FACTFULNESS (ファクトフルネス)
ハンス・ロスリング オーラ・ロスリング アンナ・ロスリング・ロンランド
上杉 周作(訳) 関 美和(訳)
貧困は解消されていない、あいかわらず世界中で多くの子どもたちが栄養失調で苦しみ、若くして命を落としている……。
そんなのはすべて間違いだ、世の中はまちがいなく良くなっているのだ、と多くの証拠を挙げて主張するのが『FACTFULNESS』だ。
話題になっているのは知っていた。
おもしろそうな本だとおもっていた。
でもぼくの「流行りものには手を出したくない」という悪い癖が顔を出し、「そのうち読もう」と放置していた。
ところが、訳者の一人である上杉周作氏が書いたnote( 『ファクトフルネス』批判と知的誠実さ: 7万字の脚注が、たくさん読まれることはないけれど )を読み、
「こんなに知的誠実さを持った人の訳した本がおもしろくないわけがない! すぐ買ってお金を落とさねば!」
という謎の使命感に駆られ、購入した。
やはり話題になっているだけあって、おもしろかった。
中盤以降は同じようなことのくりかえしでやや退屈だったが前半はめっぽうおもしろかった。
誤った"常識"を正してくれる良書であることはまちがいない。
翻訳もいいし、ぜひ多くの人に読んでもらいたい。
まずは、上記上杉氏が作成した チンパンジークイズ をやってみてほしい。
全部三択問題で十二問。すべて勘で答えても四問は正解する計算になる。
しかし、ほとんどの人の正答数は四問を下回る。誤った知識が邪魔をするのだ。生兵法は大怪我の基。
ぼくも大半まちがえた。
じっさいは、ぼくがおもっているよりずっと世界は良くなっているのだ。
悪いことが起こったときはニュースになる。
人が殺された、新しい病気が流行っている、戦争がはじまった、痛ましい事故が起こった、天災が起こった。
けれどいいことはあまりニュースにならない。
赤ちゃんがたくさん産まれて健康に成長している、医療機関が多くの命を救った、戦争を未然に防いだ、事故数が昨年より減少した、今年は地震が起こらなかった。
そんなことはニュースにならない。
赤ちゃんが産まれてすくすく育っていることがニュースになるのはパンダだけだ。
だから世の中はどんどん悪くなっていっているような気がする。
少年犯罪も高齢ドライバーによる交通事故も餓死も戦死も難民も減っている。
そこをついつい忘れて「昨今の日本は……」とか「最近の若いやつは……」と言いたくなってしまう。気を付けなければ。
今の日本には、「食っていけない」「病気になっても医者に診てもらえない」「我が子に教育を受けさせられない」というレベルの貧困にあえぐ人はほぼいない。
『FACTFULNESS』では経済状態に応じて、レベル1(最貧層)~レベル4に分けている。
日本人の大半は最も豊かな層であるレベル4に位置している。「金がない」「貧困世帯だ」とおもっている人たちも、世界水準で見ればほとんどはレベル4だ。
1日に32ドル以上の収入があり、家の蛇口をひねれば水道が出てきて、ガスで調理ができ、自動車で移動をする。
ぼくらはレベル4の生活をしているし、ぼくらの親世代もたぶんレベル4の暮らしを送っていた。
だからレベル1やレベル2の人々の暮らしをまるで理解していない。
病気でなくなる子どもが多いと知ると、ぼくらは「病院を建てて医師や看護師の数を増やせばいい」とおもう。
でもそれはレベル3やレベル4の人の発想だ。ほんとに貧しい人たちはそもそも病院に行けないのだ。
この本の中では、子どもの死を減らすためには医療の充実より、たとえば交通を整備することのほうが重要だと書いている。
道路をきれいにして町へ向かうバスが走れるようにする、そうすれば病院に行けるようになる。
なるほど、たしかにこういう発想はなかったな。
想像力は大事だが、想像力には限界がある。自分から遠すぎる世界の暮らしは想像の範疇を超えている。
貧困は減っている、ということが『FACTFULNESS』にはくりかえし書かれている。
うん、たしかにそうなんだろう。事実なんだろう。
でも、なんかしっくりこない。
平均として世界が良くなっているといわれても、それがどうしたという気がする。
ぼくらが実感する不幸って相対的なもんなんだよね。
もちろん生きていけないほどの貧困は重要問題で、最優先で解決しなきゃいけないことなんだけど。
でもそれを解決したからいいってもんじゃないんだよね。
江戸時代の殿さまは今のぼくらよりまずいものを食べて汚い身なりをしてろくな医療を受けられなかった。冷暖房もなかったし娯楽も乏しかった。
今の基準でいえば貧困に相当するだろう。レベル1~レベル4で言えばレベル2ぐらいの暮らしだ。
でも殿さまが経済的に不幸だったかというと、まったくそんなことはない。
同じように、現代の裕福な生活だって百年後の人たちから見たら貧しい暮らしに見えるだろう。
自動移動装置もナノ医療も標準食品もオート秘書も安全住宅もなしに生活してたの、かわいそう、と言われるかもしれない。
百年後にも『FACTFULNESS』みたいな本が出版されて、世界は悪いことだらけのように見えるけど、でも2019年頃に比べると世の中にはこんなにも良くなっているんです! と書かれているかもしれない。
だからってぼくらが不幸だということにはならないし、2119年の人たちが幸福だということにもならない。
シリコンバレーのエンジニアの平均年収は、日本円にして1000万円を超えているという。
そこに暮らす年収800万円の人は、経済的な満足感は得にくいだろう。あなたは世界水準で見ればたいへんなお金持ちなんですよ、といわれても納得できないだろう。
ぼくらが感じる幸福や満足は「隣人と比べた」相対的なものだからだ。
その考えはぼくらの脳の仕組みに由来するものであって正確な考えではないのですよといわれたって、現に幸福につながらない以上なんの気休めにもならない。
『FACTFULNESS』には、「相対的な満足度」の話がほとんど出てこない。
著者が見落としていたわけではなく、本題がぶれるから意図的に書かなかったんだろうけど、ぼくはひっかかりを感じてしまう。
極端なことをいうと、「みんなが年収200万円の世界」と「9割が年収100万円で1割が年収1億円の世界」を比べたとき、後者のほうが平均収入が増えてるでしょ、だから後の世の中が良いんですよ、と言われているようなひっかかり。
そこまで極端なことを言わなくても、「みんなが年収200万円の世界」が「半分が年収250万円で半分が年収1000万円の世界」になったとしたらどうだろう。
みんな年収増えましたよ、以前に比べて不幸になった人はいませんよね、といえるだろうか。
「格差」という切り口があれば、より満足度の高い本になったかなあ。
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