上に挙げた漢字の共通点がわかるだろうか。
答えは、「小学一年生で習う漢字」だ。
こうして見ると、いくつかの共通点が見えてくる。
まず、当然ながら「画数の少ない漢字」。龍とか躑とか簫とかは出てこない。
それから「具体物を指す漢字」が多いことに気づく。一年生でも理解できる、身の回りにあるものを指す漢字だ。
たとえば「干」「丈」「乞」はいずれも三画の漢字だが、一年生では意味をつかみにくい。こうした漢字はまだ習わない。
また、ほぼ熟語でしか使わない漢字「凡」「寸」「士」なども三画だが、まだ習わない。一年生で習う漢字は、ほとんどがそれ単体で具体物や具体的な行為を指すものばかりだ(上下左右などは抽象的概念ではあるが一年生でも理解できる)。
二年生になってもこの傾向は大きくは変わらない。
これが二年生で習う漢字。家族、身体の部位、動物、色、季節、自然現象など、やはり低学年でも理解できる概念が多い。
よく考えられているなあと感じるとともに、ちょっと時代に合わないのではないかと感じる漢字もいくつか混ざっている。
「村」「麦」「刀」「矢」「弓」あたりは、昔は身近なものだったのだろうが今ではあまりなじみのないものになっている。というか刀や弓矢が身近だったのっていつの時代だ。
このあたりの漢字を習うのはもう少し後でもいいんじゃないか。
特によくわからないのが「京」と「汽」だ。
「京」を使う熟語といえば、上京、帰京、在京などで、いずれも低学年はまず使わない。
固有名詞(東京、京都、北京など)でよく使われるじゃないか、という意見もあるだろう。だが、「奈」「栃」「沖」「賀」「群」「徳」「富」「城」など「都道府県名で使われている漢字シリーズ」は四年生で習う。「阪」「茨」「埼」「潟」「媛」「阜」など地名以外ではまずお目にかかれないような難しい漢字もみんな四年生だ。「京」だけ特別扱いをするのはおかしい。「京」も四年生でいい。
さらに解せないのが「汽」だ。
「汽車」「汽笛」「汽船」「汽水」……。はっきりいって今の小学生にはまったくなじみのない言葉ばかりだ。というか大人のぼくでも汽車や汽船なんて実物を見たことないぞ。
きっと汽車があたりまえに走っていた時代に「これは身近なものだから二年生で習うべき」と定められて、ずっとそのままになっているんだろう。
おい「汽」よ。おまえ、いつまで子どもの身近な存在みたいな顔をして二年生の教科書に居座るつもりだ。はっきりいって子どもはおまえなんかに興味ないんだよ。さっさと引退して後進(通信の「信」とか)にその座を譲りやがれ! この老害が!
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