2018年5月11日金曜日

ぼくのほうがエセ科学

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「エセ科学」という言葉に違和感がある。

たとえば「エセ科学」の代表格として語られる
「水に『ありがとう』とかのきれいな言葉をかけると美しい結晶をつくる」

あれを「エセ科学」と断じてしまっていいのだろうか。


科学とは理論ではなく真実に対するアプローチの方法だ。
だから

  • 「水に『ありがとう』という言葉をかけつづけると美しい結晶をつくる」という仮説を立てて
  • 「美しい結晶」の定義付けをおこない
  • 温度や気圧などいろんな条件を変えながら何千回と実験をして客観的な数値を出し
  • そのデータに基づいて結論を出したのであれば

それは科学と言えるのではないだろうか。
(仮に出した結論が誤っていたとしても)


ぼくは「水に『ありがとう』という言葉をかけつづけると美しい結晶をつくる」とは思っていない。
でもそれを証明できる理論は持っていないし、実験をくりかえして「そんなことは起こりえない」と確かめたわけではない。
根拠といえば、どこかのえらい人が「そんなことはありえない」と言ってるから、というものだけだ。

「水に『ありがとう』という言葉をかけつづけると美しい結晶をつくる」なんて、常識的にありえないじゃないか、と思っている。
少しも科学的でない。
「地球が球形だなんて、そんなこと常識的にありえない」と信じていた時代の人と変わらない。


「みんながそう言ってるから」という理由でエセ科学をばかにしている人のほうが、よっぽど非科学的だ。

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