魔女狩り
森島 恒雄
中世ヨーロッパにふきあれた魔女狩りの嵐。
その実情にせまるため、キリスト教の立場の変化、魔女狩りが起こった理由、魔女裁判や拷問・刑罰、収束していった背景などについて書いた本。
1970年刊ということで今から五十年も前の本だが、魔女狩りの本は他にあまり出ておらず、五十年たった今でもこれが魔女狩りについていちばんよくわかる本なのではないだろうか。
ぼくは知らなかったのだが、魔女狩りの対象となった「魔女」は女だけではなかったらしい。男も女も「魔女」にされたらしい。
魔女狩りはとにかくおそろしい。
なんと「世間のうわさ」だけで逮捕され、魔女扱いされてしまうのだ。
一度魔女の疑いを持たれると、過酷な環境の牢獄に入れられさまざまな身体的苦痛を受け(しかもそれは「拷問」ではないという扱いだった)、その後は本格的に拷問を受ける。
拷問を受けても「自白」しなければ、それこそが魔女の証とされ(魔女だから痛みや苦しさを感じないという理屈)、死よりも苦しい拷問が延々続く。
自白しなければ生きたまま火あぶり、自白すれば絞首の後に焼かれる。いずれにせよ殺されることには変わりなく、また他の魔女の存在を白状するよう拷問を受け、苦しみから逃れるために別の人間を「魔女」としてでっちあげる。そしてまた拷問が……。
という終わりのない苦しみが延々と続く。
まったく罪のない人間が魔女にされ、どれだけ否定しても拷問を受け、死ぬまで、いや死後も魔女としての汚名を着せられるのだ。
……いやほんと、言葉も出ない。
我々が知っている「人間の残酷な所業」はそのほとんどが二十世紀の出来事だが、それより前の出来事は記録が乏しいからあまり伝わっていないだけで、もっとえぐいことをやっている。
そりゃあ二十世紀に虐殺された人たちもめちゃくちゃ気の毒なんだけど、魔女狩りで拷問を受けて焼かれた人からしたら「魔女狩りの拷問に比べたらぜんぜんマシじゃん」と言いたくなるんじゃないかな。
それぐらい魔女狩りのえげつなさはレベルが違う。
もともと「魔女」はごくふつうの社会の一員だったらしい。
薬を作ったり占いをしたりする人が「魔女」とされ、社会に受け入れられていたらしい。
今の時代なら薬剤師や気象予報士や経済アナリストみたいなものかもしれない。
魔女が裁かれることはあったが、それは「他人を呪い殺した」といった罪で裁かれるのであって、存在自体が罪であったわけではない。
だがキリスト教による異教徒弾圧が過激化するにともない、魔女は「存在自体が罪」「反論の余地を与える必要もないし何をしてもいい」という存在に変わっていった。
なぜ魔女狩りがエスカレートしていった理由は、宗教思想というより、意外にもカネと政治によるものが大きかったらしい。
権力者(法皇)が、敵対する者を陥れるためや共通の敵を使って自分への支持を高めようとするためだったり。
あるいは「魔女」の財産が目的だったり。
結局、人を残忍な行為に走らせるのは思想ではなく政治(権力)とカネなのだ。
虐殺とか大規模な不正とかもたいてい裏にあるのは政治とカネだ。
もちろん二十一世紀の今、魔女を本気で糾弾する人はいないだろうが、「魔女狩り」は今後も起こるだろう。いや今でも起こっているかもしれない。
現代日本の「起訴されたら99%有罪」「逮捕されたら犯罪者扱い」なんてのはほとんど魔女裁判と一緒だ。
政府の不正を隠すために必死に隠蔽や虚偽の報告を続けている内閣府の官僚なんかは「魔女狩り令」が出たらいともかんたんに「魔女」に対して残忍な拷問をするだろう。
魔女狩りが教えてくれるのは、
「昔の人は迷信を信じていて愚かだった」でも
「キリスト教は異教徒に対して残忍なことをする」でもない。
「人間は権力とカネのためならどんなに残忍なことでもする」だ。
ぼくもあなたも。
だからこそ基本的人権という制度があるのだ。
「〇〇人が攻めてくるかもしれない」なんて言って「敵」をつくって基本的人権を制限しようとする人間が現れたときには気を付けましょう。
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