孤独症の女
新津 きよみ
姑、異母兄弟、義理の兄、兄嫁、別居中の夫など「ビミョーな間柄の親戚」との関係を描いた短篇七篇を収録。
ぼくもいい歳になったし結婚したことで「ビミョーな間柄の親戚」が増えた。
義父母、義妹、義妹の夫、義兄、義兄のおとうさん、義兄のおとうさんが再婚した相手(つまり義兄の義母)、いとこの夫、いとこの子(従甥(じゅうせい)/従姪(じゅうてつ)っていうんだって。なんか怖い響きだよね)……。
配偶者は自分で選ぶけど、その親戚までは選んで親戚になったわけじゃない。妻の妹の夫、なんてほぼ他人だ。
だけど親戚の集まりや法事などで顔を合わせる機会はけっこうある。むげにもできない。
けれど年齢も職業もぜんぜんちがうし共通の趣味もない。
ちょっとした話はしなければならないが共通の話題もない。「お正月休みはいつまで?」とか「お子さん大きくなりましたよねえ」「いやまだまだわがままな子どもですよ」とか毒にも薬にもならぬ話題でなんとかやりくりをする。大人ってたいへんだ。
幸いうちの親戚はみんな常識人だし(たぶん)、そもそもお互いそんなに濃密な付き合いをしないようにしているので「間が持たなくて気づまり」ぐらいで済んでいるが、「金に困っている親戚」とか「良からぬことを生業にしている親戚」とか「やたらとなれなれしくしてくる親戚」とかがいると、苦労もそんなもんでは済まないだろう。
誰しも「この人と結婚していいだろうか」と悩むだろうが、ぼくに言わせれば結婚がうまくいくかどうかなんて運でしかないとおもう。
結婚してから豹変する人は(たいていの場合悪くなる)いくらでもいるし、それを事前に見抜くのはほぼ不可能だろう。
結婚相手ですらわからないのだから、結婚相手の親戚がマトモな人かどうかなんてわかるわけがない。完全に博打だ。
無作為に選んだような相手と、家族同然の付き合いをしたりお金の交渉をしたりしなければならないわけだから、当然そこにはサスペンスやホラーのドラマが生まれる。
小説としていい題材だとおもう。
中でもいちばんおもしろかったのは『愛甥』。
顔も才能も自分に似た甥に対して、果たせなかった夢を投影する独身の伯母。甥に期待するあまり両親の教育方針に疑問を持ち……。
正直早い段階でオチは読めたが、それでもよくできた小説だとおもう。
叶えられなかった過去の夢を投影する先として、甥という存在はすごく絶妙だ。
ぼくにも姪と甥がいるが、すごくかわいい。
自分の子に感じるのとはまたちがった愛おしさがある。
姪や甥に対しては、ただかわいがるだけでいい。将来をおもって厳しく叱ったりしなくていい。たまに会うだけなので好きなだけかわいがってやればいい。会うたびにお年玉やプレゼントをあげて、いっしょに遊んでやる。甥姪がおかあさんに怒られていたらなぐさめてやる。多少のわがままも笑って許してやる。
甘やかすので、向こうもこちらになついてくる。なおのことかわいい。
甥や姪は遺伝子的にはけっこう近い。四分の一は自分と同じ遺伝子を持っている計算になる。孫と同じだ。
働きバチは子どもを産むことができないが、妹のために働く。妹や姪が出産することで自分の遺伝子を残すことができるからだ。
甥や姪がかわいいのは、遺伝子を残す上でもあたりまえのことだ。
わが子であればふだんから見ている分、欠点も見える。
けれどたまに会う甥や姪はいいところしか見えない。ぼくが彼らに「優しいおじさん」の顔しか見せないのと同じで。
だから余計に期待を抱いてしまうのかもしれない。
遠くから応援する程度であれば過度な期待に害はないかもしれないが、なまじっか距離が近ければその期待は甥姪を苦しめる刃になるかもしれない。
「おじ/おば」と「甥/姪」の関係って、家族であり他人であり上下関係であり横の関係であり、じつは愛憎紙一重な間柄かもしれない。
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