たったひとつの「真実」なんてない
メディアは何を伝えているのか?
森 達也
著者の森達也さんはドキュメンタリー映画などをつくっている人。
『1984 フクシマに生まれて』という本に森達也さんが出ていて語っていることがおもしろかったのでこの本を読んでみたのだけど、内容が薄かった。書いてることはいいんだけど、五十ページぐらいの分量をむりやり希釈して一冊の本にしたかのような。
ちくまプリマ―新書という中高生向けのレーベルから出ているので浅めなのはしかたないにしても、それにしてもなあ。
「メディアの言うことを鵜呑みにするな」なんてこれまでにもさんざん言われてるわけじゃん。
「メディアの言うことは100パーセント真実だからそのまま信じよう!」とおもってる人なんてひとりもいないでしょ。いまどき中高生でも「新聞やテレビで言ってたから本当だ!」とはおもってないでしょ(逆に「新聞やテレビは嘘ばっかり」とおもってる中学生はけっこういそう)。ちくまプリマ―新書を読むような子なら余計に。
メディアが間違えたり嘘をついたりすることなんてみんな知ってる。
なのに「メディアもまちがえるんですよ」をくりかえし語っている。
いやいや。そこはみんなわかってるから。わかってて騙されるんだから。
書いてあることはすごくまっとうだっただけに、薄かったのが残念。
20世紀前半に世界各地でファシズムが台頭したのはラジオと映画の普及によるものだ、という話。
この説は眉唾だけど(それ以前にも独裁国家はいくらでもあったし)、瞬時に大量の情報を届けられるメディアがファシズムの勢力拡大に貢献したことは間違いない。
少なくとも20世紀以降の世の中では、メディアを牛耳ることなく独裁を貫くことはまず不可能だろう。
ディストピア小説でもまずまちがいなくメディアは権力者によって押さえられている。
これは時代を超えて通用するやりかただよな。
今でも「○○国が攻めてくるかもしれないから軍備を強化しなければ!」って声は弱くならないもん。相手国のほうも「このままだと日本が攻めてくるぞ!」という雰囲気になれば、すぐにでも戦争は始まってしまう。
いじめや差別もそうだよね。
ほとんどの差別って「あいつに嫌がらせしてやろう」という悪意から生まれていない。
「このままだとあいつらに安全を脅かされる」っていう防衛本能から生まれる。
フィクションで描かれるいじめは「極悪非道ないじめっ子と、純粋無垢ないじめられっ子」という構図が多いが、現実のいじめはそんなに単純じゃない。いじめられっ子が嘘つきだったり攻撃的だったり嫌なやつであることが多い。
だからいじめが止まらない。悪意を持ちつづけられる人はほとんどいないけど、正義感は持続できるしどこまでもエスカレートする。
戦争も差別もいじめも、正義によって生みだされる。
オウム真理教報道について。
これねえ。
当時を知らない人には伝わらないとおもうけど(ぼくも中学生だったからそこまでテレビ観てたわけじゃないけど)、すごかったんだよ。ずっとオウムの話やってた。
新型コロナウイルスで騒ぐのはまだわかるんだけど。みんなの生活に直結する話だから。
でもオウムはそうじゃない。たしかに地下鉄サリン事件は大事件だったけど、大半の日本人にとっては関係なかった。それなのにずっとオウムの話やってた。山梨県に上九一色村って村があったんだけど、当時の日本人はみんなその名前を知ってた。オウム真理教の施設があったから。教団内部で使ってた用語も幹部の名前もみんな知ってた。
オウム真理教は異常な集団だったけど、今おもうと当時の報道も同じくらい異常だった。
今からふりかえると「そこまで騒ぐことか?」ってことなんだけどね。
まあ「おもしろかった」んだよね。得体の知れない宗教団体が謎のルールに従って暗躍している、って話が。
しかも、ただ騒いでただけでなく、みんな同じトーンで語ってた。「異常な集団が起こした異常な事件」だと。
「いや彼らには彼らの事情があるんでしょ」とか「彼らにも人権はある」とか言う人は、少なくともテレビや新聞にはひとりもいなかった。
あの熱狂ぶりを知っている者からすると、戦争に突き進むのもあっという間なんだろうなという気がする。
オウム真理教がそこまで信者の数も多くない一宗教団体だったからあの程度で済んでいたけど、あれがもっと大きい団体とか国とかだったら、すぐに戦争になっちゃうだろうな。
メディアの種類が変わっても、人間の性質はずっと変わらない。
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