2020年5月22日金曜日

【小説】肥満禁止社会

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いつものように改札に定期を入れるとブザーが鳴った。
そうだった、今日からだった。すっかり忘れていた。カードケースを取りだし、ICカードを押しあてる。
今日から二倍の料金か。ため息をつく。だが仕方がない。

改札を抜け、階段をおりる。膝が痛むので手すりにつかまりながらゆっくりと。他の乗客たちはエスカレーターでホームへとおりてゆく。必死に階段をおりるおれのことを笑っているように見える。ちくしょう、ほんとはおれのようなやつこそエスカレーターを必要としているのに。

地下鉄に乗りこむとちょうど座席が空いていた。一瞬躊躇するが、二倍の運賃を払ったことをおもいだして腰をおろした。二倍の運賃を払っているのだから当然座る権利があるはずだ。
ほっと一息ついて鞄から文庫本を取りだしたのもつかぬま、老婆から声をかけられた。
「ちょっと、座るんだから立ちなさいよ」
さっき扉が閉まる直前に駆けこんできたババアだ。

昨日までならおとなしく立ちあがっていたところだが、今日はちがう。なにしろ運賃二倍なのだ。
「わたしは二倍の運賃を払っているんですよ。当然座る権利もあるはずです」
「はあ? 何言ってるのよ。そんなの関係ないでしょ。デブに座る権利があるわけないじゃない」
周りの乗客がこちらを見る。一人の中年男がこちらに近づいてきた。まるでこうなるのを待っていたと言うような薄笑いを浮かべて。
「まあまあ。こちらの女性に席を譲ってあげましょうよ。こちらは細身の方なんですから」
ババアはほれみなさいよという顔でこちらを睨みつける。だがおれも黙ってはいられない。
「しかしですね。今日から体重100kg以上は運賃が二倍になるんですよ。二倍払っているんだから当然座席を二人分使う権利もあるでしょう」
「運賃が二倍なのは重量が二倍だからです。それで得られるのは乗る権利であって座席を二人分占める権利ではありませんよ。ほら」
男は反論を予想していたかのようにタブレットの画面を見せてきた。新聞社のサイトが表示されており『今日から施行! 肥満乗客対策法に関するQ&A』という記事があった。記事の内容はちらりと見ただけだが、どうやらおれのほうが分が悪いようだ。あきらめて立ちあがる。
ババアはわざとらしく座席に脱臭スプレーを吹きかけてから腰をおろした。その隣にスペースはあるがもちろんおれは座れない。仮に座れたとしてもあのババアの隣に座るのはごめんだが。

事の成り行きを見ていた乗客数人がスマホを取りだして何やら入力しはじめた。きっとSNSで「デブが迷惑行為!」的なことを発信するのだろう。
おまえらも全員デブになれ。心のなかで呪いをかける。

おれはスマホを取りだして、検索窓に「肥満乗客対策法」と打ちこんだ。
すぐにさっきのサイトが見つかった。じっくり読んだが、やはり肥満に座る権利はないらしい。「立つことでカロリー消費を増やし、肥満から解放されることが狙い」なんて書いている。まるでおれたちのために立たせてやっている、とでもいうように。
嘘つけ。「デブはじゃま」が本音のくせに。

ここ数年の肥満バッシングはすさまじい。
ポリティカルコレクトネスだのなんだの言ってるくせに、デブだけは差別してもよいという風潮だ。昨年の流行語大賞には「デブハラ」がトップ10入りした。デブは存在自体がいやがらせなのだそうだ。
おかげですっかり肩身が狭くなってしまった。狭くないけど。

肥満乗客対策法についてもおれは納得していない。
「重量が二倍であれば運賃も二倍にするのは正当な料金体系だ。郵便物だって重さに応じて値段が変わるじゃないか」というのが賛成派の主張だ。
だったら体重六十キロの人間は四十キロの人間の五割増しにしろよ。幼児だって体重に応じて料金負担しろよ。おれはそうおもうが、肥満者の意見は通らない。
結局みんな太ったやつを差別したいだけなのだ。喫煙者と太った人間はどれだけ差別してもいい。それが世の風潮なのだ。

きっかけは数年前だった。
SNSで作家が書いた「デブのせいで六人掛けの座席に五人しか座れない」という投稿が爆発的に拡散された。
それをきっかけに「楽しみにしていたライブなのに隣がデブだったせいで窮屈だった」「デブがいるとエスカレーターがスムーズに流れない」だのといった声が広がりはじめた。あげくには「高速道路が渋滞するのはデブのせいだ」なんて言いがかりとしか思えない投稿もあったが、反論よりも支持のほうがずっと多かった。
ちょうど同じ頃に厚生労働省が「医療費が増えているのは肥満のせい」「介護職の離職率が高いのは肥満老人の介護負担が大きいから」なんてデータを発表して、一気に肥満バッシングムードが高まった。国民からの批判をかわすためにおれたちをスケープゴートにしているだけなのに、人々はかんたんに乗せられた。
今じゃどの鉄道会社も「肥満の方は標準体型の方に席をお譲りください」とアナウンスをしている。肥満禁止車両までつくられた。まるで痴漢のような扱いだ。

医療費も上がった。100kg以上は保険証を持っていても6割負担。それでも「医療費増大は肥満のせい」という声は収まることがない。
肥満のほうが早死にするから生涯医療費は少なくて済む、なんてデータを上げて擁護する声もあったが(もちろん擁護者も肥満なのだろう)、焼け石に水。世間が求めているのはデータではなくサンドバッグなのだ。

言いたいことはたくさんある。
好きで太っているんじゃない。遺伝子のせいなんだ。人よりよく食べるということはたくさんお金を使っているということだ。消費税もいっぱい払ってるんだ。8%の商品ばっかりだけど。経済を回して税金負担しているんだ。蔑むな、むしろ称えよ。
でも言わない。
世間が求めているのはもの言うデブではなくもの食うデブなのだ。


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