2022年5月9日月曜日

【読書感想文】藤岡 換太郎『山はどうしてできるのか ダイナミックな地球科学入門』/標高でランク付けするのはずるい

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山はどうしてできるのか

ダイナミックな地球科学入門

藤岡 換太郎

内容(e-honより)
あたりまえのように「そこにある」山は、いつ、どのようにしてできたのか―。あなたはこの問いに正しく答えられますか?実は「山ができる理由」は古来から、地質学者たちの大きな論争のテーマでした。山の成因には、地球科学のエッセンスがぎっしりと詰まっているのです。本書を読めば、なにげなく踏んでいる大地の見え方が変わってくることでしょう。

 同じ著者の『海はどうしてできたのか ~壮大なスケールの地球進化史~』がめっぽうおもしろかったので読んでみたのだが、これは難解だったなあ……。『海はどうしてできたのか』はテンポよく読めたのに、『山はどうしてできるのか』はまるで教科書を読んでいるようだった。同じ人が書いているとはおもえないぐらいにちがう。ぼくが地学苦手だったから、ってのもあるけど。

 特に中盤は、「山はどうしてできるのか」ではなく「山はどうしてできるのか、と昔は考えられていたのか」の話が延々と続く。これがつまらない。地学を体系立てて学びたい人にはいいかもしれないが、「ざっとわかればいいや」ぐらいの人間にとっては「今では否定されている昔の誤った学説」なんかどうでもいいんだよー。




 世界で一番高い山は?

 そう、エベレスト(チョモランマ)だ。標高8,849m。標高というのは、海から見た高さだ。

 ただし、他の測り方をすれば世界一はエベレストではない。

 海で一番高い山は、海面から上にまで達している島です。島はひょっこりひょうたん島のように浮いているのではなくて海底から隆起しているからです。なかでも火山島は、多くが水深5000mの深海から聳え立っていますので、海面すれすれに顔を出しているような小さな島でも、山として見ればその高さは5000mになるわけです。ハワイ島のマウナケアは標高4205mですが周辺の海底が約5000mなので約9000mの高さになることは準備運動の章で述べました。これが地球上では一番高い山になります。太平洋には少なくとも4000の海山があることが20世紀までに確認されています。その後の測量によってもっと増えているでしょうから、現在では1万近い海山があると考えられます。
 ニュートンらが観測によって明らかにした地球の形は、実は球体ではなく、回転楕円体という形をしています。赤道半径(東西の半径)と極半径(南北の半径)を比べると、赤道半径のほうが20㎞ほど長いのです。つまり、地球はほんの少しだけ横長の楕円体をしているわけです。
 したがって、地球の中心からの距離で山の高さを決めると、赤道に近い山ほど高くなります。この方法による世界最高峰は赤道直下、南米のエクアドルにあるチンボラソ山になります。標高は6310mですが、北緯28度のエベレストよりも地球の中心からの距離が2㎞以上も上回るため、世界一の高さになるのです。エベレストは31番目に成り下がり、世界で474番目とされている富士山は44番目に浮上します。

 ふもとからの高さを測るなら、周辺の海底から9,000mも突き出ているマウナケアが世界一、地球の中心からの直線距離ではチンボラソ山が世界一位になる。

 ぼくがマウナケアやチンボラソの関係者なら「エベレストはずるい!」と言い張っているところだ。


 前々から山を「標高(海抜)」でランク付けするのはずるいとおもってたんだよなあ。富士山は標高3,776mだけど、富士山に登る人はみんな海から登りはじめるわけじゃない。登山口から登りはじめる。富士山の登山口はいくつかあるけど、そこがすでに標高2,000~3,000mぐらいだ。そこから登って「3,776mの山を制覇したぞ!」ってのはインチキだ。それが許されるのならマラソンのゴール手前からスタートしてゴールテープを切ってもいいことになる。

 ぼくは神戸にある六甲山に登ったことがある。標高931mだ。だが六甲山は海のすぐそばだ。ぼくが登りはじめた阪急芦屋川駅は海と高さがあまり変わらない場所。つまり900mぐらいの高さを登ったことになる。一方、標高1,100mの登山口から標高2,000mの山に登っても、登った高さは同じだ。なのに後者のほうがすごいとおもわれる。登山業界では「〇m級の山を制覇した!」という言い方がまかりとおっている。

 そりゃあ高度が高ければ空気が薄くなったり寒くなったりもするだろうけど、それにしたって、自分の足で登ったわけでもない高さを勘定に入れるのはずるい。




 石の名前とかプレートの名前とかむずかしいことはよくわからなかったけど、山がどのようにできるか(というか地球上でプレートがどのように動くか)についてはなんとなく理解できた。

 我々はつい世界の地形が普遍的なものだと考えてしまうけれど、地球の一生から考えると今の大陸や山の形はほんのひとときのもので、大陸の形も山の形も刻々(長いスパンで見たときの刻々)と変わるのだ。

 ヒマラヤ山脈だってかつては海だったそうだ。

 いま地球上にある大陸は、超大陸が分裂と集合を繰り返し、地球の表面を何周も巡って現在の位置にモザイクの1つのピースとしてはめ込まれた寄木細工です。日本列島も、より規模が小さな寄木細工です。
 それは地球スケールで考えても、実は同じことがいえます。「はやぶさ」が訪ねた「イトカワ」という小さな星がありますが、イトカワのような星が寄せ集まって約46億年前にできたのが地球なのです。日本の国歌である「君が代」には「さざれ石」という言葉が出てきます。さざれ石とは礫岩、つまり岩や石のかけらが寄せ集まった岩のことです。日本列島は大きく見れば一つの礫岩なので、この歌は日本のことをよく表現しているといえます。そしてその考え方は大陸、ひいては地球のスケールにまで広げても同じなのではないかと思われます。大陸も、地球も、より大きな規模で見れば分裂と集合を繰り返す寄せ集めの「さざれ石」にすぎないのです。

 日本列島はひとつのさざれ石、地球全体もひとつのさざれ石。いくつかの小石が集まって大きな石を作っているだけ。

 なんともスケールの大きな話だ。

 想像すらおいつかないぐらいの大きなスケールの話を読むのは、凝り固まった頭をほぐしてくれるようでなかなか気持ちがいい。


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