2018年11月1日木曜日

【読書感想文】からっぽであるがゆえの凄み / 橋下 徹『政権奪取論 強い野党の作り方』

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『政権奪取論 強い野党の作り方』

橋下 徹

内容(e-honより)
有権者の望みを「マーケティング」して政策を磨き、地方から「変えられる」実力を示して信頼を勝ち取り、意見は多様でも最後はきちんと「決める」強固な組織をつくる。そうしておかなければ、与党が何をしても「風」すら吹かない。強い野党をどうすれば作ることができるか―。8年間の生きた政治経験をフルにつぎ込んで語ろう。野党の弱さが今の政治の根本問題。日本を刷新するガチンコ戦略と戦術!

は、橋下徹氏が朝日新聞出版から本を出している……!
かつてあんなこと(Wikipedia「週刊朝日による橋下徹特集記事問題」)があったのに……!

和解金を払ってもらったとはいえ、あんな程度の低い中傷記事を書かれた出版社で仕事をするなんて、意外と橋下氏も大人なんだなあ。一生根に持つタイプかと思ってた(ぼくなら根に持つ)。見直した。

すごくおもしろい本だった。
ぼく自身は前大阪市長である橋下徹氏の考え方とはあわない点が多いのだけれど(大阪都構想を問う住民投票の際も大阪市民として反対票を投じた)、それはさておいてこの本はおもしろかった。

納得できる点も多い。反対に「ここはまったく賛成できないな」という点も多い。良くも悪くも論旨が明快なのだ。
学者にはこういう文章は書けないだろうなあ。弁護士という実業の世界に身を置いていたからかもしれない。
そういや去年、橋下氏の講演を聴く機会があったのだが、その講演も歯に衣着せぬ物言いですごくおもしろかった。
しゃべりがおもしろいから政治家にしておくには惜しいよね。良くも悪くも。
自分でも政治家には向いていないことがわかってたから辞めたんだろう。

橋下さんに対しては、大人なんだからもうちょっとうまくやりなよ、と思うところも多い。
とはいえその子どもっぽい純粋さこそが、この人の魅力なんだろうな。



橋下徹氏は「他人に厳しく自分にも厳しい人」だとぼくは見ている。
(そして彼が抜けた後の大阪維新の会には「他人への厳しさ」だけが残り「自分への厳しさ」は捨ててしまったように見える。)

そんな橋下氏の「厳しさ」が、日本維新の会を含めた野党の立ち居振る舞いに向けられたのが『政権奪取論 強い野党の作り方』だ。

今、国政において野党はめちゃくちゃ弱い。誰が見ても弱い。
自民党はダメダメだが野党はもっとダメ。多くの人がそう思っている。

野党は反対ばかりというイメージを持たれている(じつはそれは誤りで、野党も大半の法案には賛成しているのだが、誰も反対しない法案はニュースにならないので報道されないだけなのだが)。

自民党に好印象を持っていないぼくですら、総選挙での野党の分裂っぷりなどを見ていると「こいつら本気で政権とりにいってないだろ」と思う。
いや、じっさいそういう議員も多いでしょ。ずっと野党議員でいたほうが楽だもん。人のやることに文句言っとけば議員として高い給料もらえるんだから。

野党は応援しているが、政権交代までは望んでいない。そういう人も多いだろう。ぼくも今の野党を見ているとそう思うし、何より当の野党議員自身がそう思ってんじゃないのかね。


ということで、橋下氏は野党のやりかたを鋭く批判している。今の政治が悪いのは野党のせいだ。野党が不甲斐ないから自民党がめちゃくちゃをやるんだ、と。

言いたいことはわかるが、でもいくらなんでもそれは無茶でしょ。

野党が強ければ与党である自民・公明も襟を正すはず、だから野党が弱いのが問題だ。
というのは「女性がみんな格闘術を習得すれば痴漢をしようとする人も思いとどまるはず。痴漢がなくならないのは女性が弱いのが問題だ」みたいな話じゃないか?

どう考えたって自ら襟を正さないやつが悪いでしょ。



橋下氏の主張を読んでいると、民主主義、多数決を信用しすぎじゃないかと思う。
 国を誤らせないように、一生懸命考え抜いてこれだと方向性を示すのが政治家の仕事。しかし、最後の判断は、国民に委ねる。もし間違った判断があっても、その責任は国民に平等に分担される。また、時の権力者が暴走する気配があれば、内戦で国民の血を膨大に流すことをしなくても、次の選挙で国民がその首を落として、権力者をすげ替えることだってできる。
 そのようにして国民の選択が国を作り、動かしていくのが、日本のような成熟した民主国家における政治のあり方だろう。
「やってみてだめなら変えればいいじゃん」ってのは、民間企業や地方自治体であればそうかもしれない。
でも国会は法律をつくる権限を持っているから、その「次の選挙で国民がその首を落として、権力者をすげ替えることだってできる」という制度そのものを壊されちゃう可能性もあるわけだし。
じっさい、公正な選挙制度をぶっこわした政権なんて世界中にいくらでもあるし、自民党だって自党に都合のいいように選挙区制度を改変したりしているわけだしね。

それに「その責任は国民に平等に分担される」ってのは明らかなウソだ。沖縄の基地や原発稼働の負担は誰が見たって等しく分担されていない。

「すべての都道府県で等しく米軍基地を受け入れるか、沖縄だけに集中させるか」と国民投票をやったら沖縄以外の賛成多数で「沖縄だけに負担集中派」が勝つかもしれない。
でもそれは正しい民主主義とは呼べない。

だから「間違った判断をしたら変えればいい」じゃなくて「間違った判断をさせない」が政治に求められるものだし、それをさせる仕組みが憲法なのだ。



前半は首をかしげるところも多かったが、後半の「強い野党の作り方」はなるほどと感心するところも多かった。
自ら政党を立ち上げて、成功と失敗を経験した人だけに説得力がある。
「たしかに橋下さんの言うとおりにしたら勝てそう」と思ってしまう。

「野党間で予備選挙をやって候補者を一本化せよ」なんて主張は、たしかにその通り。
これをやるだけで野党が勝つ選挙区は増えるだろうし、少なくとも「自民党の大勝」はなくなるだろう。

ま、それができないから野党が弱いんだけど。
 ここは特に野党が勘違いしやすいところで、日本の新しい道を示すだけで有権者の期待を集められると思っている。だから日本維新の会も、政党綱領や「維新八策」という政策集をまとめることに膨大なエネルギーを割き、そこで仕事を終えたような感じになってしまっている。
 それは完全に間違い。日本の新しい道を示すことはもちろん大事だが、勝負はそこから。政党としての意気込み、挑戦、実行力を示していかなければ、有権者の期待を集められず、政権などは永久に取れない。逆に有権者は、ある政党に意気込み、挑戦、実行力を感じると、今は大賛成の政策がなくても、少し気に入らない政策があったとしても、支持を継続してくれる。その政党に意気込み、挑戦、実行力があるかぎり、「次は私のことについても、やってくれるんじゃないか」「少々気に食わないが、それ以上に私のことを良くしてくれるんじゃないか」と期待感が高まるからだ。

さすがは自他ともに認めるポピュリスト。大衆の心理をよくわかっている。

そうだよなあ。地元選出の政治家が何やってるかなんてふつうの人は知らないもんなあ。
結局ぼくらは「なんかやってくれそう」「なんかいらんことしそう」「なんか気に食わない」ぐらいで票を入れている。

だから特に野党が勝てるかどうかは「何をするか」ではなく「どう見せるか」にかかっているんだろうね。



読んでいてそらおそろしくなったのが、この文章。
 インテリ層たちは政党とは「政策だ」「理念だ」「思想だ」と言うけれども、そうではなくて、極論を言えば各メンバーの意見をまとめる力を持つ「器」でありさえすればよい。野党としては、政権与党に緊張をもたらすためのもう一つの「器」であることが大事なのであって、器の中身つまり政策・理念・思想などは、各政党が一生懸命、国民の多様なニーズをすくい上げて詰めていくものだと思う。つまり政党で死命を決するほど重要なのは組織だ。はじめから政策・理念などを完全に整理する必要はない。
どうです、すごいでしょう。

ぼくが前々から橋下徹という人間に感じていた得体の知れなさの原因がわかった。
この人はからっぽなんだ。
橋下徹という人間自体がただの「器」なのだ。満たされることが目的であって、中身はお茶だろうがワインだろうがコーラだろうがなんでもいいのだ。

からっぽというと悪口のように思われるかもしれないが、これは橋下徹氏の長所だ。
彼が政治家として支持されたのはからっぽだったからだ。軸がないと言い換えてもいい。
これはすごい。誰にでもできることではない。ほんとにすごい。
いや、皮肉でなく本心から感心してるんだよ。

さすがは弁護士。
依頼人であれば悪人も弁護するのと同じで、要請さえあれば主義主張を捨てて支持される道を選ぶ。
ふつう「政党にとって政策・理念・思想は後回しでいい」なんて言えない。思わない。
この言葉にはからっぽであるがゆえの凄みを感じる。


橋下氏は自分自身の主張や理念というものがなく、市民の願望をすくいあげることが天才的にうまかった。
だから多くの府民や市民は彼を支持したし、彼もまたそれだけに応えた。
タレント弁護士として成功したのも、自分のポリシーを捨てて(というよりはじめからない)番組制作者や世間が求めるものを演じたからだろう。

そのからっぽさは「維新の会」という名前にもあらわれている。とにかく変革することが目的。重要なのは刷新することであって、その先にビジョンはない。
ふつう政党の名前には「自由」「民主」「平和」「社会」「共産」といった主義主張がこめられるが、「維新の会」にはいっさい主張がない(「みんなの党」「希望の党」もそうだね)。
無色透明なガラスのコップ。何を入れてもおかしくないが、それ自体には何の主張もない。


橋下徹氏はよくポピュリストだと言われる。彼自身、それを否定していないし、むしろポピュリストであることに誇りを持っている(この本にもそう書かれている)。

だから民衆の支持を集めることだけに全力を注ぐし、支持がなくなればどんな政策もあっさり捨てる。
あれだけ大阪都構想と言っていたのに、住民投票で否決されるとあっさり手放して政治からも身を引いてしまった。からっぽだからこその潔さだ。
小泉純一郎氏の「郵政民営化」や安倍晋三氏の「憲法改正」のような、悲願という感じがまったくない。



橋下氏の主張は正しい。勝つためには、自らをからっぽにして世間の声に身を任せるのがいい。
なりふりかまわず主義主張を捨て、ひたすら組織を強くすることをめざす。
そうすれば政権も見えてくるかもしれない。

だが、それっておもしろいの? と思う。
おもしろいんだろう。金儲けが趣味でお金を使うことに興味がない人がいるけど、それと同じだ。

ふつうは権力というのは手段だと考えるけど、それは凡人の発想なのだ。橋下氏にとっては権力は目的そのものなのだ。


でも「そこまでして政権をとりたいんだったら強い野党をめざすんじゃなくて自民党に入ればいいんじゃねえの?」と思ってしまうんだけど。

結局この「強い野党の作り方」って「自民党をもうひとつ作る方法」なんだよね。まあそれはそれで意味のあることだけど。

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