2021年10月18日月曜日

【読書感想文】永 六輔『無名人名語録』

無名人名語録

永 六輔

内容(e-honより)
日本全国一億二千万人が創った名言・箴言・格言・警句。巷に生きる無名人が残した言葉を、ひたすらメモしてみると、時にドキッとするような内容にであう。ジッとかみしめ想いをひろげていくと、何かそこはかとない共感と連帯の気持ちがわいてくる。ここに集めた傑作を、どうぞ声をだして読んでください。


 なんだろう。すごく新奇なことが書いてあるわけじゃないんだけど。でもいい本だったなあ。
 本ってこのためにあるのかもしれない、とすらおもえる。


 ラジオやテレビのタレントであり、番組で日本中あちこち旅をしていた永六輔さん。そんな永六輔さんが全国各地で耳にした、市井の人々の発言を集めた本。
 刊行は今から三十年以上前。

 どんな状況で誰が発した言葉か、なんてのは一切書かれていない。ただ発言だけが並べられている(一応テーマごとに分かれている)。

 これが、しみじみといい。 

「名誉や、地位は捨てられるんですよ。
 出世欲だって、性欲だって、なんとか捨てられるものです。
 物欲、もちろん、捨てられます。
 一番むずかしいのは、名前です。
 名前を捨てることができたら、プロの乞食になれます。そういうものです」

 こんなのとかね。

 ホームレスの人から聞いた話なのかな。ふしぎな説得力がある。

 たしかに、名前を捨てるのはむずかしそうだ。
 ブッダだって、名誉も地位も家族も財産も捨てたけど、名前だけは捨てなかったもんね。すべてを失っても、名前という「生きた証」だけは捨てられない。それを捨てたら人間でなくなる。

 人間と他の動物を区別するものは「自分の名前を持っているか」かもしれないな。動物には、他人からつけられる名前はあっても自称する名前はないだろうから。
(だから『吾輩は猫である』の猫は名前がないのか!)




 深く考えずに発したであろう言葉の中にも、箴言は多く眠っている。

「そりゃ若いときは有名になりたいと思ったさ、無名で終わるなんて考えもしなかった。でもね、でも、年をとってみると、ちょっとはわかってくるんだよ。
 有名人なんてものは、ありゃ世間のペットみたいなもんでさ。
 我々は気が向いたときに可愛がってやりゃいいもんだってね」

 そうだねえ。

 ぼくも有名人にあこがれたことはあった。というか、自分は有名になるもんだとおもっていた。

 でも中年になって、これから先ぼくが有名になることなんて大犯罪でもしないかぎりはないとあきらめた。あきらめたから負け惜しみでいうわけじゃないけど、有名人ってたいへんだろうな。どこへいっても有名人なんだもの。

 だからデーモン小暮さんとかゴールデンボンバーの樽美酒研二さんみたいな「素顔の知れない有名人」がいちばんいいよね。有名人と無名人を使い分けられるから。




「女郎とか杜氏っていうのは、みんな貧しさが前提なんですね。出稼ぎで都会に来たり、産地に行ったりするわけですよ。
 だからこそむかしはいい女郎も、いい杜氏も育ったわけなんですね。
 世の中が豊かになって、ソープ・ランド嬢はいてもむかしのような女郎はいませんね。
 同じことなんです。酒を作る現場も、技術は落ちてますよ」 

 日本がモノづくり大国と言われていた時代もあったけど、あれは貧しい人がたくさんいたからこそなんだろうな。

 そりゃあモノづくりが好きな人はいるけど、豊かな生活を送れる人はなかなか「汗と機械油にまみれる仕事」や「地味で、長期間の修行が必要で、それほど給料がいいわけでもない仕事」を選びませんよ。

 従事する人が減れば全体のレベルも落ちる。「モノづくり大国」が衰退したのも必然。

 しかし日本はまた貧しい国になりつつあるので、職人が復活するかもね。いやでも一度途絶えた技術はそうかんたんに取り戻せないか……。




 いい言葉はたくさんあるが、中でも気に入ったもの。

「人間が制御できない科学というのは、科学って言っちゃいけないんじゃないですか」
「政治家のなかには立派な人もいますよ。でもね、全体のことを考えて、その立派な人も入れて皆殺しにするってのは、どうですかね」

 特にこの「政治家のなかには~」なんて、大っぴらに言ったり書いたりできることじゃない。

 だからこそ、こうやって書き記しておくことには価値がある。ネット空間ですらうかつなことを書けなくなっちゃったからね。

 三十年前の日本人がプライベートな場でどんなことを言っていたのかを知る手掛かりになる、貴重な本だ。 

 当時は市井の人々の声なんてなかなか世に届けられなかったしね。

 今だったら個人ブログやSNSで発信しやすくはなったけど、それでも「書いて世界に向けて発信しよう!」という意図がはたらいた上で書いているものだから、「ふとした瞬間に漏れたなんてことない言葉」とはやっぱりちがう。

 こういう「無名な人のなんてことない言葉」を集めた本、ずっと出し続けてほしいな。永六輔さんは亡くなっちゃったから、誰か引き継ぐ人いないかねえ。日本中を旅していろんな人とふれあってる人で。


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2021年10月15日金曜日

ボール遊び禁止の公園

 近所の公園。

 小学二年生たちとドッジボールをやっていたら、警察官が来て「ここはボール遊び禁止なので……」と申し訳なさそうに言われた。

 え? 公園ですぜ?

 警官が指さす看板を見ると、たしかに書いてある。禁止事項として「スケボー・ボール遊びなど」と。

 いやあ。噂には聞いていたが本当だったか。公園でボール遊びが禁止だなんて。

(警察官の名誉のために書いておくと、彼は横で野球をやっていた高校生ぐらいの子に注意しにきて、「高校生に注意して小学生の方は見てみぬふりするのは不公平だから」って感じで一応注意しにきたのだった)


 それにしてもなあ。

 五十メートル四方ぐらいのだだっ広い公園だぜ。

 硬式野球ならわかるが、小学二年生のドッジボールだぜ。何があぶないんだ?

 ここでボール遊びしないなら、このスペースは何のためにあるの?

 警察官に言ってもしょうがないので「へーい」と言ってその場はやりすごしたが、嫌な世の中になったものだ。嫌な世の中じゃなかった時代なんてないけど。




 一律に判断しようとするとこうなっちゃうんだよね。
「公園でやってもいいボール遊び」と「やっちゃいけないボール遊び」があるわけじゃん。

 そういうのって、厳密に線引きしちゃいけないわけよ。厳密に線引きしたら「じゃあ鉄のトゲのついた球をぶんなげることは禁止されてないからやってもいいんだな」ってなっちゃうから。

 だから法律はあえて曖昧にしてる。
「公共の福祉に反しないかぎり」とか曖昧な表現にとどめている。解釈の余地を残しとかないと「書かれてないからやってもいい」ってやつがぜったいに現れるから。

 だから公園の看板も「他人の迷惑になること、危険なことは禁止」でいい。
「スケボー禁止」って書くと、「これはスケボーじゃなくてジェイボードって名前です」「これはキックボードだから禁止されてない」ってなるから。

 だからルールはゆるくつくっておくほうがいい。
 迷惑かどうか、危険かどうかは利用者が個別に判断すればいい。揉めたときだけ警察官が出てくればいい。




 ついでにいうとさあ。

「ボール遊び禁止」と書かれた横に貼り紙があって
「子どもたちが遊ぶ公園なので喫煙は配慮いただきますようお願いします」とある。

 ボール遊びは「禁止」で、喫煙は「配慮いただきますよう」かい。そっちは禁止とちゃうんかい。 


 こういうのってさ。どうやったら変わるんだろうね。

 そりゃあね。いろんな人がいるからね。
 公園でボールをぶつけられたとかで、「公園でボール遊びすんな!」って人がいるのはわかるよ。
 でもさあ、それ以上に「公園でボール遊びしたい!」って人もいるわけじゃん。

 でも、行政に届くのは「ボール遊び禁止しろ」の声だけ。そんで禁止になる。
 そうなっていったら最終的に「公園は立ち入り禁止」にするまで終わらない。


「公園でボール遊びすんな!」に対抗する「ボール遊びさせろ」という声を届けるにはどうしたらいいんだろう。

 めんどくさいクレーマーになって、役所に電話入れまくって「ボール遊びさせろ!」って言いつづけるしかないんだろうか。
「ボール遊びさせなくて子どもがまっすぐ育たなかったらおまえら責任とんのか!」って理不尽なクレーム言いつづけるしかないんだろうか。

 やだなあ。


2021年10月14日木曜日

表現するためのガソリン

 昔やっていたブログとかmixiとかを含めると、もう二十年近くネット上に文章をアップしている。
 変わらないのは、昔も今もいちばんの読者はぼくだということ。

 ほんと、かつて自分が書いた文章ってどうしてこんなにおもしろいかねえ。天才じゃないかとおもうね。いや、まちがいなく天才だな。今のところその才能に気づいているのが自分自身だけってだけで。


 それはそうと、昔書いた文章を読むと「繊細だなあ」とおもう。
 いろんなことに腹を立て、憎み、傷つき、恐れ、愛している。
 今のぼくは、他者に対してここまで強い感情を持てない。
「ま、どうでもいいじゃない」とおもってしまう。

 ひとつには、歳をとったから。
 もうひとつは、子どもが生まれ、強い関心を抱く対象がそちらになったから。

 結果、その他のあれやこれやに対しては興味がなくなった。興味がないから許せる。
 傍若無人なおばちゃんも、無礼千万なおっちゃんも、無知蒙昧な兄ちゃんも、春蛙秋蝉なねえちゃんも、「まあそんな人もいるわな」とおもえるようになった。ぼくの人生に密接にかかわってこないかぎりはどうでもいい。
 いわゆる〝丸くなった〟というやつだ。

 じっさい、生きやすくなった。
 他者に対して腹を立てることが減り、ストレスを感じることが減った。ええこっちゃ。

 その反面、創造性は低下した。
 いや元々大したことなかったんだけど(天才なんとちゃうんかい)。
 元々高くなかったものが、さらに低下した。

 他の人はどうだか知らないけど、ぼくが何かを書くための原動力の多くを占めているのが「怒り」だ。
 「ふしぎ」とか「納得」とかをガソリンにして書くこともあるけど、いちばん筆が進むのは「怒り」だ。つまんねえ本の悪口とか、書きだしたら止まらんからね。
 逆に「好き」ではぜんぜん書けない。おもしろかった本の感想なんかは書くのに苦労する。

 しかし、歳をとって怒りを感じる力が弱くなってきた。
 生きやすくなった反面、表現する力は弱まった。

 今いちばん怒りを感じるのは政治に対してだけど、これに関しては書いてて楽しくないのでなるべく書かないようにしている。
 書きたいことはいっぱいあるけど、政治批判っておもしろくならないんだよなあ。
「あたりまえのことができていない政治」を批判しようとおもったら、あたりまえのことを書くしかなくなるから。


 まあぼくの場合は書く力が弱まってもさして困らないんだけど。趣味で書いているだけだから。
 これが表現を生業にしている人だと苦労するだろうな。

 有名な作家とか画家とかで、やたら破壊的な生き方をしている人がいるじゃない。借金しまくったり家族を不幸にしたりして。団鬼六タイプ。
 ああいう人たちって「周囲や己を傷つけて怒りを感じないと表現する力が衰えてしまう人」なんだろうな、きっと。

 ぼくも表現を仕事にしていたら、表現をつきつめるあまりそっちの道に突き進んでいたかもしれない。


 あー、表現者にならなくてよかったー(完全なる負け惜しみ)。


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2021年10月13日水曜日

【読書感想文】河合 雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』

未来の年表

人口減少日本でこれから起きること

河合 雅司

内容(Amazonより)
日本が人口減少社会にあることは「常識」。だが、その実態を正確に知る人はどのくらいいるだろうか? 第1部では「人口減少カレンダー」とし、2017年から2065年頃まで、いったい何が起こるのかを、時系列に沿って、かつ体系的に示した。第2部では、第1部で取り上げた問題への対策を「10の処方箋」として、なるべく具体的に提示した。本書は、これからの日本社会・日本経済を真摯に考えるうえでの必読書となる。


 ちょっと前によく売れていた本を今さら。

 あまり知られていないが、この社人研の推計には続きがある。一定の条件を置いた〝机上の計算〟では、200年後におよそ1380万人、300年後には約450万人にまで減るというのだ。世界的に見れば人口密度が非常に高かったはずの日本列島は、これからスカスカな状態になっていくということである。300年後というのは現在を生きる誰もが確認しようのない遠い未来の数字ではある。が、450万とは福岡県(約510万人)を少し小ぶりにした規模だ。日本の人口減少が地方消滅というような生易しいレベルの話ではないことはお分かりいただけよう。

 これからの日本はどんどん人口が減る、ってのは知っていても、こうして「何が起こるか」を並べられると背筋が冷たくなる。

 介護離職が大量発生、ひとり暮らし社会が本格化、社員の平均年齢が上がり人件費だけが増える、東京も人口減少、認知症患者急増、医療機関や商業施設やインフラが立ちいかなくなる、自治体の半数が消滅の危機に、食糧不足……。

 しゃれにならない。
「人口が減るのはいいことも多い!」という声も耳にしたことがあるが、とんでもない。
 全体的にまんべんなく減っていくのならそれもいいかもしれないが、問題は「若い人がいなくなって高齢者だらけになる」ことなのだ。

 じっさい、上に挙げた問題のほとんどは「高齢者が増える」ことに起因するものだ。




「少子高齢化」なんて言葉をよく耳にするが、少子化と高齢化はまったく別の問題だ。

 くっつけていっしょに語ること自体がおかしい。

 これは「2040年問題」で取り上げた〝常識のウソ〟の続きともなるが、「高齢化は地方ほど深刻」と誤解されていたのは、高齢者数の増加を意味する「高齢化」と、総人口に占める高齢者の割合が増える「高齢化率の上昇」とを混同していたことに由来する。つまり、高齢化率が上昇するのは少子化が原因という誤解である。こうした誤解は往々にして「高齢化問題を解決するには、少子化対策に全力で取り組むしかない」 という奇妙な理屈になる。
 だが、少子化対策が功を奏して出生数が劇的に増えたとしても、高齢者の絶対数が減るわけではない。そして、高齢者が多いから「子供が生まれにくい国」になったわけでもない。高齢者数が増える「高齢化」と、子供の数が激減することを表す「少子化」とは、全く種類の異なる問題なのである。

 まず認識しなければならないのは、「少子化」はもう止めようがないということだ。

 二十代三十代が全員結婚して、全夫婦が三人ずつ子どもを産んだとする。それでも人口は増えない。だってそもそも二十代三十代が少ないんだから。

 全夫婦が六人ぐらい子どもを産めばやっと増えるが、そんなのは非現実的すぎるし、そうなったらなったでまた別の問題が生まれるだろう。

 今後は子どもが減るし、総人口も減る。働き手も減りつづける。これはもう絶対に避けられない。

 そしてこれも大事なんだけど、「少子化」ですぐに困る人はそんなにいない。教育産業ぐらい。
 だって子どもは働き手じゃないもの。どっちかっていったら社会のお荷物なんだもん。とりあえず今は。
 だから少子化は、一時的には社会にとってプラスだ。


 問題となるのは「高齢化」のほうだ。こっちはほぼマイナスでしかない。

 ちなみに、いまだに「高齢化社会」なんて言葉を使う人がいるが、日本は1994年には「高齢化社会」を脱して「高齢社会」になり、2007年には「高齢社会」すら通りすぎて「超高齢社会」になっている。
「高齢化社会」という言葉を使う人は、認識が30年遅れている。

 正確にいえば、高齢者が増えることによる社会全体の「生産性の低下」と「社会負担の増加」が問題になる。

「高齢者を強制的に減らす」が不可能である以上、打てる手は「高齢者にも働きつづけてもらう」「高齢者への医療・年金などの支給を減らす」しかない。

 移民の受け入れ、女性労働力の活用、AIの利用などいくつか対策は検討されるが、どれもまったくの無意味ではないものの焼け石に水といったレベルだ。

 鍋の底に大きな穴が開いて水漏れしてるのに「だったら鍋に入れる水の量を増やそう」「水の流れを変えたら水漏れのスピードが落ちるんじゃないか」「水の代わりにべつの液体を注ぐのはどうか」とか言ってるようなものだ。
 肝心の穴をふさがないとどうしようもない。

 でも、保守も革新も含め、どの政党も「高齢者への過剰なサービスは止めよう」という話をしない。
 ぼくはそれが納得がいかない。

 今の年金・医療費の制度を維持できないことは誰もが知っているわけじゃない。このままだといつかは破綻する。
 だったら早めに手を打たないといけない。でも誰も手を付けようとしない。先延ばしにすればするほど後の世代が困るのに、それを先延ばしにしている。

 目先の票が欲しいから「年金給付を減らします。高齢者の医療費負担を上げます」と言わない。
 それはすなわち「現役世代の年金給付を減らします」「現役世代が歳をとったときの医療費負担を増やします」と言っているのと同じことなのに。

 なんでどの政党も問題を先送りにするのかね。

 べつに、今の高齢者だけが苦しいおもいをしろなんて言ってるわけじゃないんだよ。
「今の高齢者が楽して、その分他の人が苦しいおもいをする」のをやめようって言ってるだけなんだよ。

 そこにちゃんと切り込む政党が現れたら票を入れるのに。

 あーあ、地域別の比例代表制じゃなくて年代別の比例代表制にならないかな。平均余命に応じて議席数を配分して。




 外国人の大規模受け入れが新たな日本人の少子化を招くことも認識しなければならない。各国とも外国人は低賃金で厳しい仕事に就く傾向にある。割安な賃金で働く外国人が増えれば、日本人全体の賃金も押し下げるだろう。永住者は原則どんな仕事にも就けることも忘れてはならない。人手不足の業界が、〝後継者〟と期待して受け入れたのに、永住権を取得した途端、〝割の良い仕事〟に転職するというケースも生じよう。それは穴埋め要員どころか、日本人の職を奪う存在にもなりかねないということだ。
 不安定な雇用を余儀なくされる日本の若者が増えることになれば、ますます結婚ができないケースが増える。その結果、少子化が進み、さらなる外国人労働者の必要論になるのでは、まさに負のスパイラルである。

 移民受け入れの話をすると「外国人に日本が乗っ取られる!」みたいなことを言う人がいるけど、ぼくはべつにそれでもいいとおもう。

 アメリカやオーストラリアなんかそうやって繁栄してきたんだし。

〝生粋の日本人〟なんてそもそもがフィクションに近い概念だし、そんなものなくなったってぼくはいっこうに困らないけどな。どうせその頃には全員死んでるんだし。

 

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【読書感想】内田 樹 ほか『人口減少社会の未来学』

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2021年10月12日火曜日

【読書感想文】下川 裕治『歩くアジア』

歩くアジア

下川 裕治

内容(e-honより)
旅は広さが、一平方メートルにも満たない僕の机の上から生まれた。「飛行機を使わずに、東京からイスタンブールまで陸路の旅はできるだろうか」と思い描いたのがはじまりだった。マイナス20度の寒さに震え、気温50度の暑さにあえぎ、アジアの西端をめざす旅はつづく―。

 1995〜1997年におこなわれた「飛行機を使わずに東京からトルコのイスタンブールまで行く旅」を書いたエッセイ。一度にイスタンブールまで行くのではなく、途中で東京に帰って、中断地点まで飛行機で行って改めて「飛行機を使わない旅」を再開するというツアー。雑誌の企画なのでしかたないとはいえ、ちょっとずるい気もする。

 まあお遍路も中断をはさみながらやってもいいらしいので(「区切り打ち」っていうんだって)まあいいか。


 大学生のときに下川裕治さんの旅エッセイを読んだことがあって、そのときは「なんておもしろそうな旅なんだ!」とあこがれたものだが、すっかり中年になった今ではあんまり魅力的に見えなくなってしまったな。「しんどそ……」という感想が先に来てしまう。老いたなあ。


 あと、2021年の今読むと「やたらと上からアジアを見下しているな」という気になる。
 いやこれは下川さんがえらそうという気はぜんぜんなくて、日本全体が変わったんだとおもう。

 どういうことかというと「先進国の日本から見た、途上国であるアジア諸国」という意識がずっと漂ってるんだよね。

「実にアジア人らしいのんびりさだ」とか「人々もいかにもアジアの素朴でいい顔をしている」みたいな表現が頻出するわけよ。

 国籍も人種も言語も宗教も文化もなにもかもちがう国々を「アジア」でひとくくりにして、おまけに日本だってアジアなのに「私はアジア人じゃありませんよ」みたいなスタンスで一方的に「古き良き純朴さを持った人々」みたいな書き方をするのがあまりにも傲慢だ。

 でも、改めて書くけど、下川さん個人がアジアの国を見下してるってわけじゃないのよ。20年以上前の日本人はほぼ全員こういう感覚だった。むしろ下川さんは現地に足を運んでいる分、平均的日本人よりもずっとニュートラルにものを見ているといっていい。

 90年代後半の日本といえば、バブルははじけたとはいえまだまだ「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の意識をひきずっていて、アメリカには負けるけど世界第2位の経済力の国だという自負があって、ヨーロッパ諸国ならともかくアジアの国々なんて経済的には比較の対象にすらならないとおもっていたわけよ。まさか中国に追いつかれるどころか追い越されてあっという間に大きく水を空けられるなんて想像すらしていなかった。

 だからこのエッセイにも「アジアをはるか下に見ている傲慢な日本人」の感覚が存分にあふれている。著者の意識というより、読者である日本人全員の意識かもしれない。


 全体的に「アジアっていいよね」ってスタンスなんだけど、それは他者の文化を尊重しているからのものではなく、むしろずっと下に見ているからこその優しさに感じられる。

「三歳の子って何も知らなくてかわいいよね」
「猫は悩みがなさそうでいいよな」
みたいな「かわいがる」感覚に近いかもしれない。

 近いうちに追いつき追い越されるかもしれないとおもっていたらとても出てこない「圧倒的下位者に対する優しい目」なのだ。
 ぼくも含めて、二十数年前のほとんどの日本人はこういう意識を持っていた。




 ぼくは「海外旅行行きたいなあ」とおもいつつなんのかんのと理由をつけて行かない(つまりほとんどの人と同じ)タイプの人間なので、誰かの旅行記を読むのは楽しい。読んだだけで行った気になってしまう。

 ぼくが海外に行ったのは五回。香港、中国、中国、イタリア、ベトナム。香港は小学生のときの家族旅行だったし、イタリアは新婚旅行、ベトナムも夫婦での旅行なのでほとんど観光地しかまわっていない。一度目の中国は留学だったので大学のまわり(北京)をうろうろしただけだ。
 だから自分で何から何まで決める海外旅行に行ったのは一度だけだ。友人とともに船で天津に渡り、北京ー桂林ー広州ー上海と旅した。ほんとは桂林から昆明に移動し、そこからベトナムに行くつもりだった。

 だが、土砂崩れで当初予定していたルートが使えなくなったのと、電車の切符が買えなかっただめにベトナム行きは断念したのだった。

手がひとつ入ればいっぱいになるような窓の前にできた長い列に三十分、一時間と並び、窓口近くでは横入りするセコい中国人と押しあいへしあいを繰り返して、ようやく小さな窓に手を突っ込んで、行き先、日時、座席のクラスなどを漢字で書いた紙をさしだす。しかし、窓口の服務員は、
「没有(そんなものはない)」
 と紙をつっ返してくる。ねばるとその紙に何番窓口へ行け、というようなことを書いてくる。そして再び長い列に並び、ようやく窓口に辿り着いたかと思うと、再び、
「没有」
 万策つきて切符売り場にたむろするダフ屋から、高い切符を買ったこともある。

 日本じゃ考えられないが(中国でも今はなくなったのかもしれないが)、中国では電車の切符が買えないことがよくあったのだ。日本でも長期休みなどはチケットが手に入りにくいことはあるが、中国では季節を問わず一年中買えないのだ。電車は走っているのに。特に、途中駅(始発駅以外)からの切符を買うのはほぼ不可能と言われていた。

 しかし電車は毎日何本も走っているわけだし、乗っている人がいるからにはどこかしらで切符を売っているはず。行けばなんとかなるだろうと行ってみたが、ほんとに買えない。旅行会社(ほぼダフ屋)が先に抑えてしまうらしい。

 しかたなく旅行会社に足を運び、手付金を払って切符を予約した。翌日、旅行会社を再訪すると「買えなかった」と言われた。
 旅行会社でも買えないのか、買えなかったのならしかたないとおもって手付金を返してもらおうとすると旅行会社の社員は「買えなかったが、あと○元出せば買えるとおもう」と言う。
 そんなわけあるかい。あからさまに足下を見てふっかけてきているのだ。
 正直「あと○元」は当時の中国の物価からするとそこまで高い金ではなかった。日本円にして数千円だったか。
 だが「足元を見られてぼったくられる」ことに我慢がならなかったので「だったらいらんわ!」と言いのこして、手付金を取り返して旅行会社を後にしたのだった。

 事前にこの本を読んで知識があれば、もうちょっとうまくやれたかもなあ。


 あれでいろいろと予定が狂ったので腹も立ったが、今となってはいい思い出だ。
 ベトナム行きの予定がポシャったので、桂林のホテルに十日間ほど滞在した。田舎町なので、いくつかある観光スポットを見てしまえばあとはもうやることがない。
 男三人で、朝はホテルで点心を食い、近くの商店街をうろうろし、昼は屋台で汗だくになって丼を食い、ホテルに戻って海外チャンネルを見ながら昼寝。夕方涼しくなるとまた近所をぶらぶらし、食堂に行って飯を食ってビールを飲むという怠惰な日々を過ごした。
 あんなにのんびり過ごした十日間は人生において他にない。ストレスフリーな生活で、まさにバカンスという感じだった。




 香港にある重慶マンションというビル群の話。

 当初はふつうのマンションだったのだが、観光客が増えるとゲストハウス(今でいう民泊のようなものか)だらけになったそうだ。

 僕がはじめて重慶マンションに足を踏み入れたのもそんな時期だった。もちろん目的は中国のビザだった。あの頃、ウェルカムゲストハウスには、いつもビザの申請用紙が用意されていた。そこに必要事項を書き込み、パスポートと写真を用意すると、中国国際旅行社のスタッフが回収にきた。そう、あの頃、ウェルカムゲストハウスだけで毎日二十人ちかい旅行者がビザを申請していたように思う。もうゲストハウスというより、ビザの申し込み所と化していたのである。その後、中国の個人用ビザは日本でもとれるようになった。それは欧米でも同じことで、重慶マンションのビザセンターの役割は終わるのだが、今度はインド人、パキスタン人、バングラデシュ人などが姿を見せるようになってきた。重慶マンションの一、二階には、彼らのための土産屋、カレー屋、軽食屋などが並び、インド線香の匂いがたちこめている。さながらリトルインドなのである。最近ではそこにアフリカ勢も加わって、独得の雰囲気をかもしだしている。彼らは旅などというものにいっさい関心はなく、中国へ行くことなど考えてもいない。彼らは狭い香港というこの街で、わけのわからぬ商売にいそしんでいる。そんな長逗留組がゲストハウスを埋めるようになってきたのだ。香港が中国に返還されれば、今度は貧しい中国人がこの老朽化したビルの住人にとって代わっていくかもしれない。重慶マンションは、いつも本流からちょっとはずれた人々に支えられて生きのびてきた。

 すごいなあ。居住用マンションがゲストハウスになり、ビザの申し込み所でもあり、インドやアフリカの人が増え、彼らを相手にした商売が店を出す。

 生きてるマンションって感じだなあ。マンションというよりひとつの街だな。街だったら時代の流れとともに成長したり姿を変えたりするもんな。

 ちなみに今でも重慶マンションはショッピングモールや飲食店が入っている「街」として生きているらしい。




 ラオスの高速船に乗ったときの話。

 彼らはポケットからボロボロになったキップの紙幣をだすのだが、それがどう考えても少なすぎるのである。僕らは四百バーツ、ラオスのキップにして一万五千キップほどを払う客なのだが、途中から乗った客が差しだす金は百キップにも満たないのだ。僕はとんでもなくボラれたのかと思ったが、実は違った。それが彼らの持ち金のすべてなのだった。船頭は困ったような面持ちで、
「これだけじゃとても足りないよ」
 という。客は戸惑ったような頼りない笑みを浮かべて、ポケットをまさぐるのだがそこから金がでてくるわけがない。そのうちに船頭の方が、
「まあ、いいか」
 と諦めてしまうのである。乗客全員が少額のラオスキップしか払えないのなら、むしろ話は簡単なのかもしれない。ラオスの貧しさとか、そのなかでこんな船を走らせてしまったいいかげんさを嗤えばいいのだが、困ったことにちゃんとしたキップ単位の運賃を払う奴がいるから話がややこしくなってしまうのだ。まあ、正規の運賃を払う乗客がいるから、この船も運航しているのだが、つまりは金のある奴は払って、ない奴は持っているだけ払えばそれはそれでなにも問題もなく動いていってしまう社会というのが僕はよくわからないのである。(中略)しかしひとたびラオスに入ると、突然、僕らが当然のものとして受け入れている貨幣経済の骨が抜かれてしまうような茫漠とした感覚にとらわれてしまうのである。この船の乗客たちは、船の運賃というものをどう理解しているのだろうか。支払った運賃でガソリンを買い、船の口ーンを払っていくという、日本の小学生でもわかっていそうな貨幣経済のカラクリを彼らは知っているのだろうか。僕はにわかにわからなくなってしまうのである。

 ふつう(現代日本におけるふつう)は、お金がない人は安い運賃で乗る、なんてのは許されない。
 これを許すと「だったらおれも安くしろ」という客や、金を持ってるのにないふりをする客が現れたら、正直者が馬鹿を見ることになってしまうからだ。

 この理屈はわかる。

 でもよくよく考えてみれば「お金がない人は〝あるだけ〟でいいんじゃないの?」という気もする。
 食堂で飯を食うのならともかく、船の場合は客が十人であろうが十一人であろうが船頭の手間はほとんど変わらない。多少はガソリンを余計に使うだろうが、微々たるものだ。
 だから「お金がないやつはあるだけでいいよ」でも、実は船頭はこまらないわけだ。

 全員が正直で、他者に対して寛容であれば「あるやつだけ払う」制度で問題ない。
 今の日本や他の多くの国が「フリーライダー(ただ乗り)は許しません」という制度をとっているのは、お金があるのにないふりをする不正直者や、「他者の得」に不寛容な人がいるせいだ。


 そう考えると、ラオスの船の「お金がない人はあるだけでいい」は、原始的でありながらすごく進歩的な制度なのかもしれない。

 仏教国かつ社会主義国のラオスだから許されるんだろうか。

 どの国もこうなったらいいのに。理想の世の中だよね。

 ま、ぼくは「あいつだけ少ない運賃で乗せてもらってずるい!」とおもっちゃう側の人間なんだけど。

 

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