2020年7月29日水曜日

【読書感想文】R-15は中学生にこそが見るもの / 筒井 哲也『有害都市』

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有害都市

筒井 哲也

内容(e-honより)
2020年、東京の街ではオリンピックを目前に控え、“浄化作戦”と称した異常な排斥運動が行われ、猥褻なもの、いかがわしいものを排除するべきだという風潮に傾き始めていた。そんな状況下で、漫画家・日比野幹雄はホラー作品「DARK・WALKER」を発表しようとしていた。表現規制の壁に阻まれながらも連載を獲得するが、作品の行方は──!? “表現の自由”を巡る業界震撼の衝撃作!!

若いころには考えられなかったことだけど、漫画を読むのがしんどくなった。文字を読むほうがずっと楽だ。
昔は漫画なんて息をするのと同じくらい楽に読めたんだけどなあ。

読むこと自体がしんどいというより、「これから何年、十何年も読まなきゃいけないのかもしれない」とおもうから新たな漫画との出会いを遠ざけてしまうのかもしれない。

いっこうに完結しない『ガラスの仮面』と『HUNTER×HUNTER』と『ヒストリエ』のせいだぞ!!(『ONE PIECE』は途中離脱した)

そんなわけで何十巻もある漫画を読もうとおもわなくなった。
ってことで筒井哲也『有害都市』。
全二巻。
ああ、いいねえ。これぐらいの分量がいいよ、漫画は。

以前読んだ同氏の『予告犯』が単行本三冊でこれ以上ないってぐらい過不足なくまとまっていて、その構成力の高さに舌を巻いたこともあって。



舞台は、(発表同時の)近未来である2020年。
(今は亡き)東京オリンピックを前にして漫画の表現規制が強まっている。

一部の有識者によって青少年に悪影響を与えるとされた漫画は、対象年齢を15歳以上に推奨する「不健全図書」や、書店での陳列と18歳未満への販売が禁止される「有害図書」に指定されることになっている。

主人公が描いたホラー漫画がグロテスクな表現を多く含むという理由で有識者会議から目をつけられる。
主人公は葛藤した挙げ句にあえて表現規制を無視した漫画を発表することを決意するが……。


というストーリー。

著者は、過去に自分の作品が長崎県の青少年保護育成条例で有害図書指定を受けたことがあるそうだ。
その経験を活かして『有害都市』を描いたそうで、なんともたくましい。

そんなしっかりしたバックボーンがあるからか、引き込まれる導入にじっくり考えさせられる問題提起。上巻は完璧に近い話運びだった(エピソード0もおもしろかった)。
テーマもいい。漫画でやるからこそ説得力があるテーマだ。

だったのだが……。

なんか急にやる気なくなった? とおもうぐらい後半から失速してしまった。
上巻はまっこうから表現規制に立ち向かいそうな雰囲気だったのに、下巻は個別の話に終始しちゃってた印象。アメリカの話とかもなんだったの?
ほんとに途中で表現規制が入って放りだしてしまったのか? とおもうぐらいのしりすぼみ感だった。
(ちなみに規制が入ったかどうかは知らないが、雑誌発表時に炎上して単行本収録時に一部差し替えたらしいが)

ううむ。有識者委員会に懲罰を与えるほどの権限があるのも謎だしな……。なんで堂々と私刑してるんだ?

規制賛成派の人間描写は最後までうすっぺらかったし、ラストも投げっぱなしの印象。せっかくのいいテーマだったのにな。



表現規制についてだけど、個人的には規制はある程度必要だとおもう。

差別表現とかはね。被害者がいるものはある程度はしかたないのかな、と。

ただ、「差別するのが目的の差別表現」と「差別を糾弾するのが目的であえて差別表現を使う場合」とがある。
「黒人は“ニガー”と呼ばれてさまざまな局面で差別されてきた。この悲劇をくりかえしてはいけない」みたいな使い方はアリだとおもう。
なので一概に「この言葉は使用禁止」とするのはダメだ。
今のテレビとかはそうなっちゃってるよね。
何も考えずにただ放送禁止用語だから使うのやめとこう、みたいな思考放棄。


グロテスク表現に関してはまったく規制すべきじゃないとおもう。
というか、小中学生ぐらいの頃に残虐なものに惹かれるのってきわめて健全なことじゃない。
「残虐な行為は心の底から嫌悪します! 視界に入らないようにしてほしいです!」みたいな中学生がいたらそっちのほうがよっぽど異常で将来が心配になる。

15歳未満禁止だとか18歳未満禁止とかやってるけど、無意味だとおもうけどな。
30歳過ぎて「うおー、グロテスクな描写たまんねー」みたいに言ってたら心配になるけど。



作中で、漫画家のひとりがこんなセリフを発する。
僕が思うにこれからの漫画は
作家の個人的な主張や
創造性を発揮させるようなメディアではなくなっていくと予測している
例えるなら工業製品のように
それぞれの工程に専門のプロが力を寄せ合って
ひとつの製品を磨き上げていくという形が主流になると思う

これ、ぼくも感じていた。というかもうなってるんじゃないかな。
最近の漫画はあんまり読んでないけど。

『約束のネバーランド』を読んだときに、「これは個人の才能の表出じゃなくて会社が生産した工業製品だな」と感じた。
一コマも一セリフも無駄がない。どうやったら読者が驚くか、どうやったら感動するかをマーケティングによってすべて計算してつくっているという感じ。
もちろんそうやってできた作品はおもしろいんだけど。ハリウッド映画に大外れがないのといっしょで。
でもちょっと寂しいよね。

商業雑誌に載るのはチームで作った工業製品漫画、個人芸術作品としての漫画はWebやSNSで発表するもの、という棲み分けができていくのかなあ。


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