2020年5月13日水曜日

女スパイの成長

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五年前のこと。
まだ一歳だった長女を連れて近所の公園に行くと、女の子が木の上から話しかけてきた。
「あかちゃん、かわいいね」
と。

「ありがとう。きみは何歳?」
 「六歳」
「一年生?」
 「そう」
「名前は?」
 「のんちゃん」
「ふうん。のんちゃん、木登り上手だね」
 「スパイだから」
「スパイ?」
 「そう。スパイなの、あたし」

その子はひとりで木に登ってスパイごっこをしていたのだった(なぜスパイが木に登るのかはわからない。目立つことこのうえないとおもうのだが)。
話をしてみると、同じマンションに住む女の子だった。

その後もときどきのんちゃんとは顔を合わせた。
マンションのエレベーターで。公園で。娘を保育園に連れていく途中で。

「おはよう」と話しかけると、ちゃんとあいさつを返してくれる。
「こども大きくなったね」とか「今日からプールやねん」とか「クラブはじまったからたいへんやわ」とか、近況も教えてくれる。

ところがこないだ。
ひさしぶりにのんちゃんに会ったので「おはよう」と言うと「あ、おはようございます」と言われた。

ございます?

「のんちゃんは何年生になった?」
 「あっ、六年生になりました」
「そっか。大きくなったね」
 「そうですね。最高学年なんでいろいろたいへんです」

これは……。
のんちゃんの受け応えにそつがなくなっている……。

丁寧語を使っている。言葉を選んでいる。近所のおじさんに話すのにふさわしい話題と言葉遣いを選んでいる。

成長しているのだからあたりまえなんだけど。いいことなんだけど。

だけどぼくはちょっぴり寂しかった。あの女スパイののんちゃんが丁寧語を使うなんて。もうむじゃきな女スパイじゃないんだなあ。あたりまえだけど。
成長することは、何かを得ることであると同時に、何かを失うことなんだなあ。
ぼくの友だちの女スパイはもういない。


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