2022年1月5日水曜日

人を人とも思わない

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 前いた職場のY部長の話。

 Y部長は切れ者だった。いつでも冷静。どんなときでも落ち着いた話し方をし、理路整然と語る。また理解も早い。一を聞いて十を知るとは彼のような人のことをいう。
 理不尽に部下に当たるようなことはない。しかし厳しさも持ち合わせていて、感情を昂らせることはないものの、不出来な部下にはこんこんと理詰めで説教をするような人だった。

 当然ながら上司からも部下からも信頼が厚く、Y部長は支部長としてオフィスに数十人いたパート社員をまとめる役目を任されていた。

 ほとんどパート社員は小さい子を抱えているので、子どもが熱を出して休むことなど日常茶飯事。それでもY部長は嫌な顔ひとつせず、てきぱきと指示を出して仕事を割り振る。パート社員からの苦情や要望も丁寧に吸い上げ、大きなトラブルなく業務をこなしていた。


 ある年の忘年会のとき。
 ぼくはY部長の隣の席になった。ぼくはY部長を立派な人だとおもっていたので、素直に褒めた。

「Y部長はすごいですよね。あれだけの部下を抱えていて、パート社員の管理もきちんとしていて。誰からも信頼されてますしね。Y部長のことを悪く言う人はいませんよ」

 すると、Y部長は「ありがとうございます」と微笑みを浮かべながら、こう言った。

「でもねえ。私は、パートの名前をぜんぜん覚えてないんですよ」


 え? え?

「でもY部長、いろんなパートさんと話してるじゃないですか。仕事を依頼することもあるでしょうし」

「いやあ、でもひとりひとりの名前なんかおぼえてませんよ。名前おぼえてなくても仕事の依頼はできますしね」

「いやでも何度も顔を合わせていたら自然におぼえません?」

「おぼえませんね。関心がないんで。パートの名前なんか知る必要ないでしょ

 そう言って、Y部長はにっこりと笑った。


 こ……こえー!

 この人、誰に対しても人当たりがいい人だとおもってたけど、「誰にも興味ない人」だったのか……。



 とはいえ。

 それから十年ほどたった今、ぼくはY部長の気持ちがちょっとわかる。

 ぼくは転職を機に、職場での人間付き合いを大きく減らした。といってもべつに「人と関わるのはよそう!」と決意したわけではない。前の職場では、やれ忘年会だ、やれ送別会だ、やれバーベキューだ、やれ朝礼だチーム会議だ全社会議だとなにかと濃密な人付き合いを要求されていたが、今の職場では「こなすべき仕事さえやっていればいい」という風土だ。社員全員参加の飲み会は年に一度の忘年会だけだし、それすらも「子どもをお風呂に入れないといけないので」という理由で断ったらそれ以上しつこく誘われることもなかった。たいへんありがたい。

 前の職場ではたいてい誰かとランチを食べに行っていたのだが、今の職場だとみんなばらばらに食べる。ぼくは自席でパソコンや本を見ながらおにぎりを食べる。同僚とは、仕事以外の話はほとんどしない。だから彼らが休みの日に何をしているのか知らないし、彼らもぼくのオフの生活を知らない(はずだ)。


 人付き合いを減らした結果、ストレスも大いに減った。
 結局ストレスなんてものはほとんどがつきつめれば人間関係に由来するものだ。人との付き合いを減らせばストレスは減る。

 人と人との付き合いをすれば、好き嫌いの感情も湧くし、期待もする。期待をすれば裏切られることもある。
 一方、電車でたまたま隣り合わせた人であれば、よほどのことがないかぎりは腹が立つこともないし失望することもない。電車でたまたま隣り合わせた人のことはほとんど人とおもっていないからだ。物体である。物体に腹を立てることはあまりない。急な雨でずぶ濡れになったからといって雨に対して怒ったりしない。

 人付き合いを減らせばストレスが減る。ストレスが減るから人に優しくできる。なにしろ興味がないのだから。そのへんにある物体をいちいち壊しながら歩かないのと同じだ。


 ってことで「優しい人」は、じつは「人を人とも思わない人」であることが多いんじゃないだろうかとおもう今日この頃。


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