2021年12月29日水曜日

パイナップル中毒にご用心

 夜中に腹が痛くなった。

 胃腸が弱いのでおなかを壊すのは日常茶飯事なのだが、今回のはいつもの痛みとちがう。トイレに行っても収まらない。風呂に入ってあったまっても収まらない。寝たら治るかとおもって布団に入っても、痛みが引くどころかどんどん痛くなって眠れない。


 急性盲腸炎とか? いや、でも盲腸炎は強烈な痛みっていうしな。

 食あたり? うーん、でもふだん食べているものしか食べてないしな。変わったものなんて……。


 あっ。

 食ったわ。

 干しパイナップル。

 いきつけのドライフルーツ屋さんで買った、ドライパイナップル。茶色くて、しわしわで、妻が「パイナップルのミイラ」って言ったやつ。

 あれかな。

「パイナップル 腹痛」で検索してみる。

 やっぱり。パイナップルにはプロメラインというたんぱく質を壊す成分が含まれていて、パイナップル加熱せずに食うと口内や腹が痛くなることがあるらしい。

 たんぱく質を壊す成分……。こえー!

 そういやキウイもたんぱく質を壊すからゼリーが作れない(ゼラチンが固まらない)と聞いたことがある。パイナップルも同じかな。

 これまでパイナップルで腹痛になったことはなかったが、ドライパイナップルがぼくの身体にあわなかったらしい。


 そうとわかればもう大丈夫。

 ぼくは「吐こうとおもえばわりとかんたんに吐ける」体質なので、こういうときに助かる。

 トイレに行って、水をがぶがぶ。胃の中身をゲロゲロ。

 ふうすっきり。数分すると嘘のように腹の痛みも治まった。

 ということでパイナップルのミイラにはご用心。



2021年12月28日火曜日

とりき

 よく小学生とドッチボールをする。


 ドッチボールがはじまるときの小学生たちの会話。

「チーム分けどうする?」

「じゃあ〝とりき〟な」


 とりき?

 鳥貴族?

 首をかしげていると、男の子ふたりが「とーりっき!」と言いながらじゃんけんをはじめた。
 勝ったほうから、他のメンバーを指名していく。

 ああ、あれか。
 ぼくが小学生のときは〝とりあいじゃんけん〟と呼んでいた(〝とりき〟の〝き〟ってなんだろう?)。

 要するに、代表者ふたりによるドラフト会議だ。
 じゃんけんで勝てば、好きなメンバーを自チームに引き入れることができる。負けたほうは残ったメンバーの中から、好きな子を選ぶ。
 ひとりずつ獲得するとまた「とーりっき!」とじゃんけんをおこない、ドラフト二巡目がスタートする。


 ぼくが子どものときもやってたけど、けっこう残酷なんだよなー。
 最後のほうまで残った子がかわいそうだなー。ぼくも指名されるのは後半だったなー。

 とおもいながら見ていたら、最後にひとりが残った(子どもが奇数だった)ときの反応に息を呑んだ。

「いるかいらんか、じゃんけんぽん!」


 ぞっとした。
 おいおいおい。それはさすがにひどすぎるだろう。


 じゃんけんで勝ったほうは、残りひとりを「いる」か「いらん」で選ぶというのだ。
 いくら「ドッチボールにおいて」という前提があるとはいえ「いらん」を宣告される子の身にもなってみろよ。

 あわててぼくが
「『いらん』ってのは言われた子が嫌な気持ちになるから、最後のひとりはじゃんけんで勝った方のチームに入ることにしよう」
と止めに入った。

 ふだんなるべく子どもの好きに遊ばせるようにしているが、このときはおもわずたしなめてしまった。




 ほんと、子どもって残酷だよね。
 ぼくが子どものときも同じことやってたけど。

 なにがひどいってさあ。ドッジボールだぜ。
 まだ野球ならわかるよ。メンバー全員に打順がまわってくるから、へたな子を入れるぐらいなら人数を減らして、その分うまい子に一回でも多く打席が回る方がいい。
 でもドッジボールに関しては、人数が増えて得することはあっても損することはまずない。ひとり残ったら「チームに入れる」でいいじゃん。


 まあ〝とりき〟はある意味公平ではある。
 グーパーで別れた場合は戦力が著しく偏ることがあるが、〝とりき〟であれば実力が伯仲する。強い子と弱い子がバランスよく両チームに入るので、ゲームとしては盛りあがる。

 しかしなあ。公平がいいとはかぎらんよなあ。
 最後にぽつんとひとり残されて、「おまえいらん」と宣告される子からしたら、死ねと言われるに等しいぜ。たかがドッジボールとはいえ。


〝とりき〟は絶対こうなるんだよね。
 強い子同士で〝とりき〟をした場合もそうだし、いちばん弱い子同士で〝とりき〟をさせても、結局強い子からとられてゆくから「三番目に弱い子」と「四番目に弱い子」が残ってしまう。

 なので、ぼくがドッジボールに加わるときは「大人がいるときは大人を最後に指名すること」と決めた。

 これで「最後に残されて『いらん』と言われる子」はいなくなるし、前半で目ぼしい選手が取られてしまって盛りあがりが後半失速するという〝とりき〟の構造的欠陥も軽減することができる(大人は強いからね。へへん)。


 だから、プロ野球のドラフト会議も、「その年の目玉選手は最後に指名すること」っていうルールにしたらいいよね。
 一番くじのラストワン賞みたいにさ。



2021年12月27日月曜日

2021年に読んだ本 マイ・ベスト12

 2021年に読んだ本は110冊ぐらい。

 去年は130冊ぐらいだったのでちょっと減った。おうち時間が減ったからかな。

 その中のベスト12。

 なるべくいろんなジャンルから選出。
 順位はつけずに、読んだ順に紹介。


堀江 邦夫
『原発労働記』


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 ノンフィクション。

 いくつもの原発で作業員として働いた著者による渾身のルポルタージュ。まさに命を削って書かれている。
 ここに書かれている原発の実態は、ごまかしと隠蔽ばかりだ。原発の管理がいかにずさんかがよくわかる。

 この本を読んでまだ「日本に原発は必要なんだ」と言える人がいるだろうか。



石井 あらた
『「山奥ニート」やってます。』


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 エッセイ。

 廃校になった小学校の分校で、ニートたちが集まって集団生活を送っている。その日々をつづったエッセイ。ぼくもかつては無職だったが、きっとその頃こういう人たちがいると知ったら気が楽になっただろう。

 山奥ニートという生き方に眉をひそめる人もいるだろうが、ぼくはこういう生き方を選ぶ人がいてもいいとおもう(ただし我が子が山奥ニートになりたいと言いだしたらやっぱり反対するとおもう)。本当の〝一億総活躍社会〟ってこういうことだとおもうんだよね。


前野ウルド浩太郎
『バッタを倒しにアフリカへ』


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 ノンフィクション。

 文句のつけようがないぐらいおもしろい。「おもしろい本」は多いし「すごいことをやっている本」も多いけど、「おもしろくてすごいことをやっている本」はそう多くない。これは類まれなるおもしろくてすごい本。

 近い将来、この人がアフリカを救うとぼくは信じている。


ブレイク・スナイダー
『SAVE THE CAT の法則』


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 ハウトゥー本なんだけど、なんか妙に感動してしまった。

 ロジカルに、手取り足取り脚本の書きかたを教えてくれる。
 これを読んだら自分にもハリウッド映画の脚本が書けるような気になってしまう。

 ストーリーをつむぎたいとおもっている人にとっては読んでおいて損はない本。


マルコ・イアコボーニ
『ミラーニューロンの発見』


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 ノンフィクション。

 他人の行動を観察しているときにまるで自分がその行動をとっているかのように活性化する脳細胞・ミラーニューロンについて書かれた本。

 この本を読むと、我々の行動がいかにミラーニューロンによって支配されているか気づかされる。人間はものまねによって動くのだ。笑っている人を見れば楽しくなるし、暴力映像を見れば暴力的になる。「暴力映像を観たからといって暴力的になるわけじゃない! 人間はそんなに単純じゃない!」と言いたくなる気持ちはわかる。だが、残念なことに人間は単純なのだ。目にしたものを無意識に真似してしまうのだ。


佐藤 大介
『13億人のトイレ 下から見た経済大国インド』


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 ノンフィクション。

 2020年に読んだM.K.シャルマ『喪失の国、日本』も猛烈におもしろかったが、この本もすばらしい。インドに関する本はどうしてこんなにおもしろいのか。

 インドのトイレ事情について語りはじめるんだけど、そこから話がどんどん広がっていって、政治、経済、貧困、犯罪、宗教対立、民族問題、環境問題、そして今なお根深く残るカーストなどについて斬りこんでいく。
 内容ももちろんおもしろいんだけど、なによりワンテーマを軸にいろんな問題に切りこんでいく手法が画期的。


橋本 幸士
『物理学者のすごい思考法』


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 気鋭の理論物理学者によるエッセイ。

 餃子のタネと皮を残さずに包むための最適解を求めたり、エレベーターに何人まで詰め込めるかを計算したり。最高なのは「僕は1時間、ニンニクを微分し続けていたのだ」という強力なフレーズ! これまでニンニクを微分しようとおもった人いる?

 物理学者の、常人離れした思考の一端に触れることができるエッセイ。


伊藤 計劃
『虐殺器官』


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 SF小説。

 今まで読んだSFの中でもトップクラスにおもしろかった。はじめから最後までずっと興奮した。主人公が属する暗殺組織もおもしろいが、なによりターゲットであるジョン・ポールがおこなっている「人々に殺し合いをさせる手法」のアイデアがすごい。
 ほらの吹きかたがすごくうまかった。ぜんぜん現実的じゃないのに、でも「ここじゃないどこかにはこういう世界もありそう」とおもわせてくれる。


荒井 裕樹
『障害者差別を問いなおす』


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 ノンフィクション。

 一部ではあるが、健常者社会に対して激しい闘いをしかける障害者がいる。この本を読む前のぼくは「そんなことしたらみんなから嫌われるだけじゃん。喧嘩をふっかけるんじゃなくて、友好的な関係を築かないと障害者の権利は拡がらないよ」とおもっていた。

 だがこの本を読んで、そうした考えは浅はかなものだと気づかされた。ときに差別されている側から(無意識に)差別している側に闘争をしかけないと差別は是正されないのだ。黒人奴隷が「白人から愛される存在」を目指していたら、いつまでたっても奴隷制はなくならなかっただろう。差別是正のいちばんの敵は、ぼくのような高いところから「お互い仲良くやりましょうや」と言う人間だったのだ。


奥田 英朗
『沈黙の町で』


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 小説。

 いじめをテーマにした小説はいくつも読んだことがあるが、『沈黙の町で』は今までに読んだどの小説よりもリアルに学生のいじめを描いていた。

 いじめの被害者は、小ずるく、自分より弱いものに対しては攻撃的で、平気で他人を傷つける言葉を口にし、他人を裏切る卑怯者で、すぐに嘘をつく少年。またいじめっ子グループにつきまとわれていたのではなく、むしろ逆に自分からいじめっ子グループについてまわっていた。逆に加害者とされるのは、人よりも正義感の強い少年である。

 それでも、いじめられていた子が命を落とせば「イノセントないじめられっ子」「悪いいじめっ子」という単純な構図に落としこまれてしまう。そして我々は「自分とは関係のない凶悪なやつがいじめをするのだ」と安心して目を閉じるのだ。


藤岡 拓太郎
『夏が止まらない』


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 二コマ~数コマのショートギャグ漫画。

 タイトルがおもしろくて、一コマ目がもっとおもしろくて、二コマ目でさらにおもしろいという、二コマ漫画なのに三段跳びみたいな作品もある。「適当に捕まえたおばさんに、自販機の飲み物をおごるのが趣味のおっさん」とか「仲直りをしたらしい小学生をたまたま見かけて、適当なことを言うおっさん」とか、タイトルだけでもおもしろいのに漫画はもっとおもしろい。

 二コマ漫画界の巨匠と呼んでいい。


永 六輔
『無名人名語録』


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 『無名人名語録』『普通人名語録』『一般人名語録』の三部作どれもおもしろかった。

 市井の人々(タクシードライバーとか飲み屋にいるおっちゃんとか定食屋のおばちゃんとかホームレスとか)がなにげなく言った一言を集めた本。SNSで交わされる言葉ともちょっとちがう。もっとプライベートな発言だ。これがしみじみ含蓄がある。

 ただ言葉を載せるだけで、余計な解説を挟んだりしていないところもいい。


 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2021年12月24日金曜日

【読書感想文】横山 秀夫『ノースライト 』~建築好きに贈る小説~

ノースライト

横山 秀夫

内容(e-honより)
北からの光線が射しこむ信濃追分のY邸。建築士・青瀬稔の最高傑作である。通じぬ電話に不審を抱き、この邸宅を訪れた青瀬は衝撃を受けた。引き渡し以降、ただの一度も住まれた形跡がないのだ。消息を絶った施主吉野の痕跡を追ううちに、日本を愛したドイツ人建築家ブルーノ・タウトの存在が浮かび上がってくる。ぶつかりあう魂。ふたつの悲劇。過去からの呼び声。横山秀夫作品史上、最も美しい謎。

 バブル崩壊の影響で離婚して失意の中にあった建築士・青瀬は、「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」という施主・吉野の依頼を受け、設計を請け負う。完成した「Y邸」は建築界から高い評価を受け、青瀬の代表作となる。だが数ヶ月後、Y邸には誰も住んでいない、それどころか引っ越した形跡すらないことが判明する。Y邸にあったのは一脚の椅子だけ。
 はたして吉野一家はどこへ行ったのか。青瀬は、残された「タウトの椅子」を手掛かりに吉野の行方を探す……。


 青瀬の少年時代の記憶、離婚前の家庭の記憶、ブルーノ・タウトの椅子、雇い主との関係、同僚の不倫のにおい、入札コンペ、かつての恋敵との再会……。様々な出来事が語られる。
 あれやこれやと詰め込んでいるが、終盤までなかなか収束しない。大丈夫か、これ風呂敷畳めるのか……とおもっていたら、ちゃあんと決着。さすが横山秀夫氏。うまい。

 うまいが、これだけの分量を割いてこれか……という気持ちも若干ある。

「吉野一家はどこへ行ったのか、なぜ青瀬にY邸の建築を依頼したのか」という最大の謎も、わかってみれば「なーんだ」というぐらいのもの。「えっ、あの人がまさか!?」「そんな意外な真実が!?」と驚くほどのものではない。
 というか「いくら父親の遺言だからってそこまでやらんだろ……」って感じなんだけどね。

 これまでの人生で数多く傷ついてきた中年の悲哀を描いた小説、とおもって読めばしみじみ味わい深いかもしれないけど、ミステリだとおもって読んだぼくにとっては正直期待外れだった。
 すごくうまく風呂敷を畳んだけど、畳んでみたらものすごくこじんまりとしてた。そんな気分。




 ミステリとして読むより、建築小説として読んだほうがいいかもしれない。

「北向きの家」を建てる。その発想が浮かりと脳に浮かんだ時、青瀬はゆっくりと両拳を握った。見つけた。そう確信したのだ。信濃追分の土地は、浅間山に向かって坂を登り詰めた先の、四方が開けた、この上なく住環境に恵まれた場所だった。ここでなら都会では禁じ手の北側の窓を好きなだけ開ける。ノースライトを採光の主役に抜擢し、他の光は補助光に回す。心が躍った。光量不足に頭を抱えたことのない建築士がいるなら会ってみたい。住宅を設計する者にとって南と東は神なのだ。その信仰を捨てる。天を回し、ノースライトを湛えて息づく「木の家」を建てる。北からしか採光できない立地条件でやむなくそうするのではなく、欲すればいくらでも南と東の光を得られる場所でそれを成す。究極の逆転プラン。まさしくそう呼ぶに相応しい家だった。
 青洲は憑かれたように図面を引いた。平面図。立面図。展開図。断面図。描いては捨て、描いては直しを繰り返した。採光のコンセプトが家の外形を決定づけたと言っていい。北面壁を最高軒高とする一部二階建て。北向きの一辺を思い切り長く引き、南側の辺を大胆に絞り込んだ台形状の片流れ屋根。縮尺二十五分の一の大きな模型を作って内部の光の当たり方を吟味した。季節ごと、時間ごとの入射角を計算し、屋内の構造と窓の位置・形状を決めていった。そして、それでも足りない光量を補うために、いや、この家を真に「ノースライトの家」たらしめるために、苦心惨憺の末考案した「光の煙突(チムニー)」を屋根に授けた。

 こんな感じで、随所に建築に関する記述が出てくる。正直言って建築に興味のないぼくにはちんぷんかんぷんだ。「よう調べたなあ」とおもうばかりだ。

 よく「医師が書いた医療ミステリ」とか「元銀行員が書いた経済小説」とかはあるじゃない。むやみに専門用語が並ぶやつ。

『ノースライト』も、油断しているとあの類かとおもってしまうんだよね。建築士が書いたんじゃないかと。横山秀夫氏の経歴を知らない人が読んだらそう信じるんじゃないかな(ちなみに横山秀夫氏は元新聞記者)。

 とにかく、「よう調べたなあ」という感想がまっさきに出てくる。建築好きならもっと楽しめるのかもね。


【関連記事】

【読書感想文】知念 実希人『祈りのカルテ』~かしこい小学生が読む小説~

【読書感想文】乾 くるみ『物件探偵』



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2021年12月23日木曜日

【読書感想文】朝井 リョウ『世にも奇妙な君物語』~性格悪い小説(いい意味で)~

世にも奇妙な君物語

朝井 リョウ

内容(e-honより)
異様な世界観。複数の伏線。先の読めない展開。想像を超えた結末と、それに続く恐怖。もしこれらが好物でしたら、これはあなたのための物語です。待ち受ける「意外な真相」に、心の準備をお願いします。各話読み味は異なりますが、決して最後まで気を抜かずに―では始めましょう。朝井版「世にも奇妙な物語」。


 テイストもテーマもばらばらの五篇からなる短篇集。

 いずれも切れ味がいい。
 こういう「ショートショートよりも長い、意外性のあるオチが待ってる短篇集」って久々に読んだ気がするなあ。昔は阿刀田高さんがよく書いてたけど。

 個人的には短篇が好きなのでこういうのをもっと読みたいけど、そういや星新一さんや井上夢人さんが「アイデアを出すたいへんさは長篇も短篇もさほど変わらない。短篇のほうが難しいぐらいだ。なのにギャラはページ数に比例するから短篇は割に合わない」と書いていた。だからみんな書かないのかなあ。文学賞でもあんまり短篇は相手にされないしなあ。
 もっと短篇が報われる世であってほしい。


〝コミュニケーション能力促進法〟の下に非リア充が裁かれる『リア充裁判』やYahoo!ニュースやライブドアニュースのようなライト系ニュースサイトを題材にした『13・5文字しか集中して読めな』(誤字じゃなくてこういうタイトルです)は、展開に無理がありすぎて個人的にはイマイチ。特に『13・5文字しか集中して読めな』は主人公の息子の行動が嘘くさすぎた。
 登場人物の動きがあまりに作者にとって都合が良すぎて。行動の背景に保身やプライドの一切ない登場人物って嫌いだなあ。


 仲良しシェアハウスが一転サスペンス調に変わる『シェアハウスさない』もよかったが、いちばん好きだったのは『立て! 金次郎』。

 保育園での行事で、我が子の活躍が少ないことに口出ししてくる保護者に悩まされる保育士の主人公。彼は、どの子も平等に扱うことよりも、それぞれの子の特性にあった場を用意してやることこそが保育士の仕事だという信念を持っている。
 先輩保育士や保護者との軋轢も覚悟しながら、子どもたちをいちばん輝かせたいという信念を貫き通そうとした結果……。

 さわやかな青春小説のような展開から、急角度で放りこまれるブラックなオチ。「なるほど、そうくるか」とおもわず唸らされた。伏線もさりげなく、お手本のような短篇だった。
 つくづく往年の阿刀田高作品の切れ味のよさを思いだした。




 小説としていちばん好きだったのは『立て! 金次郎』だったが、おもしろかったのはラストの『脇役バトルロワイヤル』。

 いろんな意味でチャレンジングな小説だった。

 とあるドラマのオーディションとして集められた数名の役者。年齢も性別のばらばらの彼らに唯一共通しているのは「脇役が多い」ということだった……。

「『ほらほら、冷める前に食おうぜ』」
「ふっ」
 思わず、淳平は噴き出してしまった。確かに、『脇役』からあまりにもよく聞くセリフだ。
「大体食事のシーンでね、ちょっと主人公が悩んでたりしてブルーな気分のときですよ。行け行け金次郎みたいなやつでも俺これ言ってますよ確か。冷める前に食おうぜ、とか言って無理やり盛り上げて、それでも笑顔にならない主人公の表情がアップになって、はしゃいだ俺がお茶こぼしちゃってる音だけ入ってるみたいな」
「すごくわかるよ! なぜならボクもけっこう似てるとこあるからね!」
 思わず立ち上がった八嶋が、涼と握手を交わしている。 「ボクの場合は外見もあるだろうけどね。小柄でめがねってだけで、早口でよくしゃべるおとぼけな役ってのが多いんだよ。小柄でめがねが全員そういうヤツなわけじゃないのに」もう四十五なのにさ、とボヤく八嶋の姿は、見ようによっては大学生くらいにも見える。「いーっつも、刑事モノ、検察モノ、弁護士モノとかのチームに一人はいるちょっとヌケた小柄めがねだよ。重たくなりすぎないようにバランス取る調整役みたいな」
「あー……」
 淳平は思わずうなずいてしまう。確かに、いくら重たい事件を扱ったドラマだったとしても、八嶋が出てくるシーンになると、視聴者は一息つけるイメージがある。

 こうした「脇役あるある」が次々に語られる。これがなんとも底意地の悪い視点で、おもわずにやりとさせられる。

 この小説に出てくる「八嶋智彦」なんて八嶋智人さんほぼそのまんまだ。隠す気すらない。


「前やった法廷モノもさ、それも『世にも』だったかな? 完全にそういう役だったな。ボクがちょっと席外した隙に状況が変わっててさ、ボクだけついていけてないみたいな。えっ、どういうこと? みたいな表情できょろきょろするみたいなの、もう何回やったことか」
「【だけど○○だよね、まさか××が△△なんて】……このスタイルは、脇役のセリフとしてあまりにも多い。だけど、や、しかし、などの逆接から話し始めれば、前のシーンまで一体どんな状況だったのか、たった一言で視聴者に説明することができるからな。これが、ベテラン脇役界では有名な、【逆接しゃべり始め説明】だ」
「確かにさっき、桟見さん言ってたわね」そう言う板谷の顔色が、少しずつ、元に戻ってきている。「最近出たドラマでも、『でも大変だね。それやりながら、本の執筆も続けるんでしょ?』みたいなこと言わされて、それでうんざりしてたって」
「そう」
 渡辺は、不合格、と書かれている床に視線を落とす。
「主役は、絶対にこんな話し方をしない。場面の説明をするのは、いつだって脇役の仕事なんだ……」


 さらにこの短篇に出てくる役者は、『世にも奇妙な君物語』の一篇目~四篇目の小説をドラマ化したときの出演者、という設定。これまでの短篇の中で使われた台詞が五篇目の「脇役あるある」として小ばかにされるのだ。セルフディスリスペクトといったらいいだろうか。

 この短篇は、朝井リョウ氏の底意地の悪さが特に顕著に出ていて好きだった。




 どの短篇も、朝井リョウ氏の底意地の悪い視点が存分に発揮されている。

「シェアハウスって単語にイライラする人って、そういう、刺激ある仲間! とか、唯一無二の空間! とか、ぽやっとしてるけどやけにポジティブな言葉で何かをごまかしてる感じにむかついてるんじゃないかなって思うの。ほら、高校生とかに人気のあの番組もそうじゃん。若い男女が夢を追いながらひとつ屋根の下で暮らす日々を追いかける、何だっけ、似非ドキュメンタリーみたいな」

  (『シェアハウスさない』)


【覚えておきたい新世代法律特集①コミュニケーション能力促進法】
 20XX年4月、「コミュニケーション能力促進法」がついに成立した。内容について様々な議論がなされてきたため、成立したときには大きな話題となった。
 ○○年ごろから、どこの企業の人事部も、新入社員に最も期待する能力として「コミュニケーション能力」を挙げている。しかしどうやらそれは、語学力、語彙など、資格試験や検定等で測定することのできるものとは限らないらしい。条文の中でも、「年齢や性別、立場の違う者とスムーズに自分の考えていることや相手の思いをやりとりすることができる能力」と説明されているように、確固たる定義がされていない。ある人にとっては挨拶ができることが「コミュニケーション能力」であり、ある人にとっては食事の席で上司を上手に持ちあげられることが「コミュニケーション能力」なのかもしれないのだ。
 だが、定義に関して十分な議論がなされる前に法案は可決され、「クール・ジャバン戦略」に続いて「コミュニケーション・ワールド戦略」が発表された。優秀な人材を確保しますますの経済発展を目指すべく、国としても「日本人らしい豊かなコミュニケーション能力」の向上に費用を投じることになったのだ。国はまず「人と人との豊かな交流を生むに足る場所」の増加に重点をおき、フットサル場や野外バーベキュー施設等のレジャースペースの拡大、当時すでに流行の兆しを見せていた女子会の奨励、そしてそれをSNS等で共有し合う活動の促進など、様々な施策がとられた。「コミュニケーション特区」に定められた地区では、飲食店において一人がけのテーブルをなくす、一人暮らしを禁止しシェアハウスでの生活を徹底する等の実験的な特別措置がとられ、特区内と特区外におけるSNS上の「いいね!」の差を示すデータなどが主にインターネット上で大きな話題となった。

  (『リア充裁判』)


 この厭味ったらしい文章。いいねえ。

 シェアハウスにしてもフットサルにしても女子会にしてもアクセス数稼ぎのニュースサイトも、いい大人は「本人たちが楽しんでるんだからいいじゃん」でそっとしておくもんだけど、朝井リョウ氏は「それおかしくないですか」と言わずにいられない人なんだろうね。
 性格悪いなあ(褒め言葉です)。楽しく読めました。 ぼくも性格悪いからね。


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