曽根 圭介『鼻』
『暴落』『受難』『鼻』の3篇からなる短篇集。
ビルの隙間に手錠でつながれた男が、通りがかった人々に助けを求めるが……。
ディスコミュニケーションの恐怖をユーモラスに描いた 『受難』。
ホロコーストをにおわせる重苦しい雰囲気が漂う『鼻』(ネタバレになるので内容はあまり書きません)。
どちらもそれなりによくできていましたが、さほど怖さは感じませんでした。
一方、『暴落』はSFとしてもホラーとしてもブラックコメディとしても優れた作品で、後にひきずる不気味さがありました。
『暴落』のストーリーは次のようなもの。
(一部ネタバレを含みます)
法による支配が失敗をして、代わりに「市場」が支配するようになった社会。
各個人につけられた「株価」が、就職、結婚、交友関係、家族関係すべてを支配する。
そのため人々は自分の「株」を買ってもらおうと、 善行に走り、周囲からの人気を集めようとする。
一流銀行に勤める主人公は、あることをきっかけに株価が下がり、株価を上げようと画策。
それらの工作が裏目に出てどんどん転落の一途をたどるが、そこに差し伸べられた救いの手は……。
という話。
昔の筒井康隆作品のような味付けでした。
主人公がどうなるかはこの本を読んでいただければわかるとして(「イヤな話」が嫌いな人にはおすすめしませんとだけ言っておきます)、「市場がすべてを決定する」というアイデアはほんとに優秀だと思いました。
ほんと、法律より市場のほうが強い力を持つ世の中ってもうすぐ来そうじゃないですか。
最近の政治家はそんな人が多いですしね。
法律や公共の福祉や文化よりも経済政策優先って人が。
政治だけじゃないですよね。
たとえば不倫をした芸能人をめぐる報道とか。
不倫は関係者に対しては迷惑をかけるでしょうけど、あくまで私的な問題。
法律違反をしているわけじゃないのだから、部外者がとやかく言うべきことじゃない。
そんな「法のルール」よりも、「こいつの株価は暴落したから食い扶持がなくなるまで追い込んでいい」という「市場のルール」にのっとって行動する人間のゲスさよ。
「法律に違反したか」「他人にどれぐらい不利益を与えたか」ではなく、「どれだけ叩いていい空気になっているか」によって他人を攻撃するという風潮。
これってまさに、実際の経常利益よりも「どれぐらい上がりそうか、下がりそうかという空気」によって支配される株式市場の世界ですよね。
さっき「法ではなく市場が支配する世界が近いうちに来る」と書きましたけど、訂正、もうすでに来てますね。
現実のほうがよっぽどホラーやでこれは......。
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