友だちリクエストの返事が来ない午後
小田嶋 隆
携帯電話やSNSにより、いつでも手軽につながれるようになった時代の〝友だち〟について考察した本。
昔は、今ほど友だちの価値が重くなかったと小田嶋さんは書く(小田嶋さんの主観だけどね)。
ぼくは「大学生が携帯電話を持つようになった最初の世代」だ。ぼくの中学生時代は、大人も含めて携帯電話を持っている人はほとんどいなかった。高校一年生のとき、ポケベルを持っている生徒は半数よりやや少ないぐらい、PHS(携帯電話の簡易版みたいなやつ)を持っている生徒はクラスにひとりいたかどうか。
だが高校一年生のときは「携帯電話を持っているのはクラスにひとりいるかどうか」だったのが、大学一年生では逆に「携帯電話を持っていないのはクラスにひとりいるかどうか」に変わっていた。その三年間で急速に社会が「携帯電話を持つ世の中」へと移行したのだ。
そういう時代を生きてきたので「携帯電話のなかった時代」も知っているわけだが、小田嶋氏のこの文章には賛同できない。
携帯電話によるコミュニケーションが一般的でなかった時代(つまりぼくの中高生時代)でも、やはり単独行よりも複数人で行動してるやつのほうが〝上〟という雰囲気はあった。
まあそれは当人のキャラクターによるところも大きく、たとえばユーモアセンスがあったり運動神経がよかったりして周囲から一目置かれているようなやつの「ぼっち」は〝孤高〟という感じがして、何をやっても人より劣るやつの「ぼっち」は見下されていたわけだけど。
それでも始終ひとりでいるよりも友だちに囲まれてるほうがいいよね、という感覚はほとんどの人が共通して持っていた。そこは古今東西いっしょだとおもう。
だから携帯電話やSNSの普及と「ぼっち」の扱いの変化はあまり関係ないんじゃないか、というのがぼくの意見だ。
むしろ今のほうが「ぼっち」が〝全面的な孤立ないしは村八分の恥辱〟と受け取られにくくなったんじゃないかな。
だって今はキャンパスでひとりで歩いてる人が、数万人のチャンネル登録数を抱えるYouTuberだったり、世界中の人から注目されるインフルエンサーだったりする可能性があるわけでしょ。
「あいつはひとりで行動してるからさみしいやつだな」ってのはむしろ古い時代の価値観なんじゃないだろうか。まあ今の若い人の価値観なんて知らんけど。
友だちとはガキのものだと小田嶋氏は喝破する。
なるほど。言われてみれば、「男の友情」と「大人の付き合い」とは相反するものだ。
ぼくも古くからの友人と話すことがあるが、話すことといえばウンコチンチンみたいな低レベルの話だ。仕事の悩みとか親の介護の話だとかを旧友に話す気にはならない。それは、中年になった今でも友人との関係が「ガキの仲間」であるからだ。
そして「ワル」と「ガキ」が非常に近い存在であることも、まったくもってその通りだ。
なわばりを張るとか、力で脅すとか、実利よりも面子を重視するとか、任侠の世界とガキの世界はよく似ている。
そういや小学生のときは「この公園はうちの学校の校区なのに○○小のやつらが来てるぞ」みたいなことを気にしてたなあ。そうか、ヤクザのやっていることってあれの延長だったのか。
仕事で知り合った人や娘の友人のお父さんと仲良くすることもある。酒を飲んだり、(子どもを含めてだけど)いっしょに遊んだりもする。
でもその人たちのことを「友だち」とは呼べない。「親しい人」だ。なぜなら大人の付き合いだから。個人的には「忌憚なく悪口を言い合える関係」こそが友だちなのだが、仕事や子どもを媒介にして知り合った人とはそれはできない。親しくなることはできても友だちにはなれない。
小田嶋氏は元アルコール依存症患者である。このままだと確実に死ぬと宣告されて完全に足を洗ったそうだが。
酒をやめたのを機に、飲み友だちとの縁も完全に切れたのだという。
そうか。仲がいいから飲むのではなく、仲がよくないから飲むのか。
そうだよな。大学の飲み会にしても職場の飲み会にしても、そこまで気心の知れない相手とめちゃくちゃ盛りあがることはある。それは酒があるから。
酒は人間関係の潤滑油とはよくいったもので、潤滑油がないとギスギスする関係だからこそ潤滑油がいるのだ。元々スムーズにまわるのであれば潤滑油はいらない。
ぼくはいっときは毎週のように誰かと酒を飲んでいたが、今ではほとんど飲まない。月に一度ぐらいになり、コロナ以後は三ヶ月に一度になった。
なぜなら「無理して付きあわないといけない関係」をどんどん断ち切ってきたから。コロナのおかげもあるけど。
家族とか旧い友人とかと話すときは酒はいらない。無理してテンションを上げる必要がないからだ。
コロナ禍によって飲酒量が減った人は多いとおもう。
それは単に感染拡大の場である飲み会が減ったからだけではなく、「緊張を強いられる相手と長時間過ごす場」が減ったからだろう。
小田嶋さんは「コーヒーで3時間話せる相手を友だちと呼ぶ」と書いているが、ぼくの定義では「同じ空間にいて5分沈黙が続いても平気な相手を友だちと呼ぶ」だ。
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