2020年2月10日月曜日

【読書感想文】振り込め詐欺をするのはヤクザじゃない / 溝口 敦・鈴木 智彦『教養としてのヤクザ』

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教養としてのヤクザ

溝口 敦  鈴木 智彦

内容(Amazonより)
芸人の闇営業問題で分かったことは、今の日本人はあまりにも「反社会的勢力」に対する理解が浅いということだ。反社とは何か、暴力団とは何か、ヤクザとは何か。彼らと社会とのさまざまな接点を通じて「教養としてのヤクザ」を学んでいく。そのなかで知られざる実態が次々と明らかに。「ヤクザと芸能人の写真は、敵対するヤクザが流す」「タピオカドリンクはヤクザの新たな資金源」「歴代の山口組組長は憲法を熟読している」―暴力団取材に精通した二大ヤクザライターによる集中講義である。
ヤクザに精通したふたり(といってもこの人たちはヤクザではなくライター)による「今のヤクザ」に関する対談。

幸いにしてぼくはヤクザとは無縁の生活を送っているのでヤクザのことなんて映画やマンガで出る覚醒剤、拳銃、抗争、ショバ代……ぐらいのイメージしかなかったんだけど、この本を読むかぎりヤクザはわりと身近なところにいるらしい。

なにしろタピオカ、精肉、漁業、建設、原発などいろんな産業にヤクザが入りこんでいるらしく、そうなるとまったく無縁の生活を送ることはほぼ不可能だ。
溝口 昨年、カナダで大麻が解禁されましたが、それまでマフィアは大麻でも儲けていたわけです。カナダ政府が大麻を解禁したのは、犯罪でなくなれば捜査の手間や経費がかからなくなるうえ、大麻産業から税金を徴収できるようになる。こういうソロバン勘定で、要するに、ヤクザの儲けを政府が奪ったわけです。
 日本のヤクザも、希少な高山植物を採りに行ったり、あるいは禁止されているかすみ網で、鳴き声が綺麗な小鳥を獲ったり。自分が追い込まれたり、困ったりしたら何でもやっちゃうという習性がある。そういう人たちなんです。その習性の一つとしてサカナもあるのかなと。基本的にこの見方はそれほど間違ってはいないと思う。
鈴木 絶滅危惧種だの何だの、「獲ったら大変なことになる。ウナギが食べられなくなる」と煽られれば煽られるほど、ヤクザとしては美味しいシノギになるわけですね。禁漁というルールがあるからこそ、ヤクザの付け入る隙が生まれてくる。
 実際、ウナギの場合は、もちろん減っていることは事実なんですが、必要以上に絶滅危惧種と煽られることで、稚魚であるシラスウナギの密流通の値が上がっている。これは事実です。
なるほど。禁止されているものを扱うのがヤクザの仕事なのか。
だから拳銃や覚醒剤はもちろん、希少なものであればヤクザの商売道具になりうるわけだ。たとえばゲームが禁止されたらヤクザがゲームが扱いだす、という具合に。

水産庁が「ウナギが減っているからウナギ漁を抑制しよう!」となぜやらないのだろうとおもっていたけど、その背景にはもしかしたらこういう理由もあるのかもしれない。
制限してしまうと密漁や密輸が横行してヤクザを儲けさせることになるのかもしれないね。
アメリカの禁酒法がマフィアが勢いづかせることになったように。
溝口 五輪の場合、スタジアムの建設や人材派遣に膨大な人手が必要だから、ヤクザの入り込む余地が生まれる。建設業界は被災地の復興で人が回せないという状況ですからね。人が足りなくなれば、暴力団から人材が供給されることになる。
鈴木 私が東日本大震災後に福島第一原発に潜入取材したときは、五次請けでしたよ。でも周囲には六次、七次、八次という業者もいた。
溝口 八次請けじゃ、暴力団が入っていても元請けの建設会社はわからないよね。
鈴木 わからないでしょうね。実際、福島第一原発の廃炉関連事業には暴力団関係者が相当入っていました。
廃炉作業なんてのはやりたがる人が少ないから、ヤクザを介在させるのは必要なことなのかもしれない。
暴力団関係者を徹底的に排除してしまったら作業をする人間がいなくなってしまう。だから関係者は暴力団関係者とわかっていても目をつぶらざるをえない。
うーむ、こういう話を聞くと、ある分野ではやっぱりヤクザは必要悪なのかなあとおもってしまう。
誰もやりたがらないけどやらなきゃいけないこと、ってのはぜったいにあるもんね。

東日本大震災復興予算のかなりの部分が、被災地と関係のないところに流れたと聞く。それは納税者としても一市民としてもぜったいに許せないことなんだけど、しかし「ヤクザ以外にやりたがらない仕事」のために使われた部分もあるだろうし、そのへんを完全に切り分けるのは難しいだろうから、やっぱり現実問題としてある程度ヤクザやグレーの企業に流れるのはしかたないことなのかなあ。



詳しくない人間からすると「ヤクザ」と振り込め詐欺をするような「半グレ」はどっちも同じようなものなんだけど、当事者たちからするとまったくべつの組織なんだそうだ。

昨年、芸能人が反社会的組織と付き合って話題になった。
ぼくは「ヤクザとの付き合い」だとおもっていたけど、あれはヤクザではないそうだ。振り込め詐欺などは、(基本的には)ヤクザの仕事ではないみたいだ。
溝口 暴力団の看板を一度背負ってしまうと、警察に登録されてしまっているから、今さら半グレにはなれないという現実的な問題もあるんですが、やっぱり、〝ヤクザ愛〟があるんですよ、彼らには。
鈴木 ヤクザとしてのプライドですよね。矜持がある。
溝口 山口組五代目・渡辺芳則は「我々は反社と呼ばれたくない」「反社会的集団ではない」と言った。織田も同じようなことを言っています。彼らの基準では、反社会的集団のなかに半グレも含まれてるし、特殊詐欺のグループも含まれている。そういうのと一緒にするなと。
鈴木 ヤクザであることに強いこだわりがある。ここが一般の人にはわかりにくいんですよね。
 半グレのほうが儲けているかもしれないが、裏社会のトップはあくまでヤクザであって半グレではない。反社のキングはヤクザであって、スリを捕まえて、「盗ったものを返してやれ」と言えるのはヤクザしかいない。
溝口 半グレからヤクザになることはあっても、その逆はない。
もちろんヤクザ(暴力団)は悪しき存在なんだけど、ヤクザと半グレを比べた場合、警察が扱いやすいのはヤクザのほうなんだそうだ。
警察はヤクザの組織構成はだいたいつかんでいるし、警察とヤクザの間である程度の取引もできる(ほんとはよくないことなんだろうけど)。
ヤクザには一種の美学もあるので、「罪のない年寄りをだまして金をまきあげる」ことに抵抗をおぼえるヤクザも少なくないかもしれない。
(だから年寄りを騙して金をまきあげてたかんぽ生命はヤクザではなく半グレ)

一般人からしても、どっちがタチが悪いかといわれれば、ヤクザのほうがまだマシなのかもしれない。
「金さえ払えば超法規的な手段でもめごとを解決してくれる組織」を必要とする人も多いだろうし。

ところが今、暴力団対策法によって暴力団の構成員が生活していけなくなり、昔だったらヤクザになっていたような人間が特殊詐欺グループに行くようなケースも増えてきているらしい。
ヤクザにはヤクザなりの秩序があったわけだが、その秩序すらない犯罪組織がどんどん拡大してきていると聞くと、はたして暴力団対策法っていいことだったのかなとふとおもってしまう。

かといってヤクザが幅を利かせている世の中ももちろんイヤなんだけど。

ヤクザに対する見方がちょっとだけ変わる一冊。

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