黒井 克行
2004年刊行。
様々な分野で一流と呼ばれた人たちの“引き際”を書く。
新書ブーム時に出された本だからだろう、正直あまり質は高くない。ばらばらなエピソードをむりやり一冊にまとめたという感じがする。一応“引き際”というテーマがあるが、全盛期の活躍にもけっこうページが割かれている。
また、八百長疑惑をかけられてプロ野球界から永久追放された選手(池永正明)とか、それは引き際もクソもねえだろという人の項もある。
あとボランティア活動に注力したくて検察官を辞めた堀田力とか、オリンピック選手育成のために仕事をやめた小出義雄とかも、それは引き際じゃなくてただの転身だろ、というのもある。新たにやりたいことが見つかったから辞めることに対して「引き際」という言葉を使うのはふさわしくないだろ。
テーマはおもしろそうだったのに、内容がだいぶズレてしまっている。
引き際が大事なのって組織の長なんだよね。時代の変化についていけない人、現場をわかっていないがトップに居座っていたら下はやりづらいし、組織は硬直化するし、やる気のない若手は外に出ていくし、ろくなことがない。現在の日産の凋落なんかを見ていると、上層部の引き際が悪いと大きな組織でもかんたんに傾いてしまうのだということがよくわかる。
だからそういう話を読みたかったのだが、出てくるのはスポーツ選手とか芸能人とか。そういう個人事業主は好きにしたらいいんだよ。失敗したって迷惑を被るのは自分なんだし。実力の世界なんだから、能力が衰えてきたら待遇も悪くなるはずでしょ。
個人事業主の項は削って、組織のえらいさんにスポットを当てた話をもっと読みたかた。
おもしろかったのは、島原市長だった鐘ヶ江管一氏の項。
雲仙普賢岳噴火が起こり、復興に尽力し「ヒゲの市長」として一躍有名になった。
市長を3期務め、周囲からも続投を期待されていたが、市長選に対立候補(かつて自信の支援者だった人物)が出馬したことで引き際を考えるようになる。
そして鐘ヶ江氏は市政の安定のため、不出馬を決意する。
まあこれは本人の弁だからかっこつけてる面もあるだろうが、たとえかっこつけでもこれを言って、実際に身を引ける現職政治家がどれぐらいいるだろうか?
成功した人ほど、潔く身を引くのはむずかしい。自分の能力に対する自信もあるだろうし、だから余計に若手が頼りなく見える。周囲も持ち上げてくれるので「おれはまだまだいける」という気になってしまう。
若いときはみんな「年寄りは老害になる前に早く引退したほうがいい」とおもっているけど、いざ自分が年寄りになると権力者の座に居座ってしまう。かつて新進気鋭の若手として、古い体質に風穴を開けてきた人が、年を取って古い体質の象徴のようになってしまう。なんとも悲しいことだ。
ホンダ創業者であり一代で会社を大きくした本田宗一郎氏が六十代で社長職を退いているのを見ると、つくづくすごいことだとおもう。
きっとまだやれたのだろうが、それでは後進が育たない。「今ばたばたしていることが落ち着いたら引退しよう」とおもっていても、「すべてが落ち着いて安心して引き継げる時期」なんて永遠に来ない。
組織のトップに立つ者の最後にして最大の仕事は「後継者を育てて椅子を譲る」だ。そして最もむずかしい死後でもある。
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