2025年7月18日金曜日

【読書感想文】黒井 克行『男の引き際』 / なぜ老害は身を引けないのか

男の引き際

黒井 克行

内容(e-honより)
一生のうちに同じ局面は二度とやってこない。たった一度の判断が、評価を大きく左右する。それが「引き際」だ。では、引き際を見事に飾れた人と誤った人は、何が違ったのだろうか。完全燃焼できるまで頑張る、一つのことを成し遂げたことでけじめをつける、過去の実績とは全く関係ない世界に新たに挑戦する―。六タイプ九人の引き際にまつわる物語をひもときながら、男にとって引き際とは何かを探る。

 2004年刊行。

 様々な分野で一流と呼ばれた人たちの“引き際”を書く。

 新書ブーム時に出された本だからだろう、正直あまり質は高くない。ばらばらなエピソードをむりやり一冊にまとめたという感じがする。一応“引き際”というテーマがあるが、全盛期の活躍にもけっこうページが割かれている。

 また、八百長疑惑をかけられてプロ野球界から永久追放された選手(池永正明)とか、それは引き際もクソもねえだろという人の項もある。

 あとボランティア活動に注力したくて検察官を辞めた堀田力とか、オリンピック選手育成のために仕事をやめた小出義雄とかも、それは引き際じゃなくてただの転身だろ、というのもある。新たにやりたいことが見つかったから辞めることに対して「引き際」という言葉を使うのはふさわしくないだろ。

 テーマはおもしろそうだったのに、内容がだいぶズレてしまっている。


 引き際が大事なのって組織の長なんだよね。時代の変化についていけない人、現場をわかっていないがトップに居座っていたら下はやりづらいし、組織は硬直化するし、やる気のない若手は外に出ていくし、ろくなことがない。現在の日産の凋落なんかを見ていると、上層部の引き際が悪いと大きな組織でもかんたんに傾いてしまうのだということがよくわかる。

 だからそういう話を読みたかったのだが、出てくるのはスポーツ選手とか芸能人とか。そういう個人事業主は好きにしたらいいんだよ。失敗したって迷惑を被るのは自分なんだし。実力の世界なんだから、能力が衰えてきたら待遇も悪くなるはずでしょ。

 個人事業主の項は削って、組織のえらいさんにスポットを当てた話をもっと読みたかた。




 おもしろかったのは、島原市長だった鐘ヶ江管一氏の項。

 雲仙普賢岳噴火が起こり、復興に尽力し「ヒゲの市長」として一躍有名になった。

 市長を3期務め、周囲からも続投を期待されていたが、市長選に対立候補(かつて自信の支援者だった人物)が出馬したことで引き際を考えるようになる。

 鐘ヶ江は悩んだ。選挙の行方に不安を抱いていたわけではない。このまま普通に戦っても、四選される自信は十分にあった。彼の悩みは自分の当落ではなく、選挙が行われることで行政に空白ができることだった。そしてもう一つ、町を二分してしまうことだ。無投票四選しか考えていなかった鐘ヶ江は、また新たな決断を迫られていたのだ。
 「住民とは賠償問題をめぐり、侃々諤々の議論をすることもありました。自然災害は自主救済が原則ですので、怒りのもって行き場が大変にむずかしい。住民が納得できないこともよくわかっていました。私は市の財政事情や国や県の支援体制を、市長室に押しかけてくる住民と膝を交えて時には怒鳴り合いながら話し合いました。警戒区域の設定時も、予想どおり反対してくる人がいました。その中に、本多議員の選対にまわった私の支援者もいたのです。みなそれぞれの思惑があります。正直なところ、町は一枚岩となって災害復興へ向かっているとはいえませんでした。でも、徐々にではありますが、時間をかけてじっくり議論していく中でいい方向に向かってきていたんです。
 それがここで選挙をやったらどうなるか? 今までやってきた努力がリセットされてしまいかねません。選挙の行われる十二月は、首長として陳情のために積極的に動き回らなければならない時期でもあるんです。だからこそ絶対に、選挙運動によって、復興の妨げとなる空白期間をつくってはいけなかったんです。立候補すべきかどうか、誰にも相談せず一週間悩み、眠れない状態が続きました」

 そして鐘ヶ江氏は市政の安定のため、不出馬を決意する。

 まあこれは本人の弁だからかっこつけてる面もあるだろうが、たとえかっこつけでもこれを言って、実際に身を引ける現職政治家がどれぐらいいるだろうか?


 成功した人ほど、潔く身を引くのはむずかしい。自分の能力に対する自信もあるだろうし、だから余計に若手が頼りなく見える。周囲も持ち上げてくれるので「おれはまだまだいける」という気になってしまう。

 若いときはみんな「年寄りは老害になる前に早く引退したほうがいい」とおもっているけど、いざ自分が年寄りになると権力者の座に居座ってしまう。かつて新進気鋭の若手として、古い体質に風穴を開けてきた人が、年を取って古い体質の象徴のようになってしまう。なんとも悲しいことだ。


 人の評価を分けるものは何だろうか。
 これまで、引き際が潔かった人たちを見てきたが、彼らに共通するのは、迷いがないことではないだろうか。長い一生の中で、何かを成し遂げるには、並大抵の苦労ではないだろう。苦労が多ければ多いほど、自負も大きくなり、後に続く人たちが不甲斐なく見える。すると、今の地位に未練が生まれ、権力に執着し、周りが見えなくなって独善に陥る……。
「自分はそんなことない、引き際ぐらいちゃんと見極められる」と思うかもしれないが、もしかしたら、そう思った時点で、すでに引き際を飾るタイミングとしては遅いのかもしれない。
 多くの晩節を見ていると、そんな気がしてならない。
 権力の座にいる人たちは、特に晩年の過ごし方が難しいようだ。苦労して上りつめた地位だからこそ、なかなかそこから下りられないのもわかる気がする。もちろん、居心地もいいのであろう。ただ、居座るのもほどほどにして、驕ることなく権力と付き合っていくことができれば、歴史に名を残せるかもしれない。が、その居心地のよさに甘んじておぼれてしまうと、ただの人以下になりかねない。この権力という魔物に取り憑かれ、翻弄される人は、昔も今も変わりなくいるように思う。
 特に、二ケタの当選回数を誇る政治家ともなると、腰がだいぶ重たくなってしまうらしい。なかなか地盤の選挙区から離れられず、後に控える人に道を譲ってくれない。老害などと後ろ指をさされる頃には、開き直り、聞く耳を持たなくなってしまい、せっかくそれまで築いてきた業績が泣いてしまう。

 ホンダ創業者であり一代で会社を大きくした本田宗一郎氏が六十代で社長職を退いているのを見ると、つくづくすごいことだとおもう。

 きっとまだやれたのだろうが、それでは後進が育たない。「今ばたばたしていることが落ち着いたら引退しよう」とおもっていても、「すべてが落ち着いて安心して引き継げる時期」なんて永遠に来ない。

 組織のトップに立つ者の最後にして最大の仕事は「後継者を育てて椅子を譲る」だ。そして最もむずかしい死後でもある。


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2025年7月14日月曜日

【読書感想文】永 六輔『芸人その世界』

芸人その世界

永 六輔

内容(e-honより)
芸の世界に憧れ、芸人たちの哀歓に満ちた生き方にかぎりない感興を覚え、持ち前の旺盛なる好奇心で、観たり、聞いたり、読んだりして集めた芸人の世界の可笑しくも哀しいエピソードとプロフィル800話。膨大なコレクションから精選された文章は、一流の役者や映画俳優の知られざる側面を紹介するとともに、日々研鑚の崇高な精神と、危うく愉快な彼らの愛すべき人間性を垣間見せる。著者自身が「<その世界>シリーズは僕の青春であった」と述懐する珠玉の一冊。

 1975(昭和50)年刊行。膨大な資料をもとに、芸人(落語家、役者、歌舞伎役者、講談師、歌手、曲芸師など広義の芸人)たちの逸話を紹介する本。

 巻末に非常に多くの参考資料があるのだが、そうはいっても一次資料自体がどこまで信用できるのか怪しい。だって芸人のエピソードだからね。多分に話を盛っている可能性がある。というかその可能性が高い。明治の芸人の話とか、だいぶ尾ひれがついてるだろうし。芸人のエピソードの又聞きの又聞き、みたいな逸話が多いので話半分に楽しむのが良さそうだ。



 一個一個のエピソードは信憑性が低いけど、数百数千のエピソードを読んでいると、昔の芸人の空気は十分伝わってくる。

 つくづくおもうのは、芸人ってヤクザな世界だったんだなあということ。芸能界というのはまっとうに生きていない人たちが集まる場所だったんだとしみじみおもう。

 浅草オペラ全盛時代。
 金竜館の楽屋口に貼ってあった注意書。
 「犬、猫、刑事入るべからず」
 楽屋はアナーキストのたまり場でもあった。
 中村芝鶴の文章に、
「演劇界は地獄の世界です。強きを助け弱きを挫く権力者の横行、謀略、偽善、虚勢、嫉妬、羨望、虚栄、淫猥、全て完備している世界です。そしてその中で働く者は忍従と屈辱、飢餓、精神錯乱に耐えながら、飽きることなく生涯を生き続ける不思議な世界であります」
 芸人が初めて税金をとられたのが明治八年、人間扱いをされたというので芸人は課税を感謝した。
 落語の桂文治はこの課税の名誉にこたえんものと紋つきの羽織袴に身を正し、玄関に高張提灯をかかげて税金を払いに出かけたという。

 現在の芸能界は、やれコンプラ順守だの、やれ不祥事による謹慎だのとよくニュースになるが、ほんの半世紀前までは「世の中の常識や法律や人権なんて知ったこっちゃねえぜ」という世界だったんだろう。法を破り、周囲に迷惑をかけまくり、人々が眉をひそめるようなことをやり、反省するどころか居直って武勇伝として吹聴する。いかれた人間たちが集まる場所。

 半世紀どころか、二十年前でも、いや今でも、そういう風潮は芸能界の一部には残っているのだろう。ときどき「芸能界の常識は世間の非常識」が明るみになって大きなニュースになる。


 芸能界がならず者の集まりだった時代と、まっとうな人間が集まる時代。どっちが正しいかと言ったらどう考えても後者だ。

 でも、まっとうに生きられない人間があらゆる場から追放されてしまう世の中もそれはそれで不健全な気がする。

 貯金ができない人間、朝起きられない人間、酒やギャンブルや女遊びをやめられない人間、嘘をついてしまう人間、軽犯罪をしてしまう人間。そういう連中が犯罪でない手段で稼いだり、ときには脚光を浴びたりする場があってもいいんじゃないだろうか。


 最近、お笑い芸人でも大卒で活躍する人が増えているという。大学のお笑いサークルで学び、研究を重ねて芸を研鑽し、さらには大学で培った人脈を活かしたりもしながらメディアで活躍するわけだ。

 YouTuberだとかラッパーもやはり高学歴の人の参入・活躍が目立つという話を聞く。どんな分野であれ、頭がよく、継続的に努力ができ、さらには家庭環境にめぐまれていて芸に打ち込む時間が長い人のほうが成功しやすいのだろう。

 なんだか夢のない話だなあ。大卒で芸人を目指すのが悪いことではないけれど。


 メジャーではなかったカウンターカルチャーの分野にもエリートたちが踏みこんでいき、文句のつけようのない「公正な競争」を勝ち抜いて、非エリートたちを放逐してしまう。

 そうなると、持たざる者はどこで戦えばいいのか。ほんとにアウトローの世界に行くしかなくなるのか。


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2025年7月11日金曜日

【読書感想文】マッシミリアーノ・スガイ『イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ』 / 褒めるときは日本のスイーツのように

イタリア人マッシがぶっとんだ、日本の神グルメ

マッシミリアーノ・スガイ

内容(Amazonより)
noteで驚異の95万PVを記録した「サイゼリヤの完全攻略マニュアル」が話題の日伊通訳者による、初著書!
日本の伝統料理からB級グルメ、チェーン店、コンビニスイーツ、冷凍食品まで。
イタリア・ピエモンテから彗星のごとくやってきた食いしん坊マッシが日本で出会った絶品グルメとその感動体験をまとめた、日本の食文化への情熱とアモーレ満載のエッセイ!
イタリア人フーディーの舌を唸らせ、胸を打ったのは、日本の意外なあの食べ物だった!?
日本人もぶっとんじゃう、斬新な視点や考察、日伊の異文化トリビアも満載。
読めば、私たちがいつも当たり前のように食べているあの料理が、何倍もおいしく感動的に感じられるはず!
ニッポングルメ再発見の旅へ、いざ参らん!

 イタリアで生まれ育った後、日本に移住した著者による日本の食エッセイ。

 こういう「外国人から見た日本エッセイ」は、なじみのある題材でありながら毎回新鮮な視点に気づかせてくれるのでおもしろい。

 コリン・ジョイス『「ニッポン社会」入門 英国人記者の抱腹レポート』も、M.K.シャルマ『喪失の国、日本』も、高野 秀行『異国トーキョー漂流記』 も、ロバート・ホワイティング『和をもって日本となす』も、みんなおもしろかった。

 「外国人から見た日本エッセイ」にハズレなし。



 おでんについて。

 まず「おでんください」と言ったのに「どれにします?」と言われて困った、という話が新鮮。

 たしかに、おでんって料理名のようでありながら、じっさいのところは「麺類」「鍋料理」みたいな、広めのジャンル名だよね。

 たとえばラーメンであれば、種類はいろいろあれど、少なくとも麺はぜったいにある。麺がないとラーメンとは呼べない。でもおでんには、「これがないとおでんじゃない!」って食材が存在しない。大根、玉子、こんにゃくなど定番の食材はあるけど、必須ではない。「すみません、今大根切らしてるんですよ~」でもおでんは成立する。「麺を切らしてるんですけど、ラーメン提供できます」とはならない。

 そんなことに改めて気づかされる。

 そしてそれぞれの具に対する観察眼が鋭い。

 まずは大根。その日までに食べた大根は白くて一口サイズだったのに、お皿に入っているのは濃い茶色で、大きくて箸で切りながら少しずつ食べるもの。ごぼう天を頼んだら、ごぼうが見当たらない。なんと練り物の中に隠されていたのだ。お次は、薦められたはんぺん。噛んだ瞬間、(ここからは申し訳ない表現になるが)その食感に驚きすぎて、すぐに口から出してしまった。故郷では感じたことのない柔らかさで、困惑した。少しずつチャレンジしたら、意外にすぐに慣れて、おいしく味わって食べることができた。今ではおでんを食べるとき、お皿にはんぺんが乗ってない日はない。
 よくわからないまま注文したものの中には、思わず驚きの声が出るほど不思議なものも。昔の日本の財布のように見えたのは「餅巾着」だった。中身を出すためにかんぴょうの結び目を解こうと頑張っていたら、お店の大将に笑われた。なんと袋ごと食べるらしい。袋だと思っていたのは油揚げという食材で、豆腐の仲間だと言うではないか!おでんが一体なんなのか、ますますわからなくなり、僕はまんまと“おでんラビリンス”に迷い込んでしまっていた。
 さらに僕を迷宮に迷い込ませたのが、「結びしらたき」。パスタ文化を持つイタリアから来た僕には、そもそも「麺を結ぶ」という発想がない。1個丸ごとを口に入れたら、噛み切るのが大変で死ぬかと思った。
 ここまで勇気を出しながら頑張って食べたおでんは、どれもおいしくて面白かった。これ以上、僕を驚かすものは出てこないだろうと思っていたが、最後に、最強の敵が出てきた。「こんにゃく」だ。こんにゃくの驚きを言葉にするのは難しい。今まで出会ったことも、見たことも、考えたこともない味と食感だった。この最強の敵に苦戦して、結局、この日は食べきれずに負けてしまった。あの日の悔しさをバネに、そのあと何回もチャレンジして、今はおいしく食べられる。

 言われてみれば、おでんってよくわからないものだらけだよね。日本人だってあたりまえのように食べてるけど、ごぼ天とかはんぺんとか巾着とかかんぴょうとかがんもどきとかはんぺんとか、外国人から「これ何?」と訊かれたら説明に窮してしまうものばかりだ。




 つくづく感心するのは、マッシさんの柔軟性。この人ほんとにイタリア人? とおもうぐらい、日本の料理を受け入れている。
  最初に出会ったパスタには非常にカルチャーショックを受けて、食べる勇気が出るまで時間がかかった。スパゲッティーにしょうゆ、のり、大根おろしという今までの僕の人生では存在しなかった組み合わせのソースだ。「イタリアにないものをパスタに入れておいしいの?」と思ってしまった。
 オリーブオイルの代わりにしょうゆ、チーズの代わりにのりと大根おろしという発想は、イタリア人にはない。和食によく出てくる食材や味がパスタにも使えるなんて。半信半疑だったけど、なんとか勇気を出してみようと思い、よく混ぜてから食べてみた。
 一口食べて、目ん玉が飛び出た。頭で考えていた「ありえない」というイメージから、「なんじゃこりゃ!おいしすぎ!」という気持ちになるまで、あっという間だった。涙が止まらない。感動しかない。しょうゆとのりと大根おろしは最高の組み合わせだということを、日本人はみんな知っているのか?パスタに合いすぎて、もっと早くに出会っていればよかった。塩辛さとパスタの食感はすばらしいマリアージュだった。パスタの国から来ている僕は、新しいパスタのアレンジに驚いて、日本はもしかしたらイタリア以上に“パスタ力”を持っているかもしれないと思い始めた。

 和食や日本のスイーツはもちろん、パスタやピッツァのようなイタリア発祥の料理ですら、日本のものを絶賛する。これができる人はなかなかいない。

 ぼくも食に関しては好奇心旺盛なほうだとおもうけど、それでも海外で和食が“魔改造”されてたら、「うーん、これはこれで悪くないけど、でもこれはオリジナルとは別料理だよね……」とか言ってしまうとおもう。カリフォルニアロールもまだ寿司とは認めてないし。

 和風パスタをここまで絶賛できるイタリア人がどれぐらいいるだろうか(リップサービスも多分に含まれているんだろうけど)。日本人ですら気が引けて「日本はもしかしたらイタリア以上に“パスタ力”を持っているかもしれない」なんて言えないぞ。




 カフェの役割について。
  僕が感じる、イタリアと日本の「カフェ文化」の大きな違いは、カフェが存在する目的だ。イタリアではコーヒーを飲むために行く場所、日本ではカフェでの時間を過ごしたいから行く場所。簡単に言うと、日本ではカフェで勉強、仕事、読書、おしゃべりする人がほとんどだけど、イタリアではこのような光景がほとんどない。しゃべっていても飲み終わったらすぐに出る。「カフェ」という同じ場所なのに、国柄とその文化の違いがあらわれている。
 コーヒーの種類や飲み方の種類も日本の方が多くて、イタリアでは考えられないアメリカン、ブレンドコーヒー、豆乳系の飲み物などがとてもおいしい。イタリア人にわかってもらいたくて、そのよさを説明しても、エスプレッソから生まれた飲み物でないと、カルチャーショックというよりカルチャーのシャッターが閉まる。通訳者として言葉の通訳よりも、文化の通訳の方がいっそう難しいときもあるのだ。
 日本のカフェに行って驚いたのは、注文したコーヒーの情報までもが出てくること。例えば、どこの国のどんな豆か、そしてどんな味かまでわかる。このようなサービスはイタリアでは見たことがなくて、仮に店員さんに聞いても、答えられるかどうか怪しいところだ。

 へえ。たしかに日本のカフェって、最大の目的はコーヒーじゃないよね。たいていの場合、打ち合わせをしたいとか、自習をしたいとか、疲れたから座って休みたいとか、時間をつぶしたいとかの理由で行くものであって、正直言うと別にコーヒーじゃなくてもいい。極端なことを言えば「コーヒーを置いてないカフェ」があっても客は入るだろう。

 ぼくがイタリアに旅行に行ったときにカフェに入ったことがあるけど、驚いたのは「立って飲んでいる人」がいたことだ。

 日本だったら「コーヒーのないカフェ」は成立しても「座席のないカフェ」はなかなか成り立たないだろう(コーヒースタンドはあるけど少ない)。座るためにカフェに行くと言ってもいいぐらいだ。

 立ち喰いそばに行くのはとにかく腹を満たしたい人、立ち呑み屋に行くのはとにかく酒を飲みたい人。イタリアでカフェに行くのはとにかくコーヒーを飲みたい人なのだ。



 冒頭で、「外国人から見た日本エッセイにハズレなし」と書いたけど、この本はハズレではないけどアタリというほどでもなかった。

 マッシさんが絶賛しすぎなんだよな。とにかく日本の全料理を褒める。手放しで褒める。日本人として悪い気はしないけど、ここまで褒められると「ちょっと大げさすぎるな」という気がしてくる。

 褒めるのにも緩急が必要なんだよな。「あれもすばらしい、これも最高、ここは完璧!」と言われるよりも「あそこはちょっと好きになれないけどでもこういうところはすごくいいとおもうよ!」と言われたほうが真実味があってうれしい。

 そう、甘さを抑えることでかえって甘さを引き立たせる日本のスイーツのように。


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2025年7月9日水曜日

【読書感想文】吉田 裕『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』 / 戦うことすらできずに死んでゆく兵士たち

日本軍兵士

アジア・太平洋戦争の現実

吉田 裕

内容(e-honより)
310万人に及ぶ日本人犠牲者を出した先の大戦。実はその9割が1944年以降と推算される。本書は「兵士の目線・立ち位置」から、特に敗色濃厚になった時期以降のアジア・太平洋戦争の実態を追う。異常に高い餓死率、30万人を超えた海没死、戦場での自殺と「処置」、特攻、体力が劣悪化した補充兵、靴に鮫皮まで使用した物質欠乏…。勇猛と語られる日本兵たちが、特異な軍事思想の下、凄惨な体験を強いられた現実を描く。


 膨大な史料をもとに、太平洋戦争下における、兵士たちのおかれた状況を解き明かした本。

 分析は微に入り細を穿っていて、たとえば出兵している軍には歯科医がほとんどいなかったせいで兵士の大部分が虫歯に悩まされていた、なんて話も出てくる。

 なるほどなあ。考えたこともなかったけど、戦場では歯科医も必要だよなあ。長期に渡る行軍、物資や水や時間が足りずに満足に歯磨きができない環境。当然虫歯になる人は多いはず。たかが虫歯とあなどることなかれ、歯が悪くなれば集中力も落ちるし、身体の他の部分にも悪影響を及ぼす。

 こういうことの積み重ねが太平洋戦争での惨敗につながったのだろう。




『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』を読むと、 日本軍兵士がいかにひどい状況に置かれていたかがよくわかる。

 そりゃあ戦争なんだからひどい状況に置かれるのはあたりまえなんだけど、想像よりもっとひどい。

 たとえば我々が戦死と聞いて思い浮かべるのは、戦闘で銃撃されたとか、飛行機で追撃されたとか、爆弾で爆死したとか、そういう「戦闘による死」だろう。

 だが太平洋戦争における戦士のうち「戦闘による死」はごく一部で、じっさいのところは餓死、溺死、病死、自殺、殺人、上官からの自殺の強要、古参兵の暴行による死、人肉食のための殺害など、戦闘死すらできなかった人がすごく多かったのだという。

 第三四師団歩兵第二六連隊の戦記は、宜昌に向かう長い行軍の状況について次のように記している。なお、同書によれば、一人ひとりの兵士が多くの弾薬や食糧、日用品などを携行したため、「この時の各兵士の装具の重量は小銃を含めて三十キロを軽く越え」たという。
 灼熱赤土の道を行軍する兵士の中から、日射病・熱射病で倒れる兵士達がぼつぼつあらわれてきた。[中略]小銃は肩に喰いこみ帯革〔バンド〕は腰部に擦傷を作る。体重・荷重は両足に物凄い負担をかけ、日に二十キロ近くを行軍するため靴傷〔靴ずれ〕ができる。内地のハイキングで作る豆のさわぎでない。
 まず水疱状の豆が出来る。それがつぶれる。皮はずるむけになり、不潔な靴下のため潰瘍となりさらに進行すると[中略]完全に歩行はできない。広大な予南平野はたださえ水が乏しい。[中略]小休止中、「ドカーン」と物凄い爆発音が聞こえる。「敵襲!」と兵士達は銃を手にして立ち上がる。そうではない。「やったか……」と兵士達は力なく腰を降ろす。中隊長たち幹部がその爆音のした方へ駆け寄る。ああ……。体力・気力の尽き果てた若い兵士[中略]が苦しみに耐えかね、自ら手榴弾を発火させ、胸に抱いて自殺をするのである。肉体は焼けただれ、ほとんど上半身は吹き飛び、見るも無惨な最後である。この宜昌作戦間にこの連隊において三十八名の自殺者を出した。
 (『歩兵第二百十六連隊戦史』)

 過酷な行軍に耐えかねての自殺が日常茶飯事になっていたことがよくわかる文章。

 死ぬよりもつらい行軍だったのだろう。行軍に耐えたところでどっちみち待っているのは勝ち目のない戦闘で、生きて還れる望みはほとんどなかっただろうしな。



 

 日本軍のダメっぷりをあらわす一例として挙げられているのが、軍靴だ。

 前線への軍靴の補給も途絶えたため、行軍の際に通常の軍靴を履いていない兵士も多かった。一九四四年の湘桂作戦に参加したある部隊の場合、脛を保護するための巻脚絆を靴の代用として足に巻きつける者、靴の底が抜けている者、靴のない者、裸足にボロ布を巻いている者、徴発(事実上の略奪)した「突かけ草履や支那靴」を履いている者もいた(前掲、『支那駐屯歩兵第二連隊誌』)。
 また、補給がないため、軍靴は戦闘用に保管し、普段は裸足か草鞋履きの部隊も少なくなかった。一九四四年八月に陸軍経理学校を卒業し、フィリピンの第一〇五師団独立歩兵第一八一大隊に赴任した那須三男は、部隊長は裸足、将校以下全員が草鞋で訓練に励んでいるのを見て驚いたと回想している(『るそん回顧』)。

 物資がないため質の悪い靴しか支給されなくなり、補給もされないのでろくな靴を履けない。靴もないのに行軍や戦闘なんてできるはずがない。裸足でサッカーワールドカップに出るようなもので、強い弱い以前の問題だ。


 一九四四年三月に開始されたインパール作戦では、日本軍は山岳地帯を通過してインパールに向かった。戦後の座談会で、歩兵第五八連隊に従軍した兵士たちは、「あの時の個人装備は、少なくとも十貫(四十キロ)を超えていたと思う」、「進発した時の携行品は、米二十日分(約十八キロ)、調味料、小銃弾二百四十発、手榴弾六発、その他色々、それに小銃や帯剣〔銃剣のこと〕、鉄帽、円匙、小十字鍬〔つるはし〕がある。擲弾筒手や軽機関銃手は五十キロは担いでいただろう」などと語っている(『高田歩兵第五十八連隊史』)。
 また、同じくインパール作戦に参加した歩兵第二一五連隊の場合でも、負担量は一人では立ち上がれない重さであり、「出発準備の号令がかかった時など、亀の子みたいに手足をバタつかせても起き上がれず、かわるがわる手を引いてもらって立」ち上がったという(『歩兵第二一五連隊戦記』)。
 中国戦線でも、一九四四年に入ると制空権を連合軍側に完全に奪われたため、目的地への行軍は夜間となり、兵士をいっそう疲弊させた。
 迫撃第四大隊の一員として、大陸打通作戦の湘桂作戦に参加した中与利雄は、「昼間の戦闘と夜行軍が幾日も続くと、将兵たちは極度な疲労と過激な睡眠不足に陥り、あげくの果ては意識が朦朧となって行軍の方向すら見失い右や左、後方に向かって進む戦友もいたことは事実でございます。特に雨中暗夜の行軍は大へんでした。〔中略〕激しい撃ち合いの戦闘よりも、行軍による体力・気力・戦意の消耗はとてもひどかったことは事実です」と回想している(『野戦の想い出』)。

 あらゆるものが不足していて、そしてそのすべてを精神論で乗り切ろうとしていた。つらいなあ。太平洋戦争中は「お国のために戦って死ね」と言われていた、と習ったけど、じっさいは戦うことすらできずに死んでいったのだ。




 太平洋戦争における日本軍はとにかく弱かった。

 物資、機械化、燃料、補給、医療、メンタルケア、情報、通信。ありとあらゆる面でアメリカに劣っていて、戦闘能力以前の問題だった(もちろん戦闘能力でもはるかに劣っていたわけだが)。

 小説の世界には架空戦記というジャンルがあって「あのときああしていたら戦争の結果は変わっていたかも」みうたいな話が語られるが、太平洋戦争に関しては百回やっても百回とも日本が負けていただろう(「ちょっとマシな負け方」ぐらいはできただろうが、勝つ道は万に一つもない)。

 そして日本が弱いことは、開戦当初はともかく、中期以降は完全にはっきりしていたはず。いろんな本を読むと、多くの情報が集まる軍部はもちろん、末端の兵士や市民ですら勝ち目がないことを理解していたようだ。大っぴらに言えないだけで、いい大人はみんなこの戦争は負けるとおもっていた。

 それでも「玉砕」という名の惨敗に向かうのを誰も止められなかった。

 負けを認めるのはとにかくむずかしい。

 ぼくは「特攻作戦で亡くなった兵士たちは犬死に」とおもっていたけど、その考えは誤っていた。じっさいのところは「特攻に限らずほとんどの兵士が犬死に」だったのだ。泣ける。


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2025年7月2日水曜日

【読書感想文】高野 和明『踏切の幽霊』 / ミステリに全知全能の存在を出すんじゃない

踏切の幽霊

高野 和明

内容(e-honより)
マスコミには、決して書けないことがある―都会の片隅にある踏切で撮影された、一枚の心霊写真。同じ踏切では、列車の非常停止が相次いでいた。雑誌記者の松田は、読者からの投稿をもとに心霊ネタの取材に乗り出すが、やがて彼の調査は幽霊事件にまつわる思わぬ真実に辿り着く。1994年冬、東京・下北沢で起こった怪異の全貌を描き、読む者に慄くような感動をもたらす幽霊小説の決定版!

 妻を亡くしたショックで新聞社を辞め婦人向け雑誌の記者になった主人公。心霊ネタの取材の途中で「幽霊の目撃談が多発している踏切」の存在を知る。

 取材を進めるうちに、その踏切のすぐ近くで殺人事件が発生していたことが判明。犯人は既に逮捕されているが、殺された女の身元は不明。はたして殺された女は誰なのか……?




【以下ネタバレを含みます】

 ホラー&ミステリ小説。幽霊話を追っているうちに殺人事件にたどりつき、殺人事件を掘りすすめているうちにある大物政治家のスキャンダルにたどりつき……と、どんどん話が転がっていくのがおもしろい。


 オカルトものは好きじゃないんだけど、こういう社会派ミステリは好きだぜ、オカルトとおもわせた本格ミステリか、おもしろいじゃないか。

 とおもって読んでいったのだが……。

 結局またオカルトに戻ってしまった。幽霊の正体見たり枯れ尾花、かとおもったらやっぱり幽霊。


 この展開は嫌いだなあ。不可解な現象の原因を霊に求めてしまうと、なんでもありになっちゃうんだもん。何が起きたって、どんなご都合主義の展開になったって、霊の仕業ですっていえば一応の説明はついちゃう。ずるいよ。

 実際、『踏切の幽霊』でも「事件の黒幕が怪奇現象に巻きこまれて不可解な死を遂げる」という、なんとも都合のいい展開になってしまう。

 そんなあ。だったら主人公の記者が丁寧に事件の真相を追い求めてきたのはなんだったんだ。はじめから幽霊が悪いやつに憑りついて祟り殺せばよかったじゃないかよ。なんで主人公が黒幕と対峙するまで待ってたんだよ。

 この幽霊ってもはや全知全能の神といっしょなんだよな。すべてをお見通しでどんなことでもできちゃう。こんなやつが出てくる小説、おもしろいわけがない。

 密室殺人が起こりました。犯人は神様でした。凶器は天罰でした。ちゃんちゃん。これと一緒。


 せっかく主人公が丁寧な取材で事件を追ってたのに、ラストの「考えもなく政治家をぶん殴る」と「政治家を追い詰めることができなかった主人公の代わりに幽霊が復讐」のせいで台無しになってしまった。

 小説に幽霊を出すなとは言わないけど、幽霊に力を与えちゃだめだよ。


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