2023年12月19日火曜日

2023年に読んだ本 マイ・ベスト12

 2023年に読んだ本の中からベスト12を選出。

 なるべくいろんなジャンルから。

 順位はつけずに、読んだ順に紹介。


中脇 初枝
『世界の果てのこどもたち』



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 小説。

 重厚な大河小説を三冊分読んだぐらいのボリューム感。戦中戦後がどういう時代だったのかを鮮明に伝えてくれる小説。



米本 和広
『カルトの子 心を盗まれた家族』




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 ルポルタージュ。

 オウム、エホバ、統一教会、ヤマギシというカルトの2世信者にスポットをあてた本。長年カルトの取材をしているだけあって、深いところまで切り込んでいる。

 これを読むと、エホバや統一教会やヤマギシってオウムよりもえげつないことしてるんじゃないの? とおもってしまう。



奥田 英朗
『ナオミとカナコ』 



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 小説。

 ある男の殺害を決めたふたりの女性。「はたしてうまく殺せるのか」「予期せぬ事態が起こって計画通りにいかないんじゃないか」「うまくごまかせるのか」「ばれそうになってからはうまく逃げられるのか」と、中盤以降はずっと緊張感が漂って読む手が止まらなかった。まるで自分が追い詰められているような気分だった。




加谷 珪一
『貧乏国ニッポン ますます転落する国でどう生きるか』



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 ノンフィクション。

 ここ三十年の日本の没落っぷりを嫌というほどつきつけてくれる。

「まともな政治をする」「高齢者に金を使うより教育に金をかける」をすればいくらかマシにはなるのだろうが、それができそうにないのが今の惨状なわけで……。




澤村 伊智
『ぼぎわんが、来る』


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 ホラー小説。

 怪異系のホラーってぜんぜん好きじゃないんだけど(まったく怖いとおもえないので)、これは「恐ろしい怪物の話」かとおもわせておいて「生きている人間が静かに募らせる恨み」の話だった。おお、怖い。とくに妻帯者は怖く感じるんじゃないかな。



二宮 敦人
『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』 




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 ノンフィクション。

 日本で最も入るのが難しい大学である東京藝大。謎に包まれた藝大生の生態を解き明かしていく一冊。超大金持ち、変人、奇人、天才が集う大学。自分とはまったく縁のない世界だからこそ、読んでいて世界が広がる気がして楽しい。



鴻上 尚史
『不死身の特攻兵 軍神はなぜ上官に反抗したか』




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 ノンフィクション。

 太平洋戦争時、特攻を命じられるも9回出撃して生還した兵士の話。

 日本軍は組織としては大バカだったし参謀や司令官には大バカが多かったけど、特攻が戦術的にダメであることを見抜き、勝利をめざしてきちんと考えられる賢人たちもちゃんといたことを教えてくれる。



東野 圭吾
『レイクサイド』




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 ミステリ。

 前半は「そううまくいかんやろ」と言いたくなる展開だったが、その“うまくいきすぎ”にちゃんと理由があったことが後半で明らかになる。登場人物が身勝手な人物だらけで、後味も悪い。そういうのが好きな人にはおすすめ。



『くじ引きしませんか? デモクラシーからサバイバルまで』



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 ノンフィクション。

 今話題になっているくじ引き民主制について様々な立場からメリット・デメリットを語った本。職業政治家がぜんぜん有能でない(どうしようもないポンコツも多い)のは誰もが知るところ。

 読んだ感想としては、もちろんデメリットはあるけど、メリットのほうが大きいんじゃないかな。特に現行の投票制との併用はすぐにでも実施してみてほしい。



チャールズ・デュヒッグ
『習慣の力』




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 ノンフィクション。

 人間の意志はきわめて軟弱だから、何かを続けたかったら決心みたいな不確かなものに頼るのではなく、習慣を変えなければならない。習慣を変えるには行動を変えなければならない、行動を変えるには報酬(必ずしも金銭ではない)という内容。

 自分や他人の行動を変えたい人におすすめ。



リチャード・プレストン
『ホット・ゾーン ウイルス制圧に命を懸けた人々』



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 ノンフィクション。

 エボラウイルスとの闘いを描いた息詰まるレポート。エボラウイルスが新型コロナウイルスのように世界中に拡がらなかったのは、狂暴すぎて拡がる前に感染者が死んでしまうから。だが、今後より拡がりやすいウイルスに変異しないとも限らないという……。



デヴィッド・スタックラー サンジェイ・バス
『経済政策で人は死ぬか? 公衆衛生学から見た不況対策』



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 ノンフィクション。

 不況や経済危機に陥ったせいで多くの人が死ぬことがある。だが、そうならないこともある。恐慌なのに死亡率が死なない国もある。

 かんたんに言えば「国や大企業のために引き締めをおこなえば国民は多く死ぬし復興も遅れる。国民の健康、就業、福祉などに金を使えば死亡率は抑えられるし復興も早くなる」ことを数々のデータから明らかにしている。ところで、今の日本はというと……



 来年もおもしろい本に出会えますように……。


2023年12月18日月曜日

小ネタ8

3in1

 レゴにクリエイター3in1というシリーズがある。これは、1つのセットで異なる3つ(以上)の作品をつくれるというものだ。たとえば3in1ダイナソーなら、ティラノサウルスをつくることができ、組み替えればトリケラトプスになり、また組み替えればプテラノドンになる(ついでに首長竜にもなる)。

 このシリーズ、動物、犬、乗り物、船、家、商店、町などさまざまなものがあるが、ぼくがあったらいいなとおもうのは「行事」だ。

 組み立てればクリスマスツリーになる。ばらして組み立てなおせば門松と鏡餅になる。また雛壇になってレゴ人形を飾ればひな飾りになる。兜とこいのぼりになり、笹と短冊になり、ハロウィンのカボチャになる……といったぐあいに。狭い日本の住宅にぴったりだ。

 もちろん最後は墓になってくれる。ぼくが死んだら墓はレゴでいい。


Winnie-the-Pooh

『くまのプーさん』の原題は『Winnie-the-Pooh』だ。

 英語で「A the B」は「BであるA(固有名詞)」という意味になる。たとえば『Popeye the sailor man』は「船乗りであるポパイ」、『Shaun the Sheep』の邦題は『ひつじのショーン』だ。Jack the ripper(切り裂きジャック)や、André the Giant(アンドレ・ザ・ジャイアント)など、人や動物の特徴を表すのに使われる。

 つまり『Winnie-the-Pooh』は日本語にすれば「プーであるWinnie」となる。調べたところ、“Winnie”とはアメリカで有名だったクマの名前だそうだ。クマといえばWinnie、というほど有名だったそうだ。レッサーパンダといえば風太、コリーといえばラッシー、ゴマフアザラシといえばゴマちゃん、みたいなものか。クリストファー・ロビンもクマといえばWinnieだよね、と安易に名付けたようだ。

 じゃあpoohってなんなんだ。この言葉、ふつうの辞書には載っていない(載っていたとしても「くまのプーさんのこと」などと書いてある)。諸説あるが、一説には「風の吹く音」からきているだそうだ。日本語の「ぴゅー」みたいなもの。

 つまり、『Winnie-the-Pooh』は『ピュ〜と吹く!ジャガー』とほぼ同じ意味。


死人に鞭うて

 とっととなくしたほうがいい慣習はいろいろあるが、そのひとつが「死人に鞭うつな」だ。

 隠蔽されたり言い逃れされたりするおそれがないんだから、生前の悪事を徹底的に追及したらいい。

 生きてる人と死んでる肉片、どっちを大事にしたほうがいいかっていったらどう考えても生きてる人だろう。

 ぼくのことも死んだら好き勝手言ってくれていい。だから死ぬまではあれもこれもだまっててほしい。



2023年12月13日水曜日

【読書感想文】高橋 篤史『亀裂 創業家の悲劇』 / 骨肉の争い

亀裂

創業家の悲劇

高橋 篤史

内容(e-honより)
会社を追われたセイコー御曹司。ソニー創業者・盛田昭夫の不肖の息子。コロワイド、HIS創業者とM資本詐欺。圧巻の取材と膨大な資料で解き明かす、有名企業一族8家の相克。


 同族経営の会社は多い。

 経営のことなどまるでわからないぼくからすると、家族と同じ会社で働くだけでも嫌なのに、自分の子どもや兄弟を会社の後継者に据えようとする経営者の気持ちはまったくわからない。そんなの揉めるだけじゃない? しかも家族仲も悪くなるとしかおもえないんだけど。

 でも、多くの経営者が、経験や知識の豊富な他人よりも、(客観的に見れば)どう考えても劣っている息子に経営権を譲る。経営者だけではない。政治家も子どもに地盤を継がせようとするし、医者も子どもに病院を引き継ごうとしたりする。

 子どもに何か残してやりたい気持ちはわかるが、権力じゃなくて財産で分け与えるほうがいいんじゃないかと傍からはおもう。でもよほど旨味があるんだろう。理解できないけど。


 家族経営だと、うまくいっているときは「利害が一致しやすい」「情報伝達が早い」などのメリットもあるのだろうが、意見が食い違ったときなどには家族である分その対立は深刻なものになることが多い。他人同士であれば考え方の違いがどうしようもなく深まれば袂を分かつものだが、家族であればそれもできない。憎しみは深まるばかり。骨肉の争いというやつだ。

 ぼくが以前いた会社も同族経営だった。社長の息子がふたりいて、それぞれ常務と専務だった。ご多分に漏れず仲が悪かった。特に長男と次男は不仲で、ふたりが話しているところはほとんど見たことがなかった。父親(社長)と長男も目を合わさずにしゃべっていた。

 まあそうなるだろうな。ぼくは今父親とそこそこ良好な関係を築いているが、それは離れて暮らしていて、年に数回会う程度だからだ。いっしょの会社にいて毎日顔をつきあわせていて、さらに意見がぶつかっても最終的には自分のほうが折れなきゃいけない(相手は社長なので)となったら確実に嫌いになる自信がある。不仲になるほうがふつうだろう。それでも人は我が子を後継者にしたがる。




 そんな「家族経営の確執」八例を描いた経済ノンフィクション。金の流れだとか買収だとかの説明は会社法などの知識がないとわかりづらい。そのへんは飛ばして読んだが、主題は家族の対立なので特に問題はなし。


 有名なところだと、2015年頃にニュースをにぎわせていた大塚家具の父娘の対立。

 己の腕で会社を大きくしてきた自負のある父親と、新しいやり方を求める娘。一度は社長の座を娘に譲ったものの、方向性の違いにより娘は社長を解任され父親が社長に再就任。しかし娘は社内勢力を伸ばし、株主総会で父親を社長の椅子から引きずりおろす。父親は自分が大きくした会社を出て、新たな会社(匠大塚)を創設。

 再び社長の座についた娘だったが、父親とは異なる路線を求めすぎたことや、かつての取引先や職人の信頼を失ったことで業績は悪化。大塚家具はヤマダ電機に吸収される形で消滅した(匠大塚は今も健在)。


 ううむ。ワイドショーネタとして無責任に見ているにはおもしろい題材だが、我が事ならばこんなにつらいことはない。我が子と闘っても、勝っても負けてもいい結果にはならない。それでも闘わざるをえない。古今東西くりかえされてきた親子の対立。




 家族の対立は読んでいてなんとなく心苦しかったが、経営者のダメエピソードはなかなかおもしろかった(下世話)。

 大手外食チェーン・コロワイドの蔵人金男が「M資金詐欺」という詐欺に引っかかった話とか。GHQが占領下の日本で接収した財産を秘密裏に運用している「M資金」を提供するという話を持ちかけたマック青井という人物の話を信じ、数十億円を騙しとられたそうだ(ちなみにM資金の話を使った詐欺は60年ほど前からおこなわれていて、詐欺の常套手段らしい)。

 こうした話を聞くと「ビジネスの場で数々の修羅場をくぐっているはずの経営者が、そんな嘘くさすぎる話に引っかかるなんて」とおもうのだが、百戦錬磨の自信家経営者だからこそ引っかかるのかもしれない。

 にしてもなあ。“マック青井が持ってきた秘密組織に関する儲け話”に数十億円出すかねえ。よっぽど話がうまかったのかね。




 ソニーの創業者の息子・盛田英夫の話もぶっとんでいた。

 そうしたなか、エクレストンからゲイノーに対しまたとない情報がもたらされた。フランスの自動車メーカー、プジョーがF1エンジン部門を売却する意向を持っているというのだ。ゲイノーは初期投資額を2億ドルと見積もった事業計画を策定するとともに、スカラブローニを窓口に立て買収交渉を進めた。
 合意に至ったのは2000年12月のことである。買収額は5000万ユーロとされた。これを用立てるのに利用されたのもレイケイが保有するソニー株だテルライド買収時と同様のスキームでMINTはソニー株を担保として差し入れ、ベルギーのデクシアから60億円を、アメリカのシティから165億円を調達した。計229億円はルクセンブルのF1事業統括会社AMTHに貸し付けられた。
 この頃、英夫はレイケイにおける会議でこう発言している。「F1事業はハイリスクであり、投資の配当の何の保証もない。また、この貸し付けはたぶん返済されないことを認識している」というのである。F1参入は最初から採算を度外視した常識外れに贅沢な、きわめて個人趣味の色彩が濃いものだった。

 典型的なバカボンの金の使い方。どんどんソニー株を売り、スキー場やF1などの趣味につっこんだらしい。当然ながら大損。

 この人、調べたら「実家が太い」が唯一のとりえである人が通う大学として関西では名高いA大学出身だった。あーなるほど。

 「コネ以外に何のとりえもない坊ちゃん」と見られる
→ それを払拭するため、社内の誰もやっていない事業に金をつっこむ
→ 誰もやっていないということは儲からないから。当然ながら失敗する
→ さらに挽回しようと一発逆転に賭ける

という、破滅するギャンブラーのような思考をたどるんだろうな。

 こういう重役がいると、金銭的な損失だけでなく(それもものすごいけど)真面目に働いている社員のやる気も削ぐんだよなあ。百害あって一利もない存在なのだが、それでも親だけは甘やかしてしまうのよね。親の愛はどんな人の目も曇らせる。




 なんかあとがきでおそろしい話が書いてあった。

 筆者が知る例では、その経営者が代理母の調達に選んだのは東南アジアだった。多忙なためだろう、自らにかわって現地に派遣したのは長男だ。精子提供主はその経営者だが、卵子を提供したのが誰かは分からない。妻のものかもしれないし、ひょっとすると、その手のマーケットで購入した第三者提供のものかもしれない。その後、生まれた子供たち十数人の一部は来日し、皆、都内の有名幼稚園に通ったと聞く。その子らの戸籍上の扱いもまた不明だが、それぞれの名前には経営者が一代で築き上げた会社の名前の一部がつけられているとい来日組とは別の子供らはスイスなど海外で育てられているらしい。
 代理出産によって大量に生まれた彼ら彼女らは成長の過程で自らの出自についてどのように教えられるのだろうか?その時、彼ら彼女らはどんな反応を示すのか? 兄弟姉妹の関係性は保てるのか、保てないのか? あるいは、はなからそうしたものとは別種の関係性のなか、育てられているのか? 遺伝上の父親が望むとおり彼ら彼女らはグループ各社のトップに就く道を選ぶのだろうか?そして、グループは思惑どおり永続的な発展を遂げることが可能なのか?疑問は尽きない。

 こんなSFみたいなことがもう起こってるの?

 ウソみたいな話だけど、技術的には可能だし、どんなにボンクラでも自分の子どもというだけで重用する経営者たちの話を読んだ後だと、ひょっとしたら……という気にもなってしまう。


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【読書感想文】西川 美和『ゆれる』

父親に、あのとき言わなくてよかった言葉



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2023年12月12日火曜日

小ネタ7

この世でいちばん

この世でいちばん硬いものはダイヤモンドではなく、ピスタチオの殻。噛んだことがある人なら異論はないとおもう。


ミリリットルあたり


1ミリリットルあたり1,380円の超高級バスマジックリン。

単なるミスだろうとおもうが、最近のAmazonだと詐欺じゃないとも言い切れない。


ブラザーズ

 スーパーマリオブラザーズはなぜマリオブラザーズなのか。「マリオとルイージ」と呼ぶからには、マリオはファミリーネームではなくファーストネームだろう。

 ふつうはグリム兄弟やライト兄弟みたいに「名字+兄弟」で呼ぶのに。

 マリオとルイージを兄の名前だけとってマリオブラザーズと呼ぶのは、千原兄弟をせいじ兄弟と呼ぶようなものだ。




2023年12月6日水曜日

【芸能観賞】ダウ90000単独ライブ『20000』


ダウ90000第2回単独公演
『20000』

概要
ダウ90000単独ライブ「20000」
日程:2023年11月7日(火)~11月19日(日)
会場:東京・ザ・スズナリ

 配信にて視聴。

 8本のコントに幕間映像を加え、2時間を超える大ボリューム。コントは8本とも8人全員が出演。


(観た人向け。ネタバレを含みます)




1. 服の記憶

 序盤は「仕事の話をしているときに出てくる例えが、すべて車の運転に関する比喩」という会話劇だが、中盤からは「さっき会ったばかりの人の服装をどれだけおぼえているか」というクイズのような展開に……。


 ぼくは人の服装をまったくおぼえられない人間なので(それどころか自分の服もおぼえていない)、観ていてまったく参加できなかった。

 まず「野球とクリスマスツリー」のあの服があって、そこからつくっていったコントなのかなーと想像。



2. トロイメライの声

『トロイメライの声』という漫画に関する話。熱心なファン、今はじめて読む人、読もうとはおもわないが話だけ人、アニメだけ観ている人、アニメ監督のインタビューだけ読んだ人が『トロイメライの声』について語り合うが話が一致せず……。


『トロイメライの声』は架空の漫画なので、当然ながら観ている人には漫画の中身はわからない(ただ雨が降っていることだけがわかる)。そこでAとBの主張が完全に食い違っている場合、観客はAとBの語り口によってその信憑性を判断するしかない。

 一方は落ち着いた口調で理路整然と語り、もう一方は感情的であり、必死であり、不明瞭であり、いちいち鼻につくオタク口調であり、かつ冴えない風采の男である。あたりまえのように聞き手は前者の言い分が正しそうだという判断を下すわけだが、やがて後者のほうが正しいらしいことが明らかになる……。

 我々が「どうやらこの人が言っていることは正しそうだ」と判断する際に、話の内容ではなく、いかに口調や外見に引きずられているかを気づかされるコント。ぜんぜん市民にとってプラスとなる主張をしていないのに、ビジュアルや語り口の良い政治家や評論家が人気を博している、なんてのもよくある話だ。我々は自分がおもっているよりもずっと論理的ではない。

 おもしろい試みをしているとおもうのだが、いかんせん会話劇を進める上で八人という人数は多すぎる。もちろん人数が多いからこそ表現できることもあるわけだけど、少なくともこのコントに関してはもっと少ないほうがすんなり伝わったんじゃないかなー。



3. 手術前

 重い病気になり、手術を控えた女性。そこへ彼女に好意を寄せる男がやってくるが、彼の語る「手術が終わったらふたりで〇〇をしよう」があまりに微妙。次々に彼女に言い寄る男たちが現れるが、それぞれどこかずれている……。


 ん-これはあまりピンとこず。これまた「八人を出すためにがんばった」感のある設定だった。

 これまであまり言語化されてこなかった細かいあるあるを並べ立てていくのは蓮見さんらしいけど。



4. 幼なじみとFAX

 男の家に、結婚する予定の彼女が引っ越してくることになり、彼女の幼なじみの男が引越しを手伝いにきてくれる。彼女と幼なじみは仲がいいが、お互いに恋愛感情は持ったことがないという。だが彼女と幼なじみが十年以上も毎日FAXをしていることが明らかになり、彼氏は二人が愛しあっているのではないかと疑う……。


 今作でいちばん好きだったコント。

 幼い頃から毎日FAXを送りあう仲。電話やメールやLINEではなく、あえて不便なFAXで、好きな人の話をしたり、それぞれ恋人ができたことを報告したり、似顔絵を送りあったり……。これは恋人や夫婦よりも深い仲だよなあ。

 令和の今、デジタルネイティブ世代の若者が、FAXで届けあう気持ちを描けるのがすごい。文学だ。岩井俊二監督の『Love Letter』を思いだした。

 しかしそこで感傷的な展開にはもっていかず、二人の関係に嫉妬する彼氏もまた、幼なじみの女性と電報でのやりとりを続けていることがわかる……という展開で急にコントらしくなる。

 いいコントだったが、彼女と幼なじみが本当の気持ちに気づいてそれぞれ恋人と別れてくっつく、というのはちょっと安易に感じたな。急に平べったい人物になっちゃった。オチの回覧板につなげるためにはしかたないんだけど、設定に説得力があっただけに雑さが目立ってしまったな。



5. サプライズ

 もうすぐ誕生日の友人を驚かせようと、サプライズパーティーをするために集まった七人。だが主役はバイトでなかなか帰ってこず、七人は待たされることと空腹でイライラして場は険悪な空気に。些細なことで言い争いがはじまるが、怒りながらも友人を大切におもう気持ちがにじみ出てしまう……。


 険悪な雰囲気で怒鳴り散らしてるのに、出てくるのは相手を慮る言葉ばかり……。日本語がわからない人が見たらただただおっかないコントだろう(実際、うちの五歳児は怖がっていた)。

「あたし今日誕生日なんだけど」は笑った。自分の誕生日に「誕生日が近い友人のサプライズパーティー(しかも失敗)」に参加させられる気持ちたるや。

 おもしろかったけど、どうしても天竺鼠がABCお笑いグランプリやキングオブコントでやっていた「口の悪いサラリーマン」のネタを思いうかべてしまったな。



(幕間映像)コンピレーションアルバム

 音楽プレイヤーを手に、思い出の曲を語り合う男女の音声コント。

 幕間映像にちょうどいい、ワンアイディアものコント。


6. 旅館バイト

 旅館の新人バイト。先輩バイトたちから、客室の清掃の際に「部屋に残っていた食べ物は見つけた人のものになる」というルールを教えられる。そのルールは微に入り細を穿っていて……。


 バイト先のローカルルールが細かくて絶妙にゲーム性に満ちている。あるあるとありえなさのちょうど間にあるおかしさ。どっかにはこんなことやってるバイトもあるかもな、というちょうどいいライン。

 楽しい職場なのに、場を読めないバイトのせいで雰囲気が壊れてしまう感じもリアリティがあっていい。

 しかし旅館の客室ってそんなに食べ物を置いて帰るものなのか? ほぼ置いて帰ったことないぞ。



(幕間映像)展開予想

 ソファに座って、ここまでのコントを観ていたカップル。そろそろラストのコントなので伏線を回収するようなハートフルな展開が待っていると予想を語る……。


 おまえらの思い通りにはさせねえぞ、という挑戦状のようなコント。誰への挑戦状かって? そりゃあオークラ氏やその周囲かな……。


7. 芝居の表現

 ドラマ撮影現場で、女優を本気で殴るように命じられた俳優が「表現のためだからって何をしてもいいわけじゃない」と難色を示す。だが女優、演出家、脚本家には彼の主張がまったく理解されず……。


 これもいいコント。どちらの言い分もわからなくはない。たとえ相手の同意があったとしても暴力はいけないのか、その同意は本当に自由意志の発露なのか……と考えさせておいてからの、まさかのキスシーンNG。

 正義と正義の衝突かとおもったら、単にこの俳優が嫌われているだけなんかい。

 好きなセリフは「わたしが女だからですか」。



8. 講演会

「恋を応援する」というセミナーを開催する女性。ファンたちは熱心に聞いているが、その話の薄っぺらさに、聞いていたスタッフがおもわずツッコミを入れてしまう。聞きとがめた講演者が「言いたいことがあるなら前に出てどうぞ」と言うと、本当にスタッフが登壇してしまい……。


 後味悪いコントだなあ。これを最後に持ってきたのは「ハートフルなコントで締めないぞ」という意気込みの表れなのか。にしても、ただただ嫌な気持ちになるコントだった。

『また点滅に戻るだけ』を見たときもおもったけど、蓮見さんはディベートで相手を徹底的にやりこめるのが好きなのかねえ。観ていて気持ちのいいものじゃないんだけど。ウエストランドのようにある種露悪的に「論理に隙のある相手をやりこめる嫌なオレ」としてやるんならいいけど、蓮見さんの場合はそれをかっこいいとおもってやってる節がある。ダサいんだけどなあ。

 しかも、ただ相手を言い負かすだけじゃなく、周囲の人に「あいつすげえ」的なことを言わせる。言い負かされた相手が、言い負かしたやつに好感を持ったりする。観ていて恥ずかしくなるぐらいダサい。キムタクのドラマか。



 ということで、ラストの後味が悪いせいで全体としても「なーんか嫌なもの観ちゃったなー」という印象。最後って大事だね。ラストのハートフルコントはぼくもいらないとおもうけど。

『また点滅に戻るだけ』が無駄のない完璧に近い作品だっただけに、『20000』のほうはちょっと粗さが目立ってしまった。展開に無理があるな、とか、無理に八人全員使わなくていいのにな、とか。おもしろかったけどね。『また点滅に戻るだけ』が良すぎたのかも。

 FAXのコントとドラマのコントが好きでした。


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