たいへんまじめな高校生だったので、在学中に酒を飲んだことは二度しかなかった。なんてまじめなんだ。
今の高校生はどうだか知らないが、ぼくが高校生だった二十数年前はまだまだ未成年の飲酒に対して社会全体がゆるく、コンビニでも年齢確認なしで酒が買えた時代だ。そりゃ飲むだろう。
「文化祭の打ち上げで○○先輩がファミレスでビールを飲んだのがばれて停学になった」という話も聞いた。近所のファミレスで飲むほうも飲むほうだし、明らかな高校生集団にビールを提供する店も店だ。まあとにかくそういう時代だったのだ。なのに二度しか飲まなかったというのは、えらいというほかない。あっぱれ。
一度目は三年生の夏休み。友人三人と、夜中の小学校に忍びこんで缶チューハイをほんの少しだけ飲んだ。
(そのときの顛末は以前にも書いた。→ 死体遺棄気分の夏 )
二度目は三年生の大晦日。ホームセンターでどきどきしながら缶チューハイを買い、高台にある小学校にしのびこんだ。テラスで寒さにふるえながら年を越した。寒すぎてまったく酔わなかった。
酒を飲んだのは二度とも小学校だ。人が来ないので見つかりにくい、金がなくても行ける、少々大きな声を出しても大丈夫、という条件を満たしてくれるのは夜の学校ぐらいしかないのだ。
これはぼくらだけではない。同級生の女の子は夜の中学校のプールで泳いでいて警察に怒られたと言っていたし、やはり別の友人は夜の高校の体育館で煌々と灯りをつけてバスケットボールをやっていたら警察に追い回されて走って逃げて転んだところを捕まった。
田舎の高校生が人目を忍んで行くところといえば学校ぐらいしかないのだ。この支配から卒業するために行く場所が学校しかないというのは、なんとも皮肉なものだ。きっと尾崎豊が夜の校舎で窓ガラスを壊してまわったのも、教育制度に対する反抗心と言うよりは「他に行くところがなかった」が近いんじゃないだろうか。
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