おれはスーパーヒーロー。
この世にはびこる悪を倒す。
おれは強い。
悪人はおれの姿を見ただけで震えあがる。
おれはでかい。
とにかくでかい。めちゃくちゃでかい。
しかしおれは不人気だ。
スーパーヒーローなのに。
でかいのがいけないらしい。
おれの身長は5メートル。成人男性3人分ぐらいだ。
おれの体重は3トン。成人男性45人分ぐらいだ。
なんでそんなに重いんだと思ったやつは算数をわかってない。
体重はタテ×ヨコ×高さで決まるから身長の3乗に比例するのだ。
ただしこれは同じ体形の場合の話で、当然ながらおれは君たち一般人と同じ体形ではない。
考えてもみてほしい。身長が3倍だったら、単純に考えて体重は3×3×3で27倍。しかし足の裏の表面積は身長の2乗に比例するから3×3で9倍。9倍の足の裏で27倍の体重を支えられるわけがない。したがっておれの足の裏は君たちを3倍にしたよりもずっと広い。
でかくなればそれだけ骨や筋肉は強度を増さないといけないし、大きくなった骨や筋肉はそれ自体がかなりの重みを持つからより支えるためにいっそうの力を要する。
そんなわけでおれは、君たちの目にはめちゃくちゃ太く見える。でもそれはおれがデブだからじゃない。でかくなるためには太くなくてはならないのだ。
子どもがおれを見て言う。「うわっ、すっげーデブ」
おれはスーパーヒーローだからそういうのを許さない。子どもがまちがったことを言ったら注意して訂正するのが大人の義務だ。
子どもをつかまえて、おれはデブじゃない、体重は身長の3乗に比例するから……という話をする。子どもはたいてい怖がって泣きだす。だがおれはやめない。ここでやめたら本人のためにならない。
当然ながら手を上げたり、きつい言葉をかけたりはしない。あくまで冷静な口調で怒っていることを伝える。
それでも親が「やめてください!」と言いに来るし、ときには警察を呼ばれたりもする。
おれがでかいからだ。
おれは人気がない。
ひったくり犯を捕まえたことがある。おれはずいぶん手加減をしたつもりだったが、相手は複雑骨折で全治六ヶ月の怪我を折った。
野次馬から「何もそこまで」という声が上がった。
警察官からも「私どもに任せていただければ大丈夫ですので。ケガとかあってもたいへんですし」と遠回しに嫌味を言われた。
ふつうだったら表彰状でももらえるところだが、おれにはなかった。がんばったと思われていないのだ。一生懸命走って原付を追いかけたのに。
おれがでかいからだ。
スーパーで、おっさんが店員の若い女性にからんでいた。自分がポイントカードを忘れたのが悪いのに、なぜポイントをつけないんだと詰め寄っている。弱い者相手には強気になる卑怯なおっさんだ。
おれが入っていって「あんたが悪いんだろ」とおっさんを一喝した。
おっさんだけでなく店員もおびえていた。べつの店員が走ってきて「すみません、他のお客様もいらっしゃいますので……」と言った。おっさんではなく、おれに。
おれがでかいからだ。
おれはただでかいだけじゃない。
きみたちと同じくらい俊敏に動ける。きみたちはふつうに動いているようにしか見えないかもしれないけど、これはすごいことなんだ。
おれはただでかいだけじゃない。
きみたちと同じくらい俊敏に動ける。きみたちはふつうに動いているようにしか見えないかもしれないけど、これはすごいことなんだ。
ゾウは動きがのろいだろう。逆にネズミはすばしっこい。
身体がでかいとそれだけ動かすのに力がいる。だから素早くは動けない。なのにおれはきみたちと同じくらい機敏に動ける。これはおれがめちゃくちゃがんばっているからだ。
おれが君たちと同じサイズになったとしても、きっとオリンピックでメダルを総なめにしているだろう。
おれが君たちと同じサイズになったとしても、きっとオリンピックでメダルを総なめにしているだろう。
だがおれはオリンピックには出られない。いや、規定があるわけじゃない。「身長3メートル以上は出場を禁ずる」というルールはない。
でも世間的にというか世の中の空気的に、おれはオリンピックには出られない。おれが出場したら「そんなにでかいのに出んのかよ」という空気になる。おれがレスリングの無差別級に出場したら、ぜったいにみんな小さいほうを応援する。おれが優勝しても「そんなにでかいんだから勝つに決まってるじゃんかよ」という目で見られる。正々堂々と力を尽くしても卑怯者みたいな目で見られる。
出場したことないけど、おれにはわかる。無差別級は無差別じゃない。
おれはそういう空気には敏感なのだ。
これもすごいことだ。
世の中には、自分と同サイズの人たちの気持ちを察することができない人がいっぱいいる。おれなんか自分よりずっと小さい人たちの気持ちを読まないといけないのだ。大きな文字より小さい文字を読むほうがむずかしいように、大きい空気を読むより小さい空気を読むほうがずっとむずかしいのだ。それをやっているおれのことをもっと賞賛してほしい。
おれは活躍のわりに人気がない。
でも世間的にというか世の中の空気的に、おれはオリンピックには出られない。おれが出場したら「そんなにでかいのに出んのかよ」という空気になる。おれがレスリングの無差別級に出場したら、ぜったいにみんな小さいほうを応援する。おれが優勝しても「そんなにでかいんだから勝つに決まってるじゃんかよ」という目で見られる。正々堂々と力を尽くしても卑怯者みたいな目で見られる。
出場したことないけど、おれにはわかる。無差別級は無差別じゃない。
おれはそういう空気には敏感なのだ。
これもすごいことだ。
世の中には、自分と同サイズの人たちの気持ちを察することができない人がいっぱいいる。おれなんか自分よりずっと小さい人たちの気持ちを読まないといけないのだ。大きな文字より小さい文字を読むほうがむずかしいように、大きい空気を読むより小さい空気を読むほうがずっとむずかしいのだ。それをやっているおれのことをもっと賞賛してほしい。
おれは活躍のわりに人気がない。
それはおれがでかいからだ。
SNSで言われているみたいに、理屈っぽいからとか、自尊心が強すぎるからとか、身体はでかいのに心はせまいからだとかでは断じてない。
SNSで言われているみたいに、理屈っぽいからとか、自尊心が強すぎるからとか、身体はでかいのに心はせまいからだとかでは断じてない。
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