不愉快なことには理由がある
橘 玲
某レビューサイトでこの本のレビューを見たところ、
「すごい! 目からウロコだ! マスコミが伝えない『不都合な真実』を教えてくれる!」的なレビューを書いている人がいた。心配だ。
いやいや、この本に書かれてることは与太話ですよ。たぶん著者ですら本気で信じてるわけじゃないですよ。
もちろんパーツパーツで見れば書いてあることほとんど正しいんだけど(というかいろんな本からのつまみ食い)、論理的にはずいぶん飛躍がある。
「行動生物学で見ると人間には〇〇のときには××をしがちな習性がある」が正しくても、「××が起こったのは〇〇によるものだ」が真実とは限りませんよ。
著者はすごく賢い人だから、その論旨が乱暴なことは百も承知だろう。でも、言い切った方がおもしろいから言い切っている。この事象の原因は〇〇だ、と。
そこをわかった上で「はっはっは。おもろい意見ですなあ」と話半分に受け取るのが、この本の正しい読み方だ。落語家の過激な意見と同じ。
与太話なんだから、「目からウロコだ!」的な読み方をしちゃだめだよ。
論旨は乱暴だけど、いや乱暴だから、話はおもしろい。おもしろすぎる話には要注意だ。すっと腑に落ちる話はたいていうそだ。
いろんな本のおいしいところどりをしてくれているので、てっとりばやくいろんな研究や学説を知れて楽しい。
金持ちになっても人間はあまり幸福にはなれない。これはほんとそうだとおもう。
ただ、それが〝遺伝子のプログラム〟によるものかというと眉唾だ。だって「貨幣を使うようになってからの歴史が浅いから」と言いだすのなら、じゃあなんで人は必死に金儲けをするのか、ときには他人をだましたり殺したりしてでも貨幣を求めるのか、とか説明できなくない? 都合のいいところだけ〝遺伝子のプログラム〟のせいにしちゃうのはずるいなあ。
「貨幣を使うようになってからの歴史が浅いことが、貨幣を貯めても幸福になれない原因だ」がほんとうなら、「穀物や肉をたっぷり蓄えたら幸福になれる」ってことになるよね? 人類は誕生してからずっと食物を求めてきたんだから。
でもたぶん、食物を蓄えるだけでも幸福にはなれない。
つまり著者のこの説明はたぶんウソだ。
「金持ちになったからといって必ずしも幸福にはなれない(A)」は真実だし「人類が貨幣を使うようになってからの歴史はまだ浅い(B)」も真実だが、「(A)の理由は(B)だ」はウソだ。
多数決の話。
そうだよなあ。多数決って、少数派を多数派が数の力でねじふせるってことだから根本的に「恨みを残す」制度だ。おまけに決断者がいないので無責任な制度でもある。
だから重要なことを決めるのに多数決はなじまない。「今日の昼めしどうする?」レベルの話なら遺恨は残さないだろうが、「新居をどこに建てる?」「甲子園予選の先発投手誰にする?」みたいな重要なことを多数決で決める家族やチームはないだろう。あれば、きっとすぐに離脱者が出て組織は崩壊する。
もう一度書くが、多数決は重要なことを決めるのに適当な手段ではない。
じゃあなぜ国政選挙や生徒会選挙で多数決が使われるかというと「てっとりばやい手段」だからだ。
多数決はぜんぜん公平でもないし民主主義的でもないし遺恨は残すし責任の所在があいまいになるし悪いことだらけだけど、「有限の時間でてっとりばやく決められる」という理由があるから便宜的に採用されているだけだ。じゃんけんやあみだくじで決めるのと大差はない。
満場一致になるまで全国民が話し合ってたら寿命が何年あっても足りないから多数決をとっているにすぎない。
それはそれでしかたないんだけど、問題は、多数決はとりあえず採用している欠陥だらけの方法だということを忘れて「多数決で決めたんだから文句言うな」なんてことを言いだす輩が現れることだ。
そんなに多数決がいいとおもうのなら、「自分が誤認逮捕されたとして、裁判員の多数決だけで有罪になったら納得いくか」を想像してみたらいい。わかったか、二度と「選挙の結果に文句言うな」なんて口にするんじゃねえぞ。「選挙をやりなおせ」は乱暴だが「選挙結果は民意の反映ではない」はれっきとした事実だ。
日本でも見た目がいいだけの政治家がたくさん票を集めて当選したりしているので、この傾向は万国共通だろう。
人間のこういう性向は知っておいた方がいいね。自分たちがいかに見る目がないかを。面接や投票のときに、自分では理性的に判断を下しているようで、実は直感的な好悪で判断しているだけだということを。
「見栄えのいい愚か者」を信じちゃだめですよ。あと「わかりやすくておもしろすぎる話」もね。特に行動生物学を引き合いに出して社会現象を読み解くような。
残念ながら世の中はそんなにシンプルにできてないんで。
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