生の春のことだった。
遠足で隣県の山に登ったときのことだ。
山頂でお弁当を食べたあと、ぼくらは付近の斜面を走り回って遊んだ。
斜面を駆け上がり、その後駆け下りる。そしてまた上る。
その行為のどこに悦びを見いだしていたのかは今となっては謎だが、自分のしっぽを追いかけて回り続ける雑種犬よりアホだった小3のぼくらは、その生産性ゼロの遊びに数十分以上も耽っていた。
その間にも南米の密林がどんどん減少して砂漠へと変わっていることも知らずに。
突然、鋭い悲鳴が響いた。
女の子たちが騒然としている。
走り回っていた女の子のひとりが斜面から転げ落ち、さらに悪いことに石に頭をぶつけたのだ。
彼女の意識ははっきりしていたが頭からは血が出ていた。
すぐに担任の先生がとんできたが、ぼくは彼女がそのまま死んでしまうのではないかと思った。
小学生にとって「頭から血が出る」というのは、あのベジータがあっさりフリーザにやられてしまったときと同じくらい絶望的な状況だった。
遊んでいた誰もが、ぼくと同じようにオロオロしながら、けれど何もできずに頭から血を流す女の子を遠巻きに見ていた。
そのときだった。
同じクラスのヨシダくんがけがをした女の子に駆け寄り、ハンカチを差し出したのだ。
衝撃的な出来事だった。
今でも当時の感動とともに、その光景を鮮明に思い出すことができる。
まちがいなくその場にいた全員(教師も含め)が、ヨシダくんの振る舞いにときめき、そして彼に惚れたはずだ。
もちろんぼくもそのひとりである。
傷ついた女性にさっとハンカチを差し出す紳士的な振る舞いもさることながら、何よりぼくが驚嘆したのは、彼が「ハンカチを持っている」ということだった。
当時のぼくにとってハンカチというものは、パーカライジング(リン酸塩の溶液を用いて金属の表面に化学的にリン酸塩皮膜を生成させる化成処理)と同じくらい、自分の生活とは縁遠いものだった。
トイレに行っても手を洗わないし、よしんば洗ったとしても濡れた手の処理は
・ズボンでごしごしする
・友だちの背中になすりつける
の二択だったぼくにとって、手をハンカチで拭くなんて、手にリン酸塩を塗ることぐらいありえないことだった。
つまり、ぼくはごくごく普通の小学3年生男子だったわけだ。
ところが、ぼくと同じ歳月しか生きていないヨシダくんは、ハンカチを所持していただけでなく、これ以上ないというベストなタイミングでポケットから取り出し、あろうことかさりげなく女の子に差し出してみせたのだ。
なんて破廉恥な小学3年生なのであろう!
そして彼がハンカチを差し出した瞬間、ぼくは稲光に打たれたように悟ってしまった。
「モテる」とはこういうことだ、と。
このときぼくがはっきりと認識した「モテる」世界は、眼前に見えているにもかかわらず、西方浄土よりも遠く感じられた。
自分が立っている場所との落差を感じ、深い絶望を覚えた。
とても自分が、傷ついた女性にさりげなくハンカチを渡せる男になるとは思えなかった。
8歳のぼくが感じた予感は悲しいことに的中し、30歳をすぎた今でも女性に対してハンカチを差し出すことはおろか、お世辞のひとつすら言えない。
ああ。
なんて遠いんだ「モテる」世界よ!
ぼくには一生かかってもたどり着けそうにないよガンダーラ!!
0 件のコメント:
コメントを投稿