2021年11月19日金曜日

【読書感想文】安部 公房『砂の女』

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砂の女

安部 公房

内容(e-honより)
砂丘へ昆虫採集に出かけた男が、砂穴の底に埋もれていく一軒家に閉じ込められる。考えつく限りの方法で脱出を試みる男。家を守るために、男を穴の中にひきとめておこうとする女。そして、穴の上から男の逃亡を妨害し、二人の生活を眺める部落の人々。ドキュメンタルな手法、サスペンスあふれる展開のなかに、人間存在の象徴的な姿を追求した書き下ろし長編。20数ヶ国語に翻訳された名作。

 芥川賞作家・安部公房の代表的作品。

 昆虫採集に出かけた男が、砂丘の村を訪れた。村の家は、一軒一軒が砂丘内に掘られた穴の底に位置している。宿を探していた男は、夫と子どもを亡くした女の家に泊まることになるのだが、翌朝になると縄梯子が外されて砂の穴から出られなくなっていた……。


 設定としては「砂の底に閉じ込められた」といたってシンプルなものなのに、なんとも奥が深い。ぐいぐい引き込まれて、ずっと息苦しい。自分までもが穴の底に閉じ込められた気分になる。

 ふだんまるで意識することないけど、改めて考えると砂っておそろしい。

 子どもの頃、こわかった生き物がみっつある。ひとつはハエトリグサ。アニメ『みなしごハッチ』で、ハッチがハエトリグサにつかまって少しずつ溶かされてゆくシーンが忘れられない。
 それからタガメ。図鑑に「メダカやオタマジャクシにつかまり、生きたまま体液を吸います」と書いていてふるえあがった。
 そしてもうひとつがアリジゴク(あとまんが日本昔話で見た「影ワニ」もこわかったが、これは架空の生き物なので除外)。

 アリジゴク。
 全虫好き小学生のあこがれの昆虫だろう。成虫とは似ても似つかないが、ウスバカゲロウの幼虫である。
 名前は有名だが、意外と目にする機会は少ないのではないだろうか。虫好き少年だったぼくも一度しか見つけたことがない。

 アリジゴクは砂にすり鉢上の巣をつくる。そしてアリなどの獲物が落ちてくるのを待つ。ただひたすら待つ。アリはめったに落ちないらしく、一ヶ月以上待ち続けることがあるそうだ。非常に効率の悪い狩りだ。
 だがアリが巣に足を踏み入れたら最後。もがけばもがくほど砂はすべり、どんどん下に落ちてゆく。そして穴の底で待ち受けるアリジゴクに消化液を注入され、溶かされてしまう。ああおそろしい。
(今気づいたのだが、ぼくは「生きたまま獲物を溶かすやつ」が怖いようだ。カマキリみたいに一気に殺すやつはちっとも怖くない)


『砂の女』は、アリジゴクに落ちたアリの気分が味わえる小説だ。

 そう、この小説を読みとくキーワードのひとつはもちろん〝砂〟だが、〝虫〟も重要なワードだ。

 主人公の男は昆虫採集が趣味。砂の底に閉じ込められるきっかけも、新種のハンミョウを探しにきたことだ。
 また昆虫採集が好きなので、ことあるごとに様々な昆虫が比喩で用いられる。そして気づかされる。
 穴の底での暮らしは昆虫の暮らしと大差ない。もっと言えば、人間一般の暮らしが昆虫の暮らしとほぼ同じなのだと。

『砂の女』では固有名詞はほぼ出てこない。ラストに男の本名が明かされるが、それも大した意味はない。出てくるのは〝男〟〝女〟〝老人〟〝村人〟だけだ。昆虫一匹一匹に名前がないのと同じように。




 読んでいて、文章のすごさにうならされた。

「冗談を言うな! やつらの何処に、こんな無茶な取引きをする権利があるってんだ……さあ、言ってみろ! ……言えはしまい?……そんな権利なんてどこにもありゃしないんだ! 」
 女は目をふせ、口をつぐむ。なんてことだろう。戸口の上に、ちょっぴりのぞいている空は、もうとっくに青をとおりこし、貝殻の腹みたいにぎらついていた。仮に、義務ってやつが、人間のパスポートだとしても、なぜこんな連中からまで査証をうけなきゃならないんだ! ……人生はそんな、ばらばらな紙片れなんかではないはずだ……ちゃんと閉じられた一冊の日記帳なのだ……最初のページなどというものは、一冊につき一ページだけで沢山である……前のページにつづかないページにまで、いちいち義理立てする必要などありはしない……例え相手が飢え死にしかかっていたところで、一々かかわり合っている暇はないのだ……畜生、水がほしい! しかし、いくら水がほしいからって、死人ぜんぶの葬式まわりをしなければならないとしたら、体がいくつあったって足りっこないじゃないか!

 はっきり言って、意味が分からない。でも、意味は分からないけど、こうつぶやいている男の気持ちは分かる。
 意味はわからないのに、心情はわかる。すごい文章だ。

 穴底に閉じ込められた男はどんどん追いつめられてゆく。
 外には出られない。穴の中の暮らしは不便きわまりない。口にも目にも砂が入り、何をしていても砂がまとわりつく。水はいつ断たれるかわからない。
 村人からの監視の目が光っている。いっしょに暮らす女は好意的ではあるが、その奥底で何を企んでいるのか判然としない。
 読んでいるだけでも気が滅入る。

 男はどんどん正気を失ってゆく。ほとんど発狂に近いぐらいに。けれども、狂人には狂人の理屈がある。その「狂人の理屈」が巧みに表現されている。すごいよ、これは。


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