2020年2月23日日曜日

悪意なき凶器

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中学生のとき、田舎のおばあちゃんがうちに来た。
会うのは数年ぶり。

おばあちゃんはぼくの姉(中学生)を見るなり
「まーよう肥えたねー」
「ほんとによう肥えたわー」
とくりかえし言った。

ことわっておくが、姉は太っていなかった。どっちかといったら細身のほうだった。
そしておばあちゃんは決して意地悪な人ではなかった。むしろ孫には甘い顔しか見せたことのない人だった。

つまり、おばあちゃんには孫を傷つける意図は微塵もなかったのだ。
おばあちゃんの「よう肥えたね」は「大きくなったね」とか「すっかり大人の女性らしくなったわね」の意味だったのだ。

だがその言葉を肯定的に受けとる余裕は、思春期の女子中学生にはなかった。
姉は翌日からダイエットをはじめ、ごはんを残すようになった。



善意はときに凶器になる。
善意だからこそ傷つけることもある。

姉は決しておとなしいほうではなかったから、クラスの意地悪な男子から「やーいデブー」とはなしたてられても「うるせえバカ」と聞きながすことができただろう。

だが優しいおばあちゃんににこにこしながら言われる「よう肥えたねえ」は受けながすことができなかった。

悪意をまとっていないからこそ、言葉がダイレクトに胸に突き刺さったのだ。


だから、
「まあまあ、悪気があって言ったわけじゃないんだから」
「あの人も悪い人じゃないからね」
なんてことを言う人に対してはこう言いたい。

「悪気がないから傷つくんだよ!!」と。


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