2022年5月23日月曜日

【読書感想文】井手 英策『幸福の増税論 財政はだれのために』/増税は(理論上は)いいこと

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幸福の増税論

財政はだれのために

井手 英策

内容(e-honより)
なぜ日本では、「連帯のしくみ」であるはずの税がこれほどまでに嫌われるのか。すべての人たちの命とくらしが保障される温もりある社会を取り戻すために、あえて「増税」の必要性に切り込み、財政改革、社会改革の構想を大胆に提言する。自己責任社会から、頼りあえる社会へ―著者渾身の未来構想。

 おもしろかった。

「税を増やそう」「消費税は悪くない」といった提言なので、反射的に拒否反応を示す人も多いだろう。

 案の定、Amazonのレビューを見ても「☆一つ。なぜ消費税増税が必要なのでしょうか」みたいなひどいレビューが並んでいる。その理由を本の中に書いているのに。読まずにレビューを書いていることが一目瞭然だ。


 税金をとられることを好きな人はほとんどいない。ぼくだって免除されるんなら免除されたい。ただし免除されてうれしいのは「自分だけ免除」の場合だけだ。「日本国民全員から税金をとるのはやめます!」は困る。学校も警察も消防も医療もインフラもあっという間に立ちいかなくなる。

 勘違いしがちだが、ぼくらはべつに税金が嫌いなわけではないのだ。嫌いな理由は「正しく使われていないのではないか」「払うべきやつが払ってないのではないか」という不公正感があるからであって、税金制度自体に反対する人はまずいないだろう。

 そもそも税金というのはほとんどの人にとっては得なのだ。それぞれの家に水道を引こうとおもったら、いったいいくらかかるか想像もつかない。個人浄水場と個人上水道と個人下水道と個人下水処理場を作れる金持ちはまずいない。それだけでも、生涯に納める税金額を超えるはずだ。そんなサービスが税金と水道料金あわせてもせいぜい月数千円で利用できるのだ。おとく~!


 だから税金を上げるべき、という主張はしごく正しい。正しく徴収して正しく使えば、税金は高ければ高くてもいい。所得税が50%を超えたって、それ以上のサービスを受けられるのであれば得だ。じっさい、日本よりも高い税率の国はいくらでもあるわけだし。

 もちろん「正しく徴収して正しく使えば」の部分がむずかしいわけだが、それはまた別の問題。税金自体が悪いわけではない。




 著者はまず「勤勉に働けば経済が成長する時代は終わった」と説明する。どう考えたって高度経済成長期やバブルのような時代は二度とやってこない。その時代に築いた経済モデルでやっていくのは無理がある。

 日本人が勤勉でなくなったわけではない。必死に働いてもあんまり経済成長しない。他の国もそうだ。アメリカも成長率は落ちている。中国だって近いうちにそうなる。


 ぼくもまったくの同意だ。多くの人が気付いているだろう。永遠の経済成長なんてまやかしだということに。歴史上、ずっと成長を続けた国も企業も存在しない。

「〇〇すれば成長する!」という人は現実を見ていない。「毎日運動を続けていれば身体能力は向上する!」はある時期までは正しいが、一定の年齢を超えると通用しなくなる。永遠の経済成長を信じられる人は百歳超えても若い肉体でいられるために筋トレでもしてなさい。


 経済は成長しない。格差はどんどん拡がる。そんな状態で消費が伸びるはずがない。ますます経済は成長しなくなる。もはや個人の努力ではどうにもならない。だったら分配のしかたを変えるしかない。

 だが「困っている人を税金で救う」ことを嫌う人は多い。

 自分も税金で得している(払っている額より受けているサービスのほうがずっと大きい)くせに、公務員や生活保護受給者を非難する人たちだ。

 だから「困っている人を税金で救う」ことはなかなかうまくいかない。


 そこで筆者が提案するのは「ベーシック・サービス」だ。

 ここでひとつの提案をしよう。現金をわたすのではなく、医療、介護、教育、子育て、障がい者福祉といった「サービス」について、所得制限をはずしていき、できるだけ多くの人たちを受益者にする。同時に、できるだけ幅ひろい人たちが税という痛みを分かちあう財政へと転換する。ようは財政のあるべき姿への回帰をめざすということだ。
 僕たちは、だれもが、生まれた瞬間に保育のサービスを必要とし、そして育児のサービスを必要とするようになる。一生病気をしないという人はいない。歳をとって介護を絶対に受けなくてすむと断言できる人もいない。教育はだれもが必要とする。だれだっていつ障がいをもつようになるかわからない。
 すべての人びとが必要とする/必要としうる可能性があるのであれば、それらのサービスはすべての人に提供されてよいはずである。また、そのサービスは、人びとが安心してくらしていける水準をみたす必要がある。これらを「ベーシック・サービス」と呼んでおこう。
 人間が生きていくプロセスには、自己責任で対応すべき領域と、おたがいに頼りあい、ささえあいながら、解決するしかない領域とが存在する。そのうち、後者を、財政によって確実に保障する。一人ひとりがささえあう領域を拡大し、いかなる不遇にみまわれても、みなが安心して生きていける社会をめざすのである。

「困っている人を救う」のではなく「全員を救う」のだ。これなら抵抗感も減るだろう。

 困っている人を救うための政策が反対されるのは、不公平だからだ。

 低所得者や子育て世帯や高齢者の医療費を税金で出すことには反対の人でも、全国民の医療費をタダにするのであれば少なくとも「不公平だ」という批判はなくなるだろう。

 ベーシック・インカムにも似ているが、「ベーシック・サービス」は金銭ではなくサービスで支給する。これにより必要な人にだけ必要なサービスを提供できる。医療費がタダになったからって健康なのに病院に毎日通う人はほとんどいないだろう。

 ベーシック・インカムであれば、結局難病になったときなどに医療費をどうするかという不安は解消されない。むしろ、「毎月金をもらってるんだからその中でやりくりしろよ」と自己責任論が幅を利かせそうだ。だからベーシック・インカムよりもベーシック・インカムのほうが不安解消にはいいと著者は説く。


 これはすごくいいとおもう。将来が不安なのは、未来がどうなるかわからないからだ。

 病気や怪我で働けなくなるかもしれない。介護が必要になるかもしれない。だから貯蓄が必要になる。

 でも、医療費も介護費用も子どもが大学まで行くお金も全部タダであれば、不安はだいぶ軽減される。貯蓄はずっと少なくて済む。

 今でも生活保護制度はあるが、これはほとんど「最後の手段」だ。条件は厳しいし、申請はたいへんだし、後ろめたさも感じる。ところが「全国民がタダ」であれば後ろめたさを感じる必要もない。

 サービスの自己負担が少ない北欧諸国を見てみると、社会的信頼度が先進国のなかで最高水準にあることがわかる。それは彼らが善良な人間だからではない。受益者の範囲をひろげ、他者を信頼した方が自分のメリットになるメカニズムを生みだしているからである。
 このメリットは低所得層の心のありかたにまでおよぶだろう。いかに自分がまずしく、はたらく能力がないかを告白して、生活保護によって救済されるという社会ではなく、だれもが堂々と生存・生活に必要なベーシック・サービスを受けられる社会になる。低所得層は「社会の目」「他人の目」から自由になり、尊厳をもって生きていくことができるようになる。
 所得の平等化だけではなく、人間の尊厳を平等化するという以上の視点は、きわめて重要である。ベーシック・サービスは「尊厳ある生活保障」を可能にするのだ。
 それだけではない。所得制限をはずしていけば、現在、所得審査に費やされている行政職員の膨大な事務を大幅に削減することができる。だれが嘘つきかをあばく所得審査のために労力を費やすのはおろかなことだ。ムダづかいを探しあて、人間不信をあおりたてることの結果ではなく、人間の生の保障と幸福追求の結果として、自然に行政も効率化していくのである。


 うちには子どもがいるので毎年子ども手当をもらっているのだが、毎年毎年手続きが必要になる。役所から書類が送られてきて、それに記載して返送。役所でチェックをして、後日指定した口座に子ども手当が振り込まれる。それでもらえる額が年一万円だ。

 毎年「ばっかじゃないの」と毒づきながら書類に記載をしている。この書類の作成、郵送、記入、返送、チェック、振り込みに使っている額を時給換算したら数千円になっているだろう。一万円の支給をするために数千円かけて手続きをする。実にばかばかしい。最初から現金書留で一万円送ってきたらいいのに。多少は送付ミスも起こるかもしれないが、それで失われる額よりも手続きにかかる金のほうがずっと多いにちがいない。

 でも、公的支援においては効率よりも公正が求められる。こないだ、誤って数千万円の給付金が振り込まれた人が返還を拒否したために大騒動になった。あれはよくないことだが、逆に考えればあれが大ニュースになったということは「誤って大金が振り込まれて返還に応じない人」というのはめちゃくちゃ稀少な存在だということだ。数十年に一度発生するぐらいの。

 予言するが、きっと今後役所の振り込み手続きは今よりずっとずっと面倒なものになるだろう。誤入金をなくすために。そしてそれにより失われる金額は数千万円どころではないはずだ。

 公正におこなうために誰も得しない煩雑な手続きを課しているのだ。

 ベーシック・サービスが実現すれば、こういう無駄な手続きもずっと少なくなるはずだ。「還付する」よりも「はじめっから徴収しない」ほうがずっと楽なのだから。


 ま、手続きが簡便になるってことは、これまで中抜きをしてうまい汁を吸ってた人や、特定の団体を優遇することで集票に使っていた政治家からしたら困ることだろうけどね。




 ぼくらは「貯蓄はいいことで、税金をとられるのは悪いこと」と考えてしまう。

 だが、貯蓄と税金は表裏一体のものだと著者は説く。

 もう少し議論を深めておこう。貯蓄をすれば、資産が増えることは事実である。ただし、それが将来へのそなえであり、いま使うことのできない資産である以上、税を取られるのと同じように消費は抑えられている。(中略)
 注意してほしいのは、人間は自分が何歳で死ぬのかを知らないということだ。したがって、九〇歳、一○○歳まで生きてもいいように過剰な貯蓄をする。マクロで見ればこの分の消費抑制がおきるうえ、相続人も高齢化がすすむため、相続した貯蓄をそのままためこんでしまう。
 頼りあえる社会では、人びとが将来へのそなえとして銀行にあずけている資金を税というかたちで引きだし、これを医療、介護、教育といったサービスで消費する。たしかに僕たちは取られる。だが、自分が必要なときにはだれかがはらってくれる。
 さらには、手元にのこったお金は、貯蓄ではなく、遠慮なく消費にまわしてよい。「貯蓄ゼロでも不安ゼロ」が頼りあえる社会のめざす究極の姿である。
 もちろん、税によって短期的には消費が抑制されることは事実である。この点は、次章であらためて検討する。ここでいっておきたいのは、社会保障・税一体改革の反省をもとに、税収を財政健全化ではなく、僕たちのくらしの保障に財源を回せば回すほど、税による消費の抑制効果は小さくなるということだ。税の使いみち次第で経済効果はちがってくる。

 多くの人は「増税すれば消費が鈍る」と考える。しかしこれは正確ではない。消費が鈍るのは「増税しても受ける公的サービスが増えないから」だ。

 たとえば所得税が月に一万円増える代わりに、大学の授業料がすべて無料になったとしたらどうだろう。多くの子育て世帯はむしろ自由に使えるお金が増えるんじゃないだろうか。

 そう考えると増税はぜんぜん悪い話じゃない。




 増税をして公的サービスを充実させようという著者の提案はすばらしい。猫も杓子も(財務省以外)減税せよしか言わないので、こうした意見はたいへん貴重だ。

 著者の言っていることは、理論上は正しいとおもう。


 でも……。やっぱりむずかしいだろうな。

 すべての人が納得する税の使い方なんてないもの。おまけに不正な金の使い方をする政治家や役人は(少数とはいえ)ぜったいに存在するし。

「不正はあるけどそれはそれとして増税しましょう」に多くの国民が納得するかというと……。ま、無理でしょうな。

 せめて政治家だけでもこういう考えを持ってくれると助かるんだけど。


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2 件のコメント:

  1. 僕自身は何年も前から増税賛成なのですが、結局政府に対する信頼度が低いから増税は難しいんだろうなと思います。ただみんな減税を推すけど、減税っていう事は自分の所得内でやりくりしろ!って事なんでみんな大丈夫かなと思います。みんなで協力して増税した方が安上がりなのに・・・・。あと与党は所得制限をしたがっているのだけどそれでいいのか?って思いますね。

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  2. コメントありがとうございます!そうですよね、税金はむしろ貧しい人のためにあるものなので、減税して損をするのは裕福でない人のほうなんですけどね。「税金の使われ方が適切でない」「税金を上げるか下げるか」というまったくべつの問題を混同しないようにしないといけませんね。

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