2021年9月27日月曜日

【読書感想文】プレイワーク研究会『子どもの放課後にかかわる人のQ&A50』

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子どもの放課後にかかわる人のQ&A50

遊ぶ・暮らす 子どもの力になるプレイワーク実践

プレイワーク研究会/編

内容(e-honより)
放課後児童クラブ(学童保育)、児童館、冒険遊び場等のスタッフや、教員・保育士等、子どもにかかわるすべての人へリアルな困った!にこたえる待望のQ&A集。悩みや課題をどうとらえ、どう対応するかのヒントや知恵が満載。

 まず書いておくと、ぼくは〝子どもの放課後にかかわる人〟ではない。
 会社員で、平日は18時まで仕事をしている。まったくかかわりがない。

 じゃあなぜこの本を買ったのかというと、土日は大いに子どもとかかわっているからだ。

 ぼくは子どもと遊ぶのが好きだ。ほんとは、ずっと前から子どもと遊びたかった。でも親でもない大人が子どもと遊ぶのはむずかしい。世の中には「子どもと遊ぶサークル」みたいなものもあるが、そういうのには入りたくない。なぜなら他の大人ともかかわらなきゃいけないから。大人とはべつにかかわりたくない。あと「子どもと遊ぶサークル」にいるのはたいてい明るく元気ですぐ他人にあだ名をつけて呼ぶ人種なので(勝手なイメージ)とりわけかかわりたくない。

 だが自分に子どもが生まれて、大手を振って子どもと遊べるようになった。土日はたいてい朝から晩まで公園で遊んでいる。娘の友だち、そのきょうだい、その友だち、よく会う子。子ども交友関係はどんどん広がってゆく。
 子ども十人ぐらいと大人はぼくひとりでおにごっこやドッジボールをしている、ということもよくある。

 ぼくの場合、子どもと遊ぶのが好きなのもあるが、「大人と話すのが苦手」というのもある。だから保護者の集まりなんかに行くと輪に入れなくて肩身が狭い。そのとき、子どもと遊んでいると場が持つ。ぼくも楽しい。他の保護者から「面倒見てもらってありがとうございます」と言ってもらえる。いいことづくめだ。

 あとぼくが子どもと遊ぶのは「人目があまり気にならない」ということもある。
 たぶん人より「恥ずかしい」という気持ちが薄いのだ。だからいいおっさんが子どもと本気でおにごっこをしていても、子どもを笑わすためにヘンテコダンスを踊っても、ちっとも恥ずかしくない。他の大人は「変な人」とおもっているだろうが、ぼくにとってはどうってことない。だって「変な人」とおもわれて実害ないもん。警戒されて距離をとられるなら、むしろ喜ばしい。だってなるべくなら他の大人とかかわりたくないもん。


 というわけでぼくは多くの子どもとかかわっている。子どもたちを笑わせたり、教えたり、注意したり、逃げ回ったり、おしりをたたかれたり、ときには子どもから怒られたりもする。子どもの扱いに手を焼くこともある。

 嘘ばかり付く子(そしてその嘘を自分で信じこんでしまう子)、ふたりっきりで遊ぼうとする子、ルールを守らない子。

 そんなときの参考になれば、ということでこの本を手に取った。前置きが長くなった。




 結論からいうと、ほとんど参考にならなかった。

 だって書いてあることが小学校の学級目標ぐらい抽象的なんだもん。

「その子の気持ちを理解しましょう」

「子どもの気持ちに寄り添いましょう」

「その子のために何ができるか考えましょう」

とか。何も言ってないに等しい。
(執筆陣の名誉のために書いておくと、複数いる執筆者のうち特にひとりがひどかっただけだ)

 いやわかるけど。ケースバイケースだからあらゆる状況に通用するアドバイスがないことぐらい。
 でも、だったらこの本いらんやん。

 せめて「私が経験したケースでは○○したら□□という結果になりました」ぐらいのことは書いてほしい。

「子どもの気持ちに寄り添いましょう」ってあなた。それで「なるほど、参考になった!」と納得する人がいるとおもってるんですか。




 子どもと遊んでいると、どこまで「危険」を許容するか悩むことがよくある。

 危険は、「リスク」と「ハザード」という考え方で整理することができます。「リスク」は、自分から挑戦する危険のこと。これは、子どもの成長には欠かせないといわれる危険です。一方の「ハザード」は、目に見えない危険で、それ自体が目的にはなっていない危険です。強風で鉄扉が閉まったり、腐食した柱が折れたり、突起物が突き出ていたりするなど、子どもにとっては想定外の危険なため、突発的な事故が起きる可能性があります。私たちの役割では、いかに重大な「ハザード」を取り除きつつ、育ちにつながる「リスク」を残せるようにするかが大切になります。
 また、「子どもがやることは、一通りスタッフもやってみる」を実践してはどうでしょうか。そうすることで、子どもの動きが想定できるだけでなく、そこからの風景なども見えてきます。

 この考えは参考になった。

 なるほどね。「高いところから飛びおりた着地に失敗するかも」「木登りしたら落ちるかも」なんてのは、小学生にもなれば一応想定しているだろう(可能性をだいぶ低く見積もってはいるだろうが)。

 そんなふうに本人が(一応)予期している「リスク」については、許容してもいい。
 ただし子ども自身が気づいていない「ハザード」については事前に制止しなければならない。台風が来ているときに川に近づくとかね。子どもの人生経験からは想定できない危険だからね。

 ちなみにぼくは「全治一週間ぐらいのケガで済むようならだまって見とく」というスタンスをとっている。すりむくとか、ばんそうこうで抑えられる血が程度の怪我なら、身をもって体験するのも悪くないという考えだ。
 でも骨折とか死ぬとかになるようなことなら、「体験」に対して代償がでかすぎるので止めている。

 しかしうちの子は女の子だからかすごく慎重で、すり傷をつくるようなチャレンジすらほとんどしないんだよね。えらいなあ。ぼくが子どもの頃はもっとバカだったのに。




 この本を読んでおもったけど、「子どもに手を焼かされる」なんてぜんぜん大した問題じゃないんだよね。ぼくのように趣味でかかわっている人間からすると特に。

 子どもをおだてたり叱ったりするのなんてそこまでむずかしいことじゃない(自分が子どものときのことを思いだせば操縦しやすい)。

 たいへんなのは、他の親との関わりだ。
 子育てに関する考えは親によってちがうからね。
 ぼくは「軽い怪我なんてどんどんしたらいい」って考えだけど、他の親が同じ考えとはかぎらないし。大人の考えを変えさせるのなんてほとんど不可能だし。

 友人が保育士をやめたとき「子どもといる時間はぜんぜん苦じゃなかったけど、園長や保護者にあれこれ言われるのがつらかった」と言っていたし。そうでっしゃろなあ。


 保育士や学童保育の職員の苦労はたいへんなもんだろう。

 嫌ならいつでも逃げられる立場で子どもと遊んでいるだけで「子どもの面倒をみている」とえらそうにしているぼくはただただ頭を下げるばかりだ。


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