2022年6月27日月曜日

【読書感想文】『ズッコケ三人組の大運動会』『ズッコケ三人組のミステリーツアー』『ズッコケ三人組と学校の怪談』

   中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第十弾。

 今回は27・29・30作目の感想。

 ちなみにぼくが小学生のときに読んだのは26作目の『ズッコケ三人組対怪盗X』までで、今作以降はすべて大人になってはじめて読む作品だ。


『ズッコケ三人組の大運動会』(1993年)

 運動だけは得意なハチベエ。これまで運動会の徒競走では毎回一等だったが、足の速い転校生というおもわぬライバル出現。ライバルに勝つためひそかに特訓をはじめる。そんなとき、組体操の練習中に転校生がケガをするというアクシデントが発生し、ハカセがわざとケガをさせたのではないかと疑われる……。


 運動会かあ、このテーマでは派手な展開にはならないだろうなあとあまり期待せずに読んだのだが、いやいやどうしてこれはこれで悪くない。

 はっきりいって運動会は地味な題材だ。小学生からしたら大イベントだが、それはそのときだけの話で、大人になってみるとほとんど記憶に残っていない。なぜなら、運動会はやることがすべて決められているから。先生が決めたタイムスケジュール通りに先生が決めた通りの動きをするだけ。創意工夫などまったく発揮する余地はない。これでは思い出に残るはずがない。

 そりゃあ競争だから勝てばうれしいし負ければくやしいが、そこまで引きずるようなものではない。その日の晩になればもう忘れている。小学校の運動会なんて、ほとんど生まれもった素質で決まるのだから。速いやつは速いし、遅いやつは遅い。ただそれだけ。素質とその日の運で勝敗が決まるのだから、ドラマ性は低い。

 しかしながら『ズッコケ三人組の大運動会』では、「足は速いが人づきあいがうまくない転校生」「その子のあこがれのお兄ちゃん」といった配役を用意し、さらに運動会での活躍ははなから諦めていたハカセやモーちゃんが努力して結果を残すという意外な展開を見せることで、なかなかドラマチックなストーリーに仕立てている。

 ズッコケシリーズは、無人島に漂着したり、山賊に拉致されたりといった派手な事件が起こる話もいいが、学校新聞を作ったり、児童会長選挙の活動をしたり、文化祭で劇をしたり、放送委員でテレビ番組を作ったりといった「どこの小学校でもやっていること」を描いているときこそ光り輝くようにおもう。心理描写がうまいんだよね。描きすぎてなくて、想像の余地が大きい。

『ズッコケ三人組の大運動会』では、運動が苦手なハカセやモーちゃんが良いコーチに出会って努力することで(当人たちにとっては)すばらしい結果を残すのだが、だからといって努力は大事だよ努力をしよう、みたいな安易な結論に着地しないのがいい。

 運動会が終わっても早朝トレーニングを続けようと誘われたモーちゃんが「トレーニングで足が速くなるのもいいけど朝布団で寝る時間も捨てがたい」とおもいなやむラストシーンはなんともリアルだ。そうそう、ズッコケはこうでなくっちゃ。



『ズッコケ三人組のミステリーツアー』(1994年)

 旅行会社に招待されてミステリーツアーに参加することになった三人組。ツアーの参加者は、ハカセとモーちゃん以外は十年前の旅行にも参加したメンバーばかり。さらに十年前の旅行中に参加者が死亡していたことが明らかに。そして今回の旅行でも殺人事件が発生。はたして犯人は……。

 これはかなりのハズレ回。この時期の作品は迷走感が漂っている。『ズッコケ三人組のミステリーツアー』の刊行が1994年。『金田一少年の事件簿』の連載開始が1992年、『名探偵コナン』の連載開始が1994年ということで、子ども向けミステリが流行っていた時期。まんまと流行りに乗っかった形だ。ポプラ社の悪いところが出ているなあ。

 この作品、あからさまに『金田一少年の事件簿』によく似ている。旅行に参加した先で殺人事件に巻きこまれるところや、過去の事件との因縁が明らかになるところなど。さすがに連続殺人ではないけれど。

 真似だけならいいけど、問題は真似たところがことごとく失敗しているところだ。

 まず登場人物が多いのにキャラクターが立っていない。児童文学の分量では、十数人のキャラクターをしっかり説明しきれない。そして設定に無理がある。「道中で人が死んだツアー」に参加した人を十年後に招待して、再び来てくれる人がどれだけいるだろう? ターゲットが来なかったらどうする気だったんだろう? 初日に参加者が睡眠薬を飲まされているけど、その日は何も起きていない。あの睡眠薬が何のためだったのかまったく説明されない。

 そして最大の難点は、三人組の活躍がほとんど見られないことだ。ハチベエは一応目撃者の役目を果たすからいいとして、ハカセは一応推理するけどその推理は警察の捜査にはまったく生かされない。警察が捜査して警察が犯人を突き止めているのでハカセはいてもいなくても同じだ。そしてモーちゃんにいたってはただ旅館でいっぱいご飯を食べただけ。

 児童向けミステリとしては悪くない出来かもしれないが、これをズッコケシリーズで書く必然性がまったくない。

 どうも、困ったらミステリとホラーに逃げる(そしてその回はおもしろくない)傾向があるな。


『ズッコケ三人組と学校の怪談』(1994年)

 隣の小学校には「学校の七不思議」があるのに花山第二小学校には存在しないことに不満を感じた六年一組の面々が、「学校の八不思議」をでっちあげてうわさを広める。しかし、自分たちのつくった怪談通りの出来事が本当に起こりはじめ……。


 ほらきた、困ったときのミステリとホラー。ちょうどこの頃『学校の怪談』って小説が小学生の間で流行ってたんだよね。

 流行りに安易に乗っかっちゃってるだけあって、導入がめちゃくちゃ雑。あっという間に男子も女子も集まって「おれたちで学校の怪談をつくろうぜ!」と意気投合しちゃう。で、あっという間に「学校の八不思議」が完成する。とにかく早く「話をつくったとおりに怪異現象が起こる」という展開に持ちこみたくてたまらないという意図が見え見えだ。『児童会長』『株式会社』『文化祭事件』あたりでは丁寧に話を運んでいたのになあ。どうしちゃったの、那須先生。

 ストーリーとしても、徐々にふしぎな事件が起こって、派手な怪奇現象が起こり、なんとか解決したとおもったら最後に不安にさせることが……という怪談のよくあるパターン。ううむ、怖い話が好きな子どもだと楽しめるかもしれないけど、大人が読むとこれといって特筆すべきことはないかなあ。

 ズッコケシリーズ初期のホラーだと『心理学入門』や『恐怖体験』あたりは、ポルターガイスト現象について長々と説明したり、江戸時代のそれらしい話を作りあげたり、(それがおもしろいかどうかはおいといて)作者もおもしろがって書いていた感じがあるけど、今作はどうも「こういうの書いときゃ子どもはこわがるんでしょ」って意識が透けて見えてしまう。はっきりいうとなめてかかっているというか。

 ズッコケシリーズ初期作品の魅力って、大人が真剣に書いていたことなんだよね。伝わらなくてもいいから書きたいものを書くぜ、って姿勢が伝わってきたもん。北京原人の骨の話とか、株式会社の制度とか、大統領選挙のうんちくとか、天皇家とは別の一族をまつりあげて国家転覆を目指す一族の話とか、子どもの理解なんか度外視して書いているフシがある。もちろん子どもにとってはそんなとこおもしろくないから読み飛ばすんだけど、「今の自分にはわからないけど知識のある人にとっては大事だしおもしろいことなんだろうな」ってのは伝わるんだよね。

 そういうのが中期以降はどんどん少なくなってきたようにおもう。変装の名人の大怪盗に、忍者軍団に、殺人ツアーに、学校の怪談……。この頃の作品は〝こどもだまし〟がすぎるなあ。那須正幹先生自身の子どもが大きくなってきて、小学生のリアルな感覚がつかめなくなってきてたのかな。


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2022年6月24日金曜日

【読書感想文】小野寺 史宜『ひと』 / はなさかじいさん系おとぎ話

ひと

小野寺 史宜

内容(e-honより)
女手ひとつで僕を東京の私大に進ませてくれた母が急死した。僕、柏木聖輔は二十歳の秋、たった独りになった。大学は中退を選び、就職先のあてもない。そんなある日、空腹に負けて吸い寄せられた砂町銀座商店街の惣菜屋で、最後に残った五十円のコロッケを見知らぬお婆さんに譲ったことから、不思議な縁が生まれていく。本屋大賞から生まれたベストセラー、待望の文庫化。

 高校生のときに父親が事故死し、つい最近実家の母親が孤独死してしまった主人公。若干二十歳で天涯孤独となり、大学は中退。そんな折、ふとした縁を機に商店街のお総菜屋で働くことになる。亡き父や母に思いを馳せながら、次第に己の進む方向を見極めようとする……。


 『ひと』というタイトルが表すように、人について丁寧に書いている。主人公はもちろん、亡き父母、周囲の人々、ちょっとした脇役までとにかく丁寧に人となりを書いている(解説文を読むまで気づかなかったが、すべての登場人物にフルネームが与えられているそうだ)。

 そう、丁寧。丁寧な小説。それはいいことでもあり、悪いことでもある。

 たとえば、主人公と女ともだちがお酒を飲みながら交わす会話。

「いや、感動するようなことは言ってないよ。ダメダメな人が言いそうなことじゃん」
「でもたまのダメダメはいいよね」
「うん」
「じゃ、わたし、ダメダメの代表格、チキン南蛮を頼んじゃっていい?」
「いいね。頼もう。チキン南蛮。あと、この炙り焼っていうのもいっちゃおう」
「それ、わたしも気になってた。肉肉肉肉。鶏鶏鶏鶏。牛と豚にくらべたら罪悪感を薄めてくれちゃうから、鶏はほんと女子泣かせだよ」

 どうよこのクソつまらない会話。こういうのがだらだら書かれている。会話文がほとんどはしょられていない。だから内容のない会話をひたすら読まされる。

 いや、たしかにリアルなんだよね。酒の席の会話ってぜんぜん頭を使ってないからこの程度のうすっぺらさだけど、それを文章で読まされるのはなかなかつらい。実直ではあるが、ケレン味がない。

 ほら、まじめないい人の話ってつまらないじゃない。会話をしていてもずっと凪。悪口もゴシップも嘘も自慢も冗談もない会話。そんな、まじめでつまらないいい人を小説にしたような作品。

 リアルだったらいいってもんでもないな、丁寧だったらいいってもんでもないな。




 いい小説だとおもうんだよ。小説にハッピーなものだけを求めている人にとっては。

 ただ、ぼくみたいなへそまがりな人間向きではないってだけで。


 なーんかね。おとぎ話みたいだったんだよな。

 優しくて、謙虚で、まじめで、性的なこととかまったく考えない若者が主人公で、つらい目にあったりもするんだけどそれでもやさぐれることなく一生懸命生きていたら、その努力をちゃんと見てくれている人がいて、きっちり報われるというお話。『かさじぞう』とか『はなさかじいさん』みたいなお話。


 最近知った言葉に〝公正世界仮説〟というものがある。正しいことをしている人は必ず報われる、悪いことをしている人はいつか必ずしっぺ返しを食らう、と人は考えてしまいがちだというもの。

 そりゃあ世の中は公正だとおもっていたほうが楽だ。というか、そう信じていないと「やってらんねえよ」と言いたくなる。この世の中は。でも、そんな世の中でもぼくらはそこそこまじめにやっていかなくちゃいけない。悪いやつがふんぞりかえっていたり、優しくて謙虚でまじめな者が不幸な目に遭ったりするけど、だからといって『はなさかじいさん』の世界に引っ越すことはできない。

 だからせめてフィクションの中ぐらいは勧善懲悪の単純な世界であってほしい。その気持ちもわかる。正しい主人公が報われて「正義は勝つ!」ってなる物語は読んでいて気持ちいいよ。こんなに優しい(と自分ではおもっている)のに現実世界では報われないボクが転生して別世界で大活躍できたら、そりゃあ楽しいだろうよ。

 でもなあ。それで満足してしまっていいのか、ともおもうんだよね。ポルノをポルノとおもって消化する分にはぜんぜんいいんだけど、この小説を読んで「心があたたかくなりました」とか「勇気が出ました」とかいう人には大丈夫か? と言いたくなる。大きなお世話なんですけど。


「正義は勝つ」は、容易に「勝たなかったあいつは正義じゃなかったんだ」「おれは勝ったから正義なんだ」になっちゃうから、すごく危険な思想なんだよね。

 この小説は「正義は勝つ」感が強くてちょっと気持ち悪いな、と感じちゃった。ごめんね、ほんとに丁寧でいい小説なんだけどね。けっこうおもしろく読めたし。メッセージが個人的に嫌いだっただけで。


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2022年6月23日木曜日

【読書感想文】半藤 一利『B面昭和史 1926-1945』 / 昭和もB面も遠くなりにけり

B面昭和史

1926-1945

半藤 一利

内容(e-honより)
「六十年近く一歩一歩、考えを進めながら、調べてきたことを基礎として書いた本書の主題は、戦場だけではなく日本本土における戦争の事実をもごまかすことなしにはっきりと認めることでありました。民草の心の変化を丹念に追うということです。昔の思い出話でなく、現在の問題そのものを書いている、いや、未来に重要なことを示唆する事実を書いていると、うぬぼれでなくそう思って全力を傾けました」ロングセラー『昭和史1926‐1945』の姉妹編!

「昭和史」を名乗ってはいるが、書かれているのは昭和20年まで。サブタイトルに「1926-1945」とつけてはいるが、63年のうち20年だけを書いて「昭和史」と掲げるのは景品表示法違反じゃないか。

 ま、それはいいとして。

 昭和元年から20年までの、一般庶民の風俗についてのトピックを拾い集めた本。A面(政治・経済)に対するB面ということだが、そうはいっても政治や経済について語ることなくこの時代を語ることは不可能なので、じっさい半分近くはA面の話題。まあこれはしかたない。




 大正12年、つまり昭和元年の3年前に起こった関東大震災について。

 相当のちの話となるが、東京横浜電鉄の社長として、腕をふるい昭和十七年にはこの小田急までも合併して東京急行電鉄(現東急)という大鉄道会社を設立した五島慶太が、徳川夢声と『夢声対談』で少なからず得意そうに語っている。
「まったく関東大震災さまさまでした。震災後、日本橋や京橋におることができないから、みんな郊外に出た。ちゃんとこっちが郊外に住宅地を造成しておいたから、そこへみんな入ってくれたんです。その前は、あんなところに住むものは、退役軍人以外になかった」
 これはもうなるほどネと合点するばかり。大震災が東京の住宅地を東西南北とくに西の郊外へとぐんぐんひろげていったのである。さきの五島慶太の履歴をみるとそのことがよくわかる。そもそもが目黒蒲田電鉄にはじまって、彼がつぎつぎに買収ないし合併していった鉄道会社の名はざっとつぎのとおり。池上電鉄、玉川電気鉄道、京浜電気鉄道、東京横浜電鉄、京王電気軌道、相模鉄道……。すべて鉄道建設と沿線の住宅地分譲をいっしょに行う積極的な企業家活動が成功したのである。
(中略)
 こうして東京はぐんぐん変貌していく。震災のため下町から焼けだされた人びとが、山の手からさらにその先の、とくに西や南の郊外へと移っていった。必然的にその郊外への起点である渋谷や新宿が存在を重くしていく。単なる盛り場にあらず、いまの言葉を借りれば副都心的な繁華街へとのし上がっていったのである。
 と同時に、地方からの人びとの流入、その結果としての東京の人口の爆発的な増加ということも、忘れずにつけ加えておかなければならないであろう。

「まったく関東大震災さまさまでした」なんて今だったら大炎上してる発言だけど、まあ鉄道会社社長からしたら本音だろう。

 結果的に関東大震災があったからこそ東京は鉄道網や住宅地の整備が進み、都市化が進んだ。地震が起こる前の東京都の人口は400万人ぐらいだったが、昭和15年には700万人を超えている。空襲で激減したものの、その後に起こった再度の人口増加はご存じの通り。地震と空襲という二度の災害が、東京を大都市にしたんだね。

 そういや大地震にも空襲にも襲われていない京都市の中心部では、地上を鉄道が走っていない(昔は路面電車が走っていたが)。阪急も京阪も地下。JR京都駅は中心部からずいぶん離れている。道は狭く、バスやタクシーは渋滞で動けない。

 大きな災害がないのはいいことだが、都市開発という点では必ずしもいいこととはいえなさそうだ。




 昭和6(1931)年の話。満州事変後の報道について。

 さらには忘れてはならないことがある。新聞各紙が雪崩をうつようにして陸軍の野望の応援団と化したことである。背後から味方に鉄砲を撃つようなことは出来ぬと格好のいいことをいい、あれよという間にメディアは陸軍と同志的関係になっていく。
 その理由の一つにラジオの普及があったことは、すでに拙著『昭和史』(平凡社)でかいている。九月十九日午前六時半、ラジオ体操が中断されて「臨時ニュースを申しあげます」と元気よく江木アナウンサーが事変の勃発を伝えた。これがラジオの臨時ニュースの第一号。新開はこのラジオのスピードにかなわなかった。負けてなるかと号外につぐ号外で対抗しようとするが、号外の紙面を埋めるために情報をすべて陸軍の報道班に頼みこむほかはない。勢い陸軍の豪語のままに威勢のいい記事をかくことになる。軍縮大いに賛成、対中国強硬論反対、さらには満蒙放棄論までぶって陸軍批判をつづけてきたこれまでの新聞の権威も主張もどこへやら、陸軍のいうままに報じる存在となる。ああ、こぞの雪いまいずこ。どの新聞も軍部支持で社論を統一し、多様性を失い、一つの論にまとまり、「新聞の力」を自分から放棄した。

 このへんはひとつの分岐点だったのかもしれない。陸軍の暴走があったことはまちがいないが、ここで報道機関や国民が冷静になっていれば……ひょっとして無謀な戦争への突入は避けられたのかもしれない。

 翌昭和7年の話。

 そう思うと満洲事変いらい、日本は戦時下となったといえるのかもしれない。召集令状の赤紙がしきりに舞いこんでくる。戦死者の無言の遺骨が帰国してくる。そのなかで思いもかけぬ事件が起こった。大阪の井上清一中尉に赤紙が届けられたとき、夫に心残りをさせないためにと、彼の妻がみずから命を絶った。この行為が軍国主婦の鑑ともてはやされたのである。井上中尉と親類筋にあった大阪港区の安田せい(金属部品工場主の妻)が、この事実に感激し、友人や近所の婦人たちに呼びかけ、お国の役に立つための女だけの会の結成をよびかけた。これが国防婦人会の発足なのである。それがこの年の三月十八日のこと。
 着物で白いかっぼう着にたすきがけの女性四十名近くが、新聞記者を前にさかんに気勢をあげる。
「銃後の守りは私たちの手で」
 それが会の目的である。そのために出征兵士の見送りや慰問をすすんでやることになる。喜んだのは軍部である。女性のほうから積極的に戦争協力に挺身し、さらに五・一五事件の減刑運動をするというのであるから。
 会はどんどん大きくなる。関西ばかりでなく東京にも進出、十月二十七日に関東本部発会式。十二月十三日には大日本国防婦人会へと発展する。やがて会員も七百万人を超えるようになる。恐るべし、女性の力。

 NHKの朝ドラなんかだと「勝手な戦争をしかけたえらいさんのせいで、我々庶民がひどい目に遭う」みたいな描き方をされがちだけど、そんなことはない。庶民こそが旗を振って戦争突入を後押ししたのである。

 斎藤 美奈子『モダンガール論』にも同じような記述があった。それまで女は家の外のことに口出しするな、だったのが、勤労奉仕、銃後の守りを理由にどんどん家の外に出て活躍できるようになった。多くの女性にとって戦争協力は喜びに満ちたものだったにちがいない。




 昭和11年。国際連盟を脱退した3年後。日中戦争開戦の前年である。

 それと都市を中心に結婚ブームが起こったという。八年ごろからの軍需景気がつづいて失業者は減り、蒼白きインテリなどといわれた大学卒業者はみな大手をふっていい職業につくようになる。それと軍人たちが救世主のように思われ、娘たちの憧れの的となっている。加えて、新婚生活のすばらしさを歌った歌謡曲がやたらに売りだされ、それがまた大いに売れた。(中略)
 こんな風に、時代が大きく転回しようとしているとき、民草はそんなこととは露思わずに前途隆々たる国運のつづくように思い、生活にかなりの余裕を感じはじめていたのである。東北地方の貧農の娘の身売り話などまったくといっていいほどなくなっていた。

 このへんが最後の平穏という感じだろうか。昭和9~10年頃は景気もよく、喫茶店やミルクホールが流行るなど都市の市民は平和を謳歌していたらしい。 岩瀬彰 『「月給100円サラリーマン」の時代』にも、昭和10年頃のサラリーマンが銀座で飲み歩いたりしていた様子が描かれている。まさか数年後に、南国に出兵して命を落としたり、空襲で家を焼かれたりしているなんて想像もしていなかったことだろう。たった数年で「大卒サラリーマンの結婚ブーム」から「戦争で焼け野原」になるなんて。

 もっとも平和を謳歌していたのは都市部の話で、昭和9年の東北は大飢饉で娘を身売りする家が相次いでいたそうだ。都市と地方の生活格差は今の比ではなかったのだ。




 昭和15年。太平洋戦争開戦前夜。

 雑誌「文藝春秋」の十五年新年号に、時代の風潮を知るうえに面白い世論調査が載っている。東京・神奈川・埼玉・千葉の読者六百九十六人に質問十項をだしてその回答を得たものである。
「・現状に鑑みて統制を一層強化すべきか
  強化すべし四六一 反対二二八 不明七
 ・対米外交は強硬に出るべきか
  強硬に出る四三二 強硬はよくない二五五 不明九
 ・最近の懐具合は良いか
  良い一〇八 悪い五七三 不明一五」
などなどであるが、これでみると、〝最後の平和〟を愉しんでいる人びとのいるいっぽうで、そうした悠長な国民的気分にかなり苛々として、もっと指導者による強い国家指導を望む声の高くなっているのがわかる。それに「懐具合」がかなり悪くなっているのも、はなはだよろしからざる気分を助長していたのであろう。それでなくとも統制が強化され、新聞も紙の事情からすべて朝刊八ページ、夕刊四ページ建てを余儀なくされ、情報量は減ってきている。そのことが人びとによりいっそうの思考停止をもたらしているのかもしれない。

 この感じは今の状況にも近いかもしれないね。

 景気は悪い、経済が上向く見通しも立たない。こうなると人々は「強いリーダー」「現状を打破してくれるおもいきった方針」を支持するようになる。

 漸進的に変えていきましょう、という地に足のついた意見は人気を集めず、改革だ、維新だ、刷新だ、という聞こえのいいだけの言葉に飛びつくようになる。貧乏人ほど一発逆転を狙って宝くじやギャンブルに走るようなものだね。もちろん『カイジ』じゃないんだから崖っぷちのギャンブルで勝てるわけないんだけど。




 昭和19年の「竹槍事件」について。長くなるので要約。

 毎日新聞が「竹槍では間に合わぬ 飛行機だ 海洋航空機だ」と見出しをつけ「敵が飛行機で攻めてくるのに竹槍では戦えない」と書いた。
 これを読んだ首相の東条英機が激怒。「国民一丸となって戦え」と演説をしたことにケチをつけられたと感じたこと、海軍が戦力増強を求めても陸軍がこれに応じなかったことなどが背景にあった。面子をつぶされたと感じた東条は、毎日新聞の記事は反戦思想だとして毎日新聞社に記者の処分を求めたが、毎日新聞社はこれを拒否。すると軍は書いた記者に召集令状を出す。

 これに海軍が「大正時代に徴兵検査を受けた記者を徴用するとは何事か」と抗議。すると、陸軍はなんと大正時代に徴兵検査を受けた他の兵役免除者250人にも召集令状を出したのだ。

 もう、むちゃくちゃ。「竹槍では戦えないから飛行機を増やしたほうがいい」は誰が見たって正論だ。しかし正論なのがよくなかったのだろう。無茶を言っている人は正論を言われると逆ギレする。さらに見せしめのような徴兵、さらには東条英機のプライドを守るためだけにルールまでねじ曲げる。ひでえ。

 ひどい時代だったんだなあ。まるで、賭け麻雀をやった黒川弘務検事長たったひとりを守るために、強引に法律をねじまげて不起訴にした検察組織みたいなむちゃくちゃだ。あっ、今もひどい時代だった……。




 読んでいておもうのは、ほんとに国全体が戦争に向かって突き進んだんだなってこと。もちろん中には戦争反対を貫く人もいたけれども、総体としてみれば戦争に傾いていた。そりゃあ軍部や政治家は特に悪いけど、そこだけの責任ではない。国民も報道機関も、みんなで突き進んだから、もう誰にも止められなくなっていた。総理大臣でも、天皇でも。

 そして、人々の気質は今もそんなに変わってないなってことも感じる。みんな、なんとかなるさとおもっている。自分がなんとかしなきゃとはおもっていない。国会議員も、総理大臣も。もちろんぼくも。

 だからまあ、戦争かどうかはわからないけど、似たような大失敗をまたやらかすんだろうな。反省もなく。

 国民が〝強いリーダー〟を求めているんだから。自分が強くなることよりも。

 そんなわけでもうすぐ参院選です。選挙に行きたい人は行きましょう。行きたくない人は行かなくてよろしい。


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2022年6月22日水曜日

人は変えられない


 上野 千鶴子『女の子はどう生きるか』にこんな文章があった。

 朝日新聞の世論調査(二〇一八年)では、夫婦別姓選択制を支持するひとは六九%にのぼっています。ですから、最高裁の判事の意見は、世論の動向ともかけはなれています。それに夫婦別姓選択制は、「選択できる」という制度のことで、別姓にしなさいという強制ではありません。同姓にしたいひとはどうぞ、そうでないひとは別姓を選ぼうと思えば選べる、というものですから、誰も不幸にしません。現行の「夫婦同氏」の制度は、同姓にしなさいという強制です。強制をやめて選択にしようという法律の改正に反対するひとの理由が、わたしにはわかりません。国会議員のなかには強力な反対派がいます。反対派の言い分は、家族のなかで姓がばらばらだと家族の一体感がこわれるから、だといいますが、同じ姓でもばらばらの家族はあるし、姓がちがっても仲のよい家族もあるのにねえ。自分が認めないことは他のひとにもやらせない、って押しつけだと思うんですけど。
 ちなみに国連は日本政府に、男女平等を推進するなら夫婦別姓を可能にしなさい、とずいぶん前から勧告しています。この勧告を聞き入れようとしないのが今の政府です。あなたが結婚する頃までに、夫婦別姓選択制が実現しているといいですね。

 もっともだ。多数派である夫婦別姓選択制賛成派はだいたい同じ意見だとおもう。

 別姓を強制するわけじゃないんだよ?
 やりたい人がやるだけで、同姓がいい人はこれまでと同じようにすればいいんだよ?
 反対する理由ある?

と、おもうだろう。ぼくもそうおもう。

 でも、最近わかってきた。反対派にとっては、そんなことはどうでもいいのだと。




 ぼくが結婚するとき、姓をどうするか妻と話しあった。

 ぼくはどっちでもよかった。自分の苗字はあまり好きではない。嫌いというほどでもないが、ありふれていてつまらない。

 じっくり考えてみると、

・ぼくの苗字は、同じ読み方で複数の漢字のパターンがある(安部と阿部みたいな)ので他人に説明するときめんどくさい。妻の苗字はそこそこありふれている上に漢字のパターンはほぼ一種類なのでわかりやすい(佐々木とか石田みたいな)。

・結婚するタイミングでぼくは転職することが決まっていた。仕事も変わるタイミングで苗字を変えれば手続きが少なくて済む。

・妻のお父さんは長男だがは女きょうだいしかいないので、ぼくが改姓すれば苗字が途絶えなくて済む。一方ぼくの父は次男。長男(伯父)のところには息子がふたりいる。

など、ぼくが苗字を変えたほうがいい理由のほうが多かった。


 ということで、両親に「結婚したら向こうの姓にしようとおもう」と言ったら、母親には賛成されたが父親に反対された。

 そのときの父親の態度はなんとも煮え切らないというか、ぼくから見るとよくわからないものだった。

「うーん、絶対にダメってわけではないんだけど、でもふつうは男の苗字になるものだし、養子に入るわけでもないんだったら変えなきゃいけないわけじゃないんだし、変えなくてもいいんだったらふつうのやりかたにあわせといたほうがいいんじゃないか……」

みたいな曖昧模糊とした言い方で、けれども退く気はないといった様子で反対された。父はわりと合理的な考え方をする人だったので、これは意外だった。

 妻に「うちの父親が嫌がってるんだよね。なにがなんでも反対ってわけじゃないから強引に改姓することもできるとおもうけど」と伝えると、「これからの付き合いのこともあるからここで遺恨を残すのもよくないし、だったら私が姓を変えるよ」とのことで、結局ぼくの姓を名乗ることになった。




 そんな経験があるので、夫婦別姓反対派の態度もなんとなく想像がつく。

 結局、理屈じゃないのだ。「イヤだからイヤ!」なのだ。


 人間の「今の状況を変えたくない」という本能はすごく強い。

 たとえば「今と同じ仕事、同じ労働条件で今より給料が千円高い仕事がありますよ。転職しませんか?」と言われたとする。今の職場に強い不満がある人以外は断るだろう。
 合理的に考えれば千円でも給料が高いほうに転職するほうが得だ。人間関係などが今より悪くなる可能性もあるが、今より良くなる可能性も同じだけある。それでも、千円の得よりも「変えたくない」のほうが上回る。


 夫婦別姓や同性婚に反対している人は、家族共同体だとか伝統だとかなんのかんのと理屈をつけるが、あんなのは全部ウソだ。いやウソとは言わないが後からつくった理屈だ。ほんとのほんとのところは「イヤだからイヤ!」なのだ。

 キュウリが嫌いな人は「青臭い。あんなのは虫の食べるものだ」とか「ほとんど栄養ないから食べなくてもいい」とか「小学校の給食でむりやり食べさせられて余計嫌いになった」とかいろいろ理屈をつけるが、ほんとは「イヤだからイヤ!」だ。


「夫婦別姓になると家族の絆が弱くなる」も「伝統だから」も「親と子の苗字がちがうと子どもがいじめられる」もぜーんぶ後づけの理屈だ。正直に「イヤだからイヤなの!」と言うのが恥ずかしいからもっともらしい言い訳を並べたてているにすぎない。

 なのに、賛成派はいちいちそれを真に受けすぎだ。

 上の例だと、上野千鶴子さんは「誰も不幸にしません」とか「同じ姓でもばらばらの家族はあるし、姓がちがっても仲のよい家族もある」「自分が認めないことは他のひとにもやらせない、って押しつけだと思うんですけど」とか書いてるけど、そんなことは何の意味もない。正論だけど意味がない。だって反対派の本当の理由はそんなことじゃないんだもの。

 キュウリが嫌いな人に「キュウリは低カロリーだし、カリウムやビタミンもけっこう含まれてるし、食物繊維もとれるから便秘にもいいし……」なんていくらいっても意味がない。だって「イヤだからイヤ!」なのだから。

 上野さんは「強制をやめて選択にしようという法律の改正に反対するひとの理由が、わたしにはわかりません」と書いているが、わからないのもあたりまえだ。理由なんてないんだもの。




 夫が妻の苗字を名乗るのに反対したぼくの父親の考えは古いとおもう。非合理的だとおもう。

 でもぼくは父を説得しようとはおもわない。無駄だとわかっているから。

「イヤだからイヤ!」な相手に、何を言っても変わるわけないのだ。


 瀧本 哲史『2020年6月30日にまたここで会おう』に、こんなことが書いてあった。

 地動説が出てきたあとも、ずっと世の中は天動説でした。
 古い世代の学者たちは、どれだけ確かな新事実を突きつけられても、自説を曲げるようなことはけっしてなかったんですね。
 でも、新しく学者になった若い人たちは違います。古い常識に染まってないから、天動説と地動説とを冷静に比較して、どうやら地動説のほうが正しそうだってことで、最初は圧倒的な少数派ですが、地動説の人として生きていったんです。
 で、それが50年とか続くと、天動説の人は平均年齢が上がっていって、やがて全員死んじゃいますよね。地動説を信じていたのは若くて少数派でしたが、旧世代がみんな死んじゃったことで、人口動態的に、地動説の人が圧倒的な多数派に切り替わるときが訪れちゃったわけですよ。結果的に。
 こうして、世の中は地動説に転換しました。
 残念なことに、これがパラダイムシフトの正体です。
 身も蓋もないんです。
 新しくて正しい理論は、いかにそれが正しくても、古くて間違った理論を一瞬で駆逐するようなことはなくてですね、50年とか100年とか、すごい長い時間をかけて、結果論としてしかパラダイムはシフトしないんですよ。

 客観的に観測可能な科学的事実でさえ、人の考えを変えられないのだ。思想信条がそうやすやすと変わるわけがない。


 たぶん夫婦別姓も同性婚も同じだ。今反対している人は、死ぬまで考えを変えないだろう。どれだけ正論で説得されても変わらない。説得によってキュウリを好きになることがないように。

 だから変えようとおもったら、投票行動によって反対派を政界から退場させるか、現世から退場なさるのを待つしかない。

 残念ながら、議論では変わらない。


2022年6月21日火曜日

自宅バーベキューがいやな7個の理由。

 娘の通う保育園の保護者から自宅バーベキューに誘われてしまった。

 断りたかったのだが、浮世のしがらみというやつで断り切れずに参加した。

 案の定、やめときゃよかったと心からおもった。


 ことわっておくが、べつに親睦を深めることに反対しているわけではない。

 特に次女は一昨年保育園に入園したので、ずっとコロナ禍である。園の行事はことごとく中止・縮小され、遊びに誘うこともしにくくなり、保護者同士が話す機会はぐっと減った。

 ぼくは大人と話すのは苦手だがよその子と遊ぶのは好きなので、子どもたちが集まる場があるのは素直にうれしい。

 ただ、その手段として自宅バーベキューはないだろうとおもっているのである。その理由を挙げていく。


1. 家の人に気を遣う

 微妙な距離感の人の自宅でのバーベキューはものすごく気を遣う。トイレを借りるだけでも遠慮する。しかも幼児連れ。やつらは遠慮なんてないので、目を離すとすぐになんでもかんでもさわる。遠慮ばかりしてしまって楽しめない。

 ほんとは「こぢんまりした家ですね」とおもっているのに「うわー、立派な家ですねー」と言わなきゃいけないのも煩わしい。


2. 近所の人にも気を遣う

 自宅の庭でのバーベキュー。はっきりいって近所迷惑だとおもう。ぼくが隣人だったらうれしくない。煙はくるわ、子どもはさわぐわ、子どもが闖入してくるわ。


3. 洗い物めんどくせえ

 バーベキューの後片付けってすごく面倒じゃない。網の掃除とか。

 できることならほったらかして帰りたいけど、そういうわけにもいかない。他の人が持ってきた網だから、自分の家でやるときよりぴかぴかに洗わなきゃいけない。

 だったらちょっとぐらい高くついてもお店でご飯食べて洗い物放置して帰りたいよ。


4. うまくない

 はっきりいってバーベキューの料理なんてべつにうまくない。焦げるし、自分の好きなタイミングで食べられない。ちゃんとキッチンで料理したもののほうがおいしい。

 バーベキューは雰囲気を楽しむもので、料理を楽しむものではない。そして雰囲気を楽しめるのはよほど気心の知れた間柄だけで、〝保育園の保護者同士〟の関係では楽しめない。


5. 落ち着かない

 ただでさえ小さい子どもとの食事は落ち着かない。さわぐし走り回るしものを落とすし。

 バーベキューだとなおさらだ。火の加減は見なくちゃいかんし、肉や野菜が焦げないか見なきゃいかんし、子どもが火に近づかないように見張らなきゃならんし。ただただ疲れる。


6. 余る

 バーベキューをやったことのある人に訊きたい。ちょうどいい量を食べられたことありますか? と。

 バーベキューの食材はたいてい余る。そして後半は食べたくもないのに無理して食べるはめになる。九割方余る。残りの一割はもちろん「足りない」だ。


7. 子どもは食べない

 小さい子どもとバーベキューをやったことのある人ならわかるだろう。子どもは食べない。

 おにぎりとトウモロコシとソーセージを食べてそこそこ腹がふくれたら、もうじっとしていられない。席を立って歩きまわる。一人でも歩きはじめたらもう終わりだ。残りの子もじっとしていられない。メインの肉なんて見向きもしない。あとはせいぜいデザートのフルーツかお菓子をちょっとつまむぐらい。

 おにぎりとトウモロコシとソーセージしか食べないんだったらバーベキューでなくていい。自宅のフライパンで焼いて持ってくればいい。洗い物もずっと少なくて済む。
「バーベキューで子どもは食べない」これはまちがいない。

 中学生ぐらいになったらたくさん食ってくれるだろうが、言うまでもなく中学生は親とのバーベキューなんて来てくれない。


 というわけで、自宅バーベキューなんかなんのいいこともない。迷惑でしかないから招待しないでほしい。

 やっていいのは、自宅の敷地面積が1000㎡以上あって、専属シェフが準備から焼くのから後片付けまで全部やってくれる家だけ!