2020年12月28日月曜日

学校教育なんて進歩してるだけ

 娘が小学校に行くようになった。
 宿題をチェックするのだが、感じるのは「今の小学校でちゃんとしているなあ」ということ。


 たとえば、ひらがな。
 書き取りの宿題が出るのだが、先生のチェックはめちゃくちゃ厳しい。
 字形がちょっとでもくずれていたら「おなおし」のチェックが入る。翌日また書いてこなくてはならないのだ。
「か」という文字だと、ノートのマス目を四分割して、左上の部屋と左下の部屋の真ん中の線から出発して、右上の部屋を経由して、右下の部屋ではねて……と事細かに決められていて、少しでもずれていたら「おなおし」だ。

これだと「おなおし」の対象


 厳しいなーとおもうけど、でもそれぐらいきっちり教えてくれるほうがいい。
 しかも「きれい」「きたない」じゃなくて、「右上の部屋を通っていないからダメ」と客観的な基準に基づいて指導してくれるのがすばらしい。

 ぼくが子どもの頃なんか「読めればいいじゃん」と読むことすらままならない字を書いていた(そして先生もがんばって解読してくれていた)ので、ずっと字が汚いままだった。

 自然にくずれていくことはあっても自然にきれいになっていくことはないのだから、はじめは厳しく教えてくれたほうがいい。
 おかげで娘は教科書体みたいなきれいな字を書くようになった。


 この前、作文の宿題が出された。課題は遠足のこと。
 そこでも、きちんと作文の構成を伝えられていた。

 まず「遠足に行った」と全体の説明をして、「何をしたか」を時系列に沿って書いていき、「特に印象に残ったこと」を挙げ、「なぜそれが印象に残ったのか、自分はどう感じたのか」を書き、最後に「今回の遠足の印象はどうだったのか」で締めるように、と指導されているらしい。
 そして最後にタイトルをつけるように、とも言われているらしい。

 すばらしい。
 ぼくらのときは「段落のはじめは一字下げる」とか「句読点が行の先頭に来てはいけない」といった文章を書く上での決まりごとは伝えられていたが、内容に関してはぜんぜん指導してもらった記憶がない。
「『せんせい、あのね』で書きはじめてあとはおしゃべりするように書きましょう」みたいな適当な指導だった。今考えるとろくでもねえやりかただな。指導でもなんでもない。


 もちろん「まず概要を伝えて、出来事を伝えて、特に印象に残ったことを書いて……」というのは唯一の正解ではない。
 他人に読ませる文章を書くなら、話のピークや違和感を与えることをあえて冒頭に持ってきたほうが惹きつけられる。
 とはいえはじめて作文を書く小学一年生は基本の型通りの文章で十分だ。まずは身体の正面で両手でキャッチできるようになってから、片手で捕ったり身体をひねりながら捕球したりするものだ。




 ぼくもやってしまいがちだけど、「学校の教育なんて……」といちゃもんをつける人は「自分が教育を受けたときの印象(のうち自分がおぼえている部分だけ)」で語っていることが多い。

 でも、改めて学校教育を見てみると、ちゃんと進歩している。
 よく「学校の体育の授業はとにかくやってみろと言うだけでテクニック的な指導をしてくれない」という話を耳にするし、ぼくも自分の体験に基づいて「ほんとそうだよね」とおもっていたけど、今の体育の授業を見ているわけではない。
 三十年前の記憶に基づいて語っているだけだ。

 三十年間刑務所に入っていて、昔の肩にかけるタイプの携帯電話しか知らない人が「携帯電話なんてぜんぜんダメだよ」と語っていたら滑稽でしかないだろう。
 それと同じことが教育の分野ではなぜかまかりとおっている。

 学校教育は変わっていないようで意外と進歩している。
 昔のイメージだけで批判しないように気を付けなければ。


 ま、ぼくが見ているのはサンプル数1なので、他のクラス・他の学校がどんな指導してるか知らないけど。


2020年12月25日金曜日

2020年に読んだ本 マイ・ベスト12

今年読んだ本の中のベスト12。

2020年に読んだ本は130冊ぐらい。今年はちょっと多かった。
コロナはあまり関係ない。むしろ通勤時間が減ったので読む時間は減ったかもしれない。にもかかわらず冊数が増えたのは読むスピードが速くなったからか? この歳で?

130冊の中のベスト12。
なるべくいろんなジャンルから選出。
順位はつけずに、読んだ順に紹介。

ちなみに今年のワーストワンはダントツで、
 水間 政憲『ひと目でわかる「戦前日本」の真実』
でした。十年に一度のゴミ本( 感想はこちら )。



エレツ・エイデン ジャン=バティースト・ミシェル
『カルチャロミクス 文化をビッグデータで計測する』


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 ノンフィクション。

 ありとあらゆる書籍データから、発行年ごとに使われている単語を集計。それをグラフ化することで、意外な事実が見えてくる。

 本に出てくる単語を数えているだけなのに、いろんなものや国の栄枯盛衰や、文法変化の法則、思想弾圧の歴史が見えてくる。



杉坂 圭介『飛田で生きる』



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 エッセイ。

 現代に残る遊郭・飛田新地(大阪)で料亭という名目の売春宿を経営していた人物による生々しい話。

 意外にも飛田新地の料亭は、暴力団は徹底的に排除、定められた営業時間はきっちり守る、料金は明朗、あの手この手で騙しての勧誘もしない……と、ものすごくまじめにやっているそうだ。
 売春は非合法なのに飛田が生き残っている理由がわかる。なんだかんだいっても今の社会に必要な場所なのだ。



ジャレド=ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』

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 ノンフィクション。

 人類の性行動は他の動物とまったく異なる。交尾を他の個体から隠れておこなう、受精のチャンスがないときでも発情する、閉経しても生き続ける……。ヒトの性行動は例外だらけだ。おまけにどれも、一見繁殖には不利なことばかりだ。

 この本で知ったのだけど、オスが子育てをする動物は決してめずらしくない。ヒトのオスが乳を出せるようになる可能性もないではないらしい。あこがれのおっぱいが自分のものに……(そういうことじゃない)。



朝井 リョウ『何者』

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 小説。

 就活をしていた時期は地獄の日々だった。就活の場では、ぼくは何者でもなかった。履いて捨てるほどいる学生の中のひとり。それどころかコミュニケーション能力の低いダメなやつ。自尊心が叩き潰された。

『何者』には当時のぼくのような登場人物が出てくる。何者でもないのに、他者より優れているとおもっているイタい人間が。
 おもいっきり古傷をえぐられた気分だ。やめてくれえとおもいながら読んだ。個人的にすっごくイヤな小説だった。それはつまり、いい小説ということでもある。



福場 ひとみ『国家のシロアリ』

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 ノンフィクション。

 信じたがたいことだが、東日本大震災の復興予算のうち莫大な金額が災害とはまったく無関係なことに使われていた。外交費用、税務署の庁舎整備、航空機購入費、クールジャパン振興費……。おまけに被災した自治体への支給は渋っておいて、国会議事堂の電灯を変えたりスカイツリーの宣伝に復興予算が使われていた。

 なんとも胸糞悪い話だが、これは事実なのだ。そしていちばんおそろしい話は、流用の責任を誰一人とっていないということ。

 おそらくこれからコロナウイルス関連予算も同じように無関係なことに使われるのであろう。だって誰一人責任をとってないんだもの。官僚が味をしめてないはずがない。



更科 功『絶滅の人類史 なぜ「私たち」が生き延びたのか』

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 ノンフィクション。

 人類700万年の歴史がこれ一冊に。

 ぼくは、ヒトが他の動物よりも優れているから今の地位を築いたのだとおもっていた。
 だがヒトの祖先は他のサルよりも弱かったからコミュニケーション能力が発達し、ネアンデルタール人よりも小さく脳も小さかったため、飢えに強く、道具を作ることができた。

 ホモ・サピエンスはぜんぜん優れた種族じゃないのだ。



ダニエル・キイス『アルジャーノンに花束を』

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 小説。

 言わずと知れた有名作品だが、やはり長く愛される作品だけあってすばらしい。特にラストの一文の美しさは強烈。物語すべてがこの一文のためにあったかのよう。まちがいなく文学史上トップクラスの「ラスト一行」だ。

 みんな頭が良くなりたいとおもってるけど、賢くなるのって幸せにはつながらないよね。娘を見ていてもつくづくそうおもう。



伊藤 亜紗『目の見えない人は世界をどう見ているのか』


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 ノンフィクション。

 目が見えないことは欠点だと感じてしまうけど、目が見えないからこそ「見える」ものもあるということをこの本で知った。

 目が見えないことが障害になるのは、彼らが劣っているからではなく、社会が「目が見えること」を前提に作られているからだ。
 この先テクノロジーが進歩すれば、目が見えないことは近視や乱視程度の軽微なハンデになるかもしれない。



マシュー・サイド『失敗の科学』


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 ノンフィクション。

 多くの事例から、失敗が起きる原因、失敗を減らすシステムを導きだす本。全仕事人におすすめ。

 世の中には「まちがえない人」がたくさんいる。
 人気のある政治家やテレビのコメンテーターはたいていそうだ。「私の言動はまちがっていた」と言わない。
 こういう人は失敗から何も学ばない。学ばないから何度でも同じ失敗をする。

 トップに立つべきは「失敗しない人」じゃなくて「失敗を認められる人」であってほしいのだが。



櫛木 理宇『少女葬』


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 小説。

「イヤな小説」はけっこう好きなんだけど、そんなぼくでもこの小説は読むのがつらかった。
 イヤな世界に引きずりこまれる。

 二人の少女のうちどちらかが惨殺されることが冒頭で明かされるので、気になるのは「どっちが殺されるのか?」
 そうおもいながらサスペンスミステリとして読むと胸が絞めつけられる。

 決して万人にはおすすめできない小説。



坂井 豊貴『多数決を疑う』


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 ノンフィクション。

 ついつい「多数決=民主主義」とおもってしまいがちだけど、この本を読むと多数決が民主主義からほど遠い制度だとわかる。
 市民からいちばん嫌われている候補者が選ばれることもありうる制度。まったくいい制度じゃない。
 多数決のメリットはほとんど「集計が楽」だけといってもいい。

 政治家のみなさんは、そんなダメダメ制度によって選ばれただけであって、決して「民意を反映して」選ばれたわけではないとよーく肝に銘じてください。



M.K.シャルマ
喪失の国、日本 インド・エリートビジネスマンの「日本体験記」』



 エッセイ。

 今年いちばんおもしろかった本。
 1992年に来日したインド人が見た日本。ユーモアが随所に光るし、観察眼も鋭い。
 そしてインドや日本に対する批判も的確だ。特に今読むと、シャルマ氏が20年以上前に指摘した「日本の欠点」はまるで改善されておらず、それが原因で日本が衰退したことを痛感する。




来年もおもしろい本に出会えますように……。


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2020年12月24日木曜日

他人丼

 こないだ遠方に住む友人に他人丼の話をしたら、通じなかった。
 どうも他人丼は全国共通の食べ物ではないようだ。

 関西だと、定食屋にはまずある。親子丼を出している店ならたいてい他人丼も置いている。親子丼より五十円か百円高い。

 他人丼を知らない人のために一応説明しておくと、牛肉を卵でとじてご飯の上に乗っけた料理だ。親子丼の鶏肉を牛肉に変えただけ。親子じゃないから他人丼。


 幼少期から耳にしているが、改めて考えるとずいぶん珍妙なネーミングだ。

 そもそも親子丼自体が猟奇的な名前だ。
「じゃあな。あの世で息子に会えるのを楽しみにしてろよ」と言いながら引き金に手をかける殺し屋の台詞みたいだ。
 だいたいその鶏と卵は親子じゃないし。食肉用の鶏の肉と、採卵用の鶏の卵だし。赤の他人だし。

 親子丼が妙なネーミングなのだから、それをベースにした他人丼はもっと変だ。
 まだ親子丼は(親子じゃないにしても)同種の肉と卵、という際立った特徴を名前にしているわけだが、他人丼は「際立った特徴を持っているわけじゃないから」というわけのわからんネーミングだ。
 「鶏肉とウズラの卵で他人丼」だったらまだわからんでもないが、牛は胎生だし。かすってすらいない。

「この恐竜は首が長いから〝首長竜〟と呼ぼう」 これはわかる。
「しかしこっちの恐竜は首が長くないから〝首長くない竜〟と呼ぼう」 これは納得できん。
 他人丼ってのはそういうことだ。〝非親子丼〟だ。
 だいたい、ほとんどの丼が他人だ。天丼だってエビとアナゴは他人だし、カツ丼も豚と卵は他人だ。
 他人であることは特徴じゃない。


 トゲナシトゲトゲという虫がいる。正式名称ではないらしいが。
 トゲトゲ(トゲハムシ)の仲間だけどトゲがないからトゲナシトゲトゲ。わけがわからん。

 ちなみに、トゲナシトゲトゲの仲間に例外的にトゲのあるものもいて、そいつはトゲアリトゲナシトゲトゲと呼ばれているそうだ。もっとわけがわからん。

 その例でいくと、遺伝子を組み換えて牛に卵を産ませることができたとき、その卵と別の牛で他人丼を作ったら「親子非親子丼(ただし親子じゃない)」になるね。


2020年12月23日水曜日

【映画鑑賞】『万引き家族』

『万引き家族』

(2018)

内容(Amazonより)
高層マンションの谷間にポツンと取り残された今にも壊れそうな平屋に、治と信代の夫婦、息子の祥太、信代の妹の亜紀の4人が転がり込んで暮らしている。彼らの目当ては、この家の持ち主である祖母の初枝の年金だ。それで足りないものは、万引きでまかなっていた。社会という海の、底を這うように暮らす家族だが、なぜかいつも笑いが絶えず、口は悪いが仲よく暮らしていた。そんな冬のある日、治と祥太は、近隣の団地の廊下で震えていた幼いゆりを見かねて家に連れ帰る。体中傷だらけの彼女の境遇を思いやり、信代は娘として育てることにする。だが、ある事件をきっかけに家族はバラバラに引き裂かれ、それぞれが抱える秘密と切なる願いが次々と明らかになっていく──。

 カンヌ国際映画祭でパルムドールを受賞した作品……っていってもパルムドールが何なのか知らないけど。なんかおいしそうな響き。

 評判にたがわぬいい作品だった。
 あっ、ぼくのいう〝いい作品〟ってのはいろいろ考えさせられる作品ってことね。感動するとかスカッとするとか老若男女誰でも楽しめるとかドラ泣きとかそういうのを求めている人の入口はこっちじゃありません。あしからず。

 しかし、リリー・フランキーの芝居はいいね。
『そして父になる』『凶悪』『万引き家族』と観たけど、どれもすごく印象に残る。


(ネタバレ含みます)


 ほんでまあ、作品名そのまんまなんだけど、万引きをやっている家族の話。っていっても万引きで生計を立てているわけじゃなくて、一応おとうさんは日雇いの仕事してるし、おかあさんはクリーニング屋で働いてるし、おかあさんの妹は女子高生リフレみたいな準風俗店みたいなとこで働いてるし、おばあちゃんも年金もらってるみたいだし、ってことでみんなそれぞれ働いてるわけ。
 でもおかあさんはクリーニング屋でポケットの中の金目のものをくすねちゃうし、おばあちゃんがもらってるのもどうやら年金じゃないみたいだし、おとうさんと男の子はタッグを組んで万引きをするし、家出してきたちっちゃい女の子をかくまっちゃうし、みんなそれぞれあかんことをやってるわけ。

 で、観ているうちにどうやらほんとの家族じゃないってことがわかってくる。どうもそれぞれおばあちゃんの家に転がりこんできてるみたい。年金や土地家をあてにして。
 とはいえおばあちゃんも騙されているわけではなく、そこそこ頭はしっかりしているようだし、騙されたふりをしているような感じで家に入れている。
 あんまり説明がないから想像するしかないんだけど。

 みんな悪いことをしながら、でもけっこう楽しくやっている。
「貧しいながらも楽しい我が家」って感じで、観ようによっちゃあ『三丁目の夕日』みたいな古き良き日本の暮らしをしているわけ。『三丁目の夕日』観たことないから完全にイメージで書いてるけど。


 この家族(血はつながっていないがまぎれもなく家族)は万引きに代表されるように数々の法律違反をしているわけだけど、観ていると「べつに悪いことはしていないんじゃないか」っていう気持ちになってくる。

 学校では「法律違反=悪いこと」って教わるし、だいたいの人はそうおもって生きているわけだけど、でもそこって完全にイコールではないんだよね。

「警察が取り締まってなければちょっとぐらい制限速度を超えてもいい」「ちょっとだけだから駐車禁止だけど停めてもいっか」「赤信号だけど急いでるし車も来てないから」「労働基準法なんかきちんと守ってたら会社がつぶれちゃうよ」みたいな感じで、ほとんどの人は法律違反をしている。

 こないだM.K.シャルマ『喪失の国、日本』という本を読んだ。インド人が見た日本の印象について書かれているんだけど、シャルマ氏は
「インド人は観光客には高い金をふっかけるし、土地に不慣れな人がタクシーに乗ってきたら遠回りして高い料金を請求する。日本人は『インド人は悪い』と怒るけど、インド人からしたら交渉や自分でチェックをしない日本人のほうが悪いとおもう」
というようなことを書いていた。
 インド人と日本人のどっち悪いということではなく、単なる文化の違いなんだとおもう。所変われば品変わるというように、それぞれの土地には土地のしきたりや慣習がある。そしてそれはときに成文法よりも強力にはたらく。
「ちょっとでも隙間があいていれば行列に割りこんでもいい」「一秒でも置きっぱなしにしているものは持っていってもいい」という文化は、世界中あちこちにある。
 海外のあまり治安の良くない地域で「財布の入ったカバンを置いてちょっと目を離しただけなのに盗られた!」と怒っても、それは「置いとくほうが悪い」という話だろう。

 万引き家族がやっていることも「そういう文化」だ。

 彼らは「お店に置いてあるものはまだ誰のものでもない」「店がつぶれなきゃいいんじゃないの」「家で勉強できないやつが学校に行く」と、独特のルールを設けている。日本の法律からは外れているが、一応彼らには彼らの論理があるのだ。
 だからどこでもかまわず万引きをするわけではないし、近所の人や同僚ともうまくやっていけるし、困っている人に手を差し伸べたりする。

 悪というより「日本の法律とは別の枠組みで生きている人たち」なのだ。
 万引き家族のような人たちはあまり可視化されていないだけで、日本の中にもけっこういるとぼくはおもう。ブラック企業経営者だって同類だし。




 児童虐待やネグレクトの本をたくさん読んで、
「子育ては親がするもの」という考えはおかしいとおもうようになった。

 いや、子育てしたい親はすればいい。ぼくも自分の子は自分で育てたい。
 でも、育てたくない親や、育てられない親や、育てちゃいけない親はたくさんいる。親が十人いたら、そのうち三人ぐらいは「親に向いていない人」なんじゃないかとおもっている。

 だが「親に向いていない人」から子どもを引き離すことは、今の日本では非常に難しい。どんなに実子をネグレクト・虐待をする親でも、殺しさえしなければほとんど罪に問われない。
 なにしろ、NHKスペシャル「消えた子どもたち」取材班 『ルポ 消えた子どもたち』によると、18歳になるまで家の中に子どもを監禁して学校に一度も通わせてもらえなかった親に下された判決がなんと「罰金10万円」だ。人間ひとりの人生を台無しにしても罰金10万円で済むのだ。司法が「親は10万円払えば子どもの人生をむちゃくちゃにしてもいい」と認めているに等しい。

「ぜったい親に育てられないほうがあの子は幸せだよね」と隣人や学校や児童相談所がおもったとしても、親が手放そうとしなければ、親から子どもを引き離すことはできないのだ。どう考えても制度の方がおかしい。


『万引き家族』で描かれる血縁以外でつながった家族は、子育てに向いてない親の下で育った子どもにとっては理想に近いんじゃないだろうか(もちろん万引きはダメだけど)。

 血縁ってそんなにいいもんじゃないとおもうんだよね。『おとうさんおかあさんは大切に』『親の子への愛情は海より深い』とか、うそっぱちですよ。中にはそういう親もいるってだけで。

「新卒で入った会社で定年まで働けるのがサラリーマンにとって何よりの幸せ」っておもう人がいるのは認める。会社にとっても労働者にとっても理想かもしれない。
 でも「だから新卒で入った会社がどんなにブラックでも辞めちゃだめ」ってのはまちがってる。
 それと同じように「実の親に育てられて大人になるのがいちばんいい」ってのも間違いなんだよね。現状が悪ければ、転職するように育つ家庭を変えたっていい。


「子育てに向いていない親」が悪いと言ってるわけじゃないんだよ。
 よく「子育てできないのに産むな」っていうけど、そんなの無理な話だよ。ぼくだって子どもをつくるときは一応ある程度の覚悟はしていたけど「五つ子が生まれてくる想定」とか「難病で年間数百万円の医療費がかかる子が生まれてくる想定」とか「出産直後に大地震に遭って家も財産も失う想定」まではしてませんよ。ほとんどの親がそうでしょう。そんなこと考えてたら誰も子どもなんか産めない。

 どんな子が生まれてくるかは産んで育ててみなきゃわからないし、自分の健康状態だって夫婦仲だって仕事だってどうなるかわからないわけじゃん。

 だから、産んでみて、育ててみて「あっやっぱ無理そうだわ」っておもったらかんたんに手放せる(または「手放させる」)仕組みがあったらいいとおもうんだけどね。誰にも責められることなく。
「うちら付き合ちゃう?」みたいなノリで付き合って「なんかおもってたのとちがうわ」で別れる。そんな感じで親や子を手放せてもいいとおもう。

 中世以前の日本は、わりと手軽に養子をとっていたという。次男坊や三男坊は家督を相続できないから子どものいない家の養子になる、みたいな感じで。
 むずかしい手続きを経なくても、お互いの利害が一致すればふらっと移籍できてもいいんじゃないかな。

 血のつながった家族でもなく、児童養護施設でもない、もっとゆるやかにつながれる枠組みがあってもいいのにな、と『万引き家族』を観ておもった。


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2020年12月22日火曜日

M-1グランプリ2020の感想

 M-1グランプリ2020の感想


大会の運営について

 今年はコロナ禍の開催ということでいろんなものをそぎ落とした大会だった。結果的に、余計なものがなくなってすごく良かった。
 ほんと、M-1大好き芸能人に集まっていただきましたとか、アスリートによる抽選とか、誰がうれしいんだって感じだもんね。
 そういう無駄な要素がなくなって、その分審査員コメントとかが長くなって見ごたえがあった。コロナが収束してもこのままでやってほしい。

 あと、「一本目の上位組から、最終決戦の出番順を決める」→「一本目一位が三番手、二位が二番手、三位が一番手」になったのもよかった。
 あれ毎年無駄な時間だったもんね。みんな後から選ぶから。
 ぼくの記憶にあるかぎりでは、そうじゃない順番を選んだのは麒麟ぐらい。

 無駄な時間だった上に、最終決戦進出組にとっても「漫才と漫才の間にバラエティ的な立ち居振る舞いを求められる」ことでけっこう負担になってたんじゃないかな。あれがないほうがネタに集中できるよね。


1.インディアンス(敗者復活)

「昔ヤンキーだった」

 速いテンポで完成度の高い漫才をやっているからこそ、ところどころの穴が目立つ。構成の雑さが。
 去年は「おっさんみたいな彼女がほしい」というわけのわからん設定を客に納得させる前に話が進んでたが、今年は「ツッコミ側がわざと言い間違いをしてボケをアシストする」が打算的すぎて笑えなかった。
 わかるんだけど。フリの時間を短縮して笑いを詰め込むために、「ツッコミのフレーズそれ自体が次のボケにフリになっている」テクニックだということは。
 でもなあ。インディアンスの笑いって「どこまでが素のキャラクターなのかわからない笑い」だとおもうんだよね。練習の跡が見えてはいけない漫才。
「言い間違えた」ことにするんだったら、その後にハモリボケみたいな「がんばって練習しました」ボケを入れてはいけない。「罵声を美声と間違える」はボケ側がやらなきゃいけないとおもうよ。
 個人的にはこういう台本の粗さがあると笑えない。

 ただ去年よりは格段におもしろかったし、トップバッターとしてはこれ以上ないぐらいの盛り上げ方をしたので、そのへんはもっと評価されてもよかったのにな。毎年トップバッターで出てほしい。


2.東京ホテイソン

「謎解き」

 東京ホテイソンのスタイルを知っていたらおもしろいんだけど、これって初見の人はどう見たんだろう。
 一つめの笑いが起こるまですごく時間がかかるから序盤に自己紹介的な軽いボケがあってもよかったんじゃないかなとおもう。ツカミって大事だなあと改めて感じた。ツカミがあればもっとウケたんじゃないかな。
 劇場でおじいちゃんおばあちゃんの前でネタやってる吉本芸人だったら、「自分たちのことを知らない人でもまず笑えるツカミ」を入れるんじゃないかとおもう。

 あと、フレーズはおもしろいんだけど、自然な流れで出たフレーズではなく突然湧いて出てきたものだからなあ。話の流れで「アンミカドラゴン新大久保に出現」ってなったらめちゃくちゃおもしろいんだけど、脈略なく出てきたら「なんでもありじゃん」って気になってしまう。

 ちなみに数えてみたらボケ数が6個だった。もしかしたらM-1史上最少かもしれない。


3.ニューヨーク

「トークに軽犯罪が出てくる」

 時代にマッチしたネタ。「無料でマンガ全部読めるサイト」とか絶妙にいいとこを突いてくるなあ。でも審査員は全員わかったんだろうか。

 あぶなっかしい題材を笑いに変える技術はさすが。この題材を他のコンビがやってたらドン引きされてしまいそう。
 「現実にいる」レベルの悪いことを、後半「犬のうんこを食べた」とか「献血」とかで壊してくるところはよくできている。ただ、軽犯罪の対比として出てきた「選挙に行く」はべつに善行じゃないからなあ。選挙に行くのは自分のためだし。

「マッチングアプリで知り合った人妻とゲーセンでメダルゲーム」はすごくよかった。よく考えたらぜんぜん責められるようなことじゃないんだけどね。マッチングアプリで知り合った人妻とゲーセンでメダルゲームをしたって何の罪にもならないんだけど。でもなぜだろう、そこはかとなく漂うあやうさ。絶妙。


4.見取り図

「敏腕マネージャー」

 前にこのネタを観たときもおもったけど、見取り図はこういうコント漫才のほうがあってるとおもうんだよな。
 見取り図はツッコミの出で立ちや声量が強すぎて、ボケを上回ってしまうことがある。「そこまで厳しくツッコまなくても」と。
 その点、このネタはボケがとんでもなくヤバいやつなので、ツッコミが強くても違和感がない。立場的にも「大御所タレントとマネージャー」だったら強く言っていい関係だし。

 このコンビにマッチしたすごくいいネタだとおもう。二人の見た目も大御所芸人とマネージャーみたいだし。


5.おいでやすこが

「カラオケで盛り上がらない」

 ネタの強度がすごいね。元々こがけんがピンでやってるネタだから、ボケ単体でも笑える。そこにあの笑えるツッコミが乗っかるんだからそりゃあおもしろいに決まってる。ネタを前に観たことあるのに、それでもはじめて観たときと同じところで笑わされた。

 両者の持ち味がちょうどいい配分で発揮された、ピン芸人同士のコンビのネタとして完璧な出来栄え。
 またボケの「違和感があってすごく気持ち悪いんだけどでも即座におかしいと切り捨てるほどでもない」ぐらいの曲の作り方が絶妙。だからこそ、あの力強いツッコミでどかんと吹き飛ばしてくれるとすごく気持ちいい。ツッコミが飛ぶたびに爽快感があってもっともっと観たくなる。

 しかしあの絶叫ネタは漫才を正業にしていないコンビならではだよなあ。一日に何度も舞台に立つ正業漫才師だったら無理じゃなかろうか。


6.マヂカルラブリー

「高級フレンチ」

 準決勝のネタ(電車)を観たとき、いちばんどう評価されるかわからないと感じたのがマヂカルラブリーだった。文句なしにおもしろいんだけど、でも漫才としての掛け合いはぜんぜんないので、審査員からの評価は厳しいものになるかもしれないと感じていた。

 で、決勝。
 まずつかみが最高。せりあがってきた瞬間に大きな笑いが起こった。過去最速のつかみ。さらに「どうしても笑わせたい人がいる男です」で完全に場の空気を制した。
 あれだけつかんだからその後丁寧にフリをきかせても客はちゃんと聞いてくれる。いい構成。

 ネタも良かった。何がいいって、ナイフとフォークを斜めに置いて「終わりー」があること。あれがあるのとないのじゃ安心感がぜんぜん違う。ここまでが一連のボケです、というのがはっきりわかる。ショートコントのブリッジのような。
 むちゃくちゃをやっているようで、ああいうわかりやすいボケをちょこちょこ挟む構成がほんとに丁寧。バランスがすごくいい。
 ただ後半のデモンのくだりは……。


7.オズワルド

「畠中を改名」

 ネタの構成も完璧に近いし熱量もすごいし、これが最終決戦に行けないの? という気がした。シュールなボケを丁寧にツッコみながら、ツッコミでも笑いを取る。
 しっとりとしたしゃべりだしから、後半はどんどん盛り上がる。「ザコ寿司」「ボケ乳首」「激キモ通訳」など独特のフレーズもウケ、ラストの「てめえずっと口開いてんな」も完璧。悪いところがひとつもなかった。

 このネタで5位に沈んだのは、もう順番のせいとしか考えられない。おいでやすこがとマヂカルラブリーが根こそぎ笑いをとっていったので笑い疲れが起こったんじゃないだろうか。審査員も、ちょっとここらで点数下げとこうみたいな気持ちになったのではと邪推する。


8.アキナ

「地元の友だちが楽屋に来る」

 四十歳前後がやるネタじゃないよね。もっといえば四十前後のコンビが五十歳前後の審査員の前でやるネタじゃない。
 ローカルアイドル漫才師の成れの果て、って感じのネタだった。女子高生からキャーキャー言われてる二十代の漫才師がやるネタだよね。なんかかわいらしさを出そうとしてて。
 アキナが好きな人はおもしろいんだろうけど。「ふだんそれ俺が担当してんねん」って動き、何それ? アキナファンじゃないから知らんけど。せめて登場後にやっといてよ。

 準決勝を観たときもアキナはなんで決勝進出できたんだろうとふしぎだったけど、決勝でもやっぱり見てられなかったな……。


9.錦鯉

「パチンコ台になりたい」

 後半出番で錦鯉が出てきたら優勝もあるとおもってたんだけど、意外とウケなかったな……。まあでも錦鯉が最終決戦に進んでたら、おいでやすこが、マヂカルラブリー、錦鯉と掛け合いをしないコンビばかりになってたので大会的にはよかったとおもう。

 序盤にもっとバカさを伝えていればな。さっきも書いたけど、ほんとにつかみって大事だね。「この人はバカにしていい」ということが周知されればもっと素直に笑えたのに。
 つかみの「一文無し、参上」は失敗だったのかもね。冷静に考えれば49歳で貯金ゼロ、って笑える話じゃないもんね。
 はじめにもっとばかばかしい自己紹介してたら違う結果になったんじゃないかな。


10.ウエストランド

「マッチングアプリ」

 おもしろいんだけど、まあこういう結果になるよね。どう考えても万人受けするネタじゃないもん。これは決勝に上げた審査員が悪い。
 恨みつらみを並べるには、風貌がそこまでひどくないんだよね。多少かわいげがあるし。どうしようもない見た目とか、生い立ちが悲惨とか、「これなら世を儚むのもしょうがない」と思わせるほどのバックグラウンドがあれば素直に受け止められるんだけど。

 かつて有吉弘行氏が悪口芸で一世を風靡したとき「没落期間が長かったしみんなそれを知ってたから俺は悪口を言っても許される」みたいなことを言っていた。
 マツコ・デラックス氏も歯に衣着せぬ物言いをするけど、あの巨大な女装家なら世の中に対して不満を言いたくなる気持ちもわかるよな、と納得できる。
 ウエストランドはそこまでじゃないんだよね。もうちょっとがんばれよ、とおもってしまう。

 あと言ってる内容がわりと納得できる話だったので、ただのボヤキ漫才に終始してしまった。「芸人はみんな復讐のためにやっている」ってのもけっこう当たってるっぽいし。中盤まではそれでいいんだけど、後半は「もはや誰も共感できない突き抜けた偏見」にまでいってほしかったな。
 10組中9位だったけど、キャラクター的には最下位だったほうが得したとおもう。ここは上沼恵美子さんが怒ってあげたほうがよかったんじゃないかな。


 最終決戦進出は3位の見取り図、2位マヂカルラブリー、1位おいでやすこが。
 まあ順当。ぼくが選ぶなら見取り図の代わりにオズワルドを入れたい。


見取り図

「地元」

 持ち味なんだけど荒々しいなあ。大柄な男が荒っぽい言葉で怒ってたら怖い。
 キャラクターに入っているコント漫才のほうがいいなあ。

 しかし地元の話題で喧嘩になるかね。兵庫出身で大阪人を多く見てきたぼくにはわかるが、大阪人は東京と京都以外は下に見てるので、和気郡なんか喧嘩相手にならない。


マヂカルラブリー

「吊り革につかまりたくない」

 ネタの選択がすばらしい。こっちを先に持ってきてたら優勝できなかったんじゃないかな。このネタは掛け合いがまったくないので、1本目だったら辛い点を付けた審査員もいたとおもう。でも最終決戦は審査員全員から評価される必要がないので、これだけぶっとんだネタでも優勝できる可能性がある。
 もうすでにマヂカルラブリーを知っているから、むちゃくちゃをやっても受け入れられる土壌があるしね。意外と策士だね。


おいでやすこが

「ハッピーバースデー」

 1本目に比べるとツッコミが弱い。ほんとに1本目で体力を使いすぎてちょっと疲れてるやん。
 こっちはボケ主体で引っ張っていくネタだけど、おいでやす小田がキレてるところを見たいからなあ。もっともっと怒らせるネタをやってほしい。
 1本目は「何度言われても知らない曲ばかり歌う」「約束が違う」「誰の曲か答えない」「話を聞かない」という強くツッコむべき理由があるけど、こっちのネタは曲が独特なだけで祝っていること自体は間違ってないしね。長い曲を歌うこともそれ自体がおかしいわけじゃないし。


 優勝はマヂカルラブリー。おめでとう。納得の優勝。
「あれは漫才か、コントじゃないか」みたいな議論もあるみたいだが、ぼくはマヂカルラブリーのネタは完全に漫才だとおもう。あれがコントだったら異常なのは野田クリスタルじゃなくて電車なのでおもしろくないし。
 漫才の定義は「立って話すか」「掛け合いがあるか」とかではなく、「言葉に人のおもしろさが出ているか」どうかだとぼくはおもう。そしてマヂカルラブリーのネタにはそれが存分に発揮されていた。




 今年もおもしろい大会だった。アキナ以外はおもしろかった。

 ところでマヂカルラブリーの1本目は何年か前の敗者復活戦でやっていたネタ。こんな感じで、昔のおもしろいネタをどんどんやったらいい。
 一方、キングオブコントは「準決勝でやった2本のネタを決勝でしなければならない」というルールだ。あれはよくない。毎年観ている審査員やわざわざ準決勝会場に足を運ぶ熱心のファンにウケるネタと、テレビでウケるネタは違うのだから。

 



 思いかえせば十年ほど前(今調べたら2008年だった)。M-1グランプリの敗者復活戦で観たマヂカルラブリーに衝撃を受けた。当時まったくの無名に近い状態で準決勝まで進出したマヂカルラブリー。「のだでーす、のだでーす、のーだーでーす!」の自己紹介で一気に引きこまれた。「いじめられっこ」のネタもおもしろかった(ちなみにやっていることは今とあまり変わってない)。
 これは近い将来決勝に行くだろうとおもっていたがずっと遠かった。ようやく出場した2017年も最下位。
 M-1には恵まれないコンビなのかとおもっていたが、一気に優勝。しかし今回も出番順や会場の空気によっては最下位になってもふしぎじゃなかったネタだった。最下位も優勝もあるコンビってすごく魅力的だね。


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