2022年1月20日木曜日

【読書感想文】キム・チョヨプ『わたしたちが光の速さで進めないなら』 ~見事なほら話~

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わたしたちが光の速さで進めないなら

キム・チョヨプ (著)
カン・バンファ (翻訳)  ユン・ジヨン (訳)

内容(e-honより)
打ち棄てられたはずの宇宙ステーションで、その老人はなぜ家族の星への船を待ち続けているのか…(「わたしたちが光の速さで進めないなら」)。初出産を控え戸惑うジミンは、記憶を保管する図書館で、疎遠のまま亡くなった母の想いを確かめようとするが…(「館内紛失」)。行方不明になって数十年後、宇宙から帰ってきた祖母が語る、絵を描き続ける異星人とのかけがえのない日々…(「スペクトラム」)。今もっとも韓国の女性たちの共感を集める、新世代作家のデビュー作にしてベストセラー。生きるとは?愛するとは?優しく、どこか懐かしい、心の片隅に残り続けるSF短篇7作。


 韓国の作家によるSF短篇集。

 出生前の遺伝子コントロールによって欠陥のない存在として生まれた〝新人類〟と、欠陥を持つ人類との間の差別意識を描いた『なぜ巡礼者たちは帰らない』

 ワープ、コールドスリープ技術、ワームホールといった宇宙探求技術の進化のはざまに取り残された人の悲劇を描く『わたしたちが光の速さで進めないなら』

 様々な感情を得ることができる商品が登場する『感情の物性』

 生前の人間の意識だけを保管することができる〝図書館〟で、亡き母親の意識がなくなり、それを探す娘が再び母親の記憶と向かい合う『館内紛失』

 宇宙探求のために人体改造を施した人間の意識の変化を描く『わたしのスペースヒーローについて』


 どれも、ザ・SFという感じでおもしろかった。遺伝子コントロール、ワープ技術、意識のデータベース化、人体改造など、SFの素材としてはわりとおなじみの発想だ。だが、それを主軸に据えるのではなく、「遺伝子コントロールによって、コントロールされなかった人はどう扱われるようになるのか」「ワープ技術が古くなったとき、何が起こるのか」「意識のデータベース化がおこなわれた後、データが紛失したら」と〝その一歩先〟を想像しているのがおもしろい。




 中でも気に入ったのが『スペクトラム』と『共生仮説』。

『スペクトラム』は、はじめて人類以外の知的生命体と遭遇した人物の話。いわゆるファースト・コンタクトものだが、この宇宙人の生態がおもしろい。

 ヒジンには皆目理解できないやり方で、彼らは以前の個体が残した記録を読んで習得し、彼らの感情や考えを受け入れる。それまでのルイたちがヒジンの世話をし、大切に扱ったため、新しいルイもヒジンの世話をすることに決める。その過程で何か重大な決断があるわけではない。彼らは当然のように「ルイ」になる。
 彼らは別々の個体だ。ヒジンは一体のルイが死に、次のルイがその後釜に納まるとき、連続しない二つの自我のずれを目撃していた。魂は引き継がれない。それだけは確かだ。彼らは別のルイとしてスタートする。
 だが彼らはやはり、同じルイになると決めた。そこにはいかなる超自然的な力も働いていない。ルイたちは単に、そうすることに決める。記録されたルイとしての自意識と、ルイとしてのあらゆるものを受け入れる。経験、感情、価値、ヒジンとの関係までも。

「ルイ」が死ぬと、別の個体が「ルイ」を引き継ぐ。まったく別人が死んだ個体になりすますわけだ。なりすますというか、完全になりきるというか。人格の乗っ取りだ。

 これは地球人の考えとはまったく異なるようで、案外わからなくもない考え方だ。

 たとえば落語や歌舞伎の「襲名」。たとえば人間国宝になった桂米朝さんは便宜上「三代目」と呼ばれることもあるが、基本的に桂米朝は桂米朝である。「初代や二代目と同じ名前を名乗っている別人」ではなく、「桂米朝」という人格はひとりなのである。「桂米朝」が死んだりまた生まれたりして、百年以上生きているのだ(今は死んでいるが)。

 死ねばすべてが消えるが、襲名とは死なずに永遠の命を手に入れるための方法なのだ。

 そこまではいかなくても、「○○家を継ぐために養子をとる」なんてのもめずらしくない話だ。あれも人格の乗っ取りに近い。

 またアメリカ人なんか、息子に父親と同じ名前をつけることがある。有名な例だとジョージ・ブッシュ。日本人の感覚だとなんでだよとおもうけど、あれも「いつまでもジョージ・ブッシュとして生きていたい」という意識の表れなんだろう。人格というのは個体としての生命とは少し離れたものなのだ。


 なので『スペクトラム』に出てくる異星人の行動は、そこまでけったいなものではないかもしれない。ただ、その〝人格の乗っ取り〟をおこなう手段がユニーク。

 「ルイ」は絵を描き、後に残す。後からきた別の個体はその絵を観ることで新しい「ルイ」になるのだ。絵を媒介として自我をひきつぐ。

 うーん、まったく共感はできないけど理解はできる。「異星人ならこれぐらいのことはやるかも」とおもわせてくれる絶妙なラインだ。SFとは結局「ありえないけどあってもおかしくないかも」をいかに書くかだ。この作品は見事にそれをやっている。




『共生仮説』もおもしろかった。

 様々な動物の言語を翻訳できる装置を使って人間の赤ちゃんの言葉を翻訳したところ、赤ちゃんたちが複雑な会話をしていることがわかった。どうやら赤ちゃんの脳内に別の個体がいて、そいつらこそが赤ちゃんを「人間らしく」させているらしい。では、人間以外のものによって備わった「人間らしさ」ってほんとに「人間らしさ」なのか……?

 脳内に別の存在がいるというのは一見荒唐無稽におもえるが、我々の体内にはミトコンドリアや大腸菌のように別の個体が存在している。だったら知覚できないような知的生命体がいてもふしぎではない。
 また、幼児期健忘(人間は3歳ぐらいまでのことを覚えていないこと)の納得のいく説明として「脳内の生命体」を持ち出しているので、妙な説得力がある。

 もちろんほら話だが、これまた「ありえないけどあってもおかしくないかも」とおもわせてくれる。


 見事なほら話、上質なSF短篇集だった。


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