久坂部 羊『ブラック・ジャックは遠かった
阪大医学生ふらふら青春記』
青春エッセイっていろんな人が書いてるけど、これはおもしろくなかったなあ……。
特にめずらしくない体験を、おもしろみのない文章でつづっているだけで。
授業をサボって一人旅したとか、海外であぶないめに遭いそうだったとか、当人にしたらビッグイベントでも、他人からしたら「大学生のよくある話」なんだよね。
新卒の採用面接をしてたらこういう話を何十回と聞かされるんだろうな……。
ぼくは青春記と呼ばれるエッセイが大好きで、中高生のころ大いに影響を受けた。
北 杜夫『どくとるマンボウ青春記』
畑 正憲『ムツゴロウの青春記』
東海林さだお『ショージ君の青春記』
東野 圭吾『あの頃ぼくらはアホでした』
原田 宗典『十七歳だった!』
どれもすごくおもしろかったから「青春時代のことを赤裸々につづったエッセイにハズレはない」って思ってたんですけど、そうでないのもあるんだなあ。
ぼくがもう"今の自分"や"未来の自分"とエッセイの内容を重ねておもしろがれる年齢じゃなくなった、ってのもあるんだろうけど。青春記としてはおもしろみに欠けるエッセイだったけど、医学生としての実習内容やそのとき感じたことを書いている部分に関しては、へえそうなんだと思うことも。
ぼくが通っていた大学にも医学部はあったけど、医学部の学生って謎だったんだよね。
キャンパスもちょっと離れていて、一般教養の授業にもそんなに来ていなくて、医学部に入るわけだから他の学生よりもずっと優秀なんだろうし、他の学部と違って6年もある上に2浪3浪もザラだから平均年齢も高いし、なんだかんだで「住む世界がちがう」感じがあったんだよね。
友人にも医学部のやつはいなかったし、医学部生がどんなことをしているのか、どんなことを考えているのかっていう情報はほとんど入ってこなかった。
久坂部さんは、実習や研修を通して、多くの矛盾を感じたと書いている。
ぼくは大学病院に入院したことがある。
といってもそんなに重い病気ではなく、肺気胸というそうめずらしくない病気で(肺に穴が開くので深刻な病気っぽいんだけどね)。
そのとき、
「紹介状を持っていない人はものすごく待たされます。よほどの病気じゃないかぎりはまずは一般病院や医院に行ってください」
という貼り紙がしてあったのを記憶している。
だから、大学病院は最先端の医療で難病や奇病を優先的に見る場所、というイメージをずっと持っていた。
でもこれを読むかぎりでは、難病すぎても受け入れてくれない場所なんだね。
ぼくもこの記述を読んで「ひどい」と思った。
自分や家族が「治る見込みが薄いから出ていってくれ」といわれたらものすごく怒るだろう。
たとえ1%でも治る見込みがあるんだったらそこをなんとかするのが大学病院の仕事だろう、と。
でも久坂部さんも書いているように、逆の立場で、大学病院のベッドの空きを待っている状況だったら、また違う考え方をするとおもう。
「こっちは今なら70%の確率で治るんだから、悪化する前に優先的に治療してくれよ。手遅れの人より治る見込みのある人を優先してくれ」と。
身勝手な話だけどね。
手塚治虫『ブラック・ジャック』に『オペの順番』という話がある。
代議士と赤ちゃんとイリオモテヤマネコが銃弾を受けて、ブラック・ジャックは傷の深刻なほうから、イリオモテヤマネコ→赤ちゃん→代議士という順で手術をする、という話。
あの話って、代議士がとことん嫌なやつとして描かれているから読者も納得するんだけど、逆の状況だったら考え込んでしまう問題だよね。
金のために動いてばかりいる横柄な代議士のほうが重傷だった場合、はたしてブラック・ジャックは赤ちゃんよりも代議士を優先させることができるだろうか? その場合でも「患者に貴賤はない。重症患者を優先させるだけ」と言えるだろうか?
リソースにかぎりがある以上、治療には優先順位をつけないといけないけど、すべての人が納得する最適解などない。
だから医師って自分のできる最善を尽くしても、どこかから恨まれる可能性があるわけで(ブラック・ジャックが、自身が救った代議士から訴えられたように)。
たぶん医療の道に進む人はほぼ全員が、「ヒューマニズムあふれる理想の医療」と「公共の福祉を最大化するために一部の人を見捨てないといけない現実」の間で葛藤するんだろう。
多くの医師は、経験を積むことによって自分の中で「とりあえず納得できる答え」を見つけて折り合いをつけていくんだろうけど、久坂部さんははじめに感じた「矛盾」を大切にしているように思える。
久坂部さんは、研修医のときは許せなかったけど、医師としての経験を積むことによって考えが変わったこともあると書いている。
手術をはじめたものの、摘出しにくい部分にがんが転移しているのを見て、手術をあきらめる医師。
それを見た若き久坂部さんは、「このままがんを放っておいたらどうせ死ぬんだから、難しくても挑戦すればいいじゃないか。患者はすべて取り除いてもらえるものと信じて手術を受ける決断をしているのに。これが自分の家族でも見捨てるのか」と、その姿勢に憤る。
でも、無理に摘出をしたら他の臓器に負担がかかって死ぬかもしれないし、摘出できたとしても、臓器がなくなって体力が落ちるから長く闘病できないかもしれない。
総合的に判断した結果、がんを放っておくほうが延命できる可能性が高いから放置するのだということに後年になって気づかされる。
「未熟ゆえの憤り」だったわけですけど、でも今でも当時の青くさい気持ちをしっかり持っているというのはすごい。
ぼくももう若くない歳になって、若い人が社会のシステムに怒っていても
「若いからだよ。そのうち許容できるようになるよ」
と思ってしまうこともある。
でも自分が同じように怒れなくても、彼の怒りを理解することは必要なんじゃないだろうか。
ブラック企業の中に漬かっていると価値観がおかしくなるように、矛盾を許容している自分のほうが狂っているのかもしれないから。
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