三十代のおっさんだが、ピアノの練習をはじめた。
いきさつとしては、
娘がピアノ教室に通いだす
↓
はじめはがんばって練習していたが、サボるようになる
↓
娘に火をつけるため、ぼくがピアノを弾いて
「おとうさんのほうが(娘)よりも上手に弾けた!」
と言う
↓
娘、まんまと乗せられて
「(娘)のほうが上手に弾ける!」
と言って練習するようになる
ってのがはじまり。
それ以来、娘のライバルとして毎日のようにピアノの練習をしている。
やはりひとりで弾くより、競争相手がいたほうが練習にも熱が入るらしい。
妻はずっとピアノをやっていたのですらすら弾ける。
おまけに絶対音感の持ち主なので教え方も容赦ない。
「その音とその音はぜんぜん違うでしょ。聞いたらわかるでしょ?」なんて言う。
弾けない人、聞いてもわからない人の気持ちを理解できないのだ。
「わからないのはまじめにやってないから」とおもってしまうらしい。
ということで、六歳のライバルにはピアノ素人のおっさんのほうがふさわしい。
どんどん上達する娘のライバルでいられるよう、ぼくも一生懸命ピアノを練習している。
じつはぼくもかつてピアノを習っていた。
一歳上の姉が習っていたので、いっしょにピアノ教室に放りこまれたのだ。
五歳ぐらいのとき。
ピアノ教室に関して今もおぼえていることはふたつだけ。
ひとつは、発表会で弾きおわった後に舞台袖に引っこまず、舞台から跳びおりたこと。
もうひとつは、ピアノ教室の床で寝ころがって「ピアノやりたくない!」と泣きわめいたこと。
このふたつのエピソードからもわかるように、ぼくはまったくピアノに向いていなかった。
その結果なのか原因なのかわからないが、音感もリズム感もない。ドのつく音痴だ。
あれから三十年。
娘と競うようにピアノの練習をしてみると、意外と楽しい。
ピアノはかんたんに音が出せるのがいい。
どんなに下手な人間が弾いても、ドの鍵盤をたたけばちゃんとドの音が鳴る。
音を出すだけなら、リコーダーやギターや法螺貝よりもずっとかんたんだ。
やればやるほど上達していくのが楽しい。
ちゃんと弾けたらだんだん速く弾いて、次は音楽記号に気を付けながら情感を込めて弾く……。
一曲の中でも自分がステップアップしていくのを感じる。
右手と左手でばらばらの動きをするのはむずかしいが、脳のふだん使わない部分を使うのが心地いい疲労をもたらす。
弾き語りなんて正気の沙汰じゃないとおもっていたが、かんたんな曲なら弾きながら歌えるようになってきた。
自分で弾きながらだと、ド音痴のぼくでも少しだけうまく歌えるような気がする。
「大人になってからピアノなんてやっても上達しない」とおもっていたが、ぜんぜんそんなことない。
もちろん、吸収力は逆立ちしたって子どもにはかないっこない。
だが大人のほうが勝っている部分もある。
まず指が長い。
これだけでだいぶ有利だ。
あと意外と手の指の動きをコントロールできるのはタイピングに慣れているからかもしれない。
壁に当たったときに、大人は「なぜできないか」を因数分解して解決することができる。
上手に弾けなかったとき。
まずは右手だけで弾く。
次は左手だけで弾く。
次は両手でゆっくり弾いてみる。
次は速く弾く。
そして、自分がどこで失敗しやすいのかを把握する。弱点を把握したらそこを集中的に練習する。
これはあれだ。
プログラミングに似ている。
書いたコードがうまく動作しなかったとき、「ここまではうまくいく」「この数行を削除してみたらうまくいく」といった作業をくりかえし、ミスの原因を探しあてる作業だ。
大人になると、いろんな経験を通して、
「うまくいかないときはやみくもに体当たりするよりパーツごとに分解してつまづきを克服していくほうが結果的に近道になる」
ことを知っている。
この経験が強みになる(逆に言うと、ピアノの練習を通して子どもはこういった経験を身につけてゆくのだろう)。
そしてなにより。
大人は感情のコントロールができる。
自分のコンディションを(子どもよりも)的確に把握できる。
「眠いから早めに切りあげよう」とか「今日は調子がいいからちょっと長めに練習しよう」とか「気分を変えるためにコーヒーでも飲もう」とか、自分のコンディションと相談しながら練習効率を高める方法を選択できる。
子どもにはこれができない。
うちの娘なんか、おかあさんと喧嘩して泣きわめきながらピアノを弾いたりしている。
「そんな状態で練習してもぜったいうまくならないから気持ちを落ち着かせてからやりなよ」
と言うのだが、聞き入れない。
わんわん泣きながらピアノを弾いて、うまく弾けないといってますます怒る。
傍から見ていてアホじゃねえかとおもうのだが、そんなこと口にするとますます怒りくるうのでやれやれと肩をすくめるだけだ。
ピアノ、楽しいなあ。
この歳になってやっと気づく。
誰にも強制されずに好きなときに弾いているからかもしれないけど、楽しい。
あのとき床に寝ころがって数十分泣きつづけていたぼくをあきれたように見ていたピアノの先生!
あなたの教えは、今、やっと、届きましたよ!
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