こんな話を聞いた。
「幼い子は、周囲の大人が自分の世話を焼いてくれるので、すべての人は自分のために動く存在だとおもっている。だが成長するにつれて世界が自分を中心に回っているわけではないことを学ぶ。その理想と現実の衝突により引き起こされるのがいわゆる〝イヤイヤ期〟だ」
なるほど。ほんとかどうか知らないが、なかなか説得力のある話だ。
そりゃあ親が24時間つきっきりで世話してくれて、おなかがすいたと泣けばおっぱいを与えられ、だっこを要求すれば眠るまでだっこしてくれ、うんこを出せばおしりを拭いてくれるんだもの。自分を王族かなにかと勘違いしてしまうのも無理はない。自分を天上天下唯我独尊だと勘違いしているのはお釈迦様だけでなく、すべての赤ちゃんがそうなのだ(ちなみにお釈迦さまはマジ王族だったけど)。
だからだろう、うちの三歳児もご多分に漏れず自己肯定感が高い。両親からも祖父母からもおじやおばからも保育園の先生からもかわいがられるのだから、森羅万象から愛されて当然だとおもっている。
そんな彼女にも天敵がいる。五歳上の姉だ。
驚くべきことに、姉は自分の言うことを聞いてくれない。いや、赤ちゃんのときはかわいがってくれてすべてを許してくれたのに、最近の姉はどんどん生意気になってきて私に歯向かうようになった。私の指示に従わないばかりか、あろうことかこの私に口ごたえをしたり、さらには手を上げてきたりもする。なんたる不敬。
こんな不届き者はいつか懲らしめてやらねばならぬが、甚だ憎らしいことにこいつは力が強い。武力で対峙するのは得策ではない。
……とまあこんなふうに考えるのだろう、次女は姉に悪口を言われると、
「もう、ねえねとあそんであげへん!」
と高らかに宣言する。
あっぱれ。王女様の気品。もうあなたには笑いかけてあげないわ。せいぜい後悔しなさい。
彼女にとっては「あそんであげへん」が最大の罰なのだ。なんと高貴なお方だろう。
とまあ三歳児のほほえましいエピソードを紹介したわけだが、そんな高貴な精神の持ち主は三歳児にかぎらない。いい歳した大人でもこういう高慢さ 品格を持った人は少なからずいる。
たとえばTwitterで有名人が波風の立つ発言をする。すると、こんなコメントがつく。
「そんな人とは思いませんでした。あなたの出ている番組はもう見ません」
「失望しました。あなたの書いた本はもう読みません」
このマインド、まさしく三歳児の「もうあそんであげへん!」のそれだ。
このわたくしに嫌われたのよ、このわたくしから見向きもされなくなったのよ、さぞつらいでしょうね。泣いて悔しがってももう遅いわよ!
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