2025年7月18日金曜日

【読書感想文】黒井 克行『男の引き際』 / なぜ老害は身を引けないのか

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男の引き際

黒井 克行

内容(e-honより)
一生のうちに同じ局面は二度とやってこない。たった一度の判断が、評価を大きく左右する。それが「引き際」だ。では、引き際を見事に飾れた人と誤った人は、何が違ったのだろうか。完全燃焼できるまで頑張る、一つのことを成し遂げたことでけじめをつける、過去の実績とは全く関係ない世界に新たに挑戦する―。六タイプ九人の引き際にまつわる物語をひもときながら、男にとって引き際とは何かを探る。

 2004年刊行。

 様々な分野で一流と呼ばれた人たちの“引き際”を書く。

 新書ブーム時に出された本だからだろう、正直あまり質は高くない。ばらばらなエピソードをむりやり一冊にまとめたという感じがする。一応“引き際”というテーマがあるが、全盛期の活躍にもけっこうページが割かれている。

 また、八百長疑惑をかけられてプロ野球界から永久追放された選手(池永正明)とか、それは引き際もクソもねえだろという人の項もある。

 あとボランティア活動に注力したくて検察官を辞めた堀田力とか、オリンピック選手育成のために仕事をやめた小出義雄とかも、それは引き際じゃなくてただの転身だろ、というのもある。新たにやりたいことが見つかったから辞めることに対して「引き際」という言葉を使うのはふさわしくないだろ。

 テーマはおもしろそうだったのに、内容がだいぶズレてしまっている。


 引き際が大事なのって組織の長なんだよね。時代の変化についていけない人、現場をわかっていないがトップに居座っていたら下はやりづらいし、組織は硬直化するし、やる気のない若手は外に出ていくし、ろくなことがない。現在の日産の凋落なんかを見ていると、上層部の引き際が悪いと大きな組織でもかんたんに傾いてしまうのだということがよくわかる。

 だからそういう話を読みたかったのだが、出てくるのはスポーツ選手とか芸能人とか。そういう個人事業主は好きにしたらいいんだよ。失敗したって迷惑を被るのは自分なんだし。実力の世界なんだから、能力が衰えてきたら待遇も悪くなるはずでしょ。

 個人事業主の項は削って、組織のえらいさんにスポットを当てた話をもっと読みたかた。




 おもしろかったのは、島原市長だった鐘ヶ江管一氏の項。

 雲仙普賢岳噴火が起こり、復興に尽力し「ヒゲの市長」として一躍有名になった。

 市長を3期務め、周囲からも続投を期待されていたが、市長選に対立候補(かつて自信の支援者だった人物)が出馬したことで引き際を考えるようになる。

 鐘ヶ江は悩んだ。選挙の行方に不安を抱いていたわけではない。このまま普通に戦っても、四選される自信は十分にあった。彼の悩みは自分の当落ではなく、選挙が行われることで行政に空白ができることだった。そしてもう一つ、町を二分してしまうことだ。無投票四選しか考えていなかった鐘ヶ江は、また新たな決断を迫られていたのだ。
 「住民とは賠償問題をめぐり、侃々諤々の議論をすることもありました。自然災害は自主救済が原則ですので、怒りのもって行き場が大変にむずかしい。住民が納得できないこともよくわかっていました。私は市の財政事情や国や県の支援体制を、市長室に押しかけてくる住民と膝を交えて時には怒鳴り合いながら話し合いました。警戒区域の設定時も、予想どおり反対してくる人がいました。その中に、本多議員の選対にまわった私の支援者もいたのです。みなそれぞれの思惑があります。正直なところ、町は一枚岩となって災害復興へ向かっているとはいえませんでした。でも、徐々にではありますが、時間をかけてじっくり議論していく中でいい方向に向かってきていたんです。
 それがここで選挙をやったらどうなるか? 今までやってきた努力がリセットされてしまいかねません。選挙の行われる十二月は、首長として陳情のために積極的に動き回らなければならない時期でもあるんです。だからこそ絶対に、選挙運動によって、復興の妨げとなる空白期間をつくってはいけなかったんです。立候補すべきかどうか、誰にも相談せず一週間悩み、眠れない状態が続きました」

 そして鐘ヶ江氏は市政の安定のため、不出馬を決意する。

 まあこれは本人の弁だからかっこつけてる面もあるだろうが、たとえかっこつけでもこれを言って、実際に身を引ける現職政治家がどれぐらいいるだろうか?


 成功した人ほど、潔く身を引くのはむずかしい。自分の能力に対する自信もあるだろうし、だから余計に若手が頼りなく見える。周囲も持ち上げてくれるので「おれはまだまだいける」という気になってしまう。

 若いときはみんな「年寄りは老害になる前に早く引退したほうがいい」とおもっているけど、いざ自分が年寄りになると権力者の座に居座ってしまう。かつて新進気鋭の若手として、古い体質に風穴を開けてきた人が、年を取って古い体質の象徴のようになってしまう。なんとも悲しいことだ。


 人の評価を分けるものは何だろうか。
 これまで、引き際が潔かった人たちを見てきたが、彼らに共通するのは、迷いがないことではないだろうか。長い一生の中で、何かを成し遂げるには、並大抵の苦労ではないだろう。苦労が多ければ多いほど、自負も大きくなり、後に続く人たちが不甲斐なく見える。すると、今の地位に未練が生まれ、権力に執着し、周りが見えなくなって独善に陥る……。
「自分はそんなことない、引き際ぐらいちゃんと見極められる」と思うかもしれないが、もしかしたら、そう思った時点で、すでに引き際を飾るタイミングとしては遅いのかもしれない。
 多くの晩節を見ていると、そんな気がしてならない。
 権力の座にいる人たちは、特に晩年の過ごし方が難しいようだ。苦労して上りつめた地位だからこそ、なかなかそこから下りられないのもわかる気がする。もちろん、居心地もいいのであろう。ただ、居座るのもほどほどにして、驕ることなく権力と付き合っていくことができれば、歴史に名を残せるかもしれない。が、その居心地のよさに甘んじておぼれてしまうと、ただの人以下になりかねない。この権力という魔物に取り憑かれ、翻弄される人は、昔も今も変わりなくいるように思う。
 特に、二ケタの当選回数を誇る政治家ともなると、腰がだいぶ重たくなってしまうらしい。なかなか地盤の選挙区から離れられず、後に控える人に道を譲ってくれない。老害などと後ろ指をさされる頃には、開き直り、聞く耳を持たなくなってしまい、せっかくそれまで築いてきた業績が泣いてしまう。

 ホンダ創業者であり一代で会社を大きくした本田宗一郎氏が六十代で社長職を退いているのを見ると、つくづくすごいことだとおもう。

 きっとまだやれたのだろうが、それでは後進が育たない。「今ばたばたしていることが落ち着いたら引退しよう」とおもっていても、「すべてが落ち着いて安心して引き継げる時期」なんて永遠に来ない。

 組織のトップに立つ者の最後にして最大の仕事は「後継者を育てて椅子を譲る」だ。そして最もむずかしい死後でもある。


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