芸人その世界
永 六輔
1975(昭和50)年刊行。膨大な資料をもとに、芸人(落語家、役者、歌舞伎役者、講談師、歌手、曲芸師など広義の芸人)たちの逸話を紹介する本。
巻末に非常に多くの参考資料があるのだが、そうはいっても一次資料自体がどこまで信用できるのか怪しい。だって芸人のエピソードだからね。多分に話を盛っている可能性がある。というかその可能性が高い。明治の芸人の話とか、だいぶ尾ひれがついてるだろうし。芸人のエピソードの又聞きの又聞き、みたいな逸話が多いので話半分に楽しむのが良さそうだ。
一個一個のエピソードは信憑性が低いけど、数百数千のエピソードを読んでいると、昔の芸人の空気は十分伝わってくる。
つくづくおもうのは、芸人ってヤクザな世界だったんだなあということ。芸能界というのはまっとうに生きていない人たちが集まる場所だったんだとしみじみおもう。
現在の芸能界は、やれコンプラ順守だの、やれ不祥事による謹慎だのとよくニュースになるが、ほんの半世紀前までは「世の中の常識や法律や人権なんて知ったこっちゃねえぜ」という世界だったんだろう。法を破り、周囲に迷惑をかけまくり、人々が眉をひそめるようなことをやり、反省するどころか居直って武勇伝として吹聴する。いかれた人間たちが集まる場所。
半世紀どころか、二十年前でも、いや今でも、そういう風潮は芸能界の一部には残っているのだろう。ときどき「芸能界の常識は世間の非常識」が明るみになって大きなニュースになる。
芸能界がならず者の集まりだった時代と、まっとうな人間が集まる時代。どっちが正しいかと言ったらどう考えても後者だ。
でも、まっとうに生きられない人間があらゆる場から追放されてしまう世の中もそれはそれで不健全な気がする。
貯金ができない人間、朝起きられない人間、酒やギャンブルや女遊びをやめられない人間、嘘をついてしまう人間、軽犯罪をしてしまう人間。そういう連中が犯罪でない手段で稼いだり、ときには脚光を浴びたりする場があってもいいんじゃないだろうか。
最近、お笑い芸人でも大卒で活躍する人が増えているという。大学のお笑いサークルで学び、研究を重ねて芸を研鑽し、さらには大学で培った人脈を活かしたりもしながらメディアで活躍するわけだ。
YouTuberだとかラッパーもやはり高学歴の人の参入・活躍が目立つという話を聞く。どんな分野であれ、頭がよく、継続的に努力ができ、さらには家庭環境にめぐまれていて芸に打ち込む時間が長い人のほうが成功しやすいのだろう。
なんだか夢のない話だなあ。大卒で芸人を目指すのが悪いことではないけれど。
メジャーではなかったカウンターカルチャーの分野にもエリートたちが踏みこんでいき、文句のつけようのない「公正な競争」を勝ち抜いて、非エリートたちを放逐してしまう。
そうなると、持たざる者はどこで戦えばいいのか。ほんとにアウトローの世界に行くしかなくなるのか。
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