2021年1月5日火曜日

交通事故履歴


 小学五年生のとき。
 友人と自転車リレーをしていた。コースは住宅地の道路一周。車道を全速力で走るのだ。
 車道を全速力で下っていたら、前から自動車が来た。ぶつかったが、両者ともあわててブレーキをかけていたので衝撃はほぼなかった。
 すみませんすみませんと謝って逃げるようにその場を離れた。
 車道を全速力で走っていたのでこっちが悪いのだが、もし怪我でもしていたら9:1で自動車の過失になっていただろう。向こうからしたらとんだ災難だ。


 高校二年生のとき。
 自転車での通学途中に、信号のない横断歩道で自動車とぶつかった。
 このときもあわててすみませんすみませんと謝って逃げるようにその場を離れた。「車を傷つけてしまった!」という気持ちで頭が真っ白になっていたのだ。
 よくよく考えてみれば、飛びだしたこちらも悪いが、横断歩道で一時停止していなかった自動車のほうが責任は重い。
 後で気づいたら自転車のタイヤが曲がっていて修理に金がかかった。だがこちらから逃げてしまったので後のまつり。
 修理代ぐらいもらえばよかったと後悔したものだ。


 二十二歳のとき。
 はじめて買った自動車で他の自動車とぶつかった。交差点での衝突事故。向こうのほうが優先で、こちらが一時停止を守っていなかったのでぼくが悪い。たしか過失割合は9:1ぐらいだったとおもう。
 就職した会社を数ヶ月でやめて、気持ちが落ち込んで心療内科に通っている時期だったので、余計に落ちこんだ。
 警官のおっさんに「なに? 仕事を辞めて病院に通ってる? 心療内科? どうせコンビニ弁当ばっかり食べてるんだろ。だからだよ。ちゃんとしたもん食べないとだめだぞ」とめちゃくちゃ理不尽かつ事故とまったく関係のない説教をされて腹が立った。


 二十七歳のとき。
 朝五時、出勤途中。雨なのにスピードを上げていたため、信号で止まれず前の車に衝突。停車中の車に後ろから衝突したので10:0でぼくが悪い。
 ぼくの乗っていた車はエアバッグが飛びだして廃車になった。
 幸い相手に怪我はなかったが、歩行者がいたら殺していたとおもうとぞっとした。めちゃくちゃショックを受けて二度と車を運転したくないとおもった。ついでに自動車通勤必須の仕事もやめようとおもった。


 こうして並べると、過失の差はあれど、ぼくがスピードを出しすぎていなければ防げていた事故ばかりだ。
 基本的にスピードを出しすぎる性質なのだ。
 よく「ハンドルを握ると性格が変わる」というが、これはぼくには当てはまらない。なぜならぼくはせっかちで、歩いているときも「おらおらどけどけ」と思いながら歩いているからだ(ぶつからないようにはしているが)。

 自分でもよくわかる。ぼくは運転に向いていない。
 だから今は車を所有していない。もう八年ぐらいハンドルを握っていない。完全なペーパードライバーだ。
 これから先も、自動運転車が実用化しないかぎりは車を所有することはないだろう。


2021年1月4日月曜日

【読書感想文】徹頭徹尾閉塞感 / 奥田 英朗『無理』

無理

奥田 英朗

内容(e-honより)
合併で生まれた地方都市・ゆめので、鬱屈を抱えながら暮らす5人の男女―人間不信の地方公務員、東京にあこがれる女子高生、暴走族あがりのセールスマン、新興宗教にすがる中年女性、もっと大きな仕事がしたい市議会議員―。縁もゆかりもなかった5人の人生が、ひょんなことから交錯し、思いもよらない事態を引き起こす。

 衰退しつつある郊外の都市を舞台に、職業も年齢もばらばらの五人の生活を描いた小説。


(ネタバレあり)


 妻に不倫をされて離婚した地方公務員は人妻買春サークルにはまり、女子高生は引きこもりの青年に拉致監禁され、悪徳商法のセールスマンは同僚が殺人を犯し、新興宗教の会員である女性は対立する宗教団体の陰謀で職を失い、市議会議員は悪巧みが市民団体に暴露された上に近しい支援者が犯罪に手を染めてしまう。

 女子高生と新興宗教会員以外は自業自得とはいえ、はじめは小さなきっかけだったのにどんどん深みにはまり、気が付けば引くに引かれぬ状況に追い込まれる。進むも地獄、退くも地獄。そしてさらに突き進んで状況は悪化してゆく一方。

 人間が道を踏み誤るときというのはこういうものなのだろう。いきなり大犯罪に手を染めてしまうのではなく、「いつでも引き返せる」とおもっているうちに気づけば退路を断たれている。傷口を浅くしようとあがくことで、どんどん傷口を広げてしまう。

 ギャンブルで身を持ちくずす人だって、いきなり全財産をつっこんですべてを失うわけではない。はじめは小さな負けなのだ。

 この前、河合幹雄『日本の殺人』というノンフィクションを読んだが、殺人犯の大多数は犯罪志向性のある人間ではなく、たまたまめぐり合わせが悪かったために近しい人を殺してしまうのだという。
 破滅への道は、ぼくやあなたのすぐ横で口を開けて待っているのだ。




 同じ著者の『ララピポ』も、転落人生を描いた小説だった。著者はこういうのが好きなのだろうか。

 とはいえ『ララピポ』はまだからっと乾いていた。ユーモアもあった。
『無理』のほうはじとっとしている。『ララピポ』が真夏なら、『無理』は冬の曇天という感じ。とにかく気が滅入る。

『無理』の舞台であるゆめの市が、もう救いがない。人も企業もどんどん出ていき、街にあるのは大型ショッピングセンターと観覧車だけ。公務員以外にろくな働き口がない。店はつぶれ、バスの本数は減り、生活保護受給者が増えたため受給資格は厳しくなり、若者は都会に出ていき、残るのは行き場のない人間だけ。
 これはフィクションだが、似たようなことが日本中あちこちで起こっている。そしてこれは日本全体の縮図でもある。


 後味の悪い小説はけっこう好きなんだけど、『無理』は読んでいてちょっと息苦しかったな。終始閉塞感が漂っていて。
 ラストも事態はまったく好転せず、かといって悪事が自分にかえってくるような勧善懲悪パターンでもなく、悪事とは無関係なひどい目に遭って終わりという投げやりな展開。とことん救いようのない小説だった。

 個人的には嫌いじゃないけど、小説を読んですかっとしたいという人にはまったくお勧めできません。


【関連記事】

【読書感想文】明るく楽しいポルノ小説 / 奥田 英朗『ララピポ』

【読書感想文】奥田 英朗『家日和』



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2020年12月31日木曜日

ツイートまとめ 2020年5月

コロナ禍

擬音語

宿題

変わり者

あと猫の鳴き声と

リツイートラッシュ

未知と無知

2度漬け

反骨

タトゥー



公共性

否定形

ポケット

2020年12月28日月曜日

学校教育なんて進歩してるだけ

 娘が小学校に行くようになった。
 宿題をチェックするのだが、感じるのは「今の小学校でちゃんとしているなあ」ということ。


 たとえば、ひらがな。
 書き取りの宿題が出るのだが、先生のチェックはめちゃくちゃ厳しい。
 字形がちょっとでもくずれていたら「おなおし」のチェックが入る。翌日また書いてこなくてはならないのだ。
「か」という文字だと、ノートのマス目を四分割して、左上の部屋と左下の部屋の真ん中の線から出発して、右上の部屋を経由して、右下の部屋ではねて……と事細かに決められていて、少しでもずれていたら「おなおし」だ。

これだと「おなおし」の対象


 厳しいなーとおもうけど、でもそれぐらいきっちり教えてくれるほうがいい。
 しかも「きれい」「きたない」じゃなくて、「右上の部屋を通っていないからダメ」と客観的な基準に基づいて指導してくれるのがすばらしい。

 ぼくが子どもの頃なんか「読めればいいじゃん」と読むことすらままならない字を書いていた(そして先生もがんばって解読してくれていた)ので、ずっと字が汚いままだった。

 自然にくずれていくことはあっても自然にきれいになっていくことはないのだから、はじめは厳しく教えてくれたほうがいい。
 おかげで娘は教科書体みたいなきれいな字を書くようになった。


 この前、作文の宿題が出された。課題は遠足のこと。
 そこでも、きちんと作文の構成を伝えられていた。

 まず「遠足に行った」と全体の説明をして、「何をしたか」を時系列に沿って書いていき、「特に印象に残ったこと」を挙げ、「なぜそれが印象に残ったのか、自分はどう感じたのか」を書き、最後に「今回の遠足の印象はどうだったのか」で締めるように、と指導されているらしい。
 そして最後にタイトルをつけるように、とも言われているらしい。

 すばらしい。
 ぼくらのときは「段落のはじめは一字下げる」とか「句読点が行の先頭に来てはいけない」といった文章を書く上での決まりごとは伝えられていたが、内容に関してはぜんぜん指導してもらった記憶がない。
「『せんせい、あのね』で書きはじめてあとはおしゃべりするように書きましょう」みたいな適当な指導だった。今考えるとろくでもねえやりかただな。指導でもなんでもない。


 もちろん「まず概要を伝えて、出来事を伝えて、特に印象に残ったことを書いて……」というのは唯一の正解ではない。
 他人に読ませる文章を書くなら、話のピークや違和感を与えることをあえて冒頭に持ってきたほうが惹きつけられる。
 とはいえはじめて作文を書く小学一年生は基本の型通りの文章で十分だ。まずは身体の正面で両手でキャッチできるようになってから、片手で捕ったり身体をひねりながら捕球したりするものだ。




 ぼくもやってしまいがちだけど、「学校の教育なんて……」といちゃもんをつける人は「自分が教育を受けたときの印象(のうち自分がおぼえている部分だけ)」で語っていることが多い。

 でも、改めて学校教育を見てみると、ちゃんと進歩している。
 よく「学校の体育の授業はとにかくやってみろと言うだけでテクニック的な指導をしてくれない」という話を耳にするし、ぼくも自分の体験に基づいて「ほんとそうだよね」とおもっていたけど、今の体育の授業を見ているわけではない。
 三十年前の記憶に基づいて語っているだけだ。

 三十年間刑務所に入っていて、昔の肩にかけるタイプの携帯電話しか知らない人が「携帯電話なんてぜんぜんダメだよ」と語っていたら滑稽でしかないだろう。
 それと同じことが教育の分野ではなぜかまかりとおっている。

 学校教育は変わっていないようで意外と進歩している。
 昔のイメージだけで批判しないように気を付けなければ。


 ま、ぼくが見ているのはサンプル数1なので、他のクラス・他の学校がどんな指導してるか知らないけど。


2020年12月25日金曜日

2020年に読んだ本 マイ・ベスト12

今年読んだ本の中のベスト12。

2020年に読んだ本は130冊ぐらい。今年はちょっと多かった。
コロナはあまり関係ない。むしろ通勤時間が減ったので読む時間は減ったかもしれない。にもかかわらず冊数が増えたのは読むスピードが速くなったからか? この歳で?

130冊の中のベスト12。
なるべくいろんなジャンルから選出。
順位はつけずに、読んだ順に紹介。

ちなみに今年のワーストワンはダントツで、
 水間 政憲『ひと目でわかる「戦前日本」の真実』
でした。十年に一度のゴミ本( 感想はこちら )。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル
『カルチャロミクス 文化をビッグデータで計測する』


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 ノンフィクション。

 ありとあらゆる書籍データから、発行年ごとに使われている単語を集計。それをグラフ化することで、意外な事実が見えてくる。

 本に出てくる単語を数えているだけなのに、いろんなものや国の栄枯盛衰や、文法変化の法則、思想弾圧の歴史が見えてくる。



杉坂 圭介『飛田で生きる』



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 エッセイ。

 現代に残る遊郭・飛田新地(大阪)で料亭という名目の売春宿を経営していた人物による生々しい話。

 意外にも飛田新地の料亭は、暴力団は徹底的に排除、定められた営業時間はきっちり守る、料金は明朗、あの手この手で騙しての勧誘もしない……と、ものすごくまじめにやっているそうだ。
 売春は非合法なのに飛田が生き残っている理由がわかる。なんだかんだいっても今の社会に必要な場所なのだ。



ジャレド=ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』

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 ノンフィクション。

 人類の性行動は他の動物とまったく異なる。交尾を他の個体から隠れておこなう、受精のチャンスがないときでも発情する、閉経しても生き続ける……。ヒトの性行動は例外だらけだ。おまけにどれも、一見繁殖には不利なことばかりだ。

 この本で知ったのだけど、オスが子育てをする動物は決してめずらしくない。ヒトのオスが乳を出せるようになる可能性もないではないらしい。あこがれのおっぱいが自分のものに……(そういうことじゃない)。



朝井 リョウ『何者』

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 小説。

 就活をしていた時期は地獄の日々だった。就活の場では、ぼくは何者でもなかった。履いて捨てるほどいる学生の中のひとり。それどころかコミュニケーション能力の低いダメなやつ。自尊心が叩き潰された。

『何者』には当時のぼくのような登場人物が出てくる。何者でもないのに、他者より優れているとおもっているイタい人間が。
 おもいっきり古傷をえぐられた気分だ。やめてくれえとおもいながら読んだ。個人的にすっごくイヤな小説だった。それはつまり、いい小説ということでもある。



福場 ひとみ『国家のシロアリ』

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 ノンフィクション。

 信じたがたいことだが、東日本大震災の復興予算のうち莫大な金額が災害とはまったく無関係なことに使われていた。外交費用、税務署の庁舎整備、航空機購入費、クールジャパン振興費……。おまけに被災した自治体への支給は渋っておいて、国会議事堂の電灯を変えたりスカイツリーの宣伝に復興予算が使われていた。

 なんとも胸糞悪い話だが、これは事実なのだ。そしていちばんおそろしい話は、流用の責任を誰一人とっていないということ。

 おそらくこれからコロナウイルス関連予算も同じように無関係なことに使われるのであろう。だって誰一人責任をとってないんだもの。官僚が味をしめてないはずがない。



更科 功『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』

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 ノンフィクション。

 人類700万年の歴史がこれ一冊に。

 ぼくは、ヒトが他の動物よりも優れているから今の地位を築いたのだとおもっていた。
 だがヒトの祖先は他のサルよりも弱かったからコミュニケーション能力が発達し、ネアンデルタール人よりも小さく脳も小さかったため、飢えに強く、道具を作ることができた。

 ホモ・サピエンスはぜんぜん優れた種族じゃないのだ。



ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』

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 小説。

 言わずと知れた有名作品だが、やはり長く愛される作品だけあってすばらしい。特にラストの一文の美しさは強烈。物語すべてがこの一文のためにあったかのよう。まちがいなく文学史上トップクラスの「ラスト一行」だ。

 みんな頭が良くなりたいとおもってるけど、賢くなるのって幸せにはつながらないよね。娘を見ていてもつくづくそうおもう。



伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』


感想はこちら

 ノンフィクション。

 目が見えないことは欠点だと感じてしまうけど、目が見えないからこそ「見える」ものもあるということをこの本で知った。

 目が見えないことが障害になるのは、彼らが劣っているからではなく、社会が「目が見えること」を前提に作られているからだ。
 この先テクノロジーが進歩すれば、目が見えないことは近視や乱視程度の軽微なハンデになるかもしれない。



マシュー・サイド『失敗の科学』


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 ノンフィクション。

 多くの事例から、失敗が起きる原因、失敗を減らすシステムを導きだす本。全仕事人におすすめ。

 世の中には「まちがえない人」がたくさんいる。
 人気のある政治家やテレビのコメンテーターはたいていそうだ。「私の言動はまちがっていた」と言わない。
 こういう人は失敗から何も学ばない。学ばないから何度でも同じ失敗をする。

 トップに立つべきは「失敗しない人」じゃなくて「失敗を認められる人」であってほしいのだが。



櫛木 理宇『少女葬』


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 小説。

「イヤな小説」はけっこう好きなんだけど、そんなぼくでもこの小説は読むのがつらかった。
 イヤな世界に引きずりこまれる。

 二人の少女のうちどちらかが惨殺されることが冒頭で明かされるので、気になるのは「どっちが殺されるのか?」
 そうおもいながらサスペンスミステリとして読むと胸が絞めつけられる。

 決して万人にはおすすめできない小説。



坂井 豊貴『多数決を疑う』


感想はこちら

 ノンフィクション。

 ついつい「多数決=民主主義」とおもってしまいがちだけど、この本を読むと多数決が民主主義からほど遠い制度だとわかる。
 市民からいちばん嫌われている候補者が選ばれることもありうる制度。まったくいい制度じゃない。
 多数決のメリットはほとんど「集計が楽」だけといってもいい。

 政治家のみなさんは、そんなダメダメ制度によって選ばれただけであって、決して「民意を反映して」選ばれたわけではないとよーく肝に銘じてください。



M.K.シャルマ
喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」』



 エッセイ。

 今年いちばんおもしろかった本。
 1992年に来日したインド人が見た日本。ユーモアが随所に光るし、観察眼も鋭い。
 そしてインドや日本に対する批判も的確だ。特に今読むと、シャルマ氏が20年以上前に指摘した「日本の欠点」はまるで改善されておらず、それが原因で日本が衰退したことを痛感する。




来年もおもしろい本に出会えますように……。


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