2017年3月2日木曜日

【読書感想エッセイ】 ケリー・マクゴニガル 『スタンフォードの自分を変える教室』

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内容(「BOOK」データベースより)
60万部のベストセラーがついに文庫化!これまで抽象的な概念として見られていた「意志」の力についての考え方を根本的に変え、実際の「行動」に大きな影響を与えてくれる。目標を持つすべての人に読んでもらいたい一冊。

いかにも自己啓発書って感じのタイトルだけど(このタイトル嫌い!)、
自分の狭い経験談とどこかで聞きかじっただけの表面的な話を寄せ集めたビジネス系自己啓発本とはちがい(自己啓発本が嫌いなのよ)、
心理学者が実験から得た知見を、生活に活かすためにおこなった講義をまとめた本。


ぼくは毎日誘惑に屈している。
部屋を掃除しないといけないと思いながら寝そべって本を読み、
明日こそは早起きしようと思いながら夜ふかしして、
ゲームはもうやめようと思いながらアプリを起動する。
計画通りに行動できることはほとんどない。
先月「運動不足だから毎週プールに通おう」と決意したけど、結局プールに行ったのは1回だけ。

たぶんほとんどの人は、誘惑に屈しながら生きているんだろうね(そうであってほしい)。
これを読んでいる人たちも、禁煙に失敗し、ダイエットに失敗し、ジョギングは長続きせず、どうしても痴漢をやめられないよね。


「明日からは心を入れ替えよう」と思うのに、明日もまた失敗する。それは本能がじゃまをするから。
だったら脳のメカニズムを知って、本能に屈服するのではなく本能を利用して望ましい結果を手に入れようよ、というのが本書の論旨。

 また、科学は重要なことに気づかせてくれます。それは、ストレスは意志力の敵だということです。しかし私たちは何かをやりとげるには、多少のストレスがあっても仕方がないと思いがちで、ストレスをさらに増やすようなまねをします。やるべきことにぎりぎりまで着手しなかったり、自分の怠け癖や自制心の弱さを責めることで自分を奮い立たせようとしたり。
 あるいは、自分ではなく他人のやる気を引き出すためにストレスを利用することもあります。職場で猛烈な仕事ぶりを見せつけたり、家でカミナリを落としたり。
 そういうことは短期的には効果があるように思えるかもしれませんが、長い目で見た場合には、ストレスほどあっというまに意志力を弱らせるものはありません。ストレスに対する生理機能と自己コントロールの生理機能は、一緒には成立しないのです。
(中略)
 ストレス状態になると、人は目先の短期的な目標と結果しか目に入らなくなってしまいますが、自制心が発揮されれば、大局的に物事を考えることができます。ですから、ストレスとうまく付き合う方法を学ぶことは、意志力を向上させるために最も重要なことのひとつなのです。

ストレスがかかると脳の領域からエネルギーを奪い取り、体に向けられるそうだ。
で、意志が弱くなるんだとか。
納得。
酒好きの人ならお酒に走るだろうし、ぼくは甘党なので甘いものを食べたくなる。

「強いストレス下では目先の結果しか考えられなくなる」という習性は、人類が原始生活を送っていたころにはたいへん役に立った。
猛獣に出くわしたら(過度のストレスがかかったら)、何も考えずに全力で逃げたほうがいい。

でも現代社会において、軍人やスポーツ選手でもいないかぎりは、「頭を使わずに全エネルギーを身体に向けて短期的な結果を求める」ことが良い結果を生む状況はほとんどない(スポーツだって長期的に考えれば頭を使ったほうがいいし)。

頭脳労働をする上で「怒る」「怒鳴る」は逆効果にしかならない。
怒られる → ストレスがかかってパフォーマンスが低下する → 成績が悪化するからさらに怒られる → さらにストレスがかかる……という悪循環を生むだけ。
ビジネスの場でも、怒鳴り散らしている上司の部下がすばらしいパフォーマンスを発揮した、なんて話は聞かないよね。
「おれが怒鳴ったおかげであいつは成長した」って思ってる上司はいっぱいいるだろうけどね。



失敗したときに自分を責める人のほうが、同じ失敗をくりかえす傾向が高いんだとか。

一見、「全部私のせいだ。なんであんな失敗をしてしまったんだろう」と考える人のほうが、責任感が強そうだよね。
でもじっさいは逆で、自分を許す人のほうがプロジェクトをやりとげる「責任を果たす人」なんだって。

たしかに。
「まじめな人」って、学校では褒められる存在だけど、社会に出るとえてして「まじめなのにダメな人」になっちゃうよね。
だいたいどの部署にもひとりはいるよね、「まじめなのにダメな人」。
まじめにやっているのになぜか成果が出ない。周りも「あいつはまじめにがんばってるから」ってことで、きつく注意したり軌道修正したりせずにほったらかしにするから、いつまでたっても成長しない。おまけに自分を責める傾向が強いから何度も同じ失敗をくりかえす……。
カメなのにウサギと同じ土俵で戦おうとするタイプ
適当にやること、あまり自分を責めず、適度に外部要因のせいにしてストレスフリーに生きることが、いい結果を生むんだね。



誘惑に屈する原因のひとつとして、”モラル・ライセンシング” という現象が紹介されている。
”モラル・ライセンシング” とは、何かよいことをすると、いい気分になり、悪いことをしたってかまわないと思ってしまうという現象。
「ランチをサラダだけで済ますことができたから、その後に甘いお菓子を食べてしまう」みたいなこと。
いってみれば、免罪符を手に入れた状態だね。

 人はこのモラル・ライセンシングのせいで、悪いことをしてしまうだけではありません。よいことをするように求められたとき、責任逃れをするようになります。たとえば、寄付金の依頼を受けたとき、自分が以前に気前よく寄付したことを思い出した人たちは、そのような過去のよい行ないを思い出さなかった人たちに比べ、寄付した金額が6割も低いという結果が出ています。
 このモラル・ライセンシング効果は、世間一般にモラルが高いと信じられている人たち(牧師、家庭の大切さを説く政治家、腐敗を厳しく追及する司法長官など)がひどい不品行を行ないながらも自分に対してそれを正当化する理由を説明できるかもしれません。

たしかに、道いっぱいに広がって、通行のじゃまになりながら寄付や政治的支援を呼びかけている人っているよね。
いいことをしていると自分で思っている人ほど、周囲に迷惑をかけることに無頓着なんだよね。

テレビ演出家の藤井健太郎さんが、著書『悪意とこだわりの演出術』でこんなことを書いていた。
 逆に、何かを悪く言ったりしているとき、意図的に事実をねじ曲げていることはまずあり得ません。悪く言われた対象者からは、事実だったとしてもクレームを受けることがあるくらいなのに、そこに明らかな嘘があったら告発されるのは当然です。
 そんな、落ちるのがわかっている危ない橋をわざわざ渡るわけがありません。そんな番組があったらどうかしてると思います。どうかしてる説です。
たしかに「やらせ」が問題になるのは、たいていの場合バラエティ番組ではなく報道番組だよね。
「正しいことを伝えている」という意識が、「だからこれぐらいのルール違反は許される」になってしまうんだろうね。
警察が組織ぐるみで身内の犯罪を隠したり、逆にヤクザの偉いさんが公共の場では紳士的だったりするのも、”モラル・ライセンシング” なのかも。
人間、ずっと善人でいることはできないし、逆にずっと悪人でいつづけることも不可能なんだろうね。みんな、ほどほどにバランスを取りながら生きている。


さらに ”モラル・ライセンシング” は、「1食抜いたからお菓子食べちゃおう」みたいな直接関係のあることだけじゃなく、ぜんぜん関係ないことにもはたらいてしまうらしい。

 環境にやさしいクッキーだと思えば、栄養面の問題なんておかまいなし。それで、環境保護の意識の高い人ほどオーガニック・クッキーのカロリーを軽く見て、毎日のように食べてしまったわけです。ちょうどダイエットをしている人たちが健康ハロー効果にだまされて、ハンバーガーにサラダをつければ安心と思っていたように。
 このように、何かをいいと思ってそれにこだわってばかりいると、正しい判断ができなくなり、「いい」ことだと信じて自分を甘やかすせいで、長期的な目標を見失いかねません。

「環境にやさしい」という"いいこと" をしたから、「食事制限を破る」という "悪いこと" をしてもいいと考えてしまう。
論理的にはまったく筋の通らない話なんだけど、でもぼくたちの脳みそはぜんぜん論理的じゃない。


”モラル・ライセンシング” のはたらきを知っていると、欲望を抑えるのにも役立つだろうし、逆に誰かの欲望を刺激することでマーケティングにも使えるよね。
「この商品の売り上げの1%が森を守るために寄付されます」みたいなメッセージも、”モラル・ライセンシング” をはたらかせるのに効果的だ。「森を守るといういいことをしたから、いっぱい食べてもいい/お金を使いすぎてもいい」と思わせる。

ハイブリッド車のプリウスが売れたのも、「環境にいいから車を買ってもいい」と思わせることに成功したからかもしれない。
そういや、おもいっきりエンジンをふかせながらスピード上げて他の車の間を縫って走る迷惑なプリウスを見たことあるけど、あのドライバーも ”モラル・ライセンシング” の考えに支配されれたんじゃないかな。「環境にいい車に乗ってるからエンジンふかせてもいいや」って。



この本で紹介されている、誘惑に負けないようにするテクニック。

 行動経済学者のハワード・ラクリンは、行動を変えることを明日に延ばすのを防ぐためのおもしろい仕掛けを提唱しています。ある行動を変えたい場合、その行動じたいを変えるのではなく、日によってばらつきが出ないように注意するのです。
 ラクリンによれば、タバコを吸うなら「毎日同じ本数」を吸うよう喫煙者に指示すると、タバコの量を減らせとは言われていないにもかかわらず、なぜか喫煙量が減っていくといいます。

「明日からやろう」という言い訳をできなくするわけだね。

ぼくは人生でタバコを吸ったことは一度もないし、競馬もパチンコもやったことがない。
それは「一度手を出して抜けられなくなるんじゃないか」と思っているから。ハマってしまうのが怖いから。
自分の意志の弱さを知っているから、自分のことをまったく信用していないから、誘惑には近づかない。


さっきの ”モラル・ライセンシング” の話と同じで、これは誘惑を退ける方法でもあるし、逆手にとれば誰かを誘惑するのにも使えるね(ぼくはマーケティングの仕事をしているので、ついついそっちで考えてしまう)。

つまり「1回だけ」「今日だけ」といえば誘惑に転びやすくなるってことだもんね。
「本日限り半額! 節約は明日からしましょう」
というメッセージを届けることができれば、財布の紐をゆるませられるはず。



あと、人を興奮させるドーパミンは「快楽」ではなく「期待」「欲望」をもたらすって話もおもしろかった。
ドーパミンが出るのは「快楽を感じたとき」じゃなくて「快楽を感じる予感がしたとき」なんだとか。
パチンコでドーパミンが出るのは「大当たりしそうなとき」であって、じっさいに換金して「報酬を手に入れたとき」ではないってこと。

たしかに、何をするにしても「期待しているとき」がいちばん楽しいよなあ。

ぼくは本が好きなんですけど、本を読んでいるときよりも「本の巻末にある新刊情報」を読んでいるときや、Amazonのレビューを見て「おっ、これはおもしろそうだ」って思うときがいちばん楽しい。

昔のホームページにはたいがい『リンク集』があったけど、あれをクリックする瞬間はわくわくしたもんなあ。
今はリンク集はほとんど見なくなったけど、『関連動画』『こんな記事も読まれています』ってすごくおもしろそうに見えるもんね。

このときもドーパミンが出ているんだろうねえ。



『自分を変える教室』というタイトルだけど、どっちかっていうと「なぜ自分は変われないのか」って感じの内容。


こういう本はすごくおもしろい。
10年くらい前に、池谷裕二さんの『進化しすぎた脳』という本を読んで、その日から世界の見え方が変わった。

そうか、ぼくはこんなふうに考えていたのか。ぼくはこうやって脳に動かされていたのか。

思考は自由自在にコントロールできると思いこんでいたけど、
物理法則があるからどんなにがんばっても空を飛べないのと同じで、
ぼくの考えもいろんな化学的制約を受けていて、ごくごく狭い範囲でしか動かせないのだと知った。

その頃ぼくは無職で、精神的にもちょっと落ち込んでいたんだけど脳のしくみを知ってからはずいぶん生きやすくなった。

こんな考えを持つのも脳の構造上しょうがないんだ。
こう考えてしまうのはあたりまえのことだったんだ。


おい「自分探し」をしてるやつ、聞いてるか!

「自分」はインドにはないぞ! 本の中にあるぞ!



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