自分では気づかない、ココロの盲点
池谷 裕二
脳科学や行動経済学の本をほとんど読んだことのない人なら目からうろこの内容がてんこもりなんじゃないかな。
「かんたんにわかる心理学」みたいな本って玉石混交なんだけど(というか九割ゴミ)、池谷裕二さんの本は安定しておもしろい+根拠もしっかりしている。
『進化しすぎた脳』も『単純な脳、複雑な「私」』もわかりやすくおもしろかった。
『自分では気づかない、ココロの盲点』でも出典を明らかにしていて(また聞きではなくオリジナルの実験)、「こういう実験をしたらこんな結果が出ましたよ」と書くにとどめて「だから必ず〇〇のときは××になる!」みたいな乱暴な結論は書いていない。
さらにクイズ→解答+解説 という構成にすることで、多くのトピックをテンポよく紹介している。
よくできた本だ。講談社ブルーバックスなので中高生におすすめしたい。
とはいえ池谷さんの著書を何冊か読み、行動経済学の本も読んできた身としては毎度おなじみの話題が多くていささか退屈。『進化しすぎた脳』のほうがより深い知見が得られるとおもうな。
6種類の商品を販売したときと、24種類の商品を販売したときで売上がどう変わったかを示す実験。
「偽善的な自己満足」は言い過ぎだとおもうが、これはよくある話だ。
こないだiDeCo(個人型確定拠出年金)という金融商品の資料請求をおこなった。
iDeCoの説明が書いたパンフレットが送られてきて、ふむふむよさそうだな申し込んでみようかとおもってパンフレットの後半を見たら、商品が数十種類並んでいた。
わ、わからん……。
これが三種類ぐらいだったら「Cはないし、AとBだったらAのほうが良さそうだからAにしよう」とすぐ決められるのに。数十種類あったらはたしてどれがいちばんいいのかわからない。
で、結局パンフレットを放りだして申し込みをしないまま今に至る。
こういうときに誰かが「いちばん人気なのは××か△△ですね」と言ってくれたら「じゃあそれで!」と飛びついてしまうだろう。
こういうのってものにもよるけどね。
お昼の定食だったら五種類ぐらいでいいけど、居酒屋でおつみまみを頼もうとしたら五種類しかなかったらもう二度と来たくない。
選ぶ楽しみのある場合と、選ぶことに頭を使いたくない場合があるよね。
二つのグループに写真を見せる。片方のグループは写真を見て受けた印象を語り、もう片方は何も語らない。
しばらくして何枚かの写真を見せて「前回見た写真は?」と尋ねると、印象を語ったグループのほうが正解率が低かったという実験結果。
ぼくは文章を書くのが好きなので、言語化が得意だ。
映画を観終わってから「どんなストーリーだったか一分で語ってください」と言われたら、そこそこうまく要約できる自信がある。
一方、妻は言語化が得意でない。
ふたりで映画を観てから感想を語りあっても、妻からはあまり感想が出てこない。
ところが、映画のワンシーンや台詞や音楽のことをおぼえているのは圧倒的に妻のほうだ。
彼女が、目にしたもの、耳にしたものをそのままの形で記憶している。だから「あるシーンの二人の役者のやりとり」を一字一句正確に再現できたりする。
一方ぼくは観たものを自分の言葉に変換して圧縮してから脳に格納しているので、再現ができない。「たしかジャイアンとスネ夫が勝手にバギーに乗って出かけちゃって、朝になってそれを知ったドラえもんたちがあわてふためくんだよね」といった大まかな説明しかできない(『のび太の海底鬼岩城』を例にとると)。そのときドラえもんが発した台詞は圧縮時に削除されている。
どっちがいいという話ではないが、記憶の仕方は「おおざっぱにしか覚えないが、短期的に多くの情報を処理できる」と「正確に覚えられるが、記憶するのに時間がかかる」というべつのやりかたがあるのはまちがいない。
だから、何かを覚えるため要点をメモするのは考えものだ。要点メモは大まかに覚えるのには向いているけど、正確に記憶するためにはかえって足をひっぱることになるかもしれないから。
ふははは。
さすがネコ。
賢いというか怠惰というか。
根っからの貴族体質なんだな。やはり人間はネコの従順たるしもべとして働くために生まれてきたんだな。
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