本当に偉いのか
あまのじゃく偉人伝
小谷野 敦
不当に高く評価されすぎてるんじゃない? という偉人を挙げていって、大したことないぜとあげつらう本。
試みはおもしろかったが、内容はひどいものだった。
序盤はまだよかったんだけどね。
夏目漱石の項とか。
たしかになあ。
漱石って国内では一、二を争うぐらい有名な作家だけど、文学的にすぐれているかというとそこまでありがたがるほどのものではない気がする。研究者が読むのは好きにすればいいけど、少なくとも百年後の中学生が読むに値するものとはおもえない。
「明治時代の小説にしては読みやすくてわかりやすい」以外にこれといった良さがあるわけじゃないもんね。『吾輩は猫である』とか『坊っちゃん』なんてただおもしろいだけ、って感じだもん。
読みやすいのがいいんだったら現代小説のほうがずっとわかりやすいし。
ただ、毒にも薬にもならないのがいいんだろうね。太宰や三島はやっぱり思想と切り離せないから、国民的作家にはなれない。鴻上尚史さんが「大スターの条件はからっぽであること」と書いていたけど、漱石作品って代表的なものだけ見ればそこまで思想はないもんな(全部読んだわけじゃないのであったらごめん)。
芥川も「ただおもしろいだけ」の小説をたくさん書いてるけど、あっちは言葉遣いが少々難しいからな。
というわけで国民的作家にふさわしいのは夏目漱石ということになるんだろうけど、それって文学者としては不名誉なことかもしれんな。
ただ、共感できたのは漱石のくだりぐらいだった。
著者が日本文学の研究者ということで、文学者を批評してるうちはまだいい。好き嫌いはあっても、個人の意見だからな。
だが途中からアレクサンドロス大王とか石田三成とかナポレオンとかまで手を出しはじめると、もう擁護の仕様がない。
根拠が伝聞なんだもん。
「おれはあいつの本を読んだけどくそつまらなかった」はまだ批評といえるけど、
「あいつは大したことないやつだという話を聞いた。だからあいつは嫌いだ」というのは単なる偏見にもとづく悪口だ。批評精神のかけらもない。
いやいや大河ドラマはフィクションだから。ドラマと現実の区別がついてないのか?
しかも、攻撃の材料が下品なんだよね。
誰々は身長が○○センチしかなかったとか(この人はやたらと身長を気にしている。よほどコンプレックスでもあるのか)、誰々は男色家だとか、誰々は処女だったとおもうとか、とにかくゲスい。
「私自身が茶の湯をやったことも、観たこともない」から茶道を優れた文化と思わないとか、「ぎょろりとした目つきも何か好きではなかった」から南方熊楠を好きじゃないとか、よくもまあ個人的な好悪をここまでえらそうに文章にして発表できるわとおもう。
おもしろい悪口は好きだけど、この人のはユーモアのセンスもなくてただただ不快なだけ。
少なくとも新書ではなくエッセイとして出すべきだったよな。新潮社は内容読んだのかね。
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