2024年4月16日火曜日

【読書感想文】奥田 英朗『噂の女』 / 癒着システムの町

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噂の女

奥田 英朗

内容(e-honより)
「侮ったら、それが恐ろしい女で」。高校までは、ごく地味。短大時代に潜在能力を開花させる。手練手管と肉体を使い、事務員を振り出しに玉の輿婚をなしとげ、高級クラブのママにまでのし上がった、糸井美幸。彼女の道行きにはいつも黒い噂がつきまとい―。その街では毎夜、男女の愛と欲望が渦巻いていた。ダークネスと悲哀、笑いが弾ける、ノンストップ・エンタテインメント!

 最初の章である『中古車販売店の女』を読み終えた時点での感想は、「奥田英朗作品にしてはつまらないな」だった。

 同僚が中古車を買ったらすぐ故障した。クレームをつけにいくのに付き添いで中古車販売店に行ったら、学生時代の同級生の女がいた。学生時代は地味で目立たない女の子だったのに、やたら肉感的で男好きのするタイプになっていた。昔の同級生に詳しい話を聞くと、中古車販売店社長の愛人をやっているという噂も流れてきた――。

 という話。タイトル通りの「噂の女」で、「田舎にちょっと派手でミステリアスな女がいると暇な人たちの噂のタネになるよね」という話。しかし噂は噂でしかないので、小説の題材としては弱すぎるよな……。




 という印象だったのだが、二篇目、三篇目と読んでいくうちに印象が変わってきた。

 連作短篇集になっていて、登場人物は毎回変わるのだが、噂になっている“糸井美幸”という女だけは共通している。

 そして次第に明らかになってゆく“糸井美幸”の正体。最初は中古車販売店の従業員や雀荘のアルバイトだったのに、主婦になり、高級クラブのママになり、檀家総代になり、大きな金や権力を動かすようになる。

 どうやら社長の愛人らしい、どっかの社長と結婚したらしい、その社長が風呂で死んで遺産を相続したと聞いた、睡眠薬を入手しているようだ、県会議員の愛人なんだそうだ、寺の住職が糸井美幸にそそのかされているらしい……。

 ひとつひとつは単なる噂でも、積み重なっていくと信憑性が増してくる。ただし糸井美幸本人の内面は一切語られない。そもそもほとんどの人は「噂」「属性」で糸井美幸を判断し、彼女自身と向き合おうとしていない。

 はたして糸井美幸は噂通りの悪女なのだろうか。それとも噂は噂でしかないのか。

 このあたりの書き方が実にスリリング。最後まで糸井美幸自身の内面がつまびらかにされないのも、余韻を持たせてくれていい。




 この小説、糸井美幸という女も魅力的なのだが、舞台である岐阜の地方都市の書き方が実にリアルでいい。作者の出身地だけあって、方言まじりの会話も活き活きしている。


 なにがいいって、無関係の人間から見るとこの町が「どうしようもない町」なんだよね。

 中小企業は社長が会社の金を私的に流用して税金をごまかし、そこの社員はやる気をなくしてサボり経費をちょろまかす。失業者は失業保険を不正受給してパチンコ屋に入りびたり、公務員は知人から賄賂をもらって公団住宅の入居権を斡旋する。資産家の家族は遺産をめぐって対立し、ろくな働き口がないシングルマザーは半ば売春の商売をする。土建屋は談合をし、役所の職員は談合を見逃すかわりに甘い天下り先を手に入れる。寺の住職は色仕掛けにころっと騙され、刑事は市民そっちのけで派閥争いに明け暮れる……。

 ほんと、どうしようもない。しがらみ、汚職、利権、天下り、裏金など不正がはびこっており、ほとんどの人間が「こういうものだ」とおもって受け入れている。

「うちもアカン。あやうくお茶ひくところやった。十時になって団体客が来たけど、中央署の警察官の送別会の流れ。もう最悪」
「うそー。可哀想」
「警察官やとあかんの?」博美が聞いた。
「当たり前やないの。平塚さん、知らんの。警察なんかやくざより性質が悪いわ。体は触るわ、威張り散らすわ――」
「そうそう。それに店も大赤字やし」
「なんで赤字になるの」
「警察はどんだけ飲み食いしても一人三千円。この界隈の昔からの決まりごと。ママに聞いたら、店を開いたとき、飲食店組合の上の人が来て、警察とは持ちつ持たれつやでそうしてくれって強制やあらへんけど、いろいろな付き合いを考えると、アンタの店もそうしたほうがええよって言われたんやと。そんなもん脅しやないの」
 博美は彼女たちの打ち明け話に驚いた。世の中に裏はつきものだが、実際に知ると唖然とする。「まあ、その代わり、駐車違反は見逃してもらうけど」
 仲間の建設会社の社長が、役人の再就職受け入れを渋るようなことを言い出したので、日頃親しくしている同業者団体「躍進連合会」のメンバーでその会社に押しかけ、説得にあたることにした。
 躍進連合会とは、名目上は親睦団体ということになっているが、内情は公共事業に携わる地元建設業界の談合組織である。だから説得というより、詰問に近かった。業界のしきたりを破ってどうするつもりだ、というわけである。
 県庁及び市役所の建設部や水道部の退職者を、定年時の役職に応じて四百万円から七百万円の年収で五年間雇用するというのが、会の決まりだった。幹事役は連合会の理事で、もちろん役所側にも斡旋係がいる。談合と天下りが世間で批判されて久しいが、地方は基本的に昔と変わらない。地縁血縁の社会に競争はそぐわないのである。
 幹部が異動する際には餞別を集めるのが、警察のしきたりだった。中でも署長が交代するときは、地域の商工会や飲食店組合が「栄転祝い」を包むのが慣例化していて、その合計金額は数百万円と言われている。署長はおいしいポストなのだ。
 通常は、地元とのつながりが深い地域課や生活安全課が、企業や商店組合を回って集めていた。やくざのミカジメ料とどこがちがうのかと、最初は尚之も驚いたが、今は感覚が麻痺して違和感も消えた。組織のやることに疑問を抱かないのが、警官の出世の早道なのである。

 もちろん小説なので、すべてがほんとにあるかどうかはわからない。

 でも、どっかにはあるんだろうな。少なくとも過去にはまちがいなくあった。

 しがらみや癒着がはびこっているのは地方だけではない。都市にだってある。でも、まだ都市には「不正に手を染めずに生きていく道」がある。

 けれど若い人が減っているような地方で金持ちになるには、権力者にうまくとりいって、ときには不正に手を染めて、もらえるチャンスがある金は不正なやりかたでももらう……という道しかないんだろうなという気がする。だってそういうシステムができあがってるんだから。システムから離れて大っぴらにやっていくことはできない。目立つとシステムの中にいる人たちにつぶされてしまうから。

 しがらみや癒着を前提にしたシステムが嫌いな人は都会に出ていくから、余計に地方のしがらみシステムは強固なものになる。

 『噂の女』の糸井美幸という女は(たぶん)とんでもなない悪女だが、これはこれで適者生存というか、癒着が前提となっている地方都市で何も持たない女がのしあがろうとおもったらこういう方法を選ぶしかないよなあ。まじめに働いている者が報われる社会じゃないんだもの。


「みんなのお金をなんとかしてうまくかすめとる」というシステムで、全体が発展することはない。国体をやろうがオリンピックをやろうが万博をやろうが、それは本来別の誰かがもらうはずだった金をかすめているだけなので全体が潤うことはない。そして地方経済は衰退し、若い人は流出していき、減った利権を守るためにますます不正が横行し……。

 そりゃあ衰退するわな。地方の衰退、国家の衰退の原因がここに詰まっている気がする。

 ま、もちろんそれだけじゃないんだけど。人口減が最大の要因であることはまちがいないんだけど。でも、人口が減っている中で「じゃあいらないところは切ってもっとコンパクトに効率的にやっていきましょう」とできない理由もまた、ここにあるんだよな。

 

 こういう「コネや賄賂や談合や天下りや癒着や便宜がなくなると困る!」って人が世の中にはいっぱいいるんだもの、そりゃあ国政も腐敗しますわなあ。


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