私はそれを我慢できない
鷺沢 萠
1995年刊行のエッセイ集ということで、古くさい。
いやまあ三十年近くたてば古びるのはしかたないが、それにしても古くさい。
冒頭のエッセイの書きだしにもう「古っ」と叫んでしまった。
このダサさよ。読んでいるこっちが恥ずかしくなる。
文体が絶望的に古くさい。
椎名誠と町田康の文章をたして10で割ったような文体。
椎名誠氏とか東海林さだお氏の文章が〝昭和軽薄体〟と呼ばれた。たしかにそうした文章は今読むと古い。しかしなつかしさは感じても、ダサいとは感じない。それは、自身の思想を最も効果的に表現するために試行錯誤の末に生みだしたものだからだろう。だから彼らの思想を表現する手段は、あの文体しかない。
本物は古びない。
町田康氏の文章は、何十年たっても「町田康の文章」だ。
しかし鷺沢氏の文体は、そうではない。手っ取り早く「おもしろおかしいエッセイ風に仕上げるためのスパイス」として、〝友人たちの「どの口が言うたんじゃ、こら」というツッコミが四方八方から入りそう〟なんて言い回しを使っている。
己の内面からにじみ出てくる文体ではなく「そのときの流行りの文体をうわっつらだけ真似た文体」。
気恥ずかしくなるほどダサい文章だけど、読んでいるとそのダサさも愛おしくなってくる。ああ、こんなのがおもしろおかしいとおもわれていたんだなあ、と当時のカルチャーが見えてくる気がする。
文体だけでなく、書いている内容も「時代だなあ」と感じる。
あの頃のエッセイってこんなんだったよなあ。
「私の友だちが言ったケッサクな一言」や「身の周りの腹立つ出来事」といった、微小な出来事を、大した工夫もせずにそのまま提示する。
「こんなことがあってむかついたんですけどー!」みたいな、ひねりもオチもないお話。美容院で場を埋めるためだけに交わされる会話ぐらいの情報。
自慢と自虐をほどよくブレンドしてひねりのない悪口を加えただけで「人気女流作家の歯に衣着せぬ爆笑エッセイ」になった時代の産物。
端的に言ってしまえばつまらないんだけど、そのつまらなさがなつかしい。
今ってさ、情報量が増えた結果、おもしろい話が氾濫してるじゃない。Twitterなんか見ていると、毎日どこかの誰かが発信したおもしろい話が流れてくる。
「100万日に1度しか遭遇しないおもしろい出来事」があったとして、ユーザーが1000万人いれば毎日10個はそういう話が投稿されることになる。おもしろい話はたくさん拡散されるから、ぼくらは毎日毎日「めちゃくちゃめずらしい出来事」「とんでもなくおもしろい発想」を目にすることになる。
それはもちろんいいことなんだけど、ちょっと疲れることでもある。
だからたまに〝ぜんぜんおもしろくないエッセイ〟を読むと、ほっとする。ああよかった。自分だけが退屈な日常を送っているわけじゃないんだ。他の人もたいしておもしろくないことをおもしろがって生きているんだ、と安堵する。
あんまりおもしろくない文章なのがありがたい。ほんと、皮肉じゃなくて。
こういう文章って後世に残らないから、逆に価値がある。
あと、ネット上ではちょっと危険な発言をするとすぐに炎上してしまうこともあって、優等生的な意見ばかりが目に付くようになった。
二十年前は「こんなことは身の周りの人には言えないからウェブ掲示板にでも書こう」だったのに、今は逆に「こんなことを書くと炎上しそうだからオフラインだけで言おう」になった。
だから、こうした平凡なエッセイで「それはちょっとまずいんじゃないの」ということを読むと無性にうれしくなる。
時代のちがいもあるんだけど、『私はそれを我慢できない』には、
「阪神大震災発生直後に、被災地に住んでいる人を心配して電話をかけまくる」
とか
「ドライブしてたらガソリンが足りなくなったので消防署にガソリン分けてくださいとお願いしにいく」
とか
「夜中の12時に窓を開けて電話でおしゃべりしてたら近所のおっさんに怒鳴られた。心が狭い」
とか、今読むと「いやこれはダメでしょ」と言いたくなるエピソードがいっぱい出てくる。
しかも著者はぜんぜん悪いこととおもってない書きぶりなんだよね。変わっていないようで、時代とともに人々の価値観は変わってるんだなあ。
「三日坊主」について。
これ、ぼくも同じだ。
中学一年生の一学期。進研ゼミからのアドバイスに「定期テスト対策。まずは一週間の計画を立てよう!」なんて書いてあったからぼくもやってみたんだけど、すぐにああこりゃムリだと気が付いた。
まったく守れないのだ。一日たりとも計画通りにできたことがない。
それ以降、計画なんてものを立てたことがない。定期テストも、高校受験も、大学入試も、大学のレポートも、卒論も、社会人になってからも、計画なぞ立てていない。
さすがに仕事では「計画を提出せよ」と言われたこともあるが、それっぽいものを提出しただけでまったく守っていない。あんなもの上司だって見ちゃいないのだ。
それでもなんとかなっている。「目の前のタスクをとにかくこなす」だけで、受験も卒論も仕事もなんとかなった。
計画なんて守れる人だけ立てればいいのであって、守れない人は立てないほうがいい。時間の無駄だし、ストレスの要因になるだけだから。
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