未完の敗戦
山崎 雅弘
日本は無謀な戦争につっこんでいった大日本帝国時代の総括をまだきちんとできていない。それどころか民主主義を否定し、戦前の時代に近づけようとする輩が跋扈している……と警鐘を鳴らす本。
書いてる内容自体にはすこぶる共感できるんだけど、さして新しい主張ではないのと、著者の気持ちが強く出すぎていて、新書を読んでいるというより演説を聞いているような気分になる。
演説って不愉快なんだよね。選挙の街頭演説なんて、主張に賛成だろうと反対だろうと、どっちにしろ気持ち悪い。人前で「おれはこうおもう!おれは正しい!」って唱えてる声が聞こえてくるだけで気分が悪くなる。
クールな視点で淡々と書くからこそ届くものってあるとおもうんだけどね。
首相が国民のことを考えないのは今にはじまったことでないからもう慣れっこになってしまったんだけど(ほんとはそれもよくないんだけど)、良くないのはそれをそのまま垂れ流す報道機関。
首相が質問に真っ向から答えなかったときは「~と、首相はデメリットを隠した」と伝えなきゃいけないのに。
おかしな人はいつの世にもいるし、私利私欲に走るのは人間としてあたりまえの姿だ。だからこそ定められた手続きを踏まないといけないし、そのプロセスを公開して批判的な意見を集めるのが民主主義国家だ。
ずるいやりかたでお金儲けをするのが大好きな人が「税金でオリンピック! 税金で万博&カジノ!」と叫ぶこと自体はあたりまえのことで、そいつらを根絶やしにするのは不可能だ(オリンピックや万博にだってメリットがないわけではないし)。
必要なのは、オリンピックや万博で儲けようという政治家に対してきちんと批判の目を向けること。
なのだが、本邦では新聞社やテレビ局がオリンピックのスポンサーになっているわけで……。
先の戦争で、無謀な特攻により多くの兵士が戦死した。ぼくは“無駄死に”だとおもう。特攻兵は悪くない。特攻を考案して強引に推し進めたやつが悪い。
鴻上尚史『不死身の特攻兵』によると、特攻は人道的でないだけでなく、戦術としても愚策だったそうだ。斜め上からの攻撃だと戦艦に大きなダメージを与えられない、爆弾を落とすよりも飛行機で突っ込むほうが衝突時のエネルギーが小さい、引き返せないのでタイミングが悪くても無理して攻撃しなければいけない、そして操縦技術を習得した兵士や戦闘機を失うことになる……。どこをとってもダメダメな攻撃だ。ダメダメな攻撃で死んだので特攻死は犬死にだ。
が、こういうことを書くと文句を言うやつがいる。「国を守るために命を落とした英霊を侮辱する気か!」などとずれたことを言う、論理性のかけらもない人間がいる。
戦争の話だけではない。2021年の東京オリンピックのときもやってることは変わらない。
感染症対策、莫大な費用、汚職にまみれた誘致、やらないほうがいい理由は山ほどあった。けれど「このために何年も努力してきたアスリートが……」「闘病から復帰した女性アスリートの夢が……」と美談らしきものを引っ張り出してきて、政府とマスコミが一丸となって「やるしかない」ムードを作り上げていた。
「ここで降伏したら国のために命を捧げてきた英霊たちの犠牲が無駄になる」の時代とやっていることは変わらない。
この本で書かれているのは至極まっとうなことで、批判的精神を持ちましょう、批判を認めましょう、ということだ。
でも批判を許さない風潮は今でも強い。
たとえば政治について「もっといいやりかたがあるんじゃないか」「こうすればもっとよくなるんじゃないか」とおもうから政権批判するわけだけど、それだけで反射的に「なんでもかんでも反対するな! アカが!」と青筋立てる連中がいる。
「自民党がやるからすべて賛成!」の人と「もっといいやりかたがあるはず」の人ではどっちが真剣に考えているか明らかだとおもうんだけど、後者許すまじの人はすごく多い。
「盲目的に従わないやつは反抗的」って考えは強いんだよね。政治でも、企業でも、学校でも。
著者が書いていることには概ね同意できるんだけど、読めば読むほど
「でも、こういう本を出しても、ほんとに届いてほしい人には届かないんだよなあ」
という虚しさをずっと感じてしまう。
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