2021年8月20日金曜日

いちぶんがく その8

ルール


■ 本の中から一文だけを抜き出す

■ 一文だけでも味わい深い文を選出。



研究者というのは常に、早急に何とかしなくてはならない問題、というものを抱えているからだ。

(東野 圭吾『天空の蜂』より)




けれども少女は人間であり、人形ではありません。

(新津 きよみ『星の見える家』より)




なぜなら「能力」とは、どうにでも解釈できる言葉だったからである。

(小熊 英二『日本社会のしくみ 雇用・教育・福祉の歴史社会学』より)




時に、ため息をつきながら食べていて、時々おいしいと感じるものがあると舌打ちをする。

(古泉 智浩『うちの子になりなよ』より)




わたくしは、そんなみみっちい悪ではなく、本当に自己弁解の余地のない動機のない悪をやってみよう。

(遠藤 周作『真昼の悪魔』より)




ひとは恐怖や苦痛と闘うことはできても、楽しさと闘うことはできない。

(柞刈 湯葉『人間たちの話』より)




ヒョウ柄のパンプスを履かせたい男と、ヒョウ柄のパンプスをそろそろ脱ぎたい女。

(吉田 修一『キャンセルされた街の案内』より)




マチアスはポネットがなぜ座薬を好きなのか考え続けていた。

(ジャック・ドワイヨン(著) 青林 霞・寺尾 次郎(訳) 『ポネット』より)




あなたはそれなりにがんばってるじゃないの。

(湊 かなえ『夜行観覧車』より)




「この社会をどんなにうまく生きてもツマラナイ」ということですね。

(宮台 真司『社会という荒野を生きる。』より)




 その他のいちぶんがく


2021年8月19日木曜日

親孝行代行サービス

 ぼくのふるい友人に、社交性のかたまりみたいなSという男がいる。

 誰とでもすぐに打ちとける。特に年上にかわいがられる。子どもの頃からそうだ。どの家に行っても、そこのお母さんから「Sちゃん、Sちゃん」とかわいがられる。
 ぼくの両親もSのことが大好きだ。母親から「そういやこないだSちゃんが遊びにきたよ」と言われることがある。ぼくがいないのに、ぼくの実家に行くのだ。そしてちゃっかり昼飯をごちそうになったりする。
 また、Sとぼくの父親とでゴルフに行ったこともあるらしい。ぼくは後から聞かされた(ぼくはゴルフをやらないので誘いもされなかった)。ぼくの代わりに親孝行をしてくれているのだ。
 すごい。ぼくにはぜったいできない芸当だ。

 懐に入るのが天才的にうまいのだが、だからといってなれなれしいわけではない。ちゃんと節度ある付き合いを心得ている。親しくはなるが、入ってはいけない領域まで立ち入らない。
「ここまでは踏みこんでいい」というギリギリまで入っていくのだ。だから付き合いは広いのに嫌われない。


 高校生のときのこと。
 ぼくの家に遊びにきたSは「腹へったー」と言いながら台所に入った。母親は不在だった。Sは冷蔵庫にあった卵を使って玉子焼きを作って食べた。
 そしてSはフライパンや食器をきれいに洗い、乾かしてから元あった場所にきちんと直した。
 その日の夜、母親は冷蔵庫を開けて首をかしげた。「あれ? あんた卵食べた?」とぼくに訊く。ぼくはSが卵を使ったことを知っているが、そしらぬ顔で「食べてない」と答えた。嘘はついてない。食べたのはぼくじゃない。
 母が「あれ。まだあったとおもったけどなー。ボケたかな」と首をひねっているので、ぼくは種明かしをした。「Sが玉子焼き作って食べたで」と。母は「さすがSちゃんやなー」と笑った。「洗い物まできれいにしてくれるなんてさすがやわ」と逆に称賛している。いやいや盗み食いされたんやで。

 この大胆さ。おそろしい。
 ちゃんと「このおばちゃんなら勝手に冷蔵庫の卵を使っても怒らない。むしろ笑ってくれる」ことを見抜いて、そのギリギリを攻めるのだ。
 そしてなによりぼくが脱帽するのは、Sが使った卵が「冷蔵庫にあった最後の一個」だということだ。
 十個あるうちの一個を使うのならまだわかる(それでも相当大胆だけど)。だがSは「よその家の最後の一個」にチャレンジするのだ。なんちゅう豪胆。


 明るく社交的で顔も悪くないので、Sはモテる。
 女好きだし女性に対してもどんどん懐に入りこむので、女友だちもたくさんいる。

 世渡りがいいやつとか女にもてるやつは反感を買いがちだけど、Sぐらいずば抜けた社交性だともうそれすらも超越してしまう。自分と次元が違いすぎて嫉妬すら感じない。




 そんなSも結婚して息子が生まれた。
 こないだSが三歳になった息子を連れてうちの実家に遊びにきた。
 Sジュニアは、はじめて来る家であるにもかかわらずずかずかと中に上がりこむ。あっという間に台所にまで入りこんであちこち物色している。
「台所はあぶないよ」と言われても、しょげるどころかにこっと笑う。子どもの満面の笑顔を見せられると許すしかない。
 さらにぼくの娘と姪(どちらも小学生)を気に入り、「おねえさーん!」と言いながら後を追いかける。

 たいていの子どもは人見知りをするものだが、Sジュニアはまったくの逆。知らない人がいるときのほうが上機嫌なのだという。

 あまり血統主義的なことはいいたくないが、Sジュニアの人たらしっぷりを見ていると「血は争えんなあ」とおもうばかり。
 こういうのって教えてどうこうなるもんじゃないもんね。


2021年8月18日水曜日

【読書感想文】川嶋 佳子(シソンヌじろう)『甘いお酒でうがい』

甘いお酒でうがい

川嶋 佳子(シソンヌじろう)

内容(e-honより)
シソンヌじろうが長年演じてきた「川嶋佳子」が綴る、40代後半独身女の517日。恋、亡き母、人生。シソンヌじろう初の日記小説!!

 以前、バカリズム氏が書いた『架空OL日記』という本を読んだ。OLになったふりをしてつづった日記である。
 そして『甘いお酒でうがい』もやはり、シソンヌじろう氏が40代独身OLの心で書いた日記である。
 センスある芸人は女のふりして日記を書きたがるものなのか。なんなんだ。

 しかし気持ちはちょっとわかる。
 ぼくもときどき「あたし」という一人称で文章を書く。最近あんまりやってないけど、いっときはよく書いていた。

ブランド品と九十九神

古今東西おすもうアンドロイド

ロボットフェンシングコンテスト

【エッセイ】犬と赤子に関しては勝手にさわってもよいものとする

【ふまじめな考察】なぜバーテンダーはシャカシャカやりすぎるのか

暗算こそが我が人生

【エッセイ】ミノムシって絶滅危惧種なんですってよ

【エッセイ】地球外生命体の焼き魚定食

【エッセイ】世界三大がっかり料理 ~チーズフォンデュ編~

【エッセイ】世界三大がっかり料理 ~パエリア編~

【エッセイ】世界三大がっかり料理 ~駅弁編~

【エッセイ】こたつと政権交代

【エッセイ】バイクのブーン その1

【エッセイ】バイクのブーン その2

【エッセイ】バイクのブーン その3

【エッセイ】捨てなくてよかったアジスロマイシン

【エッセイ】あたしが超能力者を嫌いな3つの理由

手のひら、内出血すればいいのに

母親として、子どもに食べさせるものには気をつかいたい

大人の女が口笛を吹く理由

洞口さんとねずみの島

洞口さんじゃがいもをむく

 検索してみたらいっぱい書いてた。これでもごく一部だ。
 そして「あたし」が書いた文章はおもしろい。他人がどうおもうかわからないけど、ぼくはそうおもう。

 なぜなら、自由に書けるから。
 やっぱり「ぼく」が書いた文章ってかっこつけてるんだよね。
 ブログだから知人に読まれることはほとんどないんだけど、それでもついつい取りつくろってしまう。賢く見られたい。良識ある人間だとおもわれたい。論理的矛盾だとか前に書いたこととの整合性とかを気にしてしまう。
 ところが「あたし」の文章を書いているのはぼくじゃないから、自由に書ける。ばかなことも書ける。そのときによって「あたし」の人格は変わるから、整合性も気にしない。

 べつに女性である必然性はないんだけどね。
 お相撲さんでも軍人でもモデルでも政治家でも医師でも宇宙人でも、自分とちがう人の仮面をつけられるなら誰でもいい。
 ただ「あたし」はてっとりばやい。一人称を変えるだけでいいし、特定の職業に関する知識もいらない。
 力士のふりして文章書くと「そんなお相撲さんいねーよ」とツッコミがくる可能性があるが、「あたし」であれば「世界中さがせばひとりぐらいはこんな女性もいるかも」で許される(あくまで自分の中では、だが)。

 ということで、異性のふりをして文章を書くのは楽しい。「自分から解放される」楽しさがある。ねえ、紀貫之さん。




 ただ、『甘いお酒でうがい』は「べつの人格を着て好きなことを書いている文章」かというと、それはちょっとちがう。
 川嶋佳子という仮面をつけてはいるが、その仮面は一時的なものではない。「いつでも脱げる」とおもってあることないこと書いているわけではない。「これからも川嶋佳子として生きていく」という覚悟のようなものが見える。だから川嶋佳子を壊すようなことは書いていない。徹頭徹尾、川嶋佳子はひとりの女性でありつづける。
 じろうという人間から解放されるために別の人格をかぶっているのではなく、じろうから解放されて川嶋佳子に囚われている。


 だから『甘いお酒でうがい』は、率直にいっておもしろくない。というよりおもしろいことが起こらない。
 バカリズム『架空OL日記』はもっとおもしろかった。起伏に富んでいた。あくまでフィクションだから、読者がおもしろがることを書いていたのだ。
 だが『甘いお酒でうがい』はほんとにただの日記である。他人をおもしろがらせるための文章ではない。
 もしも「シソンヌじろうが書いた」という背景を知らなかったら、ぼくは二ページぐらいでこの本を放りだしていただろう。
 これは「別人格を着てつまらない文章を書くシソンヌじろう」を楽しむ文章なのだ。


 書かれるのは、ほんとに些細な日常だ。

[7/19(木)] 帰りの電車に外人さんが沢山乗ってた。
外国人の観光客を見ると、私はあなたよりこの
国を知っている、という優越感に浸れる。
あなたの目に日本はどう映ってる?
あなたの目で今の日本が見てみたい。
[11/7(水)] なんとなく佇まいが男性っぽいシャンプーと、
女性っぽいコンディショナーを買って帰宅。
お風呂場で二人きりにさせてあげる。
[12/16(日)] なんだろう。
なんだか無性に、
重い掛け布団の中で寝たい。

 ここに書いたのは、まだ「何か起こっているほう」の日常だ。これでも。




 本文よりもあとがきのほうがおもしろかった。
 あとがきを読んではじめて、四十代女性のつまらない日記が立体的に立ちあがってくる気がした。

僕は芸人になって1年目の冬に最愛の母を失った。母は僕の芸人としての姿を一度も見たことがない。母を失ってから時間が経つにつれ、僕の作るネタはどんどん変わっていった。登場人物が非常によく死ぬし、愛すべきキャラクターほど、最後に死というオチをつけることが多くなった。
悲しみをいかに笑いに変えるか。気がつかないうちに、それが自分の作るネタのテーマになっていった。この日記に付き纏う物悲しさ。これはやはり母の死が原因なのだと思う。自分で読み返していても、湿地に腰まで浸かっているような気分になる。川嶋佳子はとにかくついていない。しかし彼女は自分の不運を客観的に見て、自分に舞い降りる不幸に意味を持たせることで日常を楽しんで生きている。その姿勢こそが僕がテーマに掲げていることであり、この日記に触れた方に伝えたいことなのである。

 〝川嶋佳子〟も、母親を失っている。そして折に触れて、亡きおかあさんのことを思いだしている。「おかあさんだったらどうしてたかな」と。

 『甘いお酒でうがい』は、シソンヌじろう氏による母への追悼文なのかもしれない。素直に「おかあさんがいなくなって寂しい」と言いたいけど言えない。その気持ちを、川嶋佳子という別人格を借りて表現していたのかもしれない。


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2021年8月17日火曜日

あこがれのトランシーバー

 娘の誕生日に、トランシーバーをプレゼントした。
 おもちゃではあるが、最大200メートル離れていても通信できるというもので、商品レビューを見ると「アウトドアで使っています」「家族でショッピングモールに行ったときに使っている」といった声も。
 四機セットで七千円近くする、おもちゃにしては立派な代物だ。

 誕生日プレゼントなのでもちろん娘が欲しがったものだが、欲しがるように仕向けたのはぼくだ。
「トランシーバーとかどう? 遠くにいる人と話せるから、けいどろとか缶けりとかするときに使ったらめちゃくちゃおもしろそうじゃない? ○○ちゃんだったら家が近いからお互いの家にいても通話できるかもよ」
とそそのかして、まんまと娘に「誕生日はトランシーバーがほしい!」と言わせることに成功した。


 そう。多くの元少年と同じく、ぼくもトランシーバーにあこがれていた。
 トランシーバー、カメラ、ラジコン。これは昭和~平成初期の子どもの三大あこがれおもちゃだろう。いまやスマホがトランシーバーでありカメラであるわけだけど……。

 トランシーバーもカメラもラジコンも、なかなか買ってもらえる代物ではなかった。なにしろ高い。
 だが本体の値段だけなら、誕生日やクリスマスに買ってもらえたかもしれない。問題はランニングコストも決して安くなかったことだ。
 トランシーバーやラジコンは電池を、カメラはフィルムを消耗する(当時はデジカメなんてなかった)。
 数百円だが、小学生にとって数百円は大金だ。コンスタントに出せる金額ではない。

 また、ぼくが小学生のときにいとこがおもちゃのトランシーバーを持っていたが、当時のおもちゃのトランシーバーは本当にちゃちなものだった。同じ家の中にいても声が明瞭に聞こえない。トランシーバーを使うより大声を出したほうがよく聞こえるぐらい。
 トランシーバーにあこがれていたぼくでも「これを誕生日にもらうのは損だな……」とおもうぐらいだった。かといって本式のトランシーバーなんかとても買ってもらえない。

 ぼくも今ではそこそこお金を自由に使えるようになった。本式のトランシーバーでもやすやすと買える。
 が、今買ってもしょうがない。三十代のおっさんが趣味でトランシーバーを買って誰と通信するというのだ。おっさんと秘密基地ごっこやスパイごっこをしてくれる奇特な人はいない。
 そもそも携帯電話を持っているのだからトランシーバーは不要だ。

 そんなわけで「娘のプレゼント」を口実にして長年の夢をかなえたのだった。




 トランシーバーをプレゼントされた娘は大喜びだった。
 さっそく娘といっしょに公園に行ってトランシーバーを使ってみた。
 おお。姿が見えないぐらい遠く離れていてもちゃんと通話できる。音声も明瞭だ。今のトランシーバーはすごい。広めの公園でも問題なく使える。

 娘の友だちもみんなトランシーバーを見てテンションが上がっている。
 中にはキッズ携帯を持っている子もいるが、携帯は遊びで使わないように言われているので、トランシーバーを使って遊べるのは楽しいらしい。
 みんなトランシーバーを持って、連絡をとりながら走りまわっている。高学年の子らまでものめずらしそうに「ちょっと貸して」と集まってきた。
 やはり令和の時代になってもトランシーバーは子どもたちのあこがれなのだ。




 ところで、トランシーバーはチャンネルをいくつか選べる。同じチャンネル同士でしか通信できないのだ。
「こんなのチャンネルひとつでいいのにな。トランシーバーを使ってる人なんてほとんどいないから干渉しないだろ」とおもっていたのだが、公園で使ってみてわかった。トランシーバーを使っている人はけっこういる。

 公園の近くにはショッピングモールや公営のプールがあるのだが、店舗従業員やプール監視員や警備員がトランシーバーを使っているらしい。チャンネル1にしているとしょっちゅう知らない人の声が入ってくる(逆にいうとこっちが公園であほみたいにしゃべっている声も向こうに届いているのだろう)。

 チャンネルを切り替えたら干渉がなくなった。

 そうか、ぼくが知らないだけでトランシーバーはけっこう使われているんだな。


2021年8月16日月曜日

【映画感想】映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ /深海のサバイバル!

映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ
/深海のサバイバル!
(2021)

内容
「映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ」…見た目はおしり、推理はエクセレントな名探偵・おしりたんてい。今度の舞台は、人々が風に乗り空を飛びながら移動して暮らすスフーレ島だ!
「深海のサバイバル!」…サバイバルの達人ジオとその仲間たちが、アンモナイト型の潜水艇に乗って深海をサバイバル。持ち前の勇気とアイデアでピンチに立ち向かう。

 小学二年生の娘といっしょに鑑賞。
 観客は全員子どもとその親。そりゃそうだね。




『映画おしりたんてい スフーレ島のひみつ』


 ふうむ、いい映画ですね。

 毎週テレビ放送しているものも(娘といっしょに)ときどき観ているのだけど、
「おなじみのやりとり」と「劇場版ならではの取り組み」がいい具合にミックスされていて、「これぞ劇場版!」っていう出来だった。

 テレビシリーズを映画化すると、力が入りすぎて「いやそこまでのものは求めてないんだけど……」となることがある。とはいえ時間も制作費もぜんぜんちがうのにいつも通りにつくるわけにはいかない。

 その点この『スフーレ島のひみつ』はふだんと同じく「めいろ」や「おしりをさがせ」もあるが、「かいとうUに協力者がいる」「かいとうUの変装が観客にははじめから呈示されている」などちょっとした仕掛けが施されていて、先が読みにくい展開になっている。クライマックスの「しつれいこかせていただきまさ」も定番のやりとりでありながら発射までにひと工夫凝らされている。

 またいつものおしりたんていであれば「なぞをとく」「犯人を捕まえる」「かいとうUからお宝を守る」が達成された時点でストーリーは終了するが、この劇場版ではなぞときだけでなく「島の外に出たいが代々続く灯台守の家系なのでそれが許されずに不満を抱える少女」というストーリーも並行して語られており、単なるなぞときで終わっていない。

 終始風の吹いている演出や、激しい動きなど、劇場版ならではの派手な演出も多く、観客の「金を払って劇場に来てるんだから特別なものを観たい」という欲求と「とはいえいつものおしりたんていらしさも捨てないでほしい」という願望の両方をうまく両立させていた。

 テレビアニメの劇場版としては完璧に近い内容じゃないでしょうか。




深海のサバイバル!


 子どものいない大人は知らないかもしれないが、『サバイバル』シリーズが小学生の間で大人気だ。
 元々は韓国の学習漫画だが、日本国内でのシリーズ累計発行部数は1000万部を超え、世界では3000万部を超えているという大ヒット児童書だ。

 子どもの頃、学研の『○○のひみつ』シリーズが好きだった大人は多いとおもうが、今は『サバイバル』シリーズが主役の座についている。『○○のひみつ』よりも『サバイバル』のほうが漫画がだんぜんおもしろいんだよね。
『サバイバル』シリーズは漫画九割+解説文一割で構成されているのだが、解説部分は大人でも勉強になる。内容も新しいので「なるほど、今は環境問題に対する考え方ってこうなってるのか」と学ぶことが多い。子どものときに教わった〝常識〟って、変わっててもなかなか気づかないからね。


 そんな人気シリーズから『深海のサバイバル!』が映画化。

 海底調査の潜水艦にもぐりこんだサバイバルの達人・ジオと野生少女・ピピ。めずらしいものだらけの深海に興奮を隠せないふたりだが、事故により潜水艦に電気と空気を供給するケーブルが切断。艦内には三人、だが深海耐久スーツは二着だけ。はたしてジオとピピは無事に潜水艦を海上へと引きあげることができるのか……。
 というワクワクドキドキの王道冒険活劇

 ストーリー展開は山あり谷あり一難去ってまた一難という感じで、ハリウッド映画にも引けを取らないレベル。いやほんと、こんなストーリーのハリウッド映画ありそうだもん。
 子ども向けだから粗いところもあるけれど(潜水艦に子どもがふたり密航してることに誰も気づかない、序盤で密航に気づいたのに引き返さない、ひとりで乗船するはずだったのに深海スーツが都合よく二着積んである、深海スーツの充電器が潜水艦内にあるなど)、そういうところに目をつぶって深く考えなければ大人も楽しめる。

 ただ映像作品なので仕方ないのだけれど、肝心の科学知識がほとんど披露されなかったのは残念。それこそが『サバイバル』シリーズの原点のはずなのに。
 ダイオウイカやマッコウクジラは出てくるだけで生態に関する知見はないし、せいぜいメタンハイドレートぐらい。個人的にいちばん気になったのは深海から連れてきたカニが海面でもぴんぴんしてたこと。これは深海生物の生態を伝えるという根幹のテーマを壊してしまうぐらいのミス。ストーリーは強引でもいいけど、科学知識に関するところで嘘ついちゃだめでしょ。




 某子ども向け作品は鑑賞中に寝てしまったが、この映画はどちらも大人も楽しめた。大人料金1,800円の元はとれた。

 しかし気になったのは対象年齢。
『おしりたんてい』と『サバイバル』のセット上映なのだが、この二作は対象年齢がちがう。おしりたんていのメインターゲットは未就学児(娘は五歳ぐらいのときにどっぷりハマっていた)、サバイバルは小学校中学年ぐらい。けっこう離れている。

 うちの娘は小学二年生なのでぎりぎり両方楽しめるぐらいの年齢だが、周囲の五~六歳ぐらいの子は『サバイバル』のケーブルの切れた潜水艦が深海に沈んでいくシーンや、ダイオウイカに襲われるシーンでは「こわい……」と声をあげていた。そりゃそうだよなあ。

 この二作を抱き合わせで売るのはちょっと無理があるとおもう。
 観客からすると単独上映で半額にしてくれるのがありがたいけど、いろんな事情でそうもいかないんだろう。

 ネット配信してくれたらいいのにな。そしたら上映時間を気にしないで済むし。感染予防にもなるし。

『ドラえもん のび太の宇宙小戦争 2021』も2022年に上映延期されたけど、一年も遅らせるぐらいだったらネット配信してくれたらいいのにな。そっちのほうが売上も増えるだろうに。映画館には申し訳ないけど。


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