2020年7月30日木曜日

【読書感想文】そんなことまでわかるのにそんなこともわからないの? / マーカス・デュ・ソートイ『数字の国のミステリー』

このエントリーをはてなブックマークに追加

数字の国のミステリー

マーカス・デュ・ソートイ(著)  冨永星(訳)

内容(e-honより)
素数ゼミが17年に一度しか孵化しない理由、世界一まるいサッカーボールを作る方法、雷とブロッコリーと株式市場に共通するもの、ベッカムのフリーキックが曲がる理由、パーティで仲の悪い二人が二人きりにならないようにする方法…。今なおトップクラスの現役数学者である著者が、数学の現場の豊富なエピソードを交えながら、この不思議で美しいワンダーランドをご案内します!
高校数学は得意だった(センター試験で数学ⅠAと数学ⅡBの両方100点だったのが自慢!)。
でも大学では文系の道に進んだ。

この話をすると数学が得意でなかった人には「そんなに数学が得意なのに文系に行くなんてもったいない!」と言われるが、数学の奥深さを知っている人間ならわかるだろう。
高校数学ができることとその後の数学をやっていくことはまったく別ものだ。

ぼくは大学に進んでから理学部の数学専攻の人間を幾人か見てきたが、ヤバいやつだらけだった。
休み時間や食事中も楽しそうに数学の話をしているやつや、九次元世界をイメージしているやつや、頭の中だけで麻雀をするようなやつがいた(そいつの話では、訓練すると完全ランダムで牌が引けるようになるらしい)。

つくづく「ああ、“高校数学が得意”ぐらいの自信で数学の道を志さなくてよかった」とおもったものだ。
「世界をすべて数学でとらえる」ぐらいの人間じゃないと足を踏み入れてはいけない世界なのだ。



自分は「数学の世界のスタートラインに立ったぐらいでやめてしまった」人間だが、数学者の話を聞くのはおもしろい。

学生時代は矢野健太郎さんの数学エッセイや数理パズルの本をよく読んでいた。

数学史を読むと、人間って数学的才能はぜんぜん進歩してないんだなと感じる。

たとえばスポーツなんかだと、五十年前と今とではまったくレベルが違う。
数十年前は世界トップの体操選手が「C難度!すごい!」ってやってたのに、今はC難度の技なんて準備体操みたいなもんで、F難度G難度とやりあっている。

ところが数学はそんなことない。千年前の人が発見した理論が今見てもめちゃくちゃすごかったり、百年前の人が出した問題が今でも解けなかったりする。

もちろん数学は蓄積だから後年の人間のほうが圧倒的に有利なんだけど(あとコンピュータが使えるってのも大きい)、そういうのを抜きにして個人レベルの能力だけで見るならピタゴラスやフェルマーよりすごい現代の数学者なんてほとんどいないんじゃなかろうか。



数学の話を読んでいると、とんでもない次元にまで連れていかれるのが楽しい。
 数学者の多くは、たとえ宇宙のむこう側の生物学や化学や物理学が地球のそれとはまるで違っていたとしても、数学だけは地球と同じはずだと考えている。地球から二五光年のかなたにあること座α星、ベガのまわりを回る系外惑星で腰を下ろして素数に対する数学の本を読んでいる誰かにとっても、59や61は素数であるはずなのだ。なぜならケンブリッジの高名な数学者G・H・ハーディーがいうように、これらの数は「我々がそう考えるからでもなければ、我々の頭脳が今あるような形にできあがっているからでもなく、数学の現実ゆえに素数でしかあり得ない」のだから。
そういやSF小説『三体』にもそんなエピソードがあったような気がする(記憶違いかもしれないが)。
遠い星の生き物と交信をするときに、まずは数学を使うと。

数学的に意味のある信号を送れば、ある程度発達した文明なら必ず理解できるはずだというのだ。
ふうむ。たしかに環境・姿形・文明など何もかも異なる文明と唯一共有できる話題というのは数学かもしれない。

そんな日が来るのかどうかしらないけど、未知なる文明と数学を使ってコミュニケーションをとりあうのって、なんちゅうかロマンあふれる話だなあ。



バタフライ効果とかカオス理論とかフレーズとしては聞いたことはあっても、いまいちよくわかっていなかった。
 気象学者は今や、海に浮かぶ定点観測船の観測データや衛星から送られてくる画像や情報などの膨大なデータを手に入れることができる。しかもきわめて正確な方程式を使って、大気のなかで空気の塊がぶつかり合って雲ができたり風が起きたり雨が降ったりする様子を説明することができる。気象がなんらかの数式によって決まっているのであれば、その方程式に今日の気象データを入力して、コンピュータで来週の天気がどうなるかを調べるくらいのことは朝飯前だろうに……。
 ところが残念なことに、最新のスーパーコンピュータをもってしても、二週間後の天気を正確に予報することはできない。この先どころか、今日の天気すら正確にはわからないのである。もっとも優秀な測候所でも、その精度には限りがある。それに、空気に含まれる粒子一つ一つの正確な速度やありとあらゆる場所における正確な温度、地表のすべての地点における気圧を知ることなどとうてい不可能だ。ところがこれらの値がほんの少し変わるだけで、天気予報はがらりと変わる。このような状況を「バタフライ効果」という。一匹の蝶々が打っただけで大気にわずかな変化が起きて、その結果地球の裏側で竜巻やハリケーンが生まれて大混乱が起き、人命が奪われて何百万ポンドもの損害が生じる可能性があるというのだ。
科学はどんどん進歩してるのに、天気予報はちっともあたらない。
五十年後の日蝕がいつ起こるかは正確に予測できるんだから三日後の天気ぐらいかんたんでしょ、と素人はおもってしまうのだが、どうもそうではないらしい。

天気を決定するデータは無限にあるのに観測できるデータは有限。おまけにちょっとずれただけでぜんぜんちがう結果が生まれるので、正確な予測はこの先もたぶん不可能なんだそうだ。
ふうん。地震予知とかも永遠に不可能なのかねえ。

「えっ、宇宙が始まった瞬間の0.1秒後の状態のことはわかっているのに三日後の天気もわからないの!?」
っておもっちゃうんだけどなあ。



いちばん信じられないエピソードがこれ。
 フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンは、第二次大戦中にドイツ軍に捕まって、下士官兵用捕虜収容所Ⅷ-Aに収容された。そして同じ収容所にクラリネット奏者とチェロ奏者とバイオリン奏者が収容されていることを知ると、三人の演奏家と自分のためにピアノ四重奏曲を作りはじめた。こうしてできたのが、二〇世紀における音楽のすばらしい結実というべき「世の終わりのための四重奏曲」である。この曲はまず捕虜収容所Ⅷ-Aの関係者と収容者に披露されたが、このとき作曲家自身は収容所にあったおんぼろなアップライト・ピアノを弾いたという。
で、その音楽に“素数”が重要な役割を果たしていた……。

嘘つけー!!と言いたくなるぐらいできすぎたエピソード。
こんなすごい話ある?

このエントリーをはてなブックマークに追加

0 件のコメント:

コメントを投稿