2022年5月27日金曜日

【読書感想文】花村 萬月『笑う山崎』 / 愛と暴力は紙一重

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笑う山崎

花村 萬月

内容(e-honより)
マリーは泣きそうな子供のような顔をした。「なにする!」圧しころした声で言った。「犯しに来た」その一言で、マリーは硬直した。冷酷無比の極道、山崎。優男ではあるが、特異なカリスマ性を持つ彼が見せる、極限の暴力と、常軌を逸した愛とは!フィリピン女性マリーを妻にしたとき、恐るべき運命が幕を開けた…。

 この小説の主人公・山崎はとんでもない男だ。ヤクザからも恐れられ、些細なことで初対面の女の顔面を殴ったり、敵対する人間には残虐な拷問をおこなって殺したりもする。それでありながら、京大中退の過去を持ち、色白細身、下戸、喧嘩は弱い。

 漫画『ザ・ファブル』を想起するが、あっちはもはや〝単に強いだけの善人〟だが山崎のほうはあくまで悪人だ。敵とみなした相手はどこまでも追い詰める。死ぬ覚悟ができている相手を助け、食事や女に触れさせて生きる気力が湧いてきたところで拷問にかけて殺すなんていう悪魔のような所業もおこなう。

 とことんワルでありながら、山崎はなんとも魅力的なキャラクターだ。どこか憎めない(もちろん近づきたくないが)。稀代のダークヒーローである。

 あ、エロとグロと暴力の描写がきついし、すかっとする部分もあるけど基本的に山崎は極悪非道のクズ野郎なので胸糞悪いくだりも多い。万人におすすめはしません。




 山崎は血のつながらない娘・パトリシアを溺愛し振り回される一方で、さして怨みもない相手に残虐な仕打ちを加える。慕ってくるヤクザに対して優しさを見せるが、銃撃されたときは平気で盾に使う冷徹さも持っている。どうも一貫していない。行動がちぐはぐな印象を受ける。

 物語のラスト、自身の行動原理を問われた山崎は答える。

「愛だよ、愛」

 これだけ見たらじつに安っぽい言葉だ。「愛だよ、愛」なんて歯の浮くような台詞を吐く人間は信用できない。ましてヤクザと濃密なつながりのある男が口にしたら冗談にしか聞こえない。

 しかし、ここまで読んで山崎という男の不器用きわまりない生き方を見てきたぼくとしてはおもう。まったく、その通りだと。山崎はまさしく愛に生きているのだと。

 山崎だけでない。山崎を取り巻くヤクザや情婦たちも愛を求めて生きている。

 もっとも彼らの愛はみんな歪んでいる。登場人物の多くは親の愛を知らぬまま大人になり、それを別のもので埋め合わせようとしている。
 彼らにとっての愛の表現は、女の顔面を殴りつけることだったり、身代わりとなって死ぬことだったり、誘拐した少女をあちこち連れまわすことだったり、覚醒剤を欲しがる男の代わりに手に入れてやることだったり、一般常識からすると狂っている。

 しかしぼくはおもう。歪んでいるからこそ愛なんじゃないか、と。

 常識で測れるものは愛じゃない。「こうした方が得だから」「こっちのほうが世間的に認められるから」という原理で動くのは愛とは言わないだろう。

 親から子への愛だって同じだ。どんなに悪い子でも、どんなにダメな子でも、献身的に尽くす。それこそが愛。親とはそういうものだとおもっているけど、冷静に考えればいかれている。

 そして愛と暴力はけっこう近いところにいるとおもう。

 ぼくが誰かを殴ったのは中学生のときが最後だ。それ以来誰も殴ったことはないし、殴ろうとおもったこともなかった。数年前まで。
 でも最近はある。相手は、娘だ。こっちが娘のことを大事にして、心配して、甲斐甲斐しく世話を焼いてやる。にもかかわらずまったく言うことを聞いてくれなかったり、露骨に反発されたりすると、つい手を出したくなる。

 どうでもいい相手のことは殴ろうとおもわない。殴っても損をするだけだから。そもそもそこまで他人の行動に感情を動かされない。でも、愛する娘のことは猛烈に憎くなることがある。愛と暴力は近いところにある。


 徹頭徹尾いびつな愛を見せつけてくれる、愛と暴力にあふれた小説だった。


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