2022年6月20日月曜日

【読書感想文】中谷内 一也『リスク心理学 危機対応から心の本質を理解する』 / なぜコロナパニックになったのか

リスク心理学

危機対応から心の本質を理解する

中谷内 一也

内容(e-honより)
人間には危機に対応する心のしくみが備わっている。しかし、そのしくみにはどうやら一癖あるらしい。感情と合理性の衝突、リスク評価の基準など、さまざまな事例を元に最新の研究成果を紹介。


 世の中にはリスクがあふれている。我々はリスクに備え、様々な手を講じてリスクを回避・軽減しようとする。

 でも我々はリスクの計算が苦手だ。大した危険のないものにおびえ、ほんとに危険なものは軽視してしまう。

 よく言われるのが「多くの人間の命を奪った生き物だ」だ。ヒトを除けば、最も人間の命を奪った生物は蚊である。蚊が媒介した伝染病により、今でも多くの人が命を落としている。
 一方、サメで命を落とす人は年間数人程度。日本にかぎっていえば、ほぼゼロ(数年に一度負傷者が出るレベル)。でも我々は蚊よりもサメのほうが怖い。これはリスクを正しく判断できていない例だ。


 だからこそ保険が商売として成り立つ。スマホや家電を買うと、有償の保険に勧められる。壊れた場合に無償で修理できますよ、というものだ。数万円のスマホに対して数千円の掛け金。故障の確率を考えると、どう考えたって加入すると損だ(頻繁に壊す人は別)。それでも加入する(そして故障しない)人が多いから商売として成り立つんだろう。ぼくは加入しないけど、それでもちらっと「どうしよっかな」と迷ってしまう。




『リスク心理学』では、なぜ我々はリスクを誤って査定してしまうのかについて説明してくれる。

 スターの分析結果のうち、後の研究により影響を与えたのはもうひとつの方の知見でした。それはスキーや喫煙のような能動的に行う行為は、電力や自然災害のように、通常の日常生活を送るだけでかかわることになる受動的なハザードに比べて一○○○倍もの大きなリスクが許容されている、ということでした。
 例えば、自家用飛行機の事故率は一般の商用飛行機よりも格段に高いのですが、自家用機は自分の意思で利用するのでリスクが大きくても利用者は受け入れます。一方、一般の商用飛行機は人々は移動にそれを利用せざるを得ないのでより低いリスクでないと受け入れない、というわけです。
 つまり、社会は、一定のリスク/ベネフィット関係でいろいろなハザードを受容しているのではなく、自発的に接するハザードと非自発的なハザードとでは、別のリスク/ベネフィット関係があって、自発的ハザードは高リスクでも受け入れるダブルスタンダード(二重規範)になっていたのです。スターは徹底してリスクとベネフィットを数量的に扱い、両者の関係を定量的に求めてきました。その結果として自発性という定性的な要因の影響が顕わになってきたという点が面白いですね。

 つまり、自分が好きでやっていることはリスクを低く見積もってしまうのだ。

 新型コロナウイルスでいえば、満員電車はみんなマスクをして口を閉じていても怖い。でもマスクを外して会食する飲み会は大丈夫だとおもってしまう。

 かつてぼくが視力回復手術をしようとしたところ、父親から「やらなくていいことでリスクがあることはやめとけ」と反対された。でもそんな父親はゴルフが趣味だ。ゴルフなんて「やらなくていいことでリスクがあること」の筆頭みたいなものなのに(父親の反対は無視した)。


「自分の意思でコントロールできないもの」「大惨事になる可能性があるもの」「すぐに死につながるもの」「目に見えないもの」「リスクにさらされていることに気づきにくいもの」「新しいもの」「よくわからないもの」は、じっさいよりもリスクを高く算定するそうだ。

 新型コロナウイルスなんかまさにその代表例で、コントロールできない、目に見えない、感染してもすぐに発症するわけではない、新しくてよくわからない、といった条件が重なり、人々はパニックに陥った。特に2020年の右往左往っぷりは(ぼくも含めて)滑稽なほどだった。

 個人だけではない。子どもの死者がひとりも確認されていない時点で国があわてて全国的に休校をしたり、一日の感染者数が日本中で数十人しかいないのに実質ロックダウン状態にしたり。国の対応も、2022年の今からおもえば「もうちょっと落ち着け」と言いたくなるようなものばかりだった。まあ今だから言えるわけだけど。

 そのくせ、2021年に東京オリンピックが近づくとあれやこれやと「オリンピックを開催できる理由」をアピールしはじめた。これなんかまさに「自発的ハザードは高リスクでも受け入れる」の典型例だ。つまり政府といったって結局は人間の集まりなので、ぼくら個人と同じくらいバカでよくまちがえるということだ。


 新型コロナウイルスとは逆に、リスクを低く見積もってしまうものもある。筆者が挙げるのは自転車だ。

 自転車は意外とリスクの高い乗り物です。自転車運転中の死亡者は減少してきているのですが、それでも毎年数百人(平成初期は一○○○人超、近年でも四○○人程度)が亡くなっています。バイクや原付は交通事故で死亡するリスクが高く思われますが、実は、死亡者は自転車の方がずっと多いのです。毎年安定して何百人もの犠牲者を出しているのですが、それでも反自転車団体が自転車廃止運動を展開し、多くの市民がそれに同調する、という話は聞いたことがありません。なぜか?
(中略)
 恐ろしさ因子からみていきましょう。自転車運転中の事故に関して、災害発生前の「制御可能性」はかなり高いですね。ブレーキという制動装置がありますし、周囲に注意を払い安全運転を心がけることで、事故に遭う確率を低くできます。そもそも自転車に乗るのは自分の意思による選択なので、乗らなければ被害に遭うこともありません。
 これは自発性ともからんできます。例えば、放射線だと、事故現場近くに居住しているだけで否応なしに被ばくしますので制御可能性はないといえます。
 自転車と耳にしただけで「恐怖を喚起する」ということはありませんし、自転車事故が世界中で同時多発的に起こって「大惨事となる潜在性」があるとは思えません。「致死的な帰結」については、実際には先述のようにかなり高いのですが、自転車事故=死、という印象はないでしょう。(中略)
 次に未知性因子をみていきましょう。自転車はそこにあれば誰にでも見えますので「対象を観察できない」ということはなく、自転車に乗っている人は自分でそのことがわかっていますから「リスクに曝されている本人がそのことを知り得ない」ということもありません。事故があればその場で怪我をしますので、脳震盪などを除いて「悪影響がその場でば顕れず、後になってから生じる」とも考えにくく、自転車は「新しい」ものでもありません。「科学的によくわからない」という要素もあまりなさそうです。

 なるほどねえ。

 飛行機が怖い人は多いけど(ぼくもそのひとりだ)、確率でいえば飛行機よりも自動車や自転車のほうがよっぽど危険な乗り物だ。それでもぼくらは自動車や自転車のリスクを軽視してしまう。

 リスクの算定を誤ることは避けられないけど、「こういうときにリスクを高く/低く見積もりがち」という己の傾向を知っていれば、その誤差は小さく抑えることができる。

 大事なのは「自分はバカでよくまちがえる」と知ることだ。




 バカな我々がまちがえる理由のひとつが「公正世界誤謬」だ。

 新型コロナ禍の中、厳しい労働条件におかれ、大きな負担を強いられている医療従事者が地域社会から排除されるというのはいかにも理不尽なことです。感染者や感染者家族が回復し、十分に感染リスクが下がっても不当な扱いを受け続けることも同様です。しかし、しばしば「ひどい目にあっている人は、そうなるだけの理由があるのだ」と考えられがちです。
 これを説明する心理学モデルがメルビン・ラーナーによって提唱された公正世界信念と呼ばれるものです。それによると、われわれは「世の中は公正にできていて、悪い人・悪行には悪い結果が返ってくるものだし、良い人・善行には良い結果が返ってくるものだ」という因果応報的な信念を持ちやすいのです。この信念を持つことには肯定的な側面もあり、例えば、目標を立てそれに向けて努力することや主観的な幸福感の高さに関連しています。けれども一方、この信念は正しい行いをしているのに理不尽にひどい目にあわされている人の存在を容認しにくくします。それを認めてしまうと自分の信念が脅かされるからです。

 世界は公正であることをうたう言葉は多い。「正義は勝つ」「お天道様は見ている」「悪銭身に付かず」「努力は必ず報われる」など。

 それ自体は悪いことではないが、こういう信念が強すぎると容易に「あの人が負けたのは正義ではなかったからだ」「おれが金持ちなのは正しいことをしているからだ」「あいつが報われないのは努力が足りないからだ」と信じこんでしまう。

 言うまでもなくこれは誤っている。どれだけがんばっても報われない人はいるし、畳の上で家族に見守られながら穏やかに死ねる悪党もいる。天災で死んだのはおこないが悪かったからではない。


 「正義が負けて悪が勝つこともよくある」と認めるのはしんどいんだよね。ぼくがテレビや新聞のニュースを見るのをやめたのも、それが理由のひとつだ。
「政権に媚を売っていれば検事長が違法な賭けマージャンをやっていても起訴されない」「権力を持っていれば有権者を接待しても検察が見てみぬふりをしてくれる」とか認めるのはすごくストレスだもの。検察が正しい仕事をしてくれるはず、検察が動かないということはそれ相応の理由があるからだ、それが何かはわからないけど、と無根拠に信じていればそれ以上頭を使わなくて済む。

 三歳児みたいに「正義は勝つし、常に正しい判断を下せる人がいるはず」と信じられれば楽なんだけどね。気持ちは。


【関連記事】

【読書感想文】チンパンジーより賢くなる方法 / フィリップ・E・テトロック&ダン・ガードナー『超予測力』

【読書感想文】ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』



 その他の読書感想文はこちら


2022年6月17日金曜日

【漫才】将棋のルール


「将棋をやってみたいとおもうんだけどさ」

「いいじゃん」

「でもルールがなにひとつわかんないんだよね」

「あー。まあ最初はちょっとむずかしいかもな。でもすぐおぼえるよ」

「将棋のルールわかるの?」

「わかるよ」

「全部?」

「全部? ん、まあ、全部……わかるよ」

「じゃあ聞くけど、ごはんっていつ注文すんの?」

「ごはん?」

「ほら、棋士が対局するときってお昼ごはん食べたりするんでしょ。あれってどのタイミングで注文するの? 誰かが訊きに来るの? それともこっちから『そろそろ注文いいですか』って言うの?」

「えっ、えっ、ちょっと待って。プロ棋士の対局の話?」

「そうだよ」

「いや、将棋のルールっていうから、駒の動かし方とかそういうのかとおもったんだけど」

「そんなのは本読めばすぐわかるじゃん。今知りたいのはごはんの注文に関するルール」

「それはルールじゃないでしょ」

「じゃあルール無用で注文していいわけ? 板前呼んで十万円ぐらいする寿司のコースを握らせてもいいわけ? 対局やってる横でマグロの解体させてもいいわけ?」

「いやさすがにそれはだめでしょ」

「ほら、だったらルールがあるんだよ。将棋のルールは全部知ってるんでしょ。いつ注文するのか教えてよ」

「いやおれがおもってたのは盤上のルールだったんだけど……。まあ、十一時ぐらいに主催者が訊きに来るんじゃない? おひる何にしますかって」

「何頼んでもいいの?」

「いや……さすがにマグロの解体ショーやられたらまずいから……。あ、そうだ、メニューがあるんだよきっと。和食、洋食、中華それぞれのお店の。その中から選ぶんだ。だからいちばん高くてもうな重(上)の五千円とかだろうね

「棋士はいつお金払うの? 注文するとき? それともごはんが届いてから?」

「えっと……どっちでもないとおもう。対局中に財布出してるの見たことないもん。トーナメントのときは主催者持ちかな。将棋以外のことに頭使わせたら悪いし」

「ふだんの対局のときは?」

「どうしてるんだろ。あれかな、将棋協会とかが立て替えておいて、給料払うときにその分差し引いて振りこんでるとかかな」

「でも労働基準法第二十四条に賃金の全額払いの原則があるから貸付金との相殺は禁じられてるんじゃなかったっけ」

「なんだよ妙にくわしいな。将棋のルールは知らないくせに」

「法学部だから」

「めんどくせえなあ。じゃあ対局が終わってから請求してるんじゃないの」

「あのさ、テレビで観たことあるんだけど、棋士って対局中におやつも食べるでしょ」

「ああ、食べてるね。ものすごく頭使うから、甘いものがほしくなるらしいよ」

「おやつを持ち込んで食べるんだってね」

「そうそう。誰が何食べたかとかもけっこう注目されてるよね」

「あれは何持ち込んでもいいの」

「まあだいたいいいんじゃない。そりゃパティシエを持ち込んで作らせるとかはだめだろうけど」

「たとえばお汁粉とか」

「ぜんぜんいいでしょ。甘いし、冬なんかはあったまるだろうし」

「お汁粉の湯気で対局相手のメガネが曇らせる作戦」

「そううまくいくかね。そんなの一瞬でしょ」

「いつまでもメガネが曇るように、煮えたぎったお汁粉を……」

「そんな熱いの自分も食えないじゃん」

「食うときははフーフーして冷ますから大丈夫。あ、待てよ。フーフーしたら二歩で反則負けか」

「くだらねえな。将棋のルールなにひとつ知らないって言ってたくせに、二歩は知ってんのかよ」

「おまえこそ将棋のルールぜんぶ知ってるっていってたくせにぜんぜん知らないじゃないか」

「おれが言ってるのは将棋のルール。さっきからおまえが訊いてきてるのは棋士のルールじゃないか」

「じゃあ将棋のルールについて質問するよ。新しい駒を考えたときはどこに申請したらいいの?」

「……は?」

「だからさ、おれが新しい駒を考えたとするでしょ」

「なに言ってんの?」

「たとえばね、土竜(もぐら)って駒を考案したとするよ。相手の駒や自分の駒の下をくぐって前に進めるやつ」

「だからさっきからなに言ってんの

「これを正式に採用してもらいたいとおもったら、どういう手続きで日本将棋連盟に申請したらいいの? 決まった書式とかあるの? どこで申請書のPDFファイルをダウンロードしたらいいの? 採用された場合の権利関係はどうなるの? 発案者にはいくら入ってくるの?」

「ちょっ、ちょっと待って。ないから。新しい駒が採用されることなんかないから」

「ないの?」

「ないよ」

「えええ……。じゃあおれはなんのために三年もかけたんだ……」

「新しい駒考えてたのかよ」

「数百種類も考えたのに……」

「それもはや将棋じゃなくてポケモンバトルだろ」

「じゃあさ、また別の質問」

「もうやだよ。ぜんぜん将棋のルールの質問じゃないじゃない」

「次で最後だから。次こそちゃんとした質問」

「……わかったよ。最後な」

「ありがとう。じゃあ最後の質問。もしも将棋の駒が寿司ネタだとしたら、それぞれの駒はどの寿司ネタに該当するとおもいますか? また、どの順番で食べるのが正解だとおもいますか?」

「どこが将棋のルールなんだよ!!」




2022年6月15日水曜日

【読書感想文】乙一『平面いぬ。』 / 無駄だらけのようで無駄がない

平面いぬ。

乙一

内容(e-honより)
「わたしは腕に犬を飼っている―」ちょっとした気まぐれから、謎の中国人彫師に彫ってもらった犬の刺青。「ポッキー」と名づけたその刺青がある日突然、動き出し…。肌に棲む犬と少女の不思議な共同生活を描く表題作ほか、その目を見た者を、石に変えてしまうという魔物の伝承を巡る怪異譚「石ノ目」など、天才・乙一のファンタジー・ホラー四編を収録する傑作短編集。

『石ノ目』『はじめ』『BLUE』『平面いぬ。』のファンタジー四篇を収録。

 どれも奇妙な味わいの話だ。


『石ノ目』は、目を見ると石化してしまう女にまつわる話。メデューサみたいなやつね。遭難してある家に迷いこんだ主人公たち。そこには精巧な石人形たちと、決して顔を見せようとしない女がいた。主人公は、石人形の中からかつて行方不明になった母親をさがすが……。

 終始不気味な雰囲気が漂う話だが終盤はおもわぬ展開を見せる。話の持っていきかたに無駄がなくて、小説巧者という感じだ。


『はじめ』の主人公は男子小学生。先生に怒られないための言い訳として〝はじめ〟という架空の女の子を考えだしたところ、主人公とその友だちにだけははじめの声が聞こえるようになる。
 幻なのに主人公たちを助けたり成長したりする〝はじめ〟。幻の友だちとの友情、そして別れを丁寧に描いていて、幻なのにほろ苦い青春小説になっているのが妙な感覚だ。「幻の友だち」だけでなく「謎の地下通路」というもう一エッセンス加わっているのがいい。
 ところで、「~だったんだ」をくりかえす変わった文体なのでこれがなにかを表しているのかとおもったら、特に意味がなかった。


『BLUE』はぬいぐるみたちの心中や行動を描いた短篇。『トイ・ストーリー』のようだが、もっとビターな味わい。出てくるぬいぐるみも人間もあまり性格のいい連中じゃない。
 ダークな世界を描いていて個人的にはいちばん好きだったが、着地はちょっと安易なお涙ちょうだいだった。


『平面いぬ。』は、腕に入れた刺青の犬が意識を持って行動するようになった少女の話。身体の一部が自我を持つというアイデアは昔からよくあって、落語『こぶ弁慶』、『ブラック・ジャック』の『人面瘡』、星新一『かわいいポーリー』など、そこまで目新しいテーマではない。ただしそこに「家族が次々に余命宣告される」という要素を加えることで緊張感のある展開になっている。ちょっとしたオチもあり、これまたうまい小説。無駄だらけのようで無駄がない。




 どれも派手さはないけれど、しみじみと味わいのある小説で、しかも構成がうまい。これを二十歳ぐらいで書いているってのがすごいなあ。


【関連記事】

【読書感想文】きもくて不愉快でおもしろい小説 / 矢部 嵩『魔女の子供はやってこない』

【読書感想文】曽根 圭介『鼻』



 その他の読書感想文はこちら


2022年6月14日火曜日

いちぶんがく その13

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。




まずはエロ。

(半藤 一利『B面昭和史 1926-1945』より)





「あんたらに復讐する権利がある」

(深谷 忠記『審判』より)




「50カ国全てから、<国民主権>や<公共>という非効率な概念が、やっと取り払われるんです」

(堤 未果『政府はもう嘘をつけない』より)





そのため、従来型の生物たちはばたばたと滅んでいったのです。

(藤岡 換太郎『海はどうしてできたのか 壮大なスケールの地球進化史』より)




彼にとって、世界とは、ゴキブリの活字で埋まった新聞紙にすぎなかった。

(三島 由紀夫『命売ります』より)





自然科学の世界でも、自分の意見に固執しすぎると、悪魔に首を取られるかもしれない。

(花井 哲郎『カイミジンコに聞いたこと』より)




卒業式がどこかへ飛んでいく。

(朝井 リョウ『少女は卒業しない』より)





私は亡くなった友人と出会い直したのだ。

(中島 岳志『自分ごとの政治学』より)




ジョージは生まれてはじめて阿呆になったような気がした。

(アーサー・C・クラーク(著) 福島 正実(訳)『幼年期の終り』より)





チーズの表面はダニの糞や脱皮殻の層でおおわれ、それをとりのぞいてみると、無数のダニがうごめいているのが見えます。

(青木 淳一『ダニにまつわる話』より)




 その他のいちぶんがく


2022年6月13日月曜日

【読書感想文】『夢のズッコケ修学旅行』『ズッコケ三人組の未来報告』『ズッコケ三人組対怪盗X』

  中年にとってはなつかしいズッコケ三人組シリーズを今さら読んだ感想を書くシリーズ第九弾。

 今回は24・25・26作目の感想。


『夢のズッコケ修学旅行』(1991年)

 三人組を含む花山第二小学校の六年生は一泊二日の修学旅行に出かける……。

 あらすじを書くと、ほんとにこれだけで終わってしまう。ほんとに修学旅行の思い出なんだよな。もちろんちょっとした事件が起きるのだが、どれもささやか。他校の子といざこざを起こしたり、銀山で銀鉱石を拾ったり、女子の下着を見てしまったり、旅先で不良にからまれたり、女子の部屋に行ってみたり、就寝後に異性の話で盛り上がったり……。

 小学生からしたら印象に残るイベントかもしれないが、全部「まあそんなこともあるだろうね」レベルなのだ。ズッコケシリーズ屈指の何も起こらなさだ。

 でもまあそこが修学旅行らしいといえば修学旅行らしい。修学旅行ってそんなものだもんね。

 旅行の醍醐味って、予定通りにいかないことじゃない。予定していた電車に乗れなかったり、道に迷ったり、お金をだましとられたり、危険な目に遭ったり。そのときはたいへんでも、終わってみればそうしたトラブルがいい思い出になったりする(もちろん無事に帰れたら、だけど)。
 でも修学旅行って先生たちが入念に計画して万難を排しているから、まずイレギュラーなことは起こらない。そりゃあこっそり抜け出すやつとか無茶してけがするやつとかはいるけど、それすらも想定内だ。どの学校でもだいたい毎年起こっていることだ。だから小説にしてもつまらない。

 まだ旅行記としておもしろければいいのだが、それも失敗している。せっかく山陰地方の名所旧跡について文字数を割いて説明しているのに、なぜか岩屋銀山だの南雲大社だのと架空の名前にしているのですべてが台無し。石見銀山、出雲大社、宍道湖……と書けばいいのに。有名な観光名所なんだからまったく伏せる必要ないとおもうのだが。

 架空の場所を周っている、架空の小学校の、とりたてて変わったことも起こらない修学旅行。そりゃおもしろくないわ。


 今作がシリーズの他の作品と毛色が異なるのは、性的な描写がかなり多いこと。といっても女子のパンツを見たり、引率の先生のブラジャーがちらりと見えたり、女子に抱きつかれたりぐらいでごくごくささやかなものなのだが、今までのズッコケシリーズにそうした描写が皆無だったことをおもえば「急にどうしちゃったの?」という気になる。男子のリアルな生態を書くのはいいけど、前作までと急にキャラが変わるので違和感が強い。性に関心のあった小学生当時ですら「いやズッコケシリーズにそういうの求めてないから」とおもった記憶がある。

〝児童文学では性の話をしない〟というタブーに挑戦したかったのかもしれないが、だとしても唐突なんだよね。そもそもハチベエが「誰でもいいからガールフレンドがほしい」とおもうところからして無理がある。ませてる小学生でもせいぜい「好きなあの子を彼女にしたい」だろう。大学生ならいざしらず、「誰でもいいから」と手当たり次第に女の子に声をかけるのはもはやリアリティのかけらもない。



『ズッコケ三人組の未来報告』(1992年)

 二十年後の未来に開けるため、タイムカプセルを埋めた六年一組の生徒たち。
 それから二十年後。タイムカプセルを開けるために集まった面々。だが六年一組のタイムカプセルだけがなくなっていることに気づき……。


 これをはじめて読んだときの感想はおぼえている。「あれ? 期待してたのに……」

 たしかに気になる。三人組がどんな大人になるのか。どんな仕事をするのか。誰と結婚するのか。
 でも、答えを知ってしまったらつまらない。あれこれ想像をはたらかせていたときのほうがずっとおもしろかった。

 そりゃそうだ。未来なんて知ってしまったらつまらない。だってたいていの場合想像を下回ってるんだもの。クラス一おもしろかったあいつも、めちゃくちゃサッカーがうまかったあいつも、ナンバーワン美少女だったあいつも、いつも悪ぶっていたあいつも、大人になってみれば意外と平凡な人生を送っているものだ。あるいは消息不明になっているか。
 そりゃあ中には会社をおこして社長になったり、芸能関係の道に進んだやつもいるやつもいるけど、それだって「まああいつはあいつでたいへんそうだよな。華やかなことばっかりじゃないだろうし」みたいな感じで、知ってしまえば存外つまらない。

 こういうのって読者が勝手に想像するから楽しいんだよな。作者が「未来はこうです」と提示してしまっちゃあつまらない。一応ラストに〝夢オチ〟というどうしようもない逃げ道を作って「未来はわかりませんよ」というエクスキューズを用意してはいるが、これだけ長々と書いておいて「これは本当の未来とは別ですよ」はさすがに通らないだろう。実際、後の『ズッコケ中年三人組』でほぼ実現しているわけだし。

 この作品はないほうがよかったな。今後の作品にも悪影響を与えてしまう。荒井陽子や安藤惠子が出てくるたびに「こいつらはハカセやハチベエといい仲になるんだよな」という気持ちで見てしまう。


 ストーリーはよく練られている。単に未来の三人組を描くだけでなく、「タイムカプセルが消えた」「なぜかミドリ市で公演をするアメリカの謎のロック・スター」「死んだ同級生・長嶋」といったフックをいくつも用意して謎解きものに仕上げている。

 とはいえ、長嶋くんというキャラクターの少年時代がまったく描かれていないので、「長嶋はいったいどうなったのか?」という謎を提示されてもまったく関心が持てない。田代信彦とか中森晋助ぐらいに活躍したことのあるキャラクターならまだ興味が持てるんだけど。知らんやつが死のうが生きてようがどうでもいいからなあ。

 つまらない、というほどではないのだけれど、シリーズの中の一作として見たら完全に失敗作だったとおもう。シリーズ全体の設定をぶち壊しにしてしまったという意味で。『トイ・ストーリー4』みたいなもんだね。



『ズッコケ三人組対怪盗X』(1992年)

 世間を騒がす大泥棒・怪盗Xから三人組の後輩の家に犯行予告状が届いた。見事にXの企みに気づいて犯行を阻止した三人だったが、Xは逃走。三人組は再びX逮捕に向けて行動するが逆に捕えられてしまい……。


 王道探偵小説。

 これまでにも『ぼくらはズッコケ探偵団』『こちらズッコケ探偵事務所』『ズッコケ三人組の推理教室』と推理ものはあったけど、書かれている事件が「殺人事件(探偵団)」→「誘拐事件(探偵事務所)」→「猫の誘拐(推理教室)」→「大怪盗による犯行予告」と回を追うごとに幼稚化していっているぞ。

 怪盗ものは、ルパンや怪人二十面相やパーマンの怪人千面相でさんざんやりつくされていてイメージもできあがっているので、怪盗ものと聞くと「那須正幹先生もずいぶん守りに入ったな」とおもってしまう。

 じっさい、変装の名人だったり、世間を騒がす大胆な犯行だったり、ポンコツすぎる警察の裏をかく逃走劇だったり、怪盗Xもこれまでの怪盗とさしてやっていることは変わらない。

 もちろん読者である子どもは入れ替わっているので、必ずしも新しいことをやらなくてもいいとはおもうが、ズッコケ三人組らしさがあまり出ていない。特にハカセが怪人二十面相シリーズにおける小林少年のような「ただ賢いだけの少年」になってしまっていて、ミスやドジを踏まない。

 これは怪盗ものの宿命だよね。どうしても「怪盗があっという方法で盗みをはたらく」→「主人公が見破って追いつめる」→「警察がドジって取り逃がす」という流れになるので、主人公側から積極的に動くことができず、怪盗の動きを受けて後を追う形になる。おまけに主人公側はミスもできない。必然「与えられた問題に対して正解を出す」のくりかえしになってしまう。これでは主人公が輝かない。テストで百点をとるだけの主人公の何がおもしろいのか。

 そう、この巻の主人公は怪盗Xである。ハカセは単なる脇役にすぎず、モーちゃんやハチベエはその助手に近い。モーちゃんはまだ単独行動をとるシーンがあるが、ハチベエにいたっては「父親がXの変装を見破ったことをハカセ伝える」役割に甘んじている。

 ということで、ズッコケ三人組シリーズの一作として読むとものたりない本作だが、作品自体の出来は決して悪くない。二転三転するXとの攻防だけでなく、Xを荒唐無稽な超人にせず「Xとその部下が過去に勤めていた会社が倒産したらしい」「Xには妻子がいるらしい」といった生身の人間としての情報を出しているところ、それでいてすべての情報は明かさずに謎をもたせていること、そしてX逮捕で大団円……かとおもいきや脱走をにおわせるラストなど、単なる怪盗ものとして終わらせず、深みのある物語に仕立てている。

 まだ読んでいないけれど、この後に『ズッコケ怪盗Xの再挑戦』『ズッコケ怪盗X最後の戦い』と続くらしいので、三部作の一作目としては決して悪くない、いやむしろおもしろい部類に入る作品だとおもう。


【関連記事】

【読書感想文】『それいけズッコケ三人組』『ぼくらはズッコケ探偵団』『ズッコケ㊙大作戦』



 その他の読書感想文はこちら