2018年5月19日土曜日

バブルでゆとり

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昭和から平成に変わったとき、ぼくは幼稚園児だった。

だから、昭和生まれだけど昭和の記憶なんてない。あるのは半径五メートル以内の記憶だけだ。
昭和を象徴する戦争も高度経済成長もバブルも美空ひばりも平成になってから知った(万博記念公園の近くに住んでいたので太陽の塔だけは知っていた)。

そんな世代だから「昭和生まれ」でくくられると、うーんたしかにそうなんだけど……と腑に落ちない。戦前生まれと一緒かよ。
たぶん「明治生まれ」とか「大正生まれ」の人たちも同じように感じていたんだろう。大正なんか十五年しかないから、大正元年に生まれた人ですら大正が終わるときには十四歳だ。大正生まれはみんな大正の世の中を生きた実感がなかったんじゃないだろうか。

平成に関しては社会情勢を知る年齢になっていたし、平成後半は選挙権もあったので、「平成の世」に対して多少の責任感はある。
でも昭和については完全無責任だ。知ったこっちゃない。戦争も復興も成長も五輪も七輪も万博もわんぱくもあずかり知らぬ。

だけどもっと後の世代から見たらそうは見えないんだろう。
「あいつは昭和生まれだから」という理由で「いいよな、バブル時代の恩恵を受けてたやつは」なんて言われるんだろう。
恩恵受けてないのに。バブルが崩壊したときまだ十歳にもなってなかったのに。
うちの父親なんて1988年にローン組んで家買ってるのに。いちばん高いときに。バブルの恩恵は受けずにバブル崩壊の巻き添えだけ食らってたのに。


きっとあと十年ぐらいしたら、下の世代からはバブル世代扱いされ、上の世代からはゆとり世代扱いされるんだろう。どっちも違うけど、他の世代から見たら同じようなものだ。
ぼくにとって年寄りはみんな団塊の世代に見えるように。


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