2022年8月23日火曜日

国民給食

 食事が公的に提供されたらいいのに。

 国が実施する給食だ。国営食堂で食べてもいいし、国営お弁当屋や国営お総菜屋で買って帰ってもいい。タダだと助かるし、お金をとってもいい。当然そのためなら多少の増税はやむをえない。


 もちろん義務じゃなくて、自分で作ってもいいし、民間のレストランに行ってもいい。選択式給食制だ。

 これがあればものすごく助かる。

 まずごはんを作る時間が減らせる。全国民で考えるととんでもない時間が浮く。その時間を生産や消費にまわせるわけだから、経済にもいい影響があるだろう。

 食費も浮く。家でひとりぶん調理するより、まとめて数千人分作る方がずっと安上がりになる。自炊が贅沢な行為になるわけだ。

 家からキッチンがいらなくなる。ワンルームだったらほとんどいらない。その分他のスペースを広くできるから、生活水準も上がる。

 まとめてつくればフードロスも削減できる。国が食物の生産量や輸入量を見ながら献立を決めれば、国際貿易でも有利にはたらきそうだ。

 長期的に見れば医療費抑制にもなる。バランスの良い食事を提供すれば国民の健康水準も向上する。


 もちろん外食産業や小売業は困るだろうから実現はむずかしいだろうけど。ぼく個人は食にあまり関心がなくて「まずくなくて腹がふくれて栄養がとれればいい」という人間だから、食事が国営サービスになったら助かるなあ。

 屋台文化の台湾がうらやましい。


 まあ本邦でやると中抜きの温床になって特定の業者だけがうるおって国民は大して利用しないというアベノマスクみたいな給食制度になっちゃうんだろうなあ。

 どっかやってる国ないのかな。社会主義国なんかやってもよさそうなのにな。

 ……とおもって検索してみたら、旧ソ連には「調理工場」なるものがあったらしい。


ソ連の女性を「退屈な」料理から救った調理工場
https://jp.rbth.com/history/86348-soren-jyosei-wo-taikutsu-ryouri-kara-sukutta-chouri-koujyou


 どうもあんまり利用されなくなったそうだが、この記事を読んでも原因がいまいちよくわからない。結局、官営にするとあんまり効率化できないということなのかなあ。市営とかにすればそこそこ競争原理もはたらいていいかもなあ(いい給食を提供すれば住民増加につながるから)。


2022年8月22日月曜日

ツイートまとめ 2022年5月



身を切る改革

ばかにする

図書カード

密告

東西

はーい

海外作品あるある

大雷山

ロシア語

人力でカバー

カツアゲ

バーカバーカ

1年分

子役

十を聞いて一も知らない













2022年8月19日金曜日

ツイートまとめ 2022年4月



タクシー

陸続き

バレエ鑑賞

解体新書

借金ひとりじめ

はやくいけ

宝塚市の隣

循環関数

レトロニム

ギャグ

天才ヘルメットと技術手袋

カメラ眼

きもち

チャイバ

昭和も遠くなりにけり

年増

20代

差別落書き

ベクトル

学ぶ理由

ば行

グリーン

パスワードマネージャー

ボーダーライン

中高生が近寄りたがらないやつ

解説文

レンタルなんもしない人

字が汚い人あるある

活用

2022年8月18日木曜日

【読書感想文】『ズッコケ三人組と死神人形』『ズッコケ三人組ハワイに行く』『ズッコケ三人組のダイエット講座』

   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十二弾。

 今回は34・35・36作目の感想。

 すべて大人になってはじめて読む作品。


『ズッコケ三人組と死神人形』(1996年)

 雪山のペンションに旅行に出かけた三人組。そこに、死神の人形が届けられる。最近世間を騒がしている、受け取った者が死亡するという人形らしい。はたして焼死者が出て、ペンションは陸の孤島と化す。さらに第二、第三の事件も発生し……。


 これはひどい。中期作品のダメなところを寄せ集めたような作品。『ズッコケ三人組のミステリーツアー』よりももっとひどい。

 まず設定が不自然。クローズド・サークルものをやりたかったんだろうけど、雪山深いペンションに小学生だけで旅行させること自体が無理がある。もうちょっと自然な導入にできなかったのかね。

 そして登場人物が多い。児童文学の分量で、十人近い容疑者のいるミステリを書くのは無理がある。案の定、真犯人を聞かされても「この人どんな人だっけ?」となってしまった。

 さらに『ズッコケ三人組のミステリーツアー』と同じく、一応三人組も推理はするけど真相にはたどりつけず、最後は警察が解決しちゃうパターン。単に事件に巻きこまれただけでこれといった活躍をしてないんだよね。ただの傍観者。

 ミステリとしても粗が目立つ。第一の事件の狂言自殺トリックはいいとして、第二の事件は「たまたま被害者が鍵をかけ忘れたのを利用して」殺されてるし、第三の事件では警戒していたはずの被害者があっさり毒を飲んで殺される。しかも犯人が〝女子大生グループとして旅行に来ていた殺し屋組織の女〟ってなんじゃそりゃ。ラストで唐突に殺し屋組織の存在が明かされ、なんの説明もないまま終焉。

 これはかなりのハズレ作品や……。 



『ズッコケ三人組ハワイに行く』(1997年)

 モーちゃんがお菓子の懸賞に見事当たってハワイ旅行に行くことになった三人。はじめての海外旅行を楽しむ三人だったが、ハチベエの曽祖父を知っているという日系人が現れて……。


 ははーん。これはあれだな。作者が経費扱いでハワイ旅行に行くために書いた作品だな。

 いろいろと設定に無理がある。まずガムの懸賞で100人近くをハワイ旅行に連れていくか? そんな金を出すためにはいったいいくつガムを売らなきゃいけないんだ。

 三人一組で旅行にご招待、なんてのも聞いたことがない。ふつうは一人かペアでしょ。

 そして「子どもばっかり三十人を集めて、大人二人(それも子どもの扱いにまったく慣れていない菓子メーカーの社員)が海外に連れていく……とぞっとするようなツアー。おそろしすぎるだろ。おまけに現地で子どもたちから目を離して「今から自由行動にするので〇時にここに戻ってきてくださいね。あっちの通りは危険なので行かないように」って、海外とガキをなめすぎでしょ。近所の公園に連れていってるんじゃないぞ。案の定迷子になってるし。

 さらにハチベエが出会った見ず知らずの外国人が「ちょっと明日この子たちをお借りしたい」と言いにきたら、引率の社員はあっさり引き渡してしまう。責任感ゼロか。
 話の展開上しかたないとはいえ、引率者の危機管理体制がズタボロなところが気になって話が頭に入ってこない。

 さらにハチベエが出会ったハワイの大富豪が「私の父親が日本にいたときに君のひいおじいさんに借りをつくった。当時の罪滅ぼしも兼ねて、ホテル経営事業を君に譲りたい」という話を持ちかけてくる。こんなの100%詐欺じゃねえか!

 とまあこんな感じで、リアリティもへったくれもあったもんじゃない。日系二世はともかく三世や四世までもがぺらぺら日本語しゃべってるし。どんだけ日本語好きやねん。ハワイの観光地や歴史の描写は丁寧なだけに(丁寧に書かないと経費扱いにできないからね)、お話のずさんさがより際立つ。

 きわめつきはラスト。大富豪がお世話になった八谷良吉さんはハチベエの曽祖父ではなくまったくの他人だったというオチ。
 いやいやいや。

  • ミドリ市花山町に住んでいた(ハチベエの家は代々花山町)
  • 八百屋を経営していた(ハチベエの家は八百屋)
  • 名前が八谷良吉(ハチベエは八谷良平)

 これだけ条件がそろってたのに、赤の他人でしたってそんなアホな……。



『ズッコケ三人組のダイエット講座』(1997年)

 モーちゃんの身体測定の結果を見たハチベエとハカセは、モーちゃんを減量させるべくダイエット計画を立てる。食事制限と運動により3kg落としたモーちゃんだが、パーティーに出席したことをきっかけにあえなく挫折。そんな折、ビューティーダイエットクラブという会の存在を知り、会費十万円を払うことを決意する……。


 身体測定という小学生にとっては身近なイベントをきっかけにしてダイエットに励むという自然な導入。おっ、いいねえ。もうズッコケシリーズを三十数冊も読んでいると第一章を読んだだけで当たりはずれがわかるようになってきた。導入が不自然な作品はまずまちがいなくはずれだ。『ズッコケ三人組と死神人形』『ズッコケ三人組ハワイに行く』も導入がひどくて、そのまま最後までつまらなかった。

 身体測定というやつは誰もが経験したことのあるおなじみの行事でありながら、小学生にとってはぎょう虫検査に匹敵するぐらいのイベントだ。あいつの身長に勝ったとか、あいつは身長の割に座高が高すぎるとか(そういや最近は座高を測らないらしいね)、大人から見るとどうでもいいことで一喜一憂する。

 そこからの流れも自然で、かつそれぞれのキャラクターがよく出ている。ハチベエは運動を勧め、ハカセはカロリー計算をし、クラスの女子たちはどこからか仕入れた流行りのダイエット方法を持ちこんでくる。そして彼らに振り回されるモーちゃん。

 と、ここまでは日常的なシーンが続くのだが、ビューティーダイエットクラブの存在が明らかになるあたりから雲行きがあやしくなってくる。会費は十万円、医師でもないのに医療行為をやっているから大っぴらにはできない、マンションの一室で開催される、短期間で二十キロも痩せられる、アメリカから輸入した謎の食品……と何から何まで怪しさ満点のクラブである。そこに貯金をはたいて入会したモーちゃんは、はたして食欲が減退してみるみるうちに痩せてゆく。ところが倦怠感や貧血の症状に襲われるようになり、さらにはビューティーダイエットクラブの主催者が警察に逮捕されてしまう。

 詐欺が明らかになって一応決着したかに見えたが、モーちゃんの悲劇はまだ終わらない。会から勧められたダイエット法をやめたにもかかわらず食欲は回復せず、身体が食べ物を受けつけなくなってしまう拒食症になってしまったのだ……。

 いやあ、おそろしい。ズッコケシリーズではホラーやオカルトを扱った作品がいろいろあるけれど、ぼくはこれがいちばん怖かった(『ハワイに行く』で子ども三十人に海外で自由行動をとらせる引率者もある意味こわかったけど)。

 実際、切実な問題だしね。ぼくの親戚の女の子も、中一のときに拒食症になって入院してしまった。ぜんぜん太っていなかったのに「痩せなきゃ」と思いこんでしまい、ご飯を食べられなくなってしまったのだ。十二歳ぐらいの女の子って身長は止まるから体重は増えやすいし、周囲との違いや人の目を気にする時期だし、でも知識は未熟なのでダイエットで危ない目に遭いやすい。

 テーマもいいし、テーマに対して真正面から取り組んでいるところもいい。タイトルや表紙からコミカルな展開を予想していたのだが、いい意味で想像を裏切られた。最後はちょっとうまくいきすぎなところもあるが、まあこれぐらいのご都合主義は許容範囲内だ。

 また「ただいるだけ」になりがちなモーちゃんが主人公になっていること、それも巻きこまれただけでなく自分から積極的に行動を起こしていること、それでいてハチベエとハカセもちゃんと活躍のシーンを与えられていることなども、バランスのいい作品にしてくれている。

 この時期の作品ははずれが多いけど、これは久々の当たりだったなあ。


【関連記事】

【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』



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2022年8月17日水曜日

【読書感想文】せきしろ・又吉 直樹『まさかジープで来るとは』 / 故で知る

まさかジープで来るとは

せきしろ  又吉 直樹

内容(e-honより)
「後追い自殺かと思われたら困る」(せきしろ)、「耳を澄ませて後悔する」(又吉直樹)など、妄想文学の鬼才せきしろと、お笑い界の奇才「ピース」又吉が編む五百以上の句と散文。著者撮影の写真付き。五七五の形式を破り自由な韻律で詠む自由律俳句の世界を世に広めた話題作『カキフライが無いなら来なかった』の第二弾。文庫用書き下ろしも収載。

 共作の自由律俳句集。


 自由律俳句といえば、高校の現代国語でちらっと習った程度だ。

 種田山頭火の

まっすぐな道でさみしい

 尾崎放哉の

咳をしても一人

などが有名だ。

 要するに、五七五という定型や季語にとらわれない俳句だ。と、授業で教わったぼくはおもった。「は? これのどこが俳句なの?」

 季語はともかく五七五のリズムも捨ててしまったら、もはや俳句でもなんでもないじゃん。「細長くもないし文字も書けないけど、この物体のことは鉛筆と呼ぶことにしましょう」って言われても納得できないよ。「まっすぐな道でさみしい」が俳句になるのなら、ありとあらゆる文章が俳句になっちゃうんじゃないの?


 ……とおもっていたのだが、この本に収められている俵万智さんの解説を読んでちょっと理解できた。要するに、無駄なものを一切そぎ落とした表現が自由律俳句なのだ。

 定型俳句は世界でいちばん定型詩などと呼ばれるが、それでも十七音使える。「や」や「かな」など、リズムを合わせるためにあまり意味のない音を入れたりもする。

 自由律俳句はもっと厳しい。無駄な文字が一文字もない。助詞ですら厳選されている。おまけにリズムが良くない。五七五だとリズムがいいので、下手な俳句でも声に出せばそれなりに聞こえるが、自由律俳句だとごまかしが聞かない。ほら、お笑い芸人のネタでもリズムに乗せてテンポよく言えば内容はいまいちでもそれなりに楽しく聞こえるじゃない。でも、ぼそっと一言ネタをしゃべるスタイルだと相当中身が良くないとおもしろくない。




『まさかジープで来るとは』には、ユーモアとペーソスがにじみ出る自由律俳句がたっぷり収められている。

 特に感心したのがこれ。

故で知る (又吉)

 なんとたった四文字(かなにしても四文字)! それなのにちゃんと意味がわかるし、心情も伝わってくる。

 新聞などで「故〇〇氏」と書かれているのを見て「ああ、あの人亡くなってたんだ」と知る。しかも「故」と書かれるということは死んだのはけっこう昔で、自分が知らなかっただけで亡くなったときはちょっとした話題になったのだろう。亡くなったこと以上に、自分だけが知らなかったことに対する一抹の寂寥感。それがこの四文字の句から伝わってくる。




楽しそうに黙とうの真似をする子供 (せきしろ)

 これもいい。子どもからしたら、大人たちが一斉に黙って同じことをする黙祷ってなんか楽しいんだよね。非日常的なイベント感があって。法事は長くてしんどいけど、黙祷はせいぜい一分だから子どもでもなんとか耐えられる。

 悲しいはずの行為である黙祷が楽しいイベントになるおかしさが伝わってくる。




自分の分は無いだろう土産に怯える (又吉)
自分が注文した料理が余っている (又吉)

 こうした句を見ると、いかに又吉氏が他人に気を遣いながら生きているかがよくわかる。

 近くの席で誰かが親しい人だけにお土産を渡しはじめたら緊張する。どんな顔をしていいのかわからない。じっと見たら物欲しげに見えて相手に気を遣わせてしまうし、かといって目を背けるのもそれはそれで不自然だ。何かに集中していて気づかないふりをするしかない。

 自分とは無関係なのに、だからこそドキドキしてしまう。まさに「怯える」だ。




孫にグーしか出さない祖母が又勝ってグリコ (又吉)

 ああ、わかるなあ。ちっちゃい子と「グリコ・チヨコレイト・パイナップル」の遊びをしたことのある人ならわかるはず。

 じゃんけんは運だから、自分ばかりが勝ってしまうことがある。こどもに勝たせてあげたい。せめて圧勝だけは避けたい。だからグー。勝っても三歩しか進めないグー。大勝ちしないためのグー。なのにそんなときにかぎって、子どもはチョキを出す。勝ちたくないのに勝ってしまう。申し訳ない。

 勝ちたくないのに勝ってしまってつらいおばあちゃんの心情が手に取るようにわかる。




こつが解ったから早くやりたいと焦っている (又吉)
筆箱を整理しなければと前も思った (又吉)

 あるよね。たしかにある。こういう心境。よくこんな些細な心の揺れをとらえられるなあ。些細すぎてあるあるネタにもならないぐらい。

「こつが解ったから早くやりたいと焦っている」は、子どもに何かを説明しているとよく味わう感覚だ。説明していると、子どものほうは途中である程度理解して、最後まで話を聞かずにうずうずしている。もうほんとに「うずうず」という文字が見えるぐらい早くやりたそうにしている。

 そしてこういうときって確実に失敗するんだよね。最後まで注意事項を聞かないから。




他の場所で会うと小さい大家 (又吉)

 いいねえ。おかしさと悲哀がまじりあっていて。

 契約をするときとか家賃を払うときには大家さんは大きく感じる。なんたって不動産オーナーなんだし、この人の機嫌を損ねたら自分は住むところを失ってしまうわけだから。

 ところが、そうじゃないところ、たとえば駅やスーパーでたまたま会ったときはごくふつうのおっちゃんだったりおばあちゃんだったりする。あたりまえだけど。あれ、この人こんなに存在感のない人だったっけ。

 その感覚を「小さい大家」と表現するあたりが絶妙。これが「小さく感じる大家」ではおもしろくない。小さい、という言い切りが気持ちいい。

「小さい大家」の字面もいい。矛盾をはらんでいるようで。

「他の場所で」も言葉足らずなのにちゃんとわかる。いやあ、いい句だ。これまた「アパート以外の場所で」ではおもしろくない。よくわからないのにわかる、それこそがおかしさを生む。




 自由律俳句だけでなく、句の背景となったエッセイも収録されていてそっちのほうも楽しめた。

 又吉氏の散文は町田康に影響を受けている香りが強くて好きじゃなかったけど(せきしろ氏のほうが好き)、自由律俳句のほうは又吉氏のほうが圧倒的に好みだったな。


【関連記事】

【読書感想文】おもしろさが物悲しい / 又吉 直樹『火花』

【読書感想文】話しかけてくるなり / 俵 万智『生まれてバンザイ』



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