むらさきのスカートの女
今村 夏子
今村夏子作品らしい、終始うっすらと気持ち悪い小説(褒め言葉です)。
「むらさきのスカートの女」は、どの町にもいる町の名物変な人。身なりにまったく気を遣わないらしく、いつでもむらさきのスカートを履いている。大人からは一定の距離を置かれ、小学生からはからかいの対象になっている。
変な女である「むらさきのスカートの女」を観察する〝わたし〟。
たしかになあ。変な人って気になるもんなあ。
……とおもっていたら、ちょっと待て。〝わたし〟の行動は常軌を逸しているぞ。毎日毎日「むらさきのスカートの女」を尾行したり、それとなく自分の勤務先に「むらさきのスカートの女」が来るように仕向けたり、身なりに気を遣わない「むらさきのスカートの女」のためにシャンプーを送りつけたり……。
やばいのはこっちのほうだ。「むらさきのスカートの女」もたいがいだが、〝わたし〟はもっと変だ。
「異常者が異常者を観察している」という体裁の小説、それが『むらさきのスカートの女』。
徹頭徹尾うっすらと狂っている。読んでいるとこっちまで常識を忘れてしまいそうになる。
こういう小説は好きなんだけど、ラストはあまり好きじゃない。
最後にわかりやすいオチが提示されるんだよね。〝わたし〟の世俗的なところが見えてしまい、なーんだ、という気になる。他人の弱みを握って脅すような打算的な人だったんだ、つまんないの。
最後の最後で失速しちゃったな、という印象。
おもしろいんだけどさ。でもこの作品で芥川賞とらせるんなら、『こちらあみ子』のほうがずっといいとおもうけどな。
だいたいどの町にも変な人はいるとおもうが、ほんとにヤバい人とか危害を加えるタイプの人は収監されたり隔離されたりするので、たいていは人畜無害か、「ちょっと迷惑」ぐらいの人だ。
ぼくが子どもの頃いた〝町の変な人〟は、「演歌おじさん」。
夕方になると犬を連れて公園に現れる。で、ベンチに座って演歌を熱唱する。それも、サッカーができる広い公園中に響き渡るボリュームで。レパートリーは一曲だけ。毎日毎日同じ歌。
公園で遊んでいるぼくらからすると「また出た」だけで済んでいたのだが、近隣の住人からするとたまったものじゃなかっただろうな。毎日毎日近所で熱唱されたら刃傷沙汰になってもおかしくないぜ。
あとは中学校の近くに出没した「おはようおじさん」。
カゴに水筒を入れた自転車で走っていて、その名の通りすれ違う人全員に「おはよう!」とさわやかに挨拶をする。基本的には人畜無害なのだが、女子中学生に対してはひときわ大きい声で挨拶をしていた。
かくいうぼくも、土日はたいてい娘+その友だちと遊んでいて「大人ひとりと子ども十人ぐらいで遊んでいる」という状況もよくあるので、近所の人からは「犯罪者一歩手前の変な人」と見られている可能性も否定できない。
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