2018年5月31日木曜日

トリケラトプスと赤い羽根共同募金

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娘には、くだらないことにおこづかいを使ってほしいと思う。

娘はまだ四歳なのでおこづかいはあげてないけど、お年玉をもらったりしているので数千円の貯金がある。
そういうお金は、なるべくくだらないことに遣ってほしい。

本を買ったり鉛筆を買ったりしないでほしい。そういうお金はぼくが出してあげる。
お菓子も、食べすぎない程度なら買ってあげる。
子どものお金は、大人が思いもよらないような、眉をひそめるようなものに遣うのがいい。


これは今年のお正月に娘が買ったトリケラトプスだ。1,500円した。

いい。すごくいい。大人だったらこんなものは買わない。
買うにしても、もっと小さいやつか、もっと精巧なやつか、もっと安いやつにする。
でかくて、ちゃちで、そこそこの値段がするトリケラトプスを大人は買わない。

娘が「このトリケラトプス買う!」といったとき、「えー、これ買うのー」と思ってしまった。でもまあいいかと思いなおした。
お金の価値もよくわかっていない四歳児が買わなくて誰がこのトリケラトプスを買うんだ。このトリケラトプスは今、うちの娘に買われるために作られたのだ、と。


思えばぼくも子どものときはわけのわからないものにお金を遣ってきた。
今でもいちばん意味わかんないのは、小学一年生のとき、赤い羽根共同募金に全財産(八百円ぐらい)を寄付したときだ。競艇場でおっさんが帰りの電車賃までレースにつっこんでしまうように、ぼくも全財産を募金箱につっこんだ。もちろん競艇場のおっさんと同じく何も得られなかった。赤い羽根はもらったけど、あれは寄付しなくてももらえる。

べつに善意でやったわけではない。何もわかっていなかっただけだ。先生に「おこづかいの中からいくらか入れてね」といわれたから、「ふーん。そういうものか」と思って全財産を入れただけだ。
ぼくが「これ全部入れる!」と高らかに宣言したとき、母親は当惑していた。「いいの?」「ほんとうにいいの?」と六回訊かれた。悪いことをするわけじゃないから止めるわけにもいかず、困っただろうな。


大人になった今、ぼくはものを買うときに「値段」と「機能」しか見ない。デザインとかブランドとかはほぼ気にしない。同じ機能で安いほうがあれば迷わず安いほうを買う。
だから買い物はべつに楽しくない。歯みがきと同じ「作業」だ。

自分ができないことだからこそ、値段も機能も気にしない娘の買い物を見て「ばかなもの買ってるなあ」と思うのは楽しい。


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